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2016/08/07

2016・8・7 フーテンの寅さん没後20年につき篇

Photo男はつらいよ
フーテンの寅さん

 
 梅雨が明けて猛暑となった。
20年ほど前までは30℃を超えると猛暑だった。
今は各地で平気で35℃を超えるようになった。
このまま温暖化が進むとどうなるのだろうか。

 このところNHKや民放で妙にフーテンの寅さんや渥美清の番組が多い。
どうしてだろう?と思っていたら渥美清の没後20年ということだった。
とりわけNHKがリキを入れている。

 ふうてんは寅さんの映画を映画館で観たことはない。
(男はつらいよ)の映画化第一作は1969年8月とある。
この年はふうてんが京都から流れてコンピュータの会社にはいった年だった。
7月に会社の実験室の白黒テレビでアポロ11号の月面着陸の中継を観た。
それからしばらくして8月に(男はつらいよ)は公開されたらしい。

 ふうてんは当時洋画ばかりで邦画には全く興味がなかった。
(男はつらいよ)とか渥美清とかがふうてんの視野にはいってきたのは随分遅かった。

 一つはシリーズが始まって10年後くらいに会社の英会話教室に通ったときだった。
この教室にはアメリカから流れてきた講師たちが入れ代わり立ち代わり登場した。
その中の一人、中年も過ぎようとするアメリカ人のオッちゃんがこう言った。
(僕はフーテンの寅さんが大好きなんだ)
(映画は全部観たしビデオも揃っているんだ)

 ふ~ん、面白いなあと思った。
アメリカから流れてきた、おそらく一人住まいのこのオッちゃん、
自分を寅さんと重ね合わせているのだろうかと思った。
10年後だから20作目のころだった。

 もう一つは小林信彦の(おかしな男)を読んだときだった。
小林信彦という物書きは中原弓彦という別名も持っている。
エッセイストなのか小説家なのか放送作家なのか不思議な人である。
ふうてんは彼のハリウッドや日本の喜劇人を扱った作品が好きだった。
渥美清とは、寅さんでブレークする10年くらい前からの付き合いだったという。

(男はつらいよ)の寅さんとは全く違う渥美清の人物像が新鮮だった。
渥美清は1928年、東京の台東区上野生れ。
小林信彦は1932年、東京の日本橋区両国生れ。
同じころに隅田川の両国橋を挟んだ下町で生まれ育った江戸っ子同士である。
この(おかしな男)を読んで渥美清やフーテンの寅さんに興味が湧いた。

 実際に映画を観たのはテレビで放映されるようになってからだった。
NHKや民放で48作全てが放映されたと思う。
半分以上はデジタル録画してブルーレイに納めている。
渥美清と山田洋次監督は映画史に残る世界を作ったなあと思う。

 第一作目の(男はつらいよ)について二人はこう語っている。

山田監督
(渥美さんの中から、ふわ~っと車寅次郎が誕生してきたんですよ)
(彼が演じているというより彼の中から出てきたという感じだな)
(だから寅さんはイコール渥美清さんだなあ、という)
脚本を読んで渥美清はこう思ったとか。
(そ~っとこう、何というか鳥肌が立つような興奮がね)
(す~っとありましたね、それは今でも体で覚えています)
(で、それと同時に、その~、非常に嫉妬を感じましたね山田洋次という人に)
こういう二人の心境は我々凡人には想像するしかない。

 喜劇の面白さ、楽しさの一つに(大いなるマンネリ)というのがある。
同じような、おかしなストーリ展開が繰り返される。
(そろそろ寅さんが現われるよ)
(きっと揉め事が始まるよ)
(ここで寅さん旅に出るよ)
 
・・・
同じように繰り返されるところがまたおかしい。

 旨い食べ物は何度食べても旨い。
上質な喜劇にも同じことが言えるようで・・・。
これからもシリーズの中でも一番好きな(男はつらいよ 第一作目)
を何度も観るに違いない。
谷崎潤一郎は(瘋癲老人日記)
渥美清は(フーテンの寅さん)
及ばずながらこちらは(ふうてん老人日記)

 お後がよろしいようで。

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