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2015年3月に作成された記事

2015/03/29

2015・3・29 朝ドラのマッサンが終わった篇

Sakuraさくら通りの桜

 国立の桜も咲き始めた。
毎年のこの楽しみを日本に持ち込んだ人はどこのどなた様なのだろう。
まことに有り難いことではある。

 
西行を筆頭として桜に狂った日本人は数多いと思う。

 ねかはくは 花のしたにて
 
  春しなん そのきさらきの もちつきのころ 

                   (山家集)


 NHKの朝ドラ(マッサン)の最終回があった。
エリーとの最後の別れのシーンだった。
思わずホロリとさせられた。
 

 このドラマは何しろ日本のウィスキーの創業者たちのお話。
今から120~130年前に生れた二人がそのウィスキーを作った。
そして二人が創立した二つの会社は今もウィスキーを作り続けている。
今では両社とも毎年のようにイギリスで開かれる(世界のウィスキー品評会)で優勝している。
こちらは毎日のようにそのウィスキーを飲んでいる。
(マッサン)を観ない訳にはいかなかった。
 

 サントリーとニッカの二人の創業者たち。

時代は明治末期から大正、昭和の戦争に揺れた動乱期。
サントリーの鳥井信治郎(とりい しんじろう)
ニッカウヰスキーの竹鶴政孝(たけつる まさたか)
あのような時代によく頑張ったなあと感心する。
あるいは、ああいう時代だから頑張れたのだろうか。

 番組は実話に基づいたドラマだからして虚実どちらなのか想像力をかき立ててくれた。
登場人物の名前からしてややこしかった。
鳥井信治郎→鴨居欣次郎(サントリー)
 政孝 →亀山政春(ニッカウィスキー)
しかも亀山政春を演じる役者が玉山鉄二。
毎日、サントリーのウィスキーを飲み、このドラマを観たふうてんの名前は(たまい まさはる)
(たま)とか()とか(まさ)とか(まさはる)とか、聴いたような音が入り乱れてややこしかった。
鳥、鴨、鶴、亀など動物の名前も入り交じっているので、なおさらややこしい。

 マッサン役の玉山鉄二という役者は初めて観た。
エリー役の女優さんも勿論初めてだった。
二人ともなかなか良かった。
エリー役を演じたシャーロット・ケイト・フォックスは今年ミュージカル(シカゴ)の主演に抜擢されたと聴く。
(シカゴ)は10年ほど前に映画化もされ、観たけれど最後の電飾の前で踊るシーンが素晴らしかった。
エリーの電飾の前での踊りを観てみたいと思う。

 サントリーの鳥井信治郎役をやった堤真一という役者も初めて観たけど良かった。
(やってみなはれ)という鳥井さんの雰囲気を良く出していたと思う。
余市に移ってからの、熊さん役の風間杜夫(かざまもりお)も久しぶりに観た。
この役者は(つかこうへい)の舞台で世に出た男で、映画(蒲田行進曲)の銀ちゃん役で大当たりをとった。
ふうてんの大好きな役者なのである。

 というようなことで(朝ドラ マッサン)は虚実を取り混ぜたいい出来だったと思う。
一杯の酒にもドラマがある。
そう考えると嬉しくなるのである。
大酒飲みの物書きだった吉田健一は書いている。
(ウィスキーはワインと比べると下等な酒である。しかしスコットランドへ来て飲むと妙に旨い。こちらでは川までウィスキー色をしている。)
 
・・・
スコットランドでは川までウィスキー色をしているのですって?
それはピート(泥炭)のせいでしょうかね、吉田先輩。
こういう話を聴くとスコットランドへ行って一杯飲みたくなりますねぇ、吉田先輩。

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2015/03/22

2015・3・22 結婚して44年になった篇

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カウ・ベル?

 3月21日の春分の日はふうてん夫婦の結婚記念日である。
これまでにも毎年のようにこの話をしてきたように思う。
321という覚え易さがこの日にした最大の理由だった。
それは間違っていなかったと44年たっても思う。
数字合わせだけではなく(春分の日)という愛でたい日でもある。

 掲記の写真は結婚披露宴の引き出物として使ったものである。
鈴というか呼び鈴というか、振るといい音がする。
東大寺で買った(風鈴)のような音色。
調べていないけれど、青銅なのかもしれない。
そういう色をしている。

 西洋ではカウ・ベルと呼ぶらしい。
あちらは牧畜が発達したから、牛やら馬やら羊やらを呼び集める時に(ベル 呼び鈴)が必要だったのだろう。
あるいは首にこの鈴を着けて迷い子にならないようにしたのだろうか。

 ベルの語源はどうだったっけ?と念のためにグーグルに聴いてみた。
(ベルの語源は、アレクサンダー・グラハム・ベルが電話における電力の伝送減衰を表わすのに最初に用いたことに由来する。)
ベル (bel, B) - ある基準値に対する比の常用対数の値を元にした単位。アレクサンダー・グラハム・ベルに由来する。通常はその10分の1デシベルが用いられる。)
 
・・・・
どうもグーグルは痒いところに手が届くようには教えてくれないようではある。

 どうしてこのカウ・ベルを引き出物に選んだのかは覚えていない。
松山の街を歩いていて形が綺麗だから、という風な動機だったのではなかろうか。
女房どのに聴いてみるしかないか・・・。
披露宴に参集していただいたみなさん、迷惑だったに違いない。
カウ・ベルで呼び集める牛やら馬やら羊やらを飼っているお方は・・・?
一人もいなかったのではなかろうか。

