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2015年6月に作成された記事

2015/06/29

2015・6・28 長谷寺のこと篇

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3_26_3ブラック・ベリー

隠宅の庭師の楽しみの一つ
写真にもリキがはいっている



 この間、民放(BSフジ)で長谷寺をやった。

長谷寺・・・思わず見とれてしまった。
18歳から23歳まで京都で過ごしたふうてんにとって長谷寺は特別な存在だった。
長谷寺は京都からは遠い奈良のさらに南の方にあった。
どうして長谷寺が好きになって通い続けたのだろう。

 お寺さんには仏像がある。
ふうてんは仏像にはあまり興味がなかった。
仏様には申し訳ないけど、そうだった。
東大寺でも法隆寺でも薬師寺でも同じようにそうだった。
では何故東大寺や法隆寺や長谷寺に通ったのだろう?

 それは,その場の雰囲気としか言いようがないように思う。

東大寺・・・あの巨大な大仏さんがいる。

そういう雰囲気を境内や建物が感じさせる。
二月堂のお水取りのときの松明(たいまつ)の火の粉。
何度かそれをかぶって喜んでいた。

法隆寺・・・俗心のない精神性のようなものを感じる。
塔も金堂も回廊も研ぎ澄まされたようなシャープな造り。
贅肉のない気持ちよさ。

長谷寺・・・初瀬川とまわりの山々。それを楽しむための舞台装置。
極楽浄土をこの世に作りたいと思った人たちの情熱の結晶。
東大寺にも法隆寺にもない、女人を思わせる(たおやかさ)。

どうして奈良からも距離のある長谷寺に迷い込んだのかのきっかけは思い出せない。
おそらく自動車部の何かのイベントに合わせてうろうろしていたのではないかと思う。
イベントとはラリーという競技のことである。
京都から奈良までは当時国道24号線が主要な道路だった。
京都は南以外の北、東、西は山に囲まれている。
唯一開けた方面が南で、鴨川や桂川を下っていくと奈良や大阪があった。

 奈良方面は和歌山の山岳地帯に連なっている。
この、緩やかな山岳地帯というのが当時の自動車部の練習場だった。
まだ舗装もされていない道路を曲がりくねりしながら登ったり下ったりする。
そこで運転技術を競う訳である。

 長谷寺で最初に驚くのは回廊の階段の一段の低さだと思う。
回廊は3つあるのだけれど、どれも勿論真っ直ぐに上へ伸びている。
上がろうと足を踏み出す。
予想外に次の段が低いのである。
上へ、と踏み出した足を一瞬止めて、その低い次の段に下ろす。
まわりを観た。
足をカクッ、あれっ?カクッ、あれっ?と降ろしている。
皆さんそうしているので、愉快な気分になった。

 回廊のまわりには牡丹が植えられている。
5月などの初夏の頃に行くと素晴らしい。
もうセピア色になってしまったけれど、写真を何枚も写した。
アナログのカラー写真は50年はもってくれない。

 いよいよ、本堂(舞台)にたどり着く。
ここからの景観が長谷寺である。
人工的なものは一切見えない。
周りの(三方の)山々に雲がたなびいている。
と思ってよくよく見ると桜の花だったりする。
秋にはモミジだったりする。
偶然に桜やモミジが生えていた訳ではないだろう。
長谷寺の舞台演出家が植えた木々に違いない。

 京都に都があった時代、天皇様やお公家さんたちが吉野や初瀬に通ったという。
霊的なものを得たいからだった、と言われている。
吉野川や初瀬川をさかのぼっていくと、何となく分かるような気がしてくる。
平安時代、京都から吉野や長谷寺へ何日もかけて通ったのだろうか。

 ハイビジョンは老人福祉だと書いた。
例えばこの長谷寺の番組などその典型かもしれない。
50年ほど前の若いころの記憶がありありと蘇ってきた。
 

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2015/06/21

2015・6・21 情報セキュリティの難しさ篇

P6100344コナラの枝の最後の大物

 梅雨にはいって雨の日が続く。
雨のせいではないけれど、この日記を一週間休んでしまった。
(ふうてん老人日記)をクリックして戴いた方々にはお詫びを申し上げたい。
週刊誌は一週に一回出さないと値打ちはない、はず。

 写真のコナラの枝は今シーズンの枝伐りの一番の大物だった。
この枝に沢山の子分どもがくっついていた。
最後にこの親分を切り落とした。
そっと落ちてもらうために、3本のロープで引っ張る必要があった。
最後の姿は裸で痛ましい

