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2016年9月に作成された記事

2016/09/18

2016・9・18 花と蝶 篇

P9070307jpg_2江戸絞りに黄色い蝶々がきた
(庭師撮影) 

 隠宅の庭師が(写真送っておいたよ)
と言った。

我が家には大昔のデジカメが一台ある。
20年ほど前のキャノン製なのだけど機能的に不満がない。
解像度、ズーム機能、パソコンとのインターフェース。
それで買い換えたり買い足したりすることもなく過ごしてきた。
一台のデジカメを嫁はんが使ったりこちらが使ったり。
パソコンで吸い上げるのは嫁はんが自分のiBOOKで行う。 
ふうてんは自分で撮ったのも女房どのが撮ったのもメールで送ってもらう。


 同じ家に住んでいてメールで写真を送ってもらう。
奇妙な家族ではある。
どうもふうてん老人はよほどの不精者らしい。
デジカメからパソコンに吸い上げるのも面倒くさいようである。
この老人、昔パソコンを作っていたなどと時々自慢話をしている。
しかし、それも話半分に聴いておいた方がよいのかもしれない。

 江戸絞りに黄色い蝶々がとまっている写真を見て(花と蝶)という言葉が浮かんだ。
ふうてんが若いころにはやった流行歌の曲名である。
(花が女か 男が蝶か
 ・・・
 花が咲くとき 蝶が飛ぶ
 蝶が死ぬとき 花が散る
 ・・・
 花のいのちは 短いけれど
 蝶のいのちも はかなくて
 ・・・
 花が散るとき 蝶が死ぬ)

と森進一が、あのしわがれ声で歌った。

 ウィキペディアに聴くと、
 (「花と蝶」(はなとちょう)は19685月に発売された森進一のシングルである。
累計売上は100万枚。
森はこの曲で同年の「第19回NHK紅白歌合戦」にデビュー3年目にして初出場を果たす。これ以降、森は紅白に毎回出場しており、連続出場記録としては最多となっている。また、2009年の「第60NHK紅白歌合戦」でも41年ぶりに披露され、1968年の初出場時の映像も流れていた。)

などと出てくる。

 
1968年というとふうてんは京都で学生をしていた。
落第して留年中で、先行き不安な時代だった。
そういうこちらの心に忍び込んできたのだろうか。
妙に印象深い曲として記憶に残っている。

 同じころに(圭子の夢は夜ひらく)とか(いいじゃないの幸せならば)なんてのもあった。
どれもこちらの心の襞(ひだ)に忍び込んでくるような歌詞でありメロディーだった。
宇多田ヒカルのおふくろさんである藤圭子が歌った(夢は夜ひらく)はこうだった。
(赤く咲くのは けしの花
 白く咲くのは 百合の花
 どう咲きゃいいのさ この私
 夢は夜ひらく
 ・・・
 十五 十六 十七と
 私の人生 暗かった
 過去はどんなに 暗くとも
 夢は夜ひらく
 ・・・
 夜咲くネオンは 嘘の花
 夜飛ぶ蝶々も 嘘の花
 嘘を肴(さかな)に 酒をくみゃ
 夢は夜ひらく)

 こちらは二十歳過ぎという年齢、高度成長も成熟期を迎えていたあの時代。
やはり(歌は世につれ、世は歌につれ)というのは当たっているのだろうか。

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2016/09/11

2016・9・11 こち亀が終わっちゃった篇

P9060312_2書簡集マスターどのから戴いたスダチ
徳島の友人が毎年のように送ってくれるとか
うらやましい

 この季節になるといつも京都のMuさんから電話があった。
(土瓶蒸しの季節やでぇ)

Muさんは7月が近づくと、
(ハモの季節やでぇ)
とも電話で知らせてくれた。

 書簡集マスターどのからスダチを戴いて、Muさんとの土瓶蒸しを思い出した。
京都の木屋町三条小橋上がるに(めなみ)というお店がある。
何度かこの日記にも書いたような気がする。
ここでの(松茸の土瓶蒸し)は、まずスープにスダチを絞って一口飲む。
これが絶品なのですなあ。

