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2015年8月に作成された記事

2015/08/31

2015・8・30 夏休みも終わって篇

P8230314隠宅の(江戸絞り)

萩の花が秋を教えてくれる

 毎年お盆を過ぎると涼しくなる。
子供たちにとっては夏休みの終わりの季節がやってきた。
日本では(盆と正月)という言葉がある。
夏のお盆、冬のお正月。
日本で根付いている二大イベントはこのときに行われる。
日常の生活から離れることのできる大切なお休みの時間。
(お盆休み)(お正月休み)と言われると誰も文句を言えない。
子供たちにとっても堂々と遊び呆けることができるとき。

 お盆が過ぎて秋風が吹き始める。
子供たちにとっては、いや~な予感を感じさせる風が吹き始める。
9月からは学校が始まる。
もう2週間もないのに夏休みの宿題はぜんぜんやっていない。
どうしよう?
子供のころ、高校生くらいまで、ふうてんもこの季節は憂鬱な季節だった。
夏休みの初日、近くの池へ行って、夏草のむせ返るような匂いの中、これから夏休みが始まるんだと、夏の朝の強い光の中、ウットリとしたことをまだ覚えている。
一ヶ月ほど遊び呆けて、また思った。
(夏休みにも終わりは来るんだ)

 夏休みが始まる!!という喜びよりもこの(夏休みにも終わりはある)ということを以後の人生で何度も経験したように思う。
社会へ出て、一応仕事らしきものを40年ほどやってきた。
仕事には始めがあって終わりがある。
いつそれが始まったのか、いつそれが終わったのかは終わってしばらく経たないと分からない。
また仕事がなかなか見つからない谷底の時期もある。
それも始まりと終わりはハッキリしない。

 しかしいずれせよ、何かは始まってワイワイやる。
ワイワイやっている時にもふうてんは(夏休みだって終わりは来るんだ)ということを思い出していた。
山の上で得意になっていた時も、谷底でもがいていた時も。

(ふうてんさん、人の一生も夏休みみたいなものですかねぇ?)
(始まって、ワイワイやって、やがて終わりが来る、と?)
(その通りです)
(しかしねぇ、あなた、そう言っちゃったら、夏休み一度しかないやないの)
(ハィ~?)
(僕は思うのだけど、夏休みは何度も来るのよ、始めの楽しみがあり終わりの苦痛がある)
(楽しみと苦痛ですか)
(そう、それを何度も経験して、人間少しは成長して、夏休みの意味を悟って、ああ俺の人生も夏休みのようなものだったなあ、夏休みにもいつかは終わりがくるよなあ、と死んでいくのさ)

 何だか禅問答のようになってしまった。
ふうてんにとっての(夏休み)というのは中学高校時代の一ヶ月以上の(休み)だったのかもしれない。
学校へ行かなくていい、先生たちの説教を聴く必要もない。
自分だけで勝手に考えて過ごせる時間。
あらゆる子供たちにそういう時間が必要ではなかろうか。
子供たちにとっての夏休みとはそういうチャンスであり危機であるとふうてんは思う。

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2015/08/23

2015・8・23 夏の甲子園大会も終わった篇

2_2ご近所の白いムクゲ(木槿 夏の花)

隠宅に植えるのは白にしますか、
庭師どの

 

2012年撮影 再録


 猛暑が続く東京でも、この頃秋を思わせる風が吹く。
昔、今東光の弟の今日出海が京都で夏に入院していた。
その時のことをエッセイに書いていたのが印象に残っている。
(地蔵盆どすぇ~、地蔵盆どすぇ~という声が聴こえてくる)
(この声を聴くと、ビルの立て込んだ通りにも秋風の吹く気配がするようで不思議だ)
これが妙に記憶に残っていて毎年この頃になると思い出す。
今の京都では8月23日、24日ころが地蔵盆であるらしい。

 夏の風物詩の一つ、高校野球の甲子園大会が終わった。
清宮ジュニアのいる早稲田実業は準決勝で散った。
この大会には全国で4000校もの高校が参加する。
その中で優勝する・・・簡単ではない。
早稲田実業は準決勝まで行ったのだから、良しとせざるをえないと思う。

 今年は第97回大会だと聴くから、もう100年の歴史がある。
ふうてんの生まれ育った愛媛は野球の盛んな土地だった。
夏の甲子園大会で愛媛勢はこれまで6回優勝している。
100回の中で6回だから・・・などとお国自慢をしたくなる。
松山出身の正岡子規が野球に熱心だったことが大いに影響しているらしい。
子規が夏目漱石と親しかったせいもあり、2000年に出来た球場は(坊っちゃんスタジアム)と呼ばれている。
何しろ松山の名物は(正岡子規)と(坊っちゃん)しかないのである。
この(坊っちゃんスタジアム)はふうてんが生まれ育った家から5キロほどのほんネキにある。

