« 2016・9・18 花と蝶 篇 | トップページ | 2016・12・11 夏目漱石がなくなって100年だとか篇 »

2016/11/26

2016・11・27 ガマちゃんが死んじゃった篇

Photo市役所の傍で花見(2012年)
ふうてん老人の女房がガマちゃんの隣にいる
ソニーのビデオカメラで写した
ボケているから肖像権の問題はない、はず

 読者の方から、
(是非ともブログを更新され、今一度思い出話を語って頂けますでしょうか。)

というリクエストをいただいた。

先日、国立市長のガマちゃんが亡くなった。

69歳だった。
リクエストにお応えして少し思い出してみたい。
 
 この老人日記でも何度かガマちゃんのことを書いている。
同じようなことの繰り返しなのだけれど、以下のようなものが見つかった。
2011
424 ガマちゃんが市長になった篇 
http://futen.cocolog-nifty.com/futen/2011/04/2011424-438b.html
2012
415 花に嵐のたとえもあるさ篇 
http://futen.cocolog-nifty.com/futen/2012/04/2012415-01df.html
 
 2011年の東北大震災のころ国立市長になった。
去年2015年に再選されて、さあこれからという時期に病のうわさが伝わって来た。
市長になってからは公務多忙につき、というやつで我々はなかなか会えなくなった。
繁すしへの登場回数も減った。
だからガマちゃんの病状については誰も確たるところは知らなかった。

 ふうてんがガマちゃんに最後に会ったのは去年の桜のころだった。
谷保駅近くの(志ん宇 しんう)で村ちゃんと飲んで帰るときだった。
近くの公園の夜桜を見ていると谷保駅の方から一人のおっちゃんが歩いてきた。
ガマちゃんに似ているなあと思って声をかけた。
 
・・・
(いやぁ~どうも)
とお互いに分かってすぐ近くの居酒屋で一杯やった。
何を話したかは覚えていない。
市長としての苦労話をアレコレ聴いたに違いない。
元気そうだったガマちゃんに村ちゃんと(頑張ってね)とエ~ルをおくった。
(市長終わったらユックリ飲もうね)
と別れた。

 繁すしでガマちゃんと知り合ったのは30年ほど前だった。
国立へ越して来てきてからの地元の人たちとのお付き合いは全て(繁すしネットワーク)である。
山口瞳さん、文春のトヨダさん、ラガーマン、村ちゃん、ガマちゃん・・・。
この人たちが開拓したお店を知ってそこに通うようになったりもした。

 ガマちゃんとの付き合いはこの中の一つだった。
ただ年齢が近いことと、家が近いことと、考え方が近いことなどで(同輩)という感じがあった。
百姓の小伜、という共感もあったのかもしれない。
ガマちゃんは谷保村の百姓の末裔。
ふうてんは伊予村の百姓の末裔。
飲んで話し始めるとキリがない、というやつ。

 ガマちゃんの自宅を一度だけ訪ねたことがある。
知り合ったころガマちゃんたちの(文酔連)という草野球チームに誘われた。
近くの公園で練習試合やるから観に来ませんか?
というので念の為ソニーのビデオカメラを持って出向いた。
隠宅から歩いて5分もかからない、桜通りに面した公園である。

 そこで初めて草野球チーム(文酔連)の面々にお会いした。
ガマちゃんはキャッチャーでキャプテンをしていた。
このチームの人たちいいなあ、草野球も楽しそうだなあと思った。
しかし野球に関しては苦い経験があり、運動神経ゼロのふうてんである、誘いはお断りした。
(その代わり、カメラマンします)
と言ってソニーのビデオカメラを廻し続けた。

 試合が終わってガマちゃんちで宴会をやろうという話になったようだった。
カメラマンとしてはついて行くしかない。
谷保駅の東のすぐ近くにガマちゃんちはあった。
JR南武線の南側でその家の大きな木の眺めをふうてんは電車からよく見ていたのだった。
(そうか、ここがガマちゃんの家だったのか)

