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2016年5月に作成された記事

2016/05/22

2016・5・22 大相撲5月場所も終わって篇

P5190307アンジェラが満開となった
庭師撮影

 この2週間ほどの気象はひどかった。
蒸し暑いと思ったら翌日には乾燥して寒いくらい。
そんなことの繰り返しで、ずっと体調が悪かった。

 昨日の土曜日、谷保の(志ん宇 しんう)で5月場所楽日前篇をやった。
ラガーマンはもういないし、ブンシュンのトヨダさんは出無精になられた。
村ちゃんと二人でカウンターに座り、しんうのマスターと女将さんと。
4人であれこれと天気の話などをした。

 この一週間、天気ばかりではなく憂鬱なことが続いた。
(今日は村ちゃんとしんうさんに元気を貰おうと憂さ晴らしに来ました)
などと言って5月場所楽日前篇を始めた。

 憂鬱なことの一つは携帯電話をコーヒーの中に落っことして壊したこと。
せめてパソコンでと我がFMに電源を入れると立ち上げ画面が全く違っていた。
マイクロソフトがWindows10を強制的にインストールしたらしい。
携帯電話が壊れてパソコンが使えなくなるとふうてんは通信手段を失う。
まことに憂鬱な一週間だった。

あの店、この店。
あの人、この人。
親しくお付き合いして来て戴いたみなさんに、連絡することができない・・・。
困ったなあ。

 パソコンの方はWindows10を(拒否)し続けると元の7に戻った。
ビル・ゲーツくん、あなたねぇ、と思ったけれど、君ももう引退したのだっけ?
マイクロソフトもWindows10が売れないので焦ったのだろうか。
繋ぎっぱなしでアップデートは受け付けている。
Windows10の押し売りはアップデートじゃないよね、ビル・ゲーツくん。
ああいうことをやっちゃあいけないよ。

 (しんう)では天気の話の後、5月場所の話になった。
いつものように稀勢の里はここ一番で白鵬に負けて横綱昇進を逃した。
3度も4度もそれを繰り返している。
どうも横綱になる気はないようだ。
隠宅の女房どのが(彼は優しいのよね、優しい人がいてもいいじゃないのかしら)
と言った。

 大相撲は、一対一で肉体を使って闘って、勝つか負けるかで生計が決まる。
そんな勇気はふうてんなどには全くない。
(君、一生の仕事として大相撲を選んだの?)
と(優しい稀勢の里くん)に一度聴いてみたい。

 村ちゃんと、いつものように観劇の話になった。
(パコ・デ・ルシアの映画がもうすぐ封切りされますね)
(えっ?そうですか知りませんでした)
(何だかドキュメンタリ中心の映画だそうですよ)
 
・・・
それからしばらく、パコの追っかけをした昔話になった。
京都のフラメンコ・ギター教室の話にまで遡ることになった。

 帰ってグーグルに聴くと、
渋谷のBunkamuraのル・シネマで7月23日公開とあった。
Bunkamuraのオーチャード・ホールで何度かパコを聴いたなあ。
そんなことも思い出した。
憂鬱な一週間。
村ちゃんとしんうのご夫妻に元気を貰って少しだけ楽になった。

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2016/05/15

2016・5・15 日本は偽装国家になったのだろうか篇

P5070369アンジェラが咲き始めた
 

隠宅の庭師は真っ赤なバラは植えない


 ニッサンが三菱自動車を買収した。
夜の民放の番組にカルロス・ゴーンが登場して熱弁をふるっていた。
ルノー、ニッサン、ミツビシ合わせて1000万台に迫るらしい。
トヨタ、フォルクスワーゲン、に次ぐ世界第3位の生産台数。

 ニュースを聴いていて何とも言えない心地がした。
この自動車業界再編のキッカケは燃費に関する(偽装)だった。
フォルクスワーゲンも排気ガスに関する(偽装)で大変な話題になった。
パナマ文書が明らかにしたのは税金に関する(偽装)だった。
21世紀になって(偽装)大流行りとなってしまった。

 日本で(偽装)が話題になったのは有名料亭の事件だったような気がする。
この料亭は料理が命の店で、いわゆる(老舗)だった。
特別な食材を使って、腕利きの料理人が、作ったばかりの料理を客に出す。
長年の歳月を重ねて常連さんたちを獲得してきた店だった。

