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2015年7月に作成された記事

2015/07/27

2015・7・26 カエルの子はカエル?篇

P7020360隠宅のブッドレア

 甲子園大会の西東京大会で早稲田実業が優勝した。
もともとは新宿区にあった校舎が2001年に国立の隣の国分寺に越してきた。
 
従って今は我々国立市民にとって(地元高)の一つになっている。

 早稲田実業の甲子園大会で有名になったのはホームラン王となった(王貞治)と、ハンカチ王子と呼ばれた(斎藤佑樹)である。
このハンカチ王子は2006年だった。
このときの決勝戦は延長15回で決着がつかず再試合となった。
優勝を決めたときの最後のバッターが今ニューヨーク・ヤンキースで活躍しているマー君だった。
全試合投げ続けた斉藤くんは、マウンド上で汗を拭うのによくハンカチを使った。
かわいい感じのハンサムボーイなので(ハンカチ王子)と呼ばれてアイドルになった。

 この甲子園での決勝戦はふうてんもテレビで観ていて、なかなか見応えがあった。
それ以来、ハンカチ王子こと斉藤くんとマー君こと田中くんのことは気になっている。
この甲子園の決勝戦を甲子園で観ていた男の一人に清宮ジュニアがいたらしい。
決勝戦を観て、感激して、ラグビーじゃなく野球をやろうと思った、とか。

 今年、我々の前に清宮幸太郎という大柄な高校一年生が登場した。
テレビで大騒ぎしている。
誰だろう?と見ると、あのサッカーの清宮監督のジュニアであった。
お父さんが清宮克幸。
まことに日本の伝統的なネーミング。

 確かに顔が似ている。
ジュニアはリトルリーグでアメリカへ遠征して世界一になったとき、向こうでは日本のベーブルースだと呼ばれたとか。
ベーブ、即ち赤ん坊、まるっこい童顔なのですね。

 テレビで西東京大会の決勝戦をチラチラッと観た。
5対0になったので甲子園は無理かと思った。
8回に8点取って逆転し、甲子園出場を決めた。
清宮ジュニアも1本、タイムリー・ヒットを打った。
これで今年の甲子園大会の楽しみが出来た。

 テレビカメラが、観戦に来ていた清宮シニアの顔を捉えていた。
それを観てこちらはラガーマンと一緒に観た府中での(サントリー対東芝戦)を思い出した。
あの時のサントリー清宮監督はまことにかっこよかった。
そのラガーマンは・・・今はもういない・・・。
 

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2015/07/20

2015・7・19 世の中変って分からないことばかり篇

P6170360_2隠宅のサルスベリ

 東京でも梅雨明け宣言が出た。
今年は本当によく降った。
夜の間もずっと続く雨の音は不気味ですらあった。

 梅雨は明けたけれど、世の中不可思議なことばかりで明るい気分にはなれない。
政治制度や経済制度や社会風俗という身近な話で分からないことが多くなった。
歳のせいで着いていけないのだろうか。
若い人たちは着いて行けているのだろうか。

 戦後70年。
日本が無条件降伏した世界大戦が終わって70年。
70年前に、勝った方も負けた方も(ああ、やっと戦争が終わった)とホッとした。
それで世の中、単純に生きればよろしい時代になった、とはいかなかった。
熱い戦争は一旦終わり、冷たい戦争の時代が来た。
東と西に別れた冷戦の時代は1989年までの45年間続いた。
東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が壊されて冷戦期は終わった。
それから25年くらいになる。

 冷戦期とは何だったのだろう?
ベルリンより東と西に世界は別れたから(東西冷戦期)と呼ばれた。
東側の代表格はソ連と中国だった。
西側はヨーロッパ中心でその更に西にアメリカという親分がいた。
日本はどこにいたのだろうか?
東の果てでもあり、アメリカからさらに太平洋を隔てた西の果てでもあった。

 東はベルリンから発して日本で終わる。
そして西もベルリンから発して日本で終わる。
冷戦期の(東西)はそういう風に考えることもできる。
地理的にはそうであるが、これは文明の発達の歴史の違いでもあったように思う。
つまり西側は(先進国たち)、東側は(後進国たち)である。
後進国では共産革命で独立した国が多かった。
それまでの王政を共産党率いる(革命軍)が武力で倒して新政権を作った。

 冷戦期には(東=共産主義)(西=民主主義)という政治体制の違いが鮮明だった。
また経済の仕組みとして(東=共産党による統制経済)(西=資本主義による自由競争)だった。
熱い戦争のときは武力で戦った。
冷たい戦争のときは武力よりも経済力の競争となった。
共産主義が勝つか、民主主義のもとの資本主義が勝つか。

 冷戦が終わって25年たって、政治体制、経済システムに見直しのときが来ているように思う。
憲法とか民主主義とか共産主義とか資本主義とかの意味が、ふうてんには分からなくなってきた。
吉本隆明の本では、憲法の上に宗教があるという考え方もあるらしい。
宗教というのは人間の上に(神様)がいるかどうかのお話。
それも含めて、それ以下のあれこれが成り立っている。

 長く生きているといろんなことが分かりシンプルに生きればよいと思っていた。
しかし現実は、宗教についても政治制度についても経済制度についても謎は深まるばかり。
憲法とは?
民主主義とは?
資本主義とは?

