« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »

2016年3月に作成された記事

2016/03/27

2016・3・27 桜が咲いた篇

P3230309桜通りのソメイヨシノ
 

苔むしても花を咲かせた


 今年の桜は早く咲いて遅く散るのだろうか。
そんな気配がある。

 今年の桜は何日に開花するか?
いつ満開になって、いつ散るだろう?
そのことに我々日本人は毎年大騒ぎをする。
東京では(開花宣言)のようなことを気象庁がやる。
靖国神社の特定の桜の花が5輪以上咲いたら(開花)だとか。
ふうてんは念のために、その靖国神社の桜の木を確かめに行ったことがある。
こういう国は世界にめったにないのではなかろうか。

 我が国立でも靖国神社での開花宣言の1、2日後に桜が咲いた。
多摩地区だからして気温が1℃ほど東京都心よりは低い。
それで1日遅れる。
ほんと?
 
・・・
証拠物件が掲記の写真である。
靖国神社の開花宣言の1、2日後に我が桜通りで写した。

 桜との付き合いの記憶。
我々日本人には幼いころからのそれが積み重なっている。
物心つく小学校の入学式当たりからのそれが積み重なっている。
何かが始まる・・・それの象徴として桜の花はピッタリなのだった。
一年の内で特定のタイミングに花を咲かせて短いうちに散る。
早く散ることで、なおさらピッタリだったと思う。
これがダラダラと長持ちする花だとそうはいかない。

 ふうてんの70回目のサクラが咲いた。
谷保天神の梅と一緒で、この桜も今年が見納めかもしれないなあ。
そういう思いで今年の国立の桜狂奏曲を観てやろう。
寒波のせいで今年の桜は長持ちしそうだ。
あと2週間ほど桜花のありさまを観て楽しむことにしよう。

 桜通りを散歩して、昔聴いたご婦人方の愉快な会話をもう一度聴いてみたい。
あの時、3、4人で連れ添って桜見物で歩いていたご婦人方とすれ違った。
(桜っていいわねぇ)
(そうよねぇ、毎年咲けて)
そのように、ふうてんの耳には聴こえてきた。
これはご婦人方ならではの会話だなあとふうてんは感心したことを覚えている。

| | コメント (0)

2016/03/20

2016・3・20 春はあけぼの篇

11京都の東山

春の夜明け


 この季節になると清少納言のセリフを思い出す。
清少納言も紫式部も代表作の出だしがまことによろしい。

(枕草子)
は、あけぼの。
やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたるの細くたなびきたる。

(源氏物語)
いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。

 どちらも、何かが始まりそうだと予感させてくれる。
今から1000年ほど前の日本はどういう国だったのだろうか。
その時代の証拠物件の一つが二人の女流作家の作品だとふうてんは思う。
世界的に見てもかなり高度な文化レベルに達していたに違いない。

 紫式部の源氏物語は谷崎訳で始めから終わりまで読んだ。
しかし清少納言の枕草子は全く読んでいない。
春はあけぼの?
それがどないしたんや・・・。
と、紫式部のようなドラマ性を感じなかったのだろうか。
ただ(春はあけぼの・・・)には忘れられない経験がある。

 中学3年生のときに京都へ(ルーブル美術展)を観に行った。
ふうてんが14歳くらいの時だからもう半世紀以上も前のお話。
伊予から京都へ。
瀬戸内海を渡る初めての(海外旅行)だった。
それだけに記憶が鮮明なのかもしれない。

 往きも帰りも関西汽船だった。
夜の7時ころに出帆して翌日の明け方に着く。
松山と神戸の往復。
確かに瀬戸内海は昔の主要な交通路だったんだ、を実感する。
そんなことから既に奈良時代とか平安時代に思いが向かっていたのかもしれない。

 ルーブル美術展で印象に残っているのはルノワールとミレーだった。
このときからルノワールのファンになってしまった。
何しろ四国の片田舎の中学生故に、美術展を一通り観たら帰るしかない。
とんぼ返りで大阪だったか神戸だったかから関西汽船に乗った。
その後、京都で学生時代を過ごすことになろうとは知るよしもなかった。
京都も大阪も神戸も何も見ずに船に乗った。

 船が松山港に着くころはまだ真っ暗だった。
ボンヤリとした記憶では、春休みだったから3月の半ば頃だったのだろうか。
松山港から国鉄の松山駅へどう行ったのかは覚えていない。
始発のような汽車に乗り、一駅で北伊予に到着。
そこからは、山麓の一番上の我が家まで真っ直ぐの坂道を歩いた。

 歩いているうちに山の方を見ると白いような紫のような夜明けが感じられた。
確かに(やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて紫だちたる雲の・・・)が、
左手の東の方の石鎚山の上に見える。
これって、清少納言の枕草子、そのまんまやないか。

 伊予では、お日さんは山から登り海に沈む。
ああこれが清少納言の書いている(春はあけぼの・・・)なんだ。
と、京都から帰ったばかりの中学生のボクちんが妙に納得した。
その時の印象にピッタリの画像はないかいなとグーグルに聴いた。
それで見つかったのが掲記の写真である。
どなたかさんのブロッグに載っていた。
内緒で借用させていただいた。