 このような次第で、子供のころから大人になるまで、夏の甲子園大会の思い出は数多い。
なでしこジャパンがワールドカップで優勝すると嬉しいように、地元のチームが活躍すると何故か嬉しいものであるようだ。
甲子園大会で忘れられないのはもう46年も前の決勝戦。
昭和44年(1969年)にふうてんは京都から東京へ流れた。
その年の決勝戦をたまたま会社近くのうどん屋さんで観ていたのであった。

 松山商業対三沢高校の試合だった。
今では甲子園大会での延長戦のレジェンドの一つと言われている大勝負だった。
昼飯を近くのうどん屋さんで、と出かけたのだけれど、店を出られなくなった。
当時は会社の規則も緩やかだったのか(ちょっとメシに出てきます)と裏門を出てきたのだった。
0対0で延長戦になった。
もう帰るわけにはいかない。
最後まで見届けてやろうと腰を落ち着けた。

 延長15回にそのクライマックスは訪れた。
ゼロゼロのまま、後攻めの三沢の攻撃が始まった。
ワンアウトは取ったものの2塁、3塁にランナーが残った。
松山商業はピッチャー井上のコントロールを信じて満塁策をとった。
フォアボールを出せば負けである。

 さすがの井上くんも緊張したのか0ストライク、3ボールとなった。
あとボール一つでお終い。
 
・・・
こういう緊迫した場面はほかにあまり記憶にない。

 井上くん、マウンド上で何度も何度もグラブに球をぶちつけながらため息をついている。
そして、覚悟を決めたのかストライクを2球続けて取った。
打者の方も当然打つ素振りも見せない。
ワンアウト満塁、カウントはツー・スリー、次の球を打者が強振し、ピッチャーの井上くんが取れずに弾いた。
 
・・・負けた、と思った。
次の瞬間、その井上がはじいたボールをショートが猛然と走って取ってバックホーム。
アウト!!

 結局、延長18回までやってゼロ対ゼロで引き分け再試合。
翌日の再試合は4-2で、松山商業が優勝した。
この引き分け再試合の勝負とか優勝したとかには何の感動もなかった。
あの15回の土壇場のシーン。
あのような、映画でも観られない名シーンを演じてくれた高校生たちに大感謝の一幕だった。

 この1969年の決勝戦、引き分け再試合の話はいまだにテレビでも何度も取り上げられ、ユーチューブでもそれの一端を観ることができる。
両チームの主戦投手だった松山の井上くんと三沢の太田くんは今も立派に社会人をこなしている。
もう還暦もとっくに過ぎたご両人。
今でもお互いを讃えあうことができる仲間たち。

 高校野球、甲子園大会も捨てたものじゃないよ、ね、清宮ジュニアくん。

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2015/08/17

2015・8・16 戦後70年の記念日につき篇

P72503252ちょっとピンボケ

谷保の(しんう)に掛けられている

ラガーマンの絵

 毎年、お盆のころ、テレビでは戦争特集である。
ある意味繰り返しではあるけれど、毎年新しい要素も加わっている。
今年は特に、何か少し変ってきたかなあ、と感じた。
 
 ちょうど国会で(安倍安保法案)が審議されており、14日に70年談話で日本の首相がどういう歴史認識を示すかが話題となっていた。
8月15日、今年はどういう敗戦記念日となったのだろうか?

 テレビをいろいろと観て、知らなかったなあということが多かった。
・1945年(昭和20年)8月15日の玉音放送のいきさつ
・憲法第9条(戦争放棄)を誰が書いたのか
・終戦前後の鈴木、幣原(しではら)、吉田の三人の首相がやったこと
 
・・・・

 これらを観て、70年前に日本が無謀な戦争を終結するのにずいぶん苦労したことが分かる。 
戦争を始めるには誰かが一発の弾を撃てば済む。

しかし終わるのは容易ではない。
そしてボロボロに負けて、さてどうしたのだろう?
そんな苦労話が、今年は多かった。

(歴史認識)という言葉がある。
これはなかなか難しい言葉だとふうてんは思う。
歴史とは何か?認識とは何か?簡単に答えられる話ではない、はず。
それなのに国家間で(貴国の歴史認識は間違っている)などと言い合う。
メディアもそれをそのまま報道する。
あまり愉快な話ではない。