 食材がいい、料理人がいい、出来立てほやほや、ああ、おいしい。
常連さんたちは喜んでいた。
やっぱりこの店はいい、と。
ところが内部告発によって、食材の出所も、作った時間も違うことが明るみに出た。
高い金を払って通っていた常連さんたちは(老舗)の看板に裏切られた。

 食品偽装が続いたころTBSのサンデーモーニングで寺島実郎が言っていた。
(食品だけではなく、あらゆる分野で偽装が・・・日本は偽装国家になりつつある)
もう4、5年前の番組だけど、確かにその後(偽装事件)が続いている。

 食品偽装は様々な形で続いた。
人間の味覚はさほど厳密ではない。
偽装を見抜けなかったからと言って人間の味覚を非難してもしようがない。

 研究活動の偽装事件もあった。
スタップ細胞事件。
(スタップ細胞はあります)
と研究者は言ったのだけれど、再現できなかった。

 建築業界でもいろいろな偽装が告発された。
そして自動車の排ガスや燃費に関する偽装。
もの作り日本の製造現場で偽装が行われている。
どうしてこうなったのだろう?
地中に立てる柱とか排ガスとか燃費とか。
技術者がいたはず。
彼らは何を考えていたのだろうか?
それが技術屋の端くれの積もりの、ふうてんには分からない。

 寺島実郎が(日本は偽装国家になりつつある)と警鐘を鳴らして5年以上たつ。
彼が言いたかったのは、一番上位の政治においてもそうじゃありませんか、だったと思う。
政治、経済、社会、文化。
大抵の教科書はこの順番で語られている。
社会の中には、あらゆる人間の活動がある。
研究、教育、医療、福祉・・・。
これら全ての領域で(偽装事件)の報道が多い。

 政治に関して身近なのは、ふうてんの住んでいる東京の知事のお話。
海外出張だとか週末の別荘通いだとか近場での飲食だとかで騒がれている。
税金を公務のために使ったのか私的に使ったのか紛らわしいと騒がれている。
この都知事に限らず政治家と金の話はいつも話題になっている。
人間の営為のうちの(最上位)にある政治で(偽装)が行われると、あとは推して知るべし、となってしまう。
一事が万事となってしまう。

(偽装国家 日本)のニュースを聴くと、司馬遼太郎の晩年のエッセイを思い出す。
そのタイトルは(この国のかたち)というものだった。
このエッセイは、ウィキペディアに聴くと、
1986より1996に作者急逝で連載終了するまで、『月刊 文藝春秋』の「巻頭随筆」に冒頭掲載されていた。)
とある。
つまり司馬さんの最後のエッセイ集だったということになる。

 ふうてんは司馬遼太郎の忠実な読者ではなかった。
読者ではなかったけれどテレビで観て彼のファンにはなっていた。
綺麗な白髪で、関西なまりで、話に本格のユーモアがあった。
何よりも日本とか日本人のことを真っ正面から考えている人だなあと思った。

 日本とは?日本人とは?を追及した作家だった。
日本とか日本人の美しい点は何だったのか?を追及した作家だった。
それがピークに達したのが(日露戦争)だったとふうてんは思う。
梅原猛に教えられて(殉死)という乃木希典を描いた作品は読んだ。
NHKが大河ドラマ風に(坂の上の雲)をやるというので、これも読んだ。
(殉死)(坂の上の雲)
司馬遼太郎の作品で最初から終わりまで読んだのはこの二作だけである。
買ったのもこの二作の文庫本だけという次第。
この二作品は(日露戦争)がテーマだった。

(この国のかたち)を司馬さんはどのように望んでいたのだろう?
1996年(考えてみればちょうど20年前)に亡くなった司馬さんが今生きていたら?
偽装国家となった日本をどう語るのだろうか?

 そんなことを日本生れ日本育ちの日本人であるふうてんは日々考えさせられる。
世界の他の国の悪口を言う暇があったら、日本はどうすればよいかを考えたい。
極東の小さな島国日本でこれからどのように生き延びて行くか。
どのようにすれば誇りを持ちつつ生き延びることができるか。
誇りを持って、世界と対等に付き合いつつ、日本人が幸せに過ごせる道。
(国は位置で決まる)
という寺田寅彦の言葉を拳拳服膺(ケンケンフクヨウ)すれば答えは見えている。
どうすれば良いかの本質は極めてシンプルだとふうてんは思う。