 この写真のままだった。
昨日の夜、関西汽船で本州へ向かった。
四国から本州への初の海外旅行だった。
京都でルノワールの絵に出会った。
神戸も京都も何も見なかったけれど異国があることだけは分かった。
今、船で帰って寒い中、伊予の我が家に向かっている。
もう夜が明け始めている・・・あれっ?これって枕草子やないか。
春はあけぼの・・・やないか。
 

 中学3年生のころ。

14歳のころ。
バカにしちゃあいけませんですなあ、子供を。
子供は子供なりに、むしろ大人より鋭く感じているやもしれませぬ。

| | コメント (0)

2016/03/14

2016・3・13 四季の会をやって思うこと篇

Photo府中本町の(味工房n&n)

もう30年も通っている

 東北大震災の5年後となる2016・3・11(金)に集まった。
福島の郡山出身の宗像おじさんが(あの日も金曜日でした)と言った。
あの日が金曜日だったと覚えているのはやはり地元の人の感覚なのだろうか。

 四季の会・・・年に4回くらいはみんなと飲みたいなあ。
四季は春夏秋冬と決まっているけれど、春は何月なのだろう?
3月なのか4月なのか・・・5月じゃないよなあ・・・。
やはり春は4月かなあ。
すると夏は7月になる。
秋は11月、冬は1月か。

 何となく面白くない。
4月にはもう桜は終わっているかもしれない。
11月はもう秋の終わりやで。
1月?新春いう言葉もあるしなあ。
 
・・・・
やっと気づいた。
季節は(移り目)に感じるものなんや。
3月・・・冬から春になるとき
6月・・・春から夏になるとき
9月・・・夏から秋になるとき
12月・・・秋から冬に向かうとき

 ふうてんが四季にこだわるのはやはり百姓の末裔の習い性だと思う。
晴れても降っても天気が気になる。
夏に涼しいと気になる。
冷害にならないかと心配するのである。

(秋の夕焼け鎌を研げ)
こういう言葉が自然に出てくる。
夕焼けがきれいな翌日は晴れだから稲を刈るための鎌を研いでおこう。
こういうことは百姓の経験がない人には分からない感覚だと思う。
考えてみると(研ぐ)は(とぐ)と発音する。
研究とは研いで究めることなのでした。
今の人は、研ぐも究めるも意味分からずに(研究所=何かやっているところ)と、
(ケンキュウジョ)と呼んで済ませているのだろうか。

 四季の会は季節の移り目に行うことにした。
3月、6月、9月、12月。
サラリーマンにとって一番気楽な金曜日の夜。
毎回、近づくとみんなに金曜日の都合を聴く。
できるだけアンドを取って開催日を決めて府中本町のn&nに予約の電話をする。
電話の最後にいつも言うセリフがある。
(コロッケをよろしく)
この店のクリーム・コロッケは秀逸で、作るには用意が必要なのである。

 今回の冬春篇には4人が参加した。
リハビリ中、親族の面倒見、職場の応援などで3人は参加できなかった。
参加できた4人で来し方行く末を語り合った。
一番若い牛若丸に話の口火を切って貰った。
(囲碁で初めてコンピュータが勝ちましたね)
と言った。

 それからしばらく(人工知能)の話になった。
どうもコンピュータが(計算する機械)から(考える機械)になりつつあるらしい。
産業革命というのは人間の労働を脅かすものなのだろうか。
人間が運んでいたものを機械が運ぶようになった。
今度は人間が考えていたことを機械が考えてくれるようになるのだろうか?
(ホンマかいな?)
と、ふうてんなどは疑問を持つのである。

 それにしてもデジタル化によって電気器具の役割は大きく変化しつつある。
アナログ時代の家電・・・炊事、洗濯、掃除・・・ラジオやテレビや電話・・・。
それぞれの役割がハッキリと決まっていた。
しかし今は情報が(デジタル処理)されることで役割の区別、境界が分からなくなってきた。
スマホと呼ばれる携帯電話みたようなもので、家事一般、世の中の出来事キャッチはできるようになった。

 四季の会・冬春篇ではコンピュータが勝つのか人間が勝つのかの議論になった。
なかなか面白い時代になってきたのかも知れない。
トフラーの(第三の波)つまり情報革命はまだ続いている。
食糧、動力の産業革命にその後の電気の利用による(情報革命)が様々な影響を与えている。

 四季の会も10年目を迎えた。
ふうてん60歳のときに始めて、今年70歳を迎えた。
参加メンバーは30年以上付き合ってくれた面々ばかり。
長い間こんな自分勝手な人間に付き合ってくれてありがとう。
僕には何の実績もないけど、宝物は素晴らしい友だちと過ごした愉快な時間だった。
これだけは本当にありがたい事だった。
そう、最後に、お迎えの近いふうてん老人は挨拶した。

| | コメント (0)

« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »