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2016/04/17

2015・4・17 フェアレディがパトカーになった篇

3フェアレディZ NISMO

パトカーになったと報じられた



Photoダットサン・フェアレディ
SR311
ロシナンテと同じ形


ZフェアレディZ

ロシナンテの後継車


Z_nismoそしてパトカーになった

  桜の花が終わったころ熊本で大地震が起こった。
NHKはずっとそれのニュースを続けている。
震度7というのは神戸大地震、東北大地震以来、3度目の大揺れらしい。
九州全域でみなさん大変な生活を強いられることになった。

 大分の別府には嫁はんの姉夫婦が住んでいる。
電話したところ、棚の上の置物が落っこちたくらいであるらしい。
そう女房どのから聴いて少しだけホッとした。
テレビの報道だと大分も大変だと聴いていたので。

 季節や世事とは全く関係ないのだけれど、フェアレディがパトカーになったらしい。
一ヶ月ほど前にそういうニュースが伝わってきた。
 

 パトカーと聴くと耳がピッと立つ。

これは16歳のときからバイクに乗り始めた記憶がもたらす生活習慣なのだろうか。

 パトカーとか白バイとかは道路を走っている乗り物(衆生)を監視する。
悪いこと(道路交通法違反)をしていないか常に眼を光らせている。
バイクや車で道路を走るこちらの監視役である。

 バイクにしろ四輪車にしろ、こちらも(模範的)とばかりは言えないバヤイもある。
例えば、夏の暑いときには突っ掛けでバイクに乗りたくなる。
これは禁止であるらしい。
ちゃんと(足)を保護する(靴)を履かねばならない。

 例えば、一口でもアルコール(酒)を口に含んで車を運転するといけない。
運転能力が大丈夫かどうかは関係ない。
アルコールを一滴でも体に入れて、吐く息から成分が検出されればアウト。
飲んでも時間がたって検出器をスルーできればセーフ。
判定はお巡りさんに任せるしかない。

 そういうことがいろいろと積もり重なってパトカーに、いい印象はない。
パトカーはお巡りさんの乗った(敵)である。
一般のドライバーはそう思っているに違いない。
人々から好かれない気の毒な職業ではある。
(お巡りさんすみません、敵にしちゃいました)

 16歳のときにバイクの免許をとって以来、いろんなのに乗ってきた。
白バイやパトカーにどういう車種が使われているか、には興味があった。
道路交通法違反を取り締まるのが役目だからヤワな車ではない。
その時々の日本の最高のオートバイ、最高の車が採用されてきたハズである。
最高というのは値段ではない。
運動性能と言ったらいいだろうか。
一番速く走れる。
一番速く方向転換できる。
一番速く止まれる。
エンジンもハンドルもブレーキも性能的には一番でなければならない。
そうでないと悪い奴らを取り締まることができない。
白バイやパトカーには(Police)だったか(Patrol)だったかの表記がどこかにある。
市販車ではなく特別な装備があり、チューンアップされているに違いない。

 白バイやパトカーとの(お付き合い)を話し始めるとキリがない。
代表例だけを紹介しておきたい。
まず、最初に白バイのサイレンが鳴ったのは大学一年の夏休みだった。
夏休み、伊予へ帰り、家庭教師のバイトをしていた。
バイクに教え子のお嬢さんを乗せて近くの道を走り始めた。
ウィ~ンというサイレンの音が後ろから追っかけてきた。

(横乗りは交通違反です)
と白バイの若者は言った。
教え子のお嬢さんはバイクの後ろの席に跨がらずに横乗りしていたのだった。
これが白バイやパトカーとの初めてのお付き合いとなった。
教え子のお母さんがビックリして、前科が残るとマジイと、もみ消しに奔走してくれた。