 よく分からないことは考えても仕方ないじゃないの。
そういう声も聴こえてくる。
そうしてもいいのだけれど、(人間は考える葦である)と説いた人がいる。
まあ何も考えずに(葦)のように枯れていくのも生き物の姿としては悪くはない。
しかしこちらは人間なので考えるのも悪くないじゃないか。
どちらがいいのかなあ・・・どちらにしようかなあ・・・

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2015/07/12

2015・7・12 女の自立を紫式部は描いたとか篇

P70803273ブラック・ベリー
 
円環は閉じた

 鬱陶しい梅雨時にテレビでいい番組に出会うと救われる。
紫式部の源氏物語を扱ったいい番組があった。
 
(高島礼子 日本の古都シリーズ)で瀬戸内寂聴さんをゲストに迎え、宇治の平等院で源氏物語と紫式部を語り合う番組だった。

 寂聴さんはご自身でも源氏物語を現代語訳している。
源氏物語の現代語訳にはいろいろあるらしい。
有名なのは与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子の訳したものである。
ふうてんは谷崎源氏で最初から終わりまで読んだ。
吉本隆明お勧めの与謝野晶子の訳は、買ったけれど最初の部分しか読んでいない。
円地文子のは全く知らない。

 寂聴さんがまだ駆け出しの作家(瀬戸内晴美)だったころ、円地文子が源氏物語を現代訳するための部屋を同じアパートに借りた。
理由は瀬戸内晴美がいるからだったという。
ずいぶんこき使われました、と笑っていた。
当時既に円地文子は女流作家の大御所だったらしい。

円地さんが(編集者が来ているので、お茶)と電話してくる。
ハ~イ、と寂聴さんお茶を淹れて運んでいく。
茶菓子も必要だろうと用意しておいて届けたという。

 円地文子の源氏物語現代語訳に、ある意味寂聴さんはずっと付き合った。
あのシーンねぇ、私はこう思うけれど、どうかしら・・・。
源氏物語を現代語に訳する円地文子の苦闘振りを身近に見て、ずいぶん学んだ。
その作業は6年ほど続いたというから大変な仕事だと思った。

 平安時代の西暦1000年ころ、源氏物語と枕草子がほぼ同時期に作られた。
藤原一族が支配していた時代で、天皇のお妃に娘を嫁がせる。
その娘の教育係、家庭教師として紫式部とか清少納言は登用された。
彼女たちは自分を売り込むためにも作品を書いて評判となるように努力した。
何だかキャリアウーマンのはしりだった様な気配がある。

 高島礼子と瀬戸内寂聴さんの会話の最後は(宇治十帖)についてだった。
主人公の源氏が亡くなってからの次世代のお話。
浮舟と薫と匂宮の物語。

 源氏物語は長くて、文体もいろいろ変わるので作者複数説が今でもあるらしい。
この宇治十帖も、源氏が亡くなった後の物語だし、紫式部ではないという説もある。
しかし寂聴さんは紫式部に間違いないと思うとおっしゃっていた。
しかも、紫式部は出家して最後は宇治に住んだと思うとも言った。

 その理由として、浮舟が薫と匂宮の二人との関係で悩み宇治川へ身を投げる。
救われて得度して宇治十帖は物語を閉じる。
その得度(剃髪)のシーンはまことにリアルに描かれている。
寂聴さん自身が経験した様子と全く同じで、これは経験者でないと書けないとおっしゃる。

 当時、女の人は男に支配されていた。
女の人が自分の思う通りの生き方はできなかった。
唯一、自立できる道は出家することではなかったか・・・。
そう寂聴さんが語る言葉には説得力があった。
当時でも出家すると俗世の人間より一段高い立場になったという。
だから野郎どもに意見をすることも、出家してからはままあったらしい。

 源氏物語から1000年は経った今の時代。
女の人が強くなって、むしろ野郎どもの方が心配な時代になっちゃった。
紫式部が今の時代に生きていたら・・・。

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2015/07/06

2015・7・51 安保法制に若者たちが動き始めた篇

P7040310_2ブラック・ベリー第1号
一人だけ真っ黒けのがいる

 今年の梅雨は雨がよく降る。
梅雨に雨が降り続くのは当たり前なのだけど・・・。
この数年、雨の降らない(梅雨)が多かった。
時々、土砂降りの大雨が来て各地で災害をもたらす、というのが常だった。
今年は珍しくシトシトと一日中雨が降る日が続いている。

