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2016/04/04

2016・4・3 入学式の日に満開となった篇

P4020313_2大学通りの桜





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P4020315入学式の日だった





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グラウンドで一休み




 昨日の土曜日、4月2日に桜の咲き具合を確かめに行った。

久しぶりに大学の森を冷やかしたくなった。
国立の桜狂想曲真っ盛りであった。

 桜通り、大学通りをチャリで流す。
どちらもこの2日ほどで一気に満開となっていた。

 大学の森の桜はどうなっているだろう?
いつもの西門から進入する。
この季節だとウグイスの声がうるさいくらいに聴こえるはず。
今年は隠宅の近くでウグイスの声が聴こえないので心配していた。
しかし、さすが大学の森となると、かすかにウグイスの声も聴こえてきた。

 何だか兼松講堂の方から賑やかな音が聴こえてきた。
誘われるまま近寄ってみると入学式をやっているのだった。
入学式といっても、ふうてんの時代とは違う。
おごそかな雰囲気、なんてものはどこにもない。
体育会系とか女子系とかでワ~ワ~キャ~キャ~の雰囲気だった。
秋の大学祭のときのお祭騒ぎと変わらなかった。
こういう入学式も悪くないなと思った。

 ふうてんが京都で入学式を迎えたのはもう50年以上前になる。
一つだけ印象に残っていることがある。
大学のオーケストラ部が一曲、短い曲を演奏してくれた。
校歌だったのだろうか?
チェロとコントラバスの響きがまことに良くて、やるな、と思った。
部活の勧誘の意味もあったのだろうけれど、新入生を迎える正しい方法だと思った。
オーディオではない生のオーケストラのサウンドが心に残った。

 兼松講堂の入学式の喧騒から離れて大学の森の片隅で一休みした。
この数年レポートしていないけれど大学の森はいつ行っても落ち着く。
体育会系の一橋の学生がたまに走っているくらい。
人気(ひとけ)は全くない。
小鳥たちが寄ってくるはずである。

 この空間を大正大震災のあとに作ったのは後藤新平と堤康次郎だと聴く。
後藤新平が東京市長を辞めたばかりの時、大震災が起こった。
帝都東京が大混乱となった。

 神田の一橋にあった学校を国立に移すのに西武グループの創始者堤康次郎が協力したらしい。
西武というくらいで東京の西部を支配するのは西武グループだった。
東の方は東急、真ん中は京王という鉄道が東京にはある。
小田急なんてのもあって、なかなかややこしい。
(小田原急行、略して小田急、飲んだあと最終便で寝ちゃって小田原泊まり)

 1923年(大正12年)の関東大震災は10万人の犠牲者だったという。
2011年の東北大震災は約2万人の犠牲者。
規模からしてもかなり大きな震災だった。
その結果の一つとして今の国立市は生れた。

 国立へ越してくるとき、何となく(くにたち)という音の響きに惹かれたような気がする。
堀辰雄の(風立ちぬ)という小説と名前が似ている。
くにたち・・・何となくロマンチックな感じがした。

 来てみてガッカリした。
国立とは国分寺と立川の中間地点。
国鉄が大震災を機会に谷保村を開拓して一橋大学を迎えるに当たって駅を作った。
国分寺と立川の間に駅を新設した。
それを(国立)と名付けた。
読み方を(くにたち)とした。
 
・・・・
堀辰雄の(風立ちぬ)とは縁もゆかりもないお話。

 そういう次第で1923年の震災のあと1927年に一橋大学は愛でたく移転してきたらしい。
たった4年で谷保村の雑木林を切り開き、住宅地を作り、大学を作り、道路を整備した。
(へそ)の部分に国立駅を配置し、真ん中に大学通りを作った。
その大学通りの左右に一橋大学のキャンパスを作った。
その時にキャンパスの中に武蔵野の林をそのまんま残した。

 100年近く前の後藤新平と堤康次郎の構想力に感心する。
昭和初期の戦争時代、大学通りは滑走路にも使えるというウワサが立った。
実際に零戦の一機が一橋大学のどこかに隠されていたというウワサもある。

 ときどき大学の森を訪ねてボ~ッとしているといい気分になる。
そういう時この二人の先人のことを考えさせられる。
二人のおかげで国立市民は(我々の町は素晴らしい)と安心している。
大学があるから(文教地区)と名乗って、パチンコ店やら風俗のお店は作らせない。
そういう(文教地区)の一角にふうてんの隠宅もある。

 やはり明治時代までは政治家も行政の人も気宇壮大だったなあと思う。
何もないところに人間が住む町を作るのだから当然かもしれない。
東京なんてのも1600年ころに家康が秀吉に追いやられた土地である。
何にもない湿地帯だったらしい。
 
・・・
それから500年ほどたった。
東京は高層ビルの乱立する埋立地になったけれど、関東大震災が再び来れば、
元の湿地帯に戻るかもしれない。

 我らが国立(くにたち)は標高が高い故、生き残るかもしれない。
その時は近くの空の上の(あの世)から見守ることにしよう。
日本人の(あの世)は近くの空の上にある、とか。
天国でもない地獄でもない。
そんな遠いところじゃない。
だからお盆に呼ぶと先祖たちが帰ってくるそうな。
そう梅原猛せんせ~ぇはおっしゃっていた。
第一、DNAで肉体的にも我々は先祖とつながっている・・・。
そう梅原猛から聴いた時、眼からウロコが・・・。

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