 秋の土瓶蒸しも夏のハモも今はMuさんからの連絡はない。
3年前の夏にMuさんは身罷ったのであった。
春はタケノコとナノハナ、夏はハモとイワガキ、秋はマッタケ、冬はアンキモとシラコ・・・
京都でMuさんと春夏秋冬を楽しんだ日々が懐かしい。
 

Photo ふうてんにとって今年8月の(こち亀が終了しました)というニュースは大きかった。
 
(こち亀)とは(こちら葛飾区亀有公園前派出所)という集英社の少年ジャンプに連載されたマンガである。
 
 集英社のホームページに作者秋本治のコメントと主人公(両さん)のスケッチが載っている。

(こち亀)の連載が始まって40年となる。
40周年、単行本200巻記念の今年、区切りがいいから両さんらしい引退ぶりと思う。
と秋本治は語っている。

 40年前、ふうてんは何をしていたのだろうか?
30歳のころ。
京都から関東の蝦夷地へ流れ、就職して所帯も持っていた。
しかし自分の仕事は何なのか分からなかった。
子供もいなかったので家庭をどう築けばよろしいのかも分からなかった。

 そういう時期に(こちら葛飾区亀有公園前派出所)の連載は始まったのだった。
会社でまともに仕事をしていなかったので、よく同僚と世間話に耽っていた。
一人の後輩が(ふうてんさん、このマンガ面白いですよ)と見せてくれた。
それが(こち亀)を目にした初めてだった。

 その画面を見て、ふうてんは感じるものがあった。
日本のマンガとはどこかが違う。
手塚治虫とか我々が親しんできたマンガとは何かが違う。
一つ、二つのコマを見るだけで可笑しさが込み上げてくる。
何だろうこの感覚は?

 ああこれはハリウッド映画のコメディやとやがて気づいた。
チャップリンがいる。
バスター・キートンがいる。
連中、一枚の写真を観るだけでも可笑しさがこみ上げてくる。
映画を観ているせいかもしれない。
しかし一枚の顔の表情で既に可笑しさを表現している。
後輩に見せてもらった(こち亀)で同質のものを感じた。

 それから数年後、35歳も過ぎてやっと自分の仕事に出会った。
一つのパソコンの開発を任された。
パソコンの一機種の責任者はあらゆることに責任がある。
当時は(デモ・プロ)なんてのも機種担当の責任範囲だった。
それでふうてんは(両津巡査)のことを思い出していた。
(両津巡査をキャラクターとして使い、このパソコンの特徴を表現したい)
と考えた。

 それで宣伝部を通じて集英社に交渉してもらった。
こち亀の作者秋本治にも交渉した。
交渉の結果はこうだった。
作者秋本治
(よろしいですよ。但し、パソコンの製造現場を見せてくれること。
 そしてそのネタをこち亀に使ってよろしいこと。それが条件です)
集英社
(少年ジャンプは紙のメディアです。著作権は集英社にあります。
 パソコンでやるとなるとデジタルですよね。
 デジタルとなると第二次著作権が発生する可能性があります。
 集英社のコントロールできない新しい著作権が発生することは好きくありません)

 それで結局(両津巡査)を使った素晴らしいデモ・プロは幻となった。
ふうてんは今でもそのシナリオを覚えている。
モノクロの画面で東京の下町で活躍する両さんから始まる。
やがていつものように両さんが、ふうてんの寅さんと同じように居眠りしてしまう。
・・・
眼が覚める。
下り坂の向こうに夕陽が沈みかけている。
それをこのパソコンの特徴であるフル・カラーで表現する。
どんなもんだい、と自慢げに。

 当時パソコンはカラー表示がプアだった。
ふうてんは電通の営業マンの若いのに、このパソコンのキャッチどうします?
と聴かれたとき(総天然色パソコンだよ)と応えた。
(いくらなんでも総天然色は古すぎます)と連中は帰っていった。
電通は結局(天然色パソコン)というキャッチを使ったのだった。

 両津巡査の連載は40年前に始まり今年終わった。
総天然色、フル・カラーなんてのは今のスマホで当たり前となった。
始まりから終わりまで。
全てを見ることができたこちらは言うことありませぬ。

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