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2016/03/14

2016・3・13 四季の会をやって思うこと篇

Photo府中本町の(味工房n&n)

もう30年も通っている

 東北大震災の5年後となる2016・3・11(金)に集まった。
福島の郡山出身の宗像おじさんが(あの日も金曜日でした)と言った。
あの日が金曜日だったと覚えているのはやはり地元の人の感覚なのだろうか。

 四季の会・・・年に4回くらいはみんなと飲みたいなあ。
四季は春夏秋冬と決まっているけれど、春は何月なのだろう?
3月なのか4月なのか・・・5月じゃないよなあ・・・。
やはり春は4月かなあ。
すると夏は7月になる。
秋は11月、冬は1月か。

 何となく面白くない。
4月にはもう桜は終わっているかもしれない。
11月はもう秋の終わりやで。
1月?新春いう言葉もあるしなあ。
 
・・・・
やっと気づいた。
季節は(移り目)に感じるものなんや。
3月・・・冬から春になるとき
6月・・・春から夏になるとき
9月・・・夏から秋になるとき
12月・・・秋から冬に向かうとき

 ふうてんが四季にこだわるのはやはり百姓の末裔の習い性だと思う。
晴れても降っても天気が気になる。
夏に涼しいと気になる。
冷害にならないかと心配するのである。

(秋の夕焼け鎌を研げ)
こういう言葉が自然に出てくる。
夕焼けがきれいな翌日は晴れだから稲を刈るための鎌を研いでおこう。
こういうことは百姓の経験がない人には分からない感覚だと思う。
考えてみると(研ぐ)は(とぐ)と発音する。
研究とは研いで究めることなのでした。
今の人は、研ぐも究めるも意味分からずに(研究所=何かやっているところ)と、
(ケンキュウジョ)と呼んで済ませているのだろうか。

 四季の会は季節の移り目に行うことにした。
3月、6月、9月、12月。
サラリーマンにとって一番気楽な金曜日の夜。
毎回、近づくとみんなに金曜日の都合を聴く。
できるだけアンドを取って開催日を決めて府中本町のn&nに予約の電話をする。
電話の最後にいつも言うセリフがある。
(コロッケをよろしく)
この店のクリーム・コロッケは秀逸で、作るには用意が必要なのである。

 今回の冬春篇には4人が参加した。
リハビリ中、親族の面倒見、職場の応援などで3人は参加できなかった。
参加できた4人で来し方行く末を語り合った。
一番若い牛若丸に話の口火を切って貰った。
(囲碁で初めてコンピュータが勝ちましたね)
と言った。

 それからしばらく(人工知能)の話になった。
どうもコンピュータが(計算する機械)から(考える機械)になりつつあるらしい。
産業革命というのは人間の労働を脅かすものなのだろうか。
人間が運んでいたものを機械が運ぶようになった。
今度は人間が考えていたことを機械が考えてくれるようになるのだろうか?
(ホンマかいな?)
と、ふうてんなどは疑問を持つのである。

 それにしてもデジタル化によって電気器具の役割は大きく変化しつつある。
アナログ時代の家電・・・炊事、洗濯、掃除・・・ラジオやテレビや電話・・・。
それぞれの役割がハッキリと決まっていた。
しかし今は情報が(デジタル処理)されることで役割の区別、境界が分からなくなってきた。
スマホと呼ばれる携帯電話みたようなもので、家事一般、世の中の出来事キャッチはできるようになった。

 四季の会・冬春篇ではコンピュータが勝つのか人間が勝つのかの議論になった。
なかなか面白い時代になってきたのかも知れない。
トフラーの(第三の波)つまり情報革命はまだ続いている。
食糧、動力の産業革命にその後の電気の利用による(情報革命)が様々な影響を与えている。

 四季の会も10年目を迎えた。
ふうてん60歳のときに始めて、今年70歳を迎えた。
参加メンバーは30年以上付き合ってくれた面々ばかり。
長い間こんな自分勝手な人間に付き合ってくれてありがとう。
僕には何の実績もないけど、宝物は素晴らしい友だちと過ごした愉快な時間だった。
これだけは本当にありがたい事だった。
そう、最後に、お迎えの近いふうてん老人は挨拶した。

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