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2016/03/20

2016・3・20 春はあけぼの篇

11京都の東山

春の夜明け


 この季節になると清少納言のセリフを思い出す。
清少納言も紫式部も代表作の出だしがまことによろしい。

(枕草子)
は、あけぼの。
やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたるの細くたなびきたる。

(源氏物語)
いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。

 どちらも、何かが始まりそうだと予感させてくれる。
今から1000年ほど前の日本はどういう国だったのだろうか。
その時代の証拠物件の一つが二人の女流作家の作品だとふうてんは思う。
世界的に見てもかなり高度な文化レベルに達していたに違いない。

 紫式部の源氏物語は谷崎訳で始めから終わりまで読んだ。
しかし清少納言の枕草子は全く読んでいない。
春はあけぼの?
それがどないしたんや・・・。
と、紫式部のようなドラマ性を感じなかったのだろうか。
ただ(春はあけぼの・・・)には忘れられない経験がある。

 中学3年生のときに京都へ(ルーブル美術展)を観に行った。
ふうてんが14歳くらいの時だからもう半世紀以上も前のお話。
伊予から京都へ。
瀬戸内海を渡る初めての(海外旅行)だった。
それだけに記憶が鮮明なのかもしれない。

 往きも帰りも関西汽船だった。
夜の7時ころに出帆して翌日の明け方に着く。
松山と神戸の往復。
確かに瀬戸内海は昔の主要な交通路だったんだ、を実感する。
そんなことから既に奈良時代とか平安時代に思いが向かっていたのかもしれない。

 ルーブル美術展で印象に残っているのはルノワールとミレーだった。
このときからルノワールのファンになってしまった。
何しろ四国の片田舎の中学生故に、美術展を一通り観たら帰るしかない。
とんぼ返りで大阪だったか神戸だったかから関西汽船に乗った。
その後、京都で学生時代を過ごすことになろうとは知るよしもなかった。
京都も大阪も神戸も何も見ずに船に乗った。

 船が松山港に着くころはまだ真っ暗だった。
ボンヤリとした記憶では、春休みだったから3月の半ば頃だったのだろうか。
松山港から国鉄の松山駅へどう行ったのかは覚えていない。
始発のような汽車に乗り、一駅で北伊予に到着。
そこからは、山麓の一番上の我が家まで真っ直ぐの坂道を歩いた。

 歩いているうちに山の方を見ると白いような紫のような夜明けが感じられた。
確かに(やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて紫だちたる雲の・・・)が、
左手の東の方の石鎚山の上に見える。
これって、清少納言の枕草子、そのまんまやないか。

 伊予では、お日さんは山から登り海に沈む。
ああこれが清少納言の書いている(春はあけぼの・・・)なんだ。
と、京都から帰ったばかりの中学生のボクちんが妙に納得した。
その時の印象にピッタリの画像はないかいなとグーグルに聴いた。
それで見つかったのが掲記の写真である。
どなたかさんのブロッグに載っていた。
内緒で借用させていただいた。

 この写真のままだった。
昨日の夜、関西汽船で本州へ向かった。
四国から本州への初の海外旅行だった。
京都でルノワールの絵に出会った。
神戸も京都も何も見なかったけれど異国があることだけは分かった。
今、船で帰って寒い中、伊予の我が家に向かっている。
もう夜が明け始めている・・・あれっ?これって枕草子やないか。
春はあけぼの・・・やないか。
 

 中学3年生のころ。

14歳のころ。
バカにしちゃあいけませんですなあ、子供を。
子供は子供なりに、むしろ大人より鋭く感じているやもしれませぬ。

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