 今、中国と韓国と北朝鮮と揉めているのは明治以降の歴史のことだと思われる。
(歴史認識が間違っている)というバヤイ、まず時間を限定していただきたい。
秀吉の朝鮮征伐まで遡るのか、元寇の役まで遡るのか、百済と組んだ白村江の戦いまで遡るのか。
時間を限定しないと(歴史)の話にはなりませぬ。

 歴史には始まりと終わりと終わった後がある。
7月8月の日本の(戦争週間)では、いかにあの第二次世界大戦が悲惨なものだったか、全国の都市がことごとく焼け野が原になって、広島、長崎で原爆を落とされて日本人は息も絶え絶えだった・・・。
日本人は(被害者)として描かれ、よく耐えたなあ、頑張ったねぇという話で終わる。
これは(歴史)の終わりの話ではなかろうか。

 では何故明治維新以降、日本は富国強兵に入れ込んで戦争へ向かっていったか。
そのことはあまり報道されない。
司馬遼太郎の(坂の雲)で明治時代の日本人は雄々しくカッコよかったと描かれている。
ふうてんなども故郷の秋山兄弟のことが描かれているから嬉しく読んだ。
帝国ロシアに飲み込まれるのを潔しとせず、果敢に戦った・・・。
そこまでは描かれている。

 しかし、その後の日本が中国、朝鮮、そして南のアジアにどのように向かっていったか・・・。
そのことは今の70歳以下、即ち戦後生まれの日本人には殆ど知らされていない。
今、日本で戦後生れ(70歳以下)は90%以上を占めるのではなかろうか。
70年前に終結した戦争のことなど、今の日本人の大半は(遠い昔の話)なのである。
ましてや、日露戦争の後、どうしてアジアへ攻め込んで領土化(植民地化)しようとしたか、その根本的な理由についてはほとんど報道されない。
 

 欧米列強から石油などのエネルギーを断たれたから、などとは聴こえてくる。

しかしどうして同じアジア人を殺してまで食料やエネルギーを得ようとしたのか?
当時の日本人には道徳心や正義感はなかったのか?
そういうことは語られない。

 今年の(戦後70年)という節目に改めてふうてんは思った。
日本人は民主主義とか憲法とか戦争とかの本質的な意味を知ろうとせずに、あれこれ言っている。
資本主義とは何か?ということも知らずに経済復興だけは実現してきた。
要するに考えずに動く国民のようである。
そのことを自覚しないで、これからやっていけるだろうか。

 今の日本には大きな課題がある。
食料の確保。
エネルギーの確保。
国防(安全保障)。

 この3つとも今までの政権に委ねると危ないとふうてんは思う。
食料自給率40%。
エネルギー自給率10%。
国防自給率0%、但し憲法第9条を掲げて世界にアピールすれば国防自給率100%。
(そのときは沖縄の米軍基地は全く不要、アメリカの軍産ビジネスよ、おさらば!!)

 戦後70年。
そろそろ我々日本人も、日本てどうしよう?と考える時期に来ましたねぇ。
ふうてんは、寺田寅彦が言った(その国は位置で決まる)という言葉を思い出す。
ユーラシア大陸からちょっとだけ離れた極東の南北に長い島国。
そこで喰って、楽しい生活をして、他国に侵略されない。
それをこの小さな国土と沢山の人口とで実現する方法を考えればよろしい。
 

 幸い、自然の条件には恵まれている。

近代技術も世界に負けてはいない。
憲法で(もう戦争はしません)と宣言している。
戦争は欧米の列強やイスラム教徒やロシア、中国などユーラシア大陸の大国に任せておこうよ。
戦争さえしなかったら日本は十分に喰って行けるし、ゆったりと伸びやかな生活を送れると思う。
平安時代、徳川時代はそういう時代だった。

 何しろ日本は源氏物語、奥の細道、浮世絵を産んだ国だものなあ。

戦争・・・やめとこうよ。
戦争やるんやったら核弾道ミサイル作らなアカン。
サイバー攻撃も必要や。
広島の原爆の大きさの核爆弾もう100万発もあるらしい。
サイバー・テロかて、グーグルやらのインターネット技術は日本にはあらへん。
核やコンピュータについては、日本は後発や。
そういうのには大金がいるけど、日本には金の源泉がないんや。
大いなる後進国でいこうやないか。
アジアの極東の小さな島国。
小さいけれどキラリと光る魅力はあるでぇ。

