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2015年5月に作成された記事

2015/05/25

2015・5・24 ラガーマンを偲ぶ会をやった篇

P5060352ロシナンテとふうてん老人
(草木を写していた庭師兼カメラマン助手が撮った)

 5月場所の楽日前に谷保で集まった。
ブンシュンのトヨダさん、ベースボール・マガジンの村ちゃん、それと志ん宇(しんう)のご亭主とおかみさん。

 ラガーマンの最後のボトル・キープが残っています、これで献杯しましょう、と志ん宇の亭主どのが言った。
トヨダさん、村ちゃん、ふうてん、ご亭主、おかみさんの5人で献杯した。
献杯するときに言葉は出ない。
(献杯!!)
と皆で声を出して一杯の酒を飲み干した。

 ラガーマンは人に愛される人物だった。
彼を羨む人はいたかも知れないけれど、彼が嫌いだという人をふうてんは知らない。
(やっぱり神に愛される人は早くいっちゃうね)
などとみんな同じようなことを言った。

(今は野郎どもの平均寿命が80歳を過ぎていますよねぇ)
(やっぱり69歳というのは少し早いですよね)
(平均寿命が80歳、というのも不思議でね)
(そんなのより早くに死ぬ人が目白押しじゃない)
(山口瞳さんは78歳でしたよね)
(いえ、68歳でした)
(そうでした、今考えると随分若かった)
(同じころに、池波さんもね)
(ああ、池波正太郎も68歳くらいでしたねぇ)
(開高健は59歳だった、還暦前ですよ)
(もっとすごいのがいますよね、夏目漱石、あの人49歳で死んじゃった)

 ラガーマンの(偲ぶ会)のはずなのに、妙な話になっていったようだった。
(漱石って39歳くらいのころから小説書き始めたよね、猫とか坊っちゃんとか)
(それで・・・おしまいは明暗・・・その時49歳?)
(たった10年!?)
(それだけの時間であれだけの作品・・・??)

 ラガーマンの偲ぶ会は、人の時間と残した仕事の話になって行ったようだった。
そんな話が続くうちに、ふうてんはブンシュンのトヨダさんに聴いた。
(日本の源氏物語と夏目漱石と池波正太郎を知ってるか?と世界に聴きたいですね)
(そうですねぇ、そう聴いたらどう答えるでしょうね、世界の人たちは)
(僕は、今の日本はともかく、昔はいいもの残してるよ、文句あっか?とね)
・・・
ブンシュンのトヨダさんが言った。
(日本て、世界の中でも特殊な国なのかもしれませんねぇ)
(トヨダさん、どうして日本は特殊なのでしょうね)
(あなたはどう思います?)
(僕じゃないのですが、寺田寅彦がいい事を言ってましてね)
(寺田寅彦ですか、確か漱石門下生の一人だったような・・・)
(彼は、その国は位置で決まる、というんです)
(その国の位置?地理的な位置のこと?)
(そうなんです)
(確かに日本はユーラシア大陸に寄り添っているけれど海で離れている)
(東は太平洋あるばかり)
(ユーラシア大陸の西の果てにイギリスがありますよね)
(あそこも海でちょっと大陸から離れている)
(日本と似ているような・・・けれど周りは先進国のヤバイ奴らばかりで、違うような)
(日本の隣国は同じアジアの、後進国しかなかった・・・)
・・・

 この続きは7月の名古屋場所楽日前にしましょうか。
ラガーマンに代わって僕の方からお二人に連絡します。
と、トヨダさん村ちゃんと別れた。

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2015/05/18

2015・5・17 ハイビジョンは老人福祉なのだろうか篇

P51503582アンジェラ
 

先週つぼみだったのが一斉に開いた


 花の命は短い。
つぼみから咲くまでの1週間。
2週間もすると散ってしまう。
サクラもハナミズキもこのアンジェラも。
梅は長いと言われるけれど一ヶ月は持たない。

 中には一夜限りという奥ゆかしい花もあって(月下美人)というのもその一つ。
テレビでしか観たことはないけれどまことに美しいサボテン科の花である。
夜に咲いて朝にはしぼんでしまうとか。
昔、同じ名前の飲み屋さんが六本木にあって、ずいぶん通ったものだった。