 京都でも一度パトカーに取っちめられたことがあった。
四条烏丸の近くの脇道から烏丸通りへ出るところだった。
坂道を登って大通りへ出る、というバヤイだった。
坂道発進は嫌だなと思って、止まらずに信号が赤のうちに出始めた。
ウィ~ンとサイレンが鳴ったかどうかは覚えていない。
若いお巡りさんが来て、ここは一旦停止です、違反です。
と言った。
隣に乗っていた京都生まれの、運転の上手な女の子が、
(私は一度も言われたことあらへん。男の人は損やね。)
と言った。
彼女は今回と同じように何度も止まらずに坂を通過していたらしい。
(どうもお巡りさんたちも若い別嬪さんには弱いらしいね)
と、お巡りさんに見逃して貰ったあと話し合ったように思う。

 最後にこういう例も紹介しておきたい。
結婚して多摩ニュータウンに住んでいたころのお話。
町田だったか、盛り場で一杯飲んで車で帰ろうとしていた。
小田急の踏み切りで職務尋問じゃないけどお巡りさんに止められた。
こちらは飲んでいるので有利な立場ではない。
(すみません、免許証を見せて下さい)
と若いお巡りさんが聴いた。
(あなた、おいくつ?)
と、ふうてんは応じた。
若者は疑わずに、
(はい、23歳です)
と答えた。

(そうですか、20(はたち)代なんや、これからやねぇ)
(若い人には分からんやろけど、人生いろいろあってね、簡単にはいかんのよ)
(あなた、どうしてこの職業選んだの?)
 
・・・・
などと話しているうちに若いお巡りさん面倒くさくなってどうぞと通してくれた。
多摩ニュータウンへ帰りながら、年の功て、あるんやなあ、とふうてんは思った。

 フェアレディがパトカーになったという話でいろんなことを思い出した。
70歳の老人にも思い出だけはあるらしい。
ヘミングウェイのセリフにもこういうのがある。
(ヘミングウェイさん、あなたはいつも恋人をお持ちのようですね?)
(そうだよ、僕にはいつも恋人がいるよ、ノスタルジィという恋人がね)
 
・・・・
ヘミングウェイは60歳のときに猟銃くわえて死んだなあ。

 ヘミングウェイのことは忘れて、日々生きよ、と日記に書きつけておこう。

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コメント

ふうてんさん、

貴方から、今は亡き山口夫人が若い頃、川端康成の隣に住んでいたと聞いた直後に、新聞の
記事を見たので、ついお知らせした次第です。

それにしても、ふうてんさんは、深く作品を読み込んでいますね。僕は、川端作品は、映画の「伊豆の踊子」と「雪国」による印象が強いですね。この両作品は対照的だけに尚更です。「伊豆の踊子」の主演女優は断然吉永小百合ですね。僕の年相応ですが。それから、ついでに言えば、文学作品の映画では、林芙美子原作の「浮雲」が印象に残っています。


投稿: 国立の風来坊 | 2016/04/28 23:25

国立の風来坊さん

 僕は日経新聞を読んでないので知りませんでした。
川端康成は好きな作家でもないので(東京ステーションギヤラリー)へ出向くのはよしておきます。
あまりにも有名な作家ですが、彼の文章はなかなか難しいですよね。
僕は(雪国)と(伊豆の踊り子)の2冊しか持っていません。
漱石や池波正太郎やドストエフスキーやトルストイなどは全作品を読みたくなりました。

 作家としてのタイプが違うのでしょうね。
川端康成は文章が非常に神秘的だと僕は思います。
雰囲気は伝わってくるのだけど、中身が分からない。
(雪国)の駒子も葉子も島村も、セリフや挙動は書かれています。
しかし人物像は(読者のみなさんに任せますよ)と突き放された感じもします。

 伊藤整は川端康成の文体を(現象から省略という手法によって、美の頂上を抽出する)と評したようです。
うまいこと言うなあと感心します。

投稿: ふうてん | 2016/04/28 06:39

ふうてんさん、

度々になりますが、くしくも今日(27日)の日本経済紙の文化欄に、「川端康成 悲しき
初恋秘話」という記事が掲載されていました。それから、東京駅内の「東京ステ-ション
ギャラリー」で6月19日まで「川端康成コレクション展」を開催中だが、その一角に
川端が初恋の女性に宛てた手紙等も展示されているそうです。