 これまでそれを意識して実行して成功したのは徳川家康だけだったのかなあ。
残念ながら徳川家康に関して司馬さんのご意見を聴く機会はなかった。
竜馬も秋山兄弟も良かったけれど、家康のこと司馬さん、どない思います?
一度聴いてみたかった。
と思いつつグーグルに聴くと、司馬さんは家康について(覇王の家)という作品を残していると知った。
書評の一つに、
(司馬遼太郎に家康を論じた「覇王の家(新潮文庫)」という作品がある。小説ではない。史論というべきか。この作品のことは知っていたが先日初めて読んだ。司馬の家康嫌い(少なくとも好きではない)は知っていたがこれほどとは思わなかった。)
などと出てくる。

 司馬さんは家康が嫌いだったらしい。
鎖国して、世界の中で扉を閉じて、・・・当然、孤立して。
それで明治維新が起こって、世界へ乗り出して・・・。
それから150年ほど。
日本もいろいろやって来ましたねぇ、司馬さん。
どない思います?今の偽装国家日本を?
 

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2016/05/08

2016・5・8 5月の連休も終わって篇

P50403065月4日の桜通り
この近くに住んで35年
桜もこちらも歳をとった

 今年のゴールデンウィークも終わった。
日本では古来、盆と正月は休めるときだった。
それにいつのころからか、この4月末から5月始めの休みが加わった。
サラリーマン生活の長かったふうてんなども長い休みが取れるので有り難かった。

 長い休みを利用して海外まで出かける人も多い。
ふうてんも若いころ一度だけヨーロッパへ(海外旅行)をしようと企てたことがある。
嫁はんの好みでイタリアのローマを中心とした計画だった。
それで会社にお伺いをたてた。

 当時は7日間続けて休むことは許されなかった。
土、日が休みの今では考えにくいことだけれど、(連休)というのが珍しかった。
5月の連休もゴールデンウィークなどと呼ばれるけれど、続いた休みではない。
当時、天皇誕生日が4月29日で憲法記念日が5月3日で子どもの日が5月5日。
それに日曜日がどう絡むかで(連休)の長さが決まる。

 そんな時代だったから新婚夫婦の(海外旅行)の目論見は実現しなかった。
それ以来、我々夫婦は(海外旅行)ということを考えなくなった。
もともと夫婦二人とも(観光旅行)というものに馴染がなかった。
海外どころか国内でも一度も(観光旅行)はしたことがない。
二人とも(出無精)なのである。
せっかくの休みなのだから家でユックリと休みたいなあ、と考える方のようだ。

 出かけない連休の楽しみの一つが家でノンビリと古い映画を観ることかもしれない。
今年は妙に黒澤映画を観たくなった。
それも初期の(酔どれ天使)を無性に観たくなった。
1948年公開の映画で、初めての黒澤明らしい、その後の傑作群につながる作品。
何度目かになるけれど、見直してまた驚いた。
やっぱり凄い。

 それで次の作品の(野良犬)も観たくなった。
これまた凄い。
二本の映画を見て今年のゴールデンウィークも何がしかの収穫があったと思った。

 1948年と1949年に公開された二本。
戦争が終わった3年後と4年後。
物語の展開、カメラ、サウンド(音と音楽)、役者たち。
全てに無駄がなく密度が濃い。
ふうてんが2歳とか3歳のときにこんな凄い映画が封切られていたんだ。
(今の人は映画館で映画を観ないから封切りなんて分からないかもしれない)

 この5月連休は新緑の季節でもある。
国立では(桜狂想曲)から始まり(新芽狂想曲)となり(新緑狂想曲)となる。
この後は緑が深くなるばかりで(狂想曲)というほどの熱狂はない。
大きな変化はない。

 次は葉っぱが色づき始める秋まで待つしかないようだ。 

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2016/05/02

2016・5・1 天と地と海と篇

P42703082フジの新芽

新芽狂想曲の終楽章

 熊本の大地震はいろんなことを考えさせられる。
 
地震とは何なのだろう。
 
震度とかマグニチュードとかが、まず分からない。

 日本は(地震列島)と言われるくらい地震が多い。
 
(火山列島)とも言われるから、地震と火山は関係しているのだろうか。

 今回の熊本地震について、テレビでいろいろと解説を聴いた。
 
(~断層)という言葉がよく聴こえてきた。
 
活断層というのもよく聴く。
 
ふうてんの住んでいる国立は(立川活断層)の近くにある。
 
活断層って何なのだろう。

 ふうてんなどは今回の熊本大地震を聴いて、
 
(アッ、阿蘇山やな、阿蘇山が暴れやがったな)
 