 いのち短し 恋せよ おとめ

という唄がある。
美しくていいセリフだなあといつも思う。
ふうてんはこの曲を黒澤明監督の(生きる)で初めて聴いた。
大正時代に作られた歌謡曲で息の長い人気を保っていると聴く。
いのちは短い、ましてや花のようなおとめの時代は短い。
美しいから短いのだろうか、短いから美しいのだろうか。

 テレビ放送でハイビジョンが一般的になったのは2011年ころだった。
美しい花をテレビで観られるようになった。
2011年に地上波がデジタル化されると共に放送規格がハイビジョンになったのである。
一般の視聴者には何が違うのか分からない。
デジタルとかハイビジョンとかのカタカナ文字は日本で山のように出てくる。
Muさんはカタカナ文字が嫌いだったなあ、などと思い出す。

 ふうてんはパソコンを作る仕事をしていたので表示装置には長く付き合ってきた。
テレビ放送が日本で始まったのは1952年だからもう60年前のことになる。
モノクロの白黒画面で、プロ野球や大相撲を近くのテレビがある家で観た。
ふうてんの初めての(家庭用端末での映像)だった。
小学校の1、2年生ころだったろうか。
まさか、それに関わる仕事をやることになるとは・・・。

 ハイビジョンを初めて観たのはNHK技研だった。
この日記に以前書いたように思うけれど、1980年よりは少し前だった。
40インチほどの横長なブラウン管で映像ソースは1インチのVTRだった。
2.54センチ幅のテープが猛スピードでブン回っていたのにビックラこいた。
そして画面は恐ろしく鮮明だった。

 パソコンを担当するようになって、当時の代表的なテレビメーカだった松下やソニーと付き合った。
1980年代はカラーテレビのある意味(爛熟期)だったのかもしれない。
画面が段々と大型化し、カラー映像の色合いが美しいものになって行った。
日本でテレビのカラー放送が始まったのは1960年と言われる。
それから20年もすれば技術も成熟しきっていたのだろう。
NHKは次なるテレビ放送の姿を模索していたに違いない。

 1980年代に爛熟期を迎えたそれまでのカラーテレビには二つの問題があったと思う。
テレビが大型化するに伴う問題点である。
一つは解像度の問題。
一つは表示装置の重さの問題。

 当時のテレビ放送規格はアメリカとアジアではNTSCという規格だった。
National Television System Committee
(全テレビジョン放送方式標準化委員会)の略である。
ヨーロッパ方面ではPALという方式で少し解像度が高かったけれど似たようなものだった。
NTSC方式は(横縦比 4:3)であった。
それまでの写真や映画がこの横縦比だったから当然それに倣った。
解像度は大体(700×500)くらいが限界だった。

 テレビの映像を放送で送るにはどうするのだろう?
放送は電波で送るものだから短時間で大量のデータは送れない。
テレビの一画面を上から下まで線に分解して送る。
NTSCでは上下525本の線に分解して送るのである。
一本の線を引くことをスキャンという。
NTSCでは画面をスキャンするときに、奇数ライン、偶数ラインに分けて、まず奇数256本分を先に1画面分送り、次にその間の偶数256本という風に伝送する。
この奇数、偶数に分けてスキャンする方式を業界用語ではインターレース方式という。

 15インチとか20インチくらいまでの画面の大きさだったら、このスキャンの間隔は見えない。
ところが28インチ以上になると奇数をスキャンしている間に休んでいる偶数の部分の暗さが見えてしまうのである。
1画面を700×500くらいのインターレースで表現する限界がここに現れた。

 もう一つは重さの問題であった。
画面サイズが28インチとか30インチ以上になると、装置の重量が40キロとか50キロになる。
とても一人で持ち運ぶことができないシロモノになった。

