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2015年12月に作成された記事

2015/12/27

2015・12・27 書簡集マスターどのと今年を振り返った篇

Pc160308_2コナラの落ち葉も終わった
縄文時代もこうだった?

 土曜日に今年最後だなあと思いつつ書簡集へ向かった。
12月も終わりなのに(冬)という気配がない。
温暖化のせいなのだろうか。
暖かい日と寒い日がかわりばんこにやってくる。
 
(今日は寒い?)
 
という不思議な会話が真冬の年末に交わされるようになった。

 京都から東京に流れて何年か住むうちに、冬の東京に天気予報は要らないなと思った。
生まれ育った瀬戸内の伊予も、途中下車した盆地の京都も冬は陰鬱な雲に覆われていた。
流れ着いた東京の冬は晴ばかりだった。
ふうてんは思わず(関東のバカッ晴れ)とつぶやいた。
北風(関東の空っ風)が吹くようになって寒さが深まる。
まことに東京の冬の気候はシンプルでありました。

 この数年それが変ってきたように感じる。
曇ったり降ったりするようになった。
一週間ほど前には夜中にずっと大粒の雨が降り続いて不気味だった。
南風が迷い込んで急に気温が上がったりする。

 秋になると長袖と上着。
冬になるとコートと首筋用のスカーフを加えて完全武装。
これでおしまい。
とは行かなくなった。

(マスター、今年もお世話になりました)
(いえ、こちらこそ)
(今年も世界中でいろいろありましたねぇ)
(日本の戦争時代の写真見たのだけど、やっつけると国民がバンザイしています)
(どこの話?)
(中国のどこかを落としたというニュースに湧く日本国内の人々ですよ)
(ああ、町内の人たちが集まって日の丸掲げて、日本国バンザイしているやつね)
(戦争で人を殺しているということをどう考えていたのでしょうね)
・・・
今年の前半はEUの経済危機、後半はイスラム圏の戦争と難民問題が世界の話題だった。
(マスターねぇ、戦争時代は出征兵士を送り出すときもバンザイしていたよね)
(そうですねぇ、出て行って勝った、バンザイ!!でした、人殺しは報道されない)
(そうなのよ、戦争は国家のための美しいものじゃないと誰も行きたくないもの)
(つまりは人民はメディアに騙されていた?)
(その通り、昔も、今も、ね)
(メディアですか・・・当時は新聞とラジオでしか遠い外国の戦況分かりませんよね)
・・・
(どうして戦争はなくならないのでしょうね、大昔から今まで続いています)
(マスター、僕は刀刈りしないと終わらないと思うのよね)
(あの秀吉がやった刀刈りですか?)
(そう、戦争やめるには武器弾薬を取り上げるしかないのよ)
(確かに、日本では大きな内戦は起きませんでしたねぇ、250年間も)
(国家が統治のために武力を神経質なまでに取り締まった)
・・・・
(今は世界中で2001年のニューヨーク・テロ以来、対テロ戦争みたいになっていますね)
(対テロ戦争、という言い方自体おかしいよね)
(テロリストと言われている人たちの武器弾薬を取り上げろ、とふうてんさんは言いたいのですか?)
(その通り、でも今のテロリストたちが使う武器弾薬は先進国から提供されている)
(それじゃ、刀刈りの真逆じゃないですか)
(そう、刀刈りをすると武器弾薬を作って売って儲けることができません)
(じゃあ武器弾薬を作って売って先進国は儲けているのですか?)
(最近、日本もそれで経済を活性化したいと思い始めている気配があるよね)
・・・

 話はEUの危機という経済問題から世界に拡散しつつあるテロ問題に移って行った。
(日本はどうしましょうね)
(今年いろいろテレビ観たけど最後にいいのに当たったよ)
(小津安二郎の(東京物語 デジタル・リマスター版)でしょう)
(うんにゃ違う、同じNHKだけど、縄文文化のことを教えてくれた)
(それで?)
((アジア巨大遺跡 縄文 奇跡の大集落)というタイトルで、世界が縄文文化を見直しているというのよ)
(縄文時代、日本人はどうしていたと言うんです?)
(やっぱり国は位置で決まるのね。縄文時代、平安時代、徳川時代は日本らしかったよね)
(縄文土器、源氏物語、浮世絵・・・確かに日本にしかない文化がありましたねぇ)
(どうしてああいうものが出来たんやろね、マスター?)
(今の日本では・・・あんまりないなあ・・・)