 隠宅でコナラの枝きりに熱中している間、世間では安保法案とか年金機構の情報漏れとかが騒がしい。
安保法案については最終的に日本人はノーと言うと思う。
日本人は武力では本当の平和を得られないという苦い体験をしているからである。

 もう一つの年金機構個人情報漏れの事件は、まことに現代的なニュースだと思う。
現代的という意味はインターネット上で個人の情報が行き来する時代、という意味である。
個人情報保護、とかいう言葉が使われるようになったのはこの10年ほどではないだろうか。

 日本年金機構の情報セキュリティ体制がひどかった・・・再発防止策は?・・・。
それで済む話ではないとふうてんは思う。
情報とは何か?セキュリティとは何か?
インターネットという通信手段が発達した今、人類は初めての問題に直面している。

 ふうてんの経験を少し話しておきたくなった。
定年退職した後、2009年から2年ほど、あるソフト開発の会社にお邪魔したことがある。
携帯電話でインターネットにもアクセス出来るソフトを開発していた。
ふうてんがいた部署はソフトを開発する部門ではなく、社内の情報システムを担当する部門だった。

 この会社の商売はソフトを開発してNTTドコモなどのキャリアに売る仕事であった。
NTTとかKDDIとかのキャリアとNECとかソニーとかの携帯電話メーカと付き合う。
開発受託の際には(秘密保護契約)を交わす。
これがなかなかやっかいなシロモノであった。

 お客さまは神様であるからして、契約内容はクライアント(お客様)であるNTTとかNECが提示する。
それに応えられなければ開発受託契約は成り立たない。
従って、ハイこのような体制で必ず秘密は守ります、と応えることになる。

 取り交わす(秘密保護契約)の内容は実にバラエティに富んでいた。
NTTとNECとでは表現が全く違う。
KDDIもシャープも松下もソニーも勿論、違う。
それぞれの社風のようなものが(秘密保護契約)にも出てくるのである。
おもろいなあ、とふうてんは楽しんでいた。

 その中で、さすがと思わせたものがあった。
それはNTTのものだった。
元電電公社、いわば元国営の会社である。
グーグルに聴くと、1952年(昭和27年)に日本電信電話公社としてスタートしたと教えてくれる。
明治、大正、昭和の戦争を生き抜いてきた組織がベースになっている、はず。

 細かなことは覚えていないけれど、秘密保護に必要なエッセンスのようなものが語られていたように思う。
思い出す範囲で箇条書きすると以下のようであった。
・秘密情報の定義(どれが秘密情報であるか)
・秘密情報の保管場所
・秘密情報に触ることができる組織の名前
・その組織の責任者
・その組織の人員
・その組織の責任者は毎月状況報告をすること
・・・・

 秘密情報保護、情報セキュリティの教科書の第1章のようだなと思った。
このような視点で今回の日本年金機構の個人情報漏洩事件を見ると気が遠くなる。
年金機構は行政の仕事だから、お客さまは国民一人一人のはず。
上の例でいうとソフト開発を発注するNTT側である。
秘密保護の義務を負うのは年金機構側、つまりはソフト開発を受託する側。
であるならば、年金機構は国民一人一人の了承を得た上で仕事をしなければならない。
・個人情報の定義(年金番号や住所・氏名、それと・・・を承りました)
・保管場所はこちらでございます。
・どういうメンバーがそれを扱い、責任者は某でございます。
・・・・・

 クライアント(お客さま)が国民である行政は大変だと思う。
数千万人のクライアントである。
面倒くさい・・・ということで主客逆転の現象が起こっていやしないだろうか?
年金給付という行政サービスをやってやっているんだ。
サービスを受けたいやつは言う通りにしろ。
でないとサービスなんてしてやらないぞ。
・・・・
 
と、ついスポンサーが数千万人の国民一人一人であることを忘れてしまう。
自分の給料の源泉が国民の税金であることを忘れてしまう。

 国民総背番号制度(マイナンバー制度)が近く実施されるという噂がある。
年金だけでも個人情報が守られないことが分かった。
文明というのは常に(諸刃の刃)であることを忘れずにシステム設計をして戴きたいと切に思う。
コンピュータとインターネットでやれば人手がかからなくて便利だ。
経費削減になるし、使う人も手間が省けていいだろう。
・・・

 得るものと失うものとの議論をよくよくやってからにして戴きたい。
コンピュータとインターネットは便利である。
しかしそれは悪いことをする上でもまことに便利なシロモノであるという宿命をお忘れなく、と首相以下の行政の諸氏に念を押しておきたい。
 

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2015/06/08

2015・6・7 憲法学者三人が違憲といった篇

P5290419P5300379庭師が育てたグミ

 今週の愉快なニュースは安保法制の違憲論争だった。
繁すしへ行くと大きな見事な花が活けてあった。
思わずおかみさんに聴いた。
(素晴らしいですね、もう牡丹の季節ですか)
(芍薬の花です)
(ああ、シャクヤクでしたか、この白みがかったピンク、いいですねぇ)
(立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花といいますねぇ)
と繁さんの声が聴こえた。
(このシャクヤクのような別嬪さんに一度会ってみたいですねぇ)
と誰かの声が聴こえてきた。

 書簡集へ行くと、マスターがいきなり、
(安保法制は違憲だと憲法学者が揃って言いましたねぇ)
と話を切り出した。
ふうてんも、このニュースに関する書簡集マスターどのの意見を聴きたいと思っていた。
(いや、久しぶりに愉快なニュースでしたねぇ)
(政権側の幹部連中が取り消しにやっきになっていましたね)
(何しろ夏までに安保法制を成立させますとアメリカに約束しちゃった)
(その法制が憲法違反だと日本の法学者の権威たちにノーを突きつけられた)
・・・・

(マスター、日本やアメリカの憲法て、読んだことあります?)
(アメリカ?知りません)
(そうですよね、たいていの日本人は日本の憲法、ましてや国の憲法なんて読んでいないよね)
 
(ふうてんさんは読んでみました?)
 
・・・・

 それからしばらく憲法議論になった。
 
(いえね、昔、僕の好きなアラン・ケイが、どうすればいいプログラムを書けるのですか?と聴かれたとき、アメリカ憲法を読みなさい、その文章のようなプログラムを書けばいいんだよ、と応えたという話を聴きましてね)
 
(それで?)
 
(読んでみましたよ、インターネットがもう使える頃だったから、いろいろと探りました)
 
(どうでした?)
 
(アメリカとイギリスのを読んでみました、勿論イギリスのは成文法じゃないから、集合体ですけど)
 
・・・・

(アメリカやイギリスのを調べた後、ところで日本の憲法は?と本屋さんに行きました。)
(見つかりましたか?)
(それが、20年ほど前の当時は無かったのよね、憲法の本が。教科書みたいな薄いのが一冊見つかってね。これは良くできていた。写真入りで今の憲法の成立過程やらも詳しく解説されていてね)
(で、日本とアメリカとイギリスとどう違いました?)
・・・・

 それから憲法に関する三国(イギリス、アメリカ、日本)談義になった。
それぞれの国には違った歴史があり、憲法もその歴史に従って異なっている。
当たり前の話だけれど、そういう違いを踏まえた上で憲法議論をしないと変なことになってしまう。
(憲法改正に賛成ですか?反対ですか?)
などという世論調査をして結果が賛成~%、反対~%などとメディアは報じる。
憲法ということをよく知らない人々にこういう(世論調査)をすること自体どうかと思う。

(憲法を何十年も変えていない国は日本だけですよ)
などと、改定論者はいう。
憲法を変えるといったって、憲法のどこを変えるのか?という論点をハッキリしないまま、こういう。
その点、アメリカの憲法は明快である。

 アメリカの憲法は以下の三つの要素で成り立っている。
ウィキペディアは次のように教えてくれる。
・前文(Preamble) 憲法を制定する目的が列挙されている。
・本文(Article)  7条あり日本憲法の章に相当する。ここで三権分立とか国と州の関係が定義される。
・修正条項(Amendment IAmendment II) 修正条項は27条ある。
アメリカ合衆国憲法の修正は、元の規定を直接改正変更するのではなく、従来の規定を残したまま、修正内容を修正条項としてそれまでの憲法典の末尾に付け足していく方法をとる。

 アメリカの憲法ではこの(修正条項)が毎年のように沢山追加される。
そういうことを知った上で(日本みたいに何十年も憲法を変えない国はない)などと言って、憲法の元にある立憲の精神(憲法を制定する目的)までも十把一絡げに変えようとしているのが今の安保法制に関する国会議論のような気がする。