 そこで、画面の大型化のためには(解像度)と(重さ)を解決する必要が生じた。
解像度の問題はNTSCに代わる新しい放送規格を決める必要があった。
それは今NHKが開発したハイビジョン方式が世界の標準になっている。
NTSCの(700×500)の4倍くらい(縦横とも2倍)の解像度である。
また横縦の比率が(4:3)から(16:9)になり横長画面となった。

 重さの問題を解決するにはブラウン管以外のデバイスを必要とした。
それが液晶ディスプレイだった。
一時期プラズマ・ディスプレイも市場に投入されたけれど今は消えてしまった。
今はパソコンの表示装置も全て液晶になり横長となりハイビジョンの解像度を満たすようになっている。

 テレビの技術解説のような記事になってしまった。
本当は(ハイビジョン・テレビの鮮明な映像は老人福祉なのだろうか?)がテーマだった。
居ながらにして全国の美しい風景や野山の草花を観ることができる。
吉野の桜見物だって実際に現地できれいに観られるとは限らない。
ハイビジョン・テレビだと確実に最盛期のサクラを楽しむことができる。
 
・・・・
ハイビジョンをどう扱おうかと悩んでいたころ、少なくとも老人福祉にはなりそうだなあ、などと仲間と話し合ったものだった。
当時こちらは40歳過ぎで、まだ自分を老人だと意識していなかったのだろうか。
40歳のころに既に(老眼鏡)を必要としていたくせに。
 
 
 そのうち、ふうてんがどういうハイビジョン映像をテレビで楽しんでいるかを書いてみたい。

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2015/05/11

2015・5・10 母の日はカーネーション篇

P5100352P5100388アンジェラが今年も咲いてくれた

 おふくろが生きていたときは毎年母の日にカーネーションの花を贈っていた。

今日、繁すしへ行くと紫色のカーネーションが活けてあった。
あまり見かけない色なので、その話になった。
濃い紫と薄い紫の2本であった。
女房どのは薄い紫がひどく気に入ったようだった。

 書簡集ではシャーロットの話になった。
イギリスの王室でプリンセスが誕生し、名前がつけられた。
シャーロット・エリザベス・ダイアナというから大変な名前だなと思っていた。
そうしたら大分の高崎山のお猿ちゃんにシャーロットという名前が付けられて一騒ぎ起こった。
書簡集マスターどのが言った。
(英国王室に失礼だ、なんていちゃもんつける人がいるんですねぇ)
(結局どうなりました?)
(シャーロットに決まりだそうです)

 日本は平和で良かったなあと改めて思わされた。
花の色がどうだとか、赤ちゃんザルの名前がどうだとかが話題になる。
そういう無駄話で過ごすことができる。
今朝のBS日テレで元アメリカ海兵隊員アレン・ネルソンの証言という番組があった。
ベトナム戦争での過酷な体験をもとに日本の憲法第九条について熱く語る番組だった。

 ベトナム戦争が終結してから20年ほど後の1996年日本を訪れる機会があった。
日本の友人(坊さん)に、日本の憲法を紹介された。
その坊さんには特別な意図はなかったらしい。
ところがアレン・ネルソンの方は第9条に強いショックを受けた。
その後彼は日本で(戦争と平和)に関する講演活動を行い、2006年にベトナム戦争で浴びた枯れ葉剤が原因とみられるガンで亡くなった(61歳)。

 彼は語っていた。
(ホテルで9条を読んだとき、立ち上がるほどのショックを受けました)
(キング牧師の有名な演説(私には夢がある)のような力強い衝撃を与えられました)
(第9条はいかなる核兵器、いかなる国のいかなる軍隊よりも強力なのです)
 