 この話の続きは来年に、来年もよろしくね、と書簡集を辞した。

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2015/12/16

2015・12・16 アメリカではメリー・クリスマスと言えなくなったとか篇

Pc060305初冬の空 
弱い光が南から
コナラ ビワ ハナミズキ

 冬至が近づき太陽からの傾いた光は弱々しくなってきた。
この光の具合が年末の風景の印象を決めているような気がする。
そう思ったのは40代も半ばを過ぎたころだったろうか。
年末の、師走独特の、光の差し方。
Muせんせ~ぇが走っている季節だからではなく、太陽の光のせいだったのかしら。

 今年はどういう年だったのだろう。
戦後70年とかで、テレビでは戦争ものが多かったような気がする。
ドラマあり、ドキュメンタリーあり、戦争体験者のインタビューあり・・・。
どれを観ても、戦争ほど愚かな行為はないと思わされる。

 しかし、今も世界では戦争が続いている。
戦争とは何なんだろう?と考えさせられる年でもあった。
宗教の違いなのか、人種の違いなのか、貧富の違いなのか、縄張り争いなのか・・・。
戦争を始めるには何かの理由があるはず。
戦争の一発目の弾丸を発射するには、かなりの(暗くて劇的な背景 つかこうへい曰く)があるに違いない。
日本が真珠湾攻撃をしたには、それなりの(暗くて劇的な背景)があったのだろうか。
そのような気もする。

 日曜日、天気予報では夕方晴になるはずだった。
それが外れて女房と二人、傘を差してチャリで繁すしへ向かった。
風がなく、雨も小降りだったので助かった。
繁すしではカウンターに二人の先客があった。
しばらくして、二人が帰った後、繁さんが何か話をしたそうな顔をしていた。
席に来て、(ヘルス リズムズ)だか何だか、太鼓を使った健康法の話を始めた。
太鼓に合わせて身体を動かすと健康によろしい、という集まりがあるらしい。

 この繁さんも少年時代、伊豆半島の伊東に疎開していた頃、海に出て釣りをしていたら米軍の飛行機が来て、機銃掃射に襲われた・・・ふうてん老人日記で以前報告した。
海で釣りをして遊んでいる少年たちに機銃掃射をする・・・。
戦争となると殺す相手は兵隊も一般人もないのだろうか。
出撃した以上、もう、眼に入るものを殺しまくるしかない。
一瞬でも気を許すと相手にやられるかもしれない。
日本を空爆し、最後には(リトル・ボーイ)を広島に落としたアメリカのB29の兵隊たち。
彼らには(敵を殺す義務感)と(自分が殺される恐怖心)が同居していたのだろうか。

 繁さんちで、太鼓の健康法とかいろいろ話した後、書簡集へ向かった。
(マスター、大衆というは愚かな存在なのですねぇ)
(政治家でこの人というのがいないのに、選挙で51対49で決めるのが民主主義だとか)
(そうなのよね、なのだけど、選挙も今は人気投票みたいなものになっちゃったなあ)
(アメリカは民主主義と資本主義が行き着いた国ということなのでしょうか)
(そのアメリカではこの年末(メリー・クリスマス)と言えないそうですね)
(え~ッ? 何、それ??)
(今年からはメリー・クリスマスの代わりにハッピー・ホリデイズと言うそうですって)
(キリストさまおめでとう、いうたら揉めるかも・・・ということですか)
 
・・・

 人間が戦争をして殺し合う。
ふうてんは戦争の原因は人種と宗教の違いではないかと考えている。
人種とは即ち肉体的要素の違いである。
宗教とは即ち精神的要素の違いである。
人間は肉体と精神を持つ動物なのですなあ。
どちらが違っても(気に食わない)という衆生が沢山いる。

 人種と宗教。
この二つの争いから、その気になれば、逃れることができるのが日本という島国。
日本人ばかりで、無宗教の人たちばかりで、小さな日本列島に住んでいる。
それが日本国のアイデンティティではないのかしら。

鉄砲持って外国へ出向いたり、外国で勇ましい演説などせずに、ひっそりとこの島で暮らそう。
そうすれば資源のない日本へ攻め込んでくる物好きな国も、めったにありますまい。

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2015/12/07

2015・12・7 久しぶりに東京物語を観た篇

Photo東京物語
 
(グーグル画像より)
 