 今日のTBSテレビのサンデー・モーニングは面白かった。
このところ安保法制の国会議論が山場に差し掛かっている。
(違憲です)という憲法学者が多い、という報道が続いていた。
今回、国会で議論されている11個もの(安保法制案)が違憲だと言われた。
憲法学者の大半の人が違憲だと言っている。
内閣法制局の元長官たちがやはり違憲だと言っている。
しかし安倍内閣は(いや合憲です)と言うばかり。
そういう報道が続いていた。

 その安倍内閣の応援団の会が、パンドラの箱を開けてしまった。
(安保法制案に反対するようなメディアは潰してしまえ)
と最近の(勉強会)かなんかで何人かが言っちゃったのである。

 これまで、何とかメディアの口を封じようと安倍政権は努力してきた。
NHKの人事がその典型であった。
去年の機密保護法もそれの一環であったとふうてんは思う。
以来、メディアは萎縮しているように見えた。
せっかくそこまで来たのに、事もあろうに応援団がパンドラの箱を開けちゃった。
箱を開けてみると安倍政権の本音などミエミエなのである
これからメディアは安倍政権を応援しなくなる、とふうてんは思う。

 今の日本は昭和の戦争の前の時代と似ていると言われる。
明治に開国して世界を観た日本は、産業革命の技術を取り入れて富国強兵に励んだ。
大砲やら戦艦やらを一生懸命に作った。
田畑を開墾して殖産興業にも努めた。
その背景として、外国からの圧力があった。
日露戦争が終わった1905年当時、アジアで植民地化されていなかったのは日本とタイだけだった。

 日本の間違いは日露戦争の後から始まった、とふうてんは思う。
一応大国ロシアと引き分けて、ギリギリのところで負けずにすんだのが日露戦争だった。
ところが日本人はそれを勘違いして、勝った勝った、と大騒ぎをし始めた。
今度はこっちの番だと、ユーラシア大陸に国土を拡大しようと攻め込んで行った。
大半の日本人がそれに賛成し、反対すると(非国民)というレッテルを張られた。
そういう雰囲気に日本はなって行った。

 それでユーラシア大陸に進出し、植民地を作り、国土を広げた積もりになった。
欧米の列強たちが黙っているはずがない。
たちまちのうちに、やられてしまって、1945年の8月に無条件降伏をした。
今年はそれから70年の年となっている。
ユーラシア大陸に攻め込んで行って、世界中の先進国を相手に戦って負けた日本には、戦後大きなペナルティが課せられた。
(もう戦争はしません、戦争のための軍隊は持ちません)
という憲法を持つことになった。

 今の安保法制案は、これを覆そうという意図の元に作られている。
(軍隊を持ちます、必要なときには戦争もやります)
という、まことにシンプルな主張である。
戦争をするのかしないのか。
戦争をする国になりたいのか戦争をしない国になりたいのか。
今回の安倍内閣は(戦争をする国になりたい)と主張している。

 これまでの戦後70年、日本は(戦争はしません、日本は平和国家ですから)と言って世界から認められてきた。
それなら多少のことは許してやろう、と世界中が仲間になってくれて経済大国になっちゃった。
日本が無条件降伏したとき、日本の主要都市は焼け野が原だった。
全くのゼロからの再スタートだった。
それが25年ほどで復活し、アメリカに次ぐGDP世界二位になった。
それが可能だった前提条件は(もう戦争はしません、外国へ行く軍隊持ちません)だったとふうてんは思う。

 このような経緯(いきさつ)を無視して、国軍を持つ、と憲法を変えたい、という衆生が日本には沢山いるらしい。
民主的な選挙で選ばれたピープルが今のような安保法制を国会で通そうとしている。
選挙で選ばれたピープルである。
ということは、今議論になっている(安保法制)は日本国民の、少なくとも過半数の指示を得ている、と考えてもおかしくはない。

 そういう今の日本の政治に異議を唱える若者たちがやっと現れてきたらしい。
それをサンデー・モーニングでは伝えていた。
1960年の安保闘争。
1970年の安保闘争。
いずれも学生さんたちが主役だった。
それから40年ほど、学生さんたち何考えているのやら、何も考えてないのやら?
久しぶりに、
2015年 安保法制反対のデモ、東京で、京都で、札幌で・・・。
合わせて6000人ほどがテモに参加した、とメディアは報じていた。

 このニュースはふうてんにとってまことに嬉しいニュースであった。
若い人たちの叫びはシンプルだった。
(戦争反対、人殺し反対)
それだけである。

 今日、繁すしの帰りに書簡集へ寄った。
マスターが言った。
(戦争って人殺しですよね)
(いかに戦争をしないかが政治の役割ですよね)
(戦争するには政治家はいりませんよね)

 どうも今の政権与党の諸君は、もし政治家の積もりなら、このことをお忘れでは・・・。 

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