・・・・
(日本各地で多くの学校を訪れますが)
(子供たちの顔にとても素晴らしく美しくかけがえのないものが私には見えます)
(子供たちの表情から戦争を知らないことが分かるのです)
(それこそ第9条の持つ力です)
(日本のみなさんは憲法に9条のあることの幸せに気づくべきだと思います)
(ほとんどの国の子供たちが戦争を知っています)
(アメリカ、イギリス、イタリア、フランス、中国、韓国の子供たちは戦争を知っています)
(しかし、ここ日本では戦争を知りません)
(憲法第9条が戦争の悲惨さ、恐怖や苦しみからみなさんを救ってきたからです)
 
・・・・
(アメリカにも9条があって欲しい。世界中のすべての国に9条があって欲しい)

 同じことを思っていても、ベトナム戦争での悲惨な体験をした元海兵隊員の言うことには説得力があった。
誰かも言っていたけれど、憲法第9条は日本の宝のように思う。

 母の日にはカーネーションを贈りたいものである。
 

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2015/05/04

2015・5・3 憲法記念日につき篇

P5020315藤の若葉

 5月連休真っ盛りとなった。
新芽が新緑になり、そろそろ深い緑になりそうである。
コナラはもう新緑のときを終えつつある。
ベランダで鉢植えしている藤がちょうど若葉といったところ。
今年も白い花が咲いてくれるだろうか。

 今年は戦後70周年ということで例年より憲法議論が賑やかである。
賑やかな割には本格的な憲法議論は殆どないのが不思議な感じがする。
そもそも憲法とは何なのか、ふうてんなどにはよく分からない。
一般の法律の上位にある決まり事、くらいな理解しかないのである。

 念のために自民党の憲法改正草案というのを観てみた。
言葉をいかに使うか・・・なかなか面白い。
天皇と安全保障に関する(変更、新設)で興味を引いたところを書き出してみる。

(第1章 天皇)に関する変更ポイント。
・象徴→元首
・行為のみを行う→行為を行う

天皇に(象徴として国事に関する行為のみを行う)以外の含みを残したいのだろうか。
また現行法にはない新設があって、国家・国旗・元号について追加している。
国旗は(日章旗)で国歌は(君が代)で、日本国民はこれらを尊重しなければならない、と国民への縛りを入れている。

(第2章 安全保障)についての変更や新設。
(平和主義)
・現行憲法第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 

・自民党改憲案第九条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動としての戦争を放棄し
武力による威嚇及び武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては用いない

前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

 この第九条で、改憲案では(国際紛争に武力は用いないが自衛権の発動はあり得る)として、現行法にはない(国防軍)という条項を新設している。
(国防軍)
我が国の平和と独立並びに
国及び国民の安全を確保するため、
内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
・・・以下長々と国防軍に関する規定が続く。

 天皇、安全保障、国民の権利及び義務という第1章から第3章までを概観してみた。
現行憲法は(天皇)と(安全保障)に関して極めてシンプルに規定している。
・天皇は象徴であって国事のみ行い政治には参加しない
・国際紛争に武力を行使しない、その為の武力は持たない、交戦権は放棄する。
これに対して自民党の改憲案は複雑な表現となっている。

 現行法との大きな違いとして、ふうてんは次のように感じた。
1.現行法は国民主体の平和国家を目指すという理念が前面に出ている。
2.自民党の改憲案では国民を守るために軍隊を持って戦争も辞さないと言いながらその国民を統制するための様々な新しい規則を定めている。

 
 様々な(説教)のような文言が目立つ。
例えば、
(自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、)
とか、
(日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。)
とか。
こんなセリフを憲法に書く必要があるのだろうか?

  憲法とは何なのだろう。
国家はどうあるべきか、その為の制度はどうあるべきか、を国民の総意で決めるものなのではなかろうか、とふうてんは思っている。

 憲法の内容をどういうものにして、どういう手続きでそれを憲法と決めるのか・・・気の遠くなるくらい時間がかかりそうな話ではある。
今回改めて憲法第九条を読み直して、美しいなと思った。
これほどシンプルに不戦を謳った憲法は世界にないだろうと思った。
世界中の国がこんな憲法を持てば・・・その時やっと戦争がなくなるのに。

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