 身の程知って、それでいきたいなあと、ふうてんなどは思う戦後70年のころであります。

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2015/08/10

2015・8・9 夏の甲子園大会を観ながらビールを篇

P8030310隠宅の(ハンカチの木)
黄色いのが花で白いハンカチは萼(がく)だとか

 夏になると甲子園の高校野球を観ながらビールを飲みたいなあと思う。
甲子園大会を観るといったって、どの試合でもよろしいと言う訳にはいかない。
やはり地元の学校が登場しないと観る気はしない。

 愛媛、少なくとも四国の学校か、今住んでいる西東京か。
北海道だとか沖縄だとか、東北だとか近畿だとか。
申し訳ないけれど、そういう地方のチームの試合は全く興味が湧かない。

 今年、愛媛は今治西で西東京は早稲田実業だった。
今治はおふくろの故郷だし、早稲田実業は国分寺で今住んでいる国立のほんネキである。
今年は甲子園野球を観てビールが飲めるなと思った。

 ところが、組み合わせ抽選会で、あろうことか今治西と早稲田実業が大会3日目の第1試合で対戦することになった。
やはりこの世に神様はいないなと思った。
どうして、50チームほどが参加する甲子園大会で、よりによって、ふうてんが楽しみにしていた2チームがいきなり対戦するのだろう?

(嫁さん、この世に神さんはいないね。いたとしたら余程意地の悪い神さんやね)
(旦那さん、けど、どちらかが勝つから2回戦も観られるよね。バラバラで両方とも1回戦で負けたら・・・)
(そうか、そう言われると少し救われるなあ)
 
・・・

 結果は早稲田の圧勝だった。
清宮ジュニアもタイムリーヒットを1本打った。
甲子園球場は清宮人気で4万8千人の人が集まった。
第一試合の8時半前にチケットを確保するため、徹夜組もずいぶんいたらしい。
甲子園大会といっても第一回戦である。
決勝戦とは訳が違う。
3日目の第1試合に4万8千人も集まるとは・・・??

しかし、ふうてんもミ~ハ~組なので、今治西―早稲田実業(清宮ジュニア)に集まったファンの気持ちはよく分かる。

 後は早稲田実業(清宮ジュニア)の闘いをフォローするばかり。
この子は何年か前の(ハンカチ王子)こと斉藤くんと同じように何かを持っているという感じがする。
今治西も(清宮くんにチャンスを与えたんだ)と思うと負けても涙は出なかったろう。
これらからは清宮くんのお父さんと一緒に早稲田実業を応援することにする。

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2015/08/03

2015・8・2 繁さん100まで、ふうてん90まで?篇

P7220319ブラック・ベリーのグラデーション

 8月になるとテレビでは(戦争もの)が続く。
70年前に終わった第二次世界大戦の記憶である。
日本の無条件降伏を決定づけた(玉音放送)のドキュメンタリもあった。
それを観て、ああこれが日本人なのだなあ、と思った。

 昭和天皇と鈴木貫太郎首相と内閣情報局総裁下村宏がこの玉音放送を演出した。
このトリオがいなかったら・・・あの戦争はどういう終わり方をしたのだろうか。
 

 ふうてんなどは1946年、終戦の翌年に生れた。

10歳ほど年下の安倍くんが戦争をしたがるのはどうしてだろう?
それが分からない。
ふうてんより年上の人たちはみんな(もう戦争は嫌だ)と経験から思っている。
戦争とは人殺しだと思う。
人殺しをするにはよほどの根拠がいるはず。
あるいは人殺しをする根拠などないのかも知れない。

 夕刻5時に繁さんに電話してチャリで女房どのと出向いた。
しばらくすると、書簡集でよく会う御仁が現れた。
やがてその奥方も登場した。
あれこれ話し合ってこちらも帰る時間となった。
(繁さん、100歳までやってね)
(ふうてんさん、90歳まで来てね)
10歳違いだからこういうことになる。
90歳?野郎の平均寿命より10年も?

 繁さんの後は書簡集というパターンに、この数年なっている。
行くと繁すしで会った御仁が席に着いていた。
それで初めてお互いの来し方行く末を話し合った。
三鷹で生まれ育って、中央線沿線の、立川高校とか一橋大学とかに通ったという。
日本ではそういう狭い範囲しか知らなかった。
就職して、アジア、インドネシアとかベトナムとかフィリピンとか・・・。
そういうところで何年も過ごしたらしい。

 この御仁は何年か前に繁すしで会って書簡集でも会うようになった。
この人の(明るさ)がふうてんは好きなのである。
繁さんにそういう話をした。
もうみんないなくなって、じゃあまた、という時間になった。
(繁さん 100歳までやってね)
(ふうてんさん その時来てね)
考えてみると繁さんが100歳のとき、こちらは90歳なのであった。
う~ん・・・。

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