 マスターが言った。
((憲法学者はどうしても憲法9条2項(交戦権の否認など)の字面に拘泥するというところがある)、と与党の幹部が言いましたね)
(字面という、言葉を蔑視するような言い方はおかしいよね、憲法てのは言葉で表現するしかないものなのに)
(字面の裏側にはホンネみたいなものがあるのかしら)
(ああ、言葉では表せないやつね)
(ホンネとかタテマエとかいい始めたら国会での議論にはならんなあ)
(日本人は文字を持たない民族だったから書き言葉には相変わらず弱いのですかねぇ)
・・・・

 戦争を知らない子供たち、という歌が昔はやった。
ふうてんたち戦後生まれの子供たちに贈る歌だった。
その子供たちがもう70歳近くになっている。
70年間も日本人は戦争を知らずに平和に過ごしてきた。
このまま平和で過ごしたいのに武器弾薬を持って外国へ出かけたいという子供たちが現れた。
困ったことである。

 ふうてんの戦争の定義はシンプルである。
(戦争とは武器弾薬を持って外国へ出向くことである)
(国内でやる戦闘は内戦であって戦争ではない。内戦はどの国にもある宿命で他国は関与できないし、関与してはいけない、今のイスラム圏の闘いも内戦だから見守るしかない)
(内戦は身内の殺し合いで、動物の宿命。戦争とはあくまでも人間の国と国との争いのこと)
(その、国と国の争いごとに武器を使用しません、という日本国憲法は世界初だし普遍的意味を持つ)
(戦争をなくすには武器を使わない、武器を持たないというのが最終結論やもんなあ)
・・・・
(押しつけられたものかも知れない、誰が作ったのかも分からない)
(しかし名曲はバッハが作曲したのかショパンだったのか、作曲者なんてどうでもいいよね)
(要はその曲がいいかどうかでね)
(憲法なんてのも、そうとちゃうかなあ)
(この平和憲法は世界の誰も文句いえへんやろね、文句いうのは日本人くらいやろなあ)
・・・・

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2015/06/03

2015・6・3 コナラの枝切りで疲れてしまった篇

P5230309P5240305切った枝たち

 この季節、木々は葉を繁らせ、枝を伸ばす。
隠宅のコナラもぐんぐん伸びて、お隣さんたちの家の屋根に届くようになった。
数年前からずっと気がかりなことの一つだった。

 今年は、もう限度が来たなと、本格的に切ることを思いついた。
これまでにもチョコチョコと家にある高枝切りバサミと脚立を使って散髪はしてきた。
しかしもうその高さを超え、枝は太くなってどうにもならない。
さて、どうしようか?

 グーグルに聴くと(5メートルの高さまで届く高枝切りハサミ)というのが眼についた。
ハサミが(テコの原理)のようになっていて、紐で刃の反対側を引っ張ることで刃に強い力が加わるようになっている。
ネット通販で買って試してみた。
これは優れものだった。

 Photo

これがハサミの先端部分の仕組みである。

  これの下に2.5メールほどの棒が続き、伸ばすことで5メートルとなる。
そうしてロープを経由して5メートル先の枝が切れるという能書きであった。

 まず手始めにベランダから届くところの枝を切ってみた。
半径2~3センチの枝がスパッと切れた。
 
 カギ形の先端を狙った枝に引っかける。

そうしてロープを操作して力を入れて引っ張る。
刃が枝に食い込み(ムギュ~っ)という感触が伝わってくる。
この感触は、うまく切れる合図だった。
思いっきり引っ張ると、ドサッと枝が落ちてくる。

 味をしめて2週間ほど枝きりに耽った。
切り落とした枝を庭師が下で受け止める。
どの枝をどの角度から狙うかについて庭師が注文を出す。
やがて背が届かなくなって脚立をもち出した。

 スパスパと切れ味がいいものだから、つい調子に乗って次々と切っていった。
紐を引っ張るのもノコギリをひくのも普段使わない腕や肩の筋肉を使う。
脚立に立って5メートルの棒を支えるには足腰の筋肉を使う。
10分、いや5分もすると一休み。
そんな作業の日々が断続的に2週間ほど続いた。

 最後は家にある1.2メートルの脚立では届かないのをご近所にお借りした3メートルの脚立で何とか狙った枝を切り終わった。
3メートルの脚立に乗っかって5メートルの棒を操る・・・。
あまり人さまにお見せできる姿ではなかった。

 それでも心配事が一つ片づいてホッとしている。

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