小津安二郎という映画監督がいた


 東京ではすっかり冬になった。
気温が10℃以下になると、いかにも冬だなあと思わされる。
手袋やらコートやらが欲しくなる季節になった。

 (東京物語)がデジタル放映されたので喜んで録画して見なおした。
テレビがデジタル化されて、録画・再生の画質が格段に良くなった。
デジタル時代になってメーカによる差はなくなった。
アナログ時代の、ソニーのβと松下のVHSのバトル・・・そういう愉快な戦いは終わった。
デジタル時代になると、日本のテレビ・メーカが苦しくなるのはやむを得ない。
なにしろデジタル処理は1と0しかないので世界中、どこでもやれるのである。

 この映画が再放映されたのは原節子が亡くなったからである。
1963年に絶頂期の彼女が急に姿を見せなくなって、もう50年近くになる。
健在なのかどうか、我々は知らなかった。
その彼女が95歳で今年9月に亡くなったという。
1963年に姿を消して2015年まで。
50年以上、鎌倉方面で、ひっそりと時を過ごしていた・・・。

  東京物語という映画を作ったのは小津安二郎だったなあ。
1963年の12月に、60歳で亡くなった小津監督の通夜が行われた。
その通夜が始まる前に極秘に会場を訪れた後、原節子は姿を見せなくなった・・・。
東京物語から10年後、彼女は押しも押されもしない大女優として人気絶頂の33歳だった。
まるで小津安二郎に殉じたような引退の仕方だった。

 今年、2015年は戦後70周年ということで記念行事が多い。
では1953年の東京物語の時代はどうだったのだろう?
戦後6~7年の日本はどうだったのだろう?
そういうことで小津安二郎の年譜を知りたくなった。

 彼は1937年(昭和12年)から2年ほど中国戦線で戦闘に参加している。
陸やら川やらでの本当の戦闘であったらしい。
2年足らずの短い期間ではあったけれど、軍曹になって、部下を20人ほど率いて闘った。
行軍して新しい処へ行くたびに、部下に命じてまず作らせたのは風呂とトイレだった。
(小津日記)という、ご本人が書いたものが本になっていて、ふうてんも読んだ。

 (東京物語)を始め、小津作品では戦争は露骨には登場しない。
人間が暴力を振るう、というシーンは決して出て来ない。
せいぜい子供が頭を叩かれる、くらいなシーンである。
小津作品では、時間がゆったりと流れ、人々はゆったりとした会話を交わす。
これは彼が体験した戦闘の激しさ、過酷さの裏返しではなかろうかと思うことがある。
(東京物語)と(七人の侍)は同時期の作品だった。
(七人の侍)では刀や弓矢や鉄砲を使った戦いのシーンがよく登場する。
どうしてこうも作風が違うのだろうか?

 (東京物語)は昭和28年、(七人の侍)は昭和29年に公開された。
昭和20年(1945年)に無条件降伏して戦争を終わった日本。
それから映画人たちは一斉に、思いのたけを込めて映画を作った。
戦後10年以内に作られた日本映画の代表格が(東京物語)と(七人の侍)だった。
小津安二郎 1903年生れ 東京物語(1953年) 50歳
黒澤明   1910年生れ 七人の侍(1954年) 44歳

 同時代に生きて、一方は中国戦線で闘い、一方は実戦の経験をしなかった。
戦争が終わった後、二人の作風は対極的なものになった。
小津安二郎(実戦体験あり) たおやかな、ゆったりとした世界、これといったドラマなし。
黒澤明(実戦体験なし)   激しい闘い、人間同士の争い、ドラマの連続。
(戦争)ということの本質が、お二人の思いはどうだったか知らないけれど、よく伝わってくる。
戦闘を実体験した人は、もうあんなの嫌だ、静かな世界がいいと思う。
戦闘を実体験していない人は、悪者をやっつける正義の戦いは美しいと思う。

 勿論、実際の戦争は小津安二郎が実体験したものに違いない。
(七人の侍)は戦闘を実際には経験していない黒澤明のファンタジーなのだろうか。
フィクションだから美しく描くことが出来るのだろうか。
実戦を経験して、殺したり殺されたりした小津安二郎には描きたくもない世界だった、のかも。

 (東京物語)を見直して、改めて戦争について考えさせられた。
戦争で大切な家族を失った人たちの(戦争の後)の世界を小津安二郎は描いた。
戦争時代に(細雪)を書き続けた谷崎潤一郎のことも思い出させられた。
この戦争で日本の美しい伝統が滅びるのではないか、書き残そう、と思った、とも言われる。

(東京物語)と(細雪)
小津安二郎が付き合った文人たちのこともいつか書いてみたい。

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