 広い屋敷だった。
平屋のような木造二階建てで、木々に包まれていた。
ビールやら何やら飲むうちに、出前で~すという声が聴こえてくる。
谷保駅前の中華(丸信さん)のギョーザ、ヤキソバ、ラーメン。
最後には繁さんが握り寿司の出前盆を抱えてやってきた。

 もう30年ほども昔の話になる。
以来ガマちゃんとは折に触れ話す機会があった。
土日の休みの日などふうてんがロシナンテで流していると歩いているガマちゃんに会う。
麦わら帽子に半ズボン、ゲタというスタイルである。
(暑いねぇ、今日も)
(ふうてんさん、この車いいですねぇ、オープンで涼しそうで)
(ガマちゃん土日は公務員休みじゃないの?その格好で出勤?)
(ええまぁ、仕事だか何だか・・・)

 国立の今の街の作りを教えてくれたのもガマちゃんだった。
国立は流れ者のふうてんにとっても独特の街の感じを受けた。
国立駅から南に大学通りが真っ直ぐに伸びて、左右に斜めの通りがある。
市街は完全に東西南北の枡目になっている。
ガマちゃんが言った。
(中国の瀋陽へ行ったとき同じ風景を見たんです)
(あれっ?これって国立と一緒のような、日本が支配していたから作らせたのかしら?)
(ところがふうてんさん、逆だったんです)
(今の国立は(後藤 新平(ごとう しんぺい)東京市長が作ったそうで)
(その新平さん、満州時代に今の国立と同じスタイルの街を作っていたらしいのですよ)
 
・・・
(ということは国立は瀋陽(昔の奉天)の二番煎じということ?)

 ガマちゃんは中国とかアフリカとか先進国ではない国々に興味があったようだった。
 
一人息子のゲンタくんもアフリカに留学したらしい。
最初にガマちゃんの家を訪ねたとき、ほんのボクちんだったゲンタくん。
今は4人やら5人の子供がいるおっちゃんになったらしい。
ガマちゃん、あんたは幸せものや。
後を継ぐものたちがあちこちにいる。
これって(人徳)いうんやろか。

 コメントをいただいた読者さん。
今回はこのへんにしておきましょうか。

追伸

 ガマちゃんのことはユーチューブでいろいろと観ることができます。
いくつかを紹介しておきましょうか。

国立市長 佐藤一夫
佐藤かずおオフィシャルサイト
http://satoh-kazuo.jp/
国立のガマさん  ~佐藤かずお~
https://www.youtube.com/watch?v=ZJLs-ihjXlI
関頑亭氏インタビュー 第1回(全3回) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XSx1Kc4sbxQ
関頑亭氏インタビュー 第2回(全3回) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-_X68xHUlwc
関頑亭氏インタビュー 第3回(全3回) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=idrN1pCNbAQ
 

|

« 2016・9・18 花と蝶 篇 | トップページ | 2016・12・11 夏目漱石がなくなって100年だとか篇 »

コメント

国立市の新市長どのとは面識がありません

 永見さんは副市長時代ガマちゃんのいい仲間だったのでしょうね。
女房は今度の選挙についてガマちゃんの(桜通りの自転車道路)の継続を望んでいました。
どうやらガマちゃんの意志は引き継がれるようで安心をしております。
2車線、2車線の車道を1.5車線ずつ車のために残して後は桜を挟んで歩道と自転車道になります。
工事の具合を見ますと桜通り全体の景観はこれまでとあまり変わらないように上手に処理さています。
これで古木となった桜の処理もやりやすそうだし、何よりもチャリで買い物の主婦にとっては安心でしょう。

 それにしても投票率41%で1万5千票と5千票でしたね。
国立市って小さな町なのですなあ。
多摩川からJR中央線まで、面積は結構広いのにねぇ。

投稿: ふうてん | 2016/12/26 01:12

永見副市長が先ほど新市長に当選されたみたいですが、ご面識はございますでしょうか。

投稿: | 2016/12/25 23:10

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/93753/64545191

この記事へのトラックバック一覧です: 2016・11・27 ガマちゃんが死んじゃった篇:

« 2016・9・18 花と蝶 篇 | トップページ | 2016・12・11 夏目漱石がなくなって100年だとか篇 »