投稿: 国立の風来坊 | 2016/04/27 23:42

国立の風来坊さん

 凄いでしょう、繁さんは。
御歳80で毎日築地通い。
築地が豊洲へ移ると困りますよねぇ。

 山口夫人は今から5年前の東北大震災直前に亡くなりました。
瞳さんが亡くなった後15年ほど毎週のように日曜日繁さんでお会いしました。
亡くなった後1~2年は、今日は来られているかなあと繁すしを覗きました。

 プリンス・スカイラインはいい車ですね。
GTRも何年か前にパトカーに選ばれました。
プリンス自動車工業は1966年に日産自動車に併合されました。
僕が大学の2年生の時で、自動車部にいたころでした。
部車には旧いプリンスや出来たばかりのスカイラインがありました。
初代のプリンス・スカイラインはスリムでシャープで、かっこ良かったですね。
何度かこの車でラリーに出ました。

投稿: ふうてん | 2016/04/27 01:39

ふうてんさん、

繁寿司のご主人もかなりのお年ですが、自分で築地にまで買い付けに行くというのも驚きですね。しかし、年内には豊洲移転の予定ですね。山口夫人も確か10年程前にお亡くなりに
なり、息子さんの本で知った。

それから、車で言えば、30代の頃中古で買った、プリンススカイラインのターボチャージ
付きが最高でした。

投稿: 国立の風来坊 | 2016/04/27 00:14

国立の風来坊さん

 トリス・バーとはずいぶん旧いですねぇ。
僕はそれが流行ったころは学生で酒に弱くて行ったことがありません。
トリス・バーがあったことは開高健の本で初めて知りました。

 ランチ・タイムの繁すし。
僕は行ったことがありません。
日曜日の夕刻5時過ぎに女房と二人でしか行かないので。
でも嬉しいですね繁さんのお寿司を食べてくれていて。
朝も早よから築地まで出かけてねぇ。

 大昔になりますが新婚のころ繁すしを訪ねました。
隅っこの方に丸顔のどっかで観たようなオッチャンがいました。
新聞で観たサントリーの角瓶の広告のお顔に似ています。
山口瞳さんでした。

(トリスを飲んでハワイへ行こう)
(人間らしくやりたいな、俺たち人間だものな)
・・・
山口瞳、開高健、素晴らしい先輩たちですよね。

 サントリー、ニッカ、ジョニー・ウォーカー、・・・。
いろいろと飲み比べて来ました。
このところはサントリー・リザーブに落ち着いています。

投稿: ふうてん | 2016/04/25 02:29

ふうてんさん、

僕は専らサントリーと時々スコッチです。何しろ、サントリーは例のトリスバー以来です。
良く長持ちしたと自分でも思っています。ところで、名コピーの「トリスを飲んでハワイーに行こう」の山口瞳さん居住の国立に移り住んだのも何かの縁だとと思っています。山口瞳さん行き付けだったという繁寿司にもたまに行っています。といってもランチタイム限定ですけどね(笑い)。

投稿: 国立の風来坊 | 2016/04/25 01:17

国立の風来坊さん

 ヘミングウェイが愛飲したモヒートが国立のスーパーでも売られていますね。
ダイキリと同じようにラムベースですがなかなかいけます。
カリブ海方面ではラムですからねぇ。

 川端康成はなかなか豪快なお人だったようですね。
ゴツゴツとした字にそれが表れています。
僕は(雪国)のファンでした。
岩下志麻主演の映画も良かったなあ。
彼は骨董好きで、骨董屋さんで気に入ったのがあると(これ貰うよ)だったとか。
お金は払ったことがない、という豪快なお方だったそうです。

 山口夫人は鎌倉時代、川端康成の隣に住んでいた時があったようで。
若いころの思い出話をいろいろと伺ったような記憶があります。

投稿: ふうてん | 2016/04/21 08:07

 アメリカとキューバが国交回復して、ヘミングウエイゆかりの酒場が賑わっているようですね。それから、ヘミングウエイと同じ文豪の川端康成も自殺でしたね。

投稿: 国立の風来坊 | 2016/04/21 00:55

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