と思った。
 
ふうてんの嫁はんの実家は別府の駅前の温泉旅館である。
 
そこから(やまなみハイウェー)を走るとすぐに阿蘇山の外輪山が見えてくる。
 
阿蘇山一帯の広大な空間が見えてくる。
 
その真ん中で今でも阿蘇山は白煙を上げ続けている。
 
活火山なのである。

 この地震は火山活動の一環に違いない、とふうてんは思った。
 
ところがテレビではいろんな(地震学者)たちが出てきて、活断層がどうだとか説明する。
 
(熊本にはこういう風に活断層が集中していまして)
 
などと、地図を使って説明する。
 
地震学者たちは(火山活動)と(活断層)との関係を説明しない。

 やはり火山とか活断層とか(地中)のことは難しいのだろうか。
 
この世界は(天)と(地)と(海)で成り立っている。
 
(天)は宇宙の果てまでつながっている。
 
(地)は地球の底までつながっている。
 
(海)は山の頂きから川を流れ大海の奥深くまでつながっている。

 天と地と海は(気体)(固体)(液体)と言い換えることもできる。
 
この中で一番はいり込みにくいのが(固体)ではなかろうか。
 
固体、つまり地球の大地の底の研究は難しいのかも知れない。

(邪馬台国の遺跡か?卑弥呼の住居か?)
 
などと九州や奈良方面でときどき話題になる。
 
考古学というのも大変な仕事で、せいぜい数メートルの地中を掘り起こして証拠物件を探すしかない。
 
数十メートル、数百メートル、数千メートルを掘り起こして調べるのは容易ではない。

 空やら海やらだと数千メートルくらいは楽な(?)ものである。
 
空だと、何年もかけて火星に人を送ろう、なんて企て(くわだて)も聴こえてくる。
 
海だと5000メートルくらいの深海までは行けそうである。
 
しかし、あなた、地中に何メートルまで行けます?

 20年ほど前に、国立市の水道局の人に来て貰ったことがある。
 
ヤカンでお湯を沸かすときに匂いがするので、心配して来て貰った。
 
結果は新しいヤカンが塩素だかカルキだかに反応して匂うのだった。
 
しばらくすれば大丈夫です、と水道局の職員は言った。
 
せっかく来てもらったので無駄話に付き合ってもらった。

 国立の井戸は地下1200メートルでしてね、と言った。
 
つまり国立の水道水はどこかのダムから引いているのではなく井戸水だった。
 
(1200メートル下はどうなってました?)
 
などと国立市の水道局のお兄さんに聴くのは酷というもの。
 
感心したのは、毎朝、水道水でお茶を淹れて飲んでいるという。
 
人体実験である。
 
水道水が大丈夫かどうか、職員たちが毎朝確かめているらしい。

 ふうてんは、地中の研究が足りないと思うことがある。
 
原子力研究者は何をしているのだろうと思う。
 
いろいろと原子力の理論的な研究をするのもよろしい。
 
しかし原子力の現場としてまことに身近なものがありゃあしませんか。
 
つまり地球というまことに身近な存在のこと。
 
地球の奥底で原子力が活動していやしませんか、ということ。

 自然エネルギーが大切だ、原発はいけない、などという運動もある。
 
太陽光発電で自然にやさしいエネルギーを!!
 
などとも聴く。
 
では、その太陽方面はどうなっているのだろう?

 我々の知っている身近な宇宙は銀河系と言われて太陽が中心だと教えられてきた。
 
その真ん中で太陽は光り輝いている。
 
これのエネルギー源は何なのだろう?
 
と考えると(原子力)以外にないじゃありませんか。

 太陽は(核反応)によって光り輝いて熱を発散しているに違いない。
 
地球は地底のど真ん中で(核反応)が続いているから暖かいに違いない。
 
原子力委員会だかの皆さんからこういう話を聴いたことはない。

 余命が少なくなってこんなことを考えるようになったのかも知れない。
 
或いは、時間て何だろう、いつ始まって終わりは?
 
考えても考えきれないから考えないことにしよう。
 
などと若いころに思い悩んで思考停止になっちゃった。
 
理論よりも感覚で生きる人生になってしまった。

 良かったのか悪かったのか。
 
どちらでも、ないかもなあ、などと考えている。

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