 そのカウ・ベルがこのところ我が家では役立っていることを報告しておこう。
今の家を建てて住み始めて20年ほどになる。
両親を引き取って(養老院)の積もりで作った家である。
同時に当時中学生になろうとしていたガキに一部屋必要だろうなという思いもあった。
木造だと2階までしか作ることができないと日本の法律では決まっている。
(屋根裏部屋)という手もあるのではなかろうか。
結果として(総二階)の木造家屋の屋根裏部屋がガキの棲家となった。

 一階から実質三階のこの部屋まで声は届かない。
それで女房どのはこのカウ・ベルを思い出した。
(ご飯が出来たよ)
とか、
(アマゾンから荷物が届いたよ)
てなときに、これをチリリリリンと鳴らす。
バタンとドアの音がしてガキが下へ降りてくる・・・という次第。

 我が家では(カウ・ベル)ならぬ(ガキ・ベル)となって重宝している。
ご参集の皆さん方の中にも一組くらいはこういうご夫妻もいると愉快なのだけれど・・・。
もう44年も前に参集していただいた方々は今どうされているのかしら。
この3年のうちにMuさんとラガーマン、二人の同い年の友人を失った。
44年前・・・遠い昔の話になってしまった。

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2015/03/16

2015・3・15 ブロンコ・ビリーを観た篇

Dirty_hurryやっぱりクリント・イーストウッドは

ダーティ・ハリーだよね



 この間NHKがブロンコ・ビリーを放映した。
クリント・イーストウッドの監督・主演作である。
前にも観た映画だけれど、今回は少し気分が違っていた。
今年の1月に死んじゃったラガーマンが大好きな映画なのである。

 ラガーマンはその名の通りスポーツマンだった。
高校時代はラグビー、大学時代はアメリカン・フットボール、国立へ来てからは草野球。
どうもゴルフとかテニスのような個人戦よりもサッカーとかラグビーの団体戦がお好きなようだった。
(One for all. All for one.)
そういう精神が好きなのだった、ような気がする。

 ラガーマンは180センチのデカイ男でもあった。
最後の10年くらいはスポーツをするよりも映画を観る時間が多くなったようだった。
DVDの映画を何百本も買い込んで観ていると言っていた。
ふうてんなどよりもカバー範囲が広くて、あの映画良かったよね、なんて知らない映画の話もしていた。
本当に好きな監督、一番好きな俳優、という話はあまりした記憶がない。
それでも大好きな映画の一つに(ブロンコ・ビリー)を挙げたことは覚えている。

 そのブロンコ・ビリーを見直して、いろいろと感じさせられた。
クリント・イーストウッドが例によって苦虫を噛みつぶしたような顔をして主役を演じるエンターテインメントである。
起承転結、まことに歯切れがよろしい。
この映画は1980年に公開された。
今からもう45年も前になる。

 この映画の10年くらい前の1971年に(ダーティ・ハリー)が公開された。
監督がドン・シーゲルで、ふうてんなどが大好きな映画の一つである。
イーストウッドが我々日本人の前に登場したのはTVドラマの(ローハイド)だった。
これは西部劇の一つで、イーストウッドはまことに軽い若いアンちゃんの牧童役だった。
それでも魅力的な役者だったので、マカロニ・ウェスタン(荒野の用心棒など)で知られるようになり、ドン・シーゲルと出会って(ダーティ・ハリー)に主演して世界的な大スターになった。

 若いアンちゃん役から始まった彼のキャリアーはやがて主演をやるようになり、監督をするようになった。
今は出演することは引退してプロデュース役だと聴く。
年は(アメリカン スナイパー)という作品が日本でも公開された。
ブッシュ大統領時代のイラク戦争の帰還兵の後遺症が今アメリカで問題になっている。
それを扱った映画らしい。
イーストウッドは、いわゆる(社会派 文芸路線)の作品を数多く手がけている。

 ふうてんが思うのは、クリント・イーストウッドは滅びゆくハリウッド映画の宝の一つではなかろうかということである。
ダーティ・ハリーまでは主演として。
ブロンコ・ビリーやマディソンの橋やグラン・トリノでは監督として。
ハリウッド映画の王道を歩んでいる。
その(ハリウッド映画の王道)とは何なのだろう?

 それは精神だけでもない、肉体だけでもない、となるだろうか。
両方を満足させて、木戸賃を払ってくれたお客さんに幸せな気分で帰ってもらう。
そういう精神が正統的なハリウッド映画にはあったように思う。
日本の映画でいうと(七人の侍)がそれに一番近いような気がする。
あの映画を見終わって、不満を感じつつ家路につく人はそんなにはいないと思う。

 そういうハリウッドや日本の映画の黄金時代はとっくの昔に終わったのかもしれない。
こんな時代に、まだクリント・イーストウッドはいい映画を作り続けている。
身長193センチの大男だけれど(ウドの大木)ではないようで・・・。

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2015/03/09

2015・3・8 東北大震災から4年たった篇

Old_112011320 計画停電につき篇
(
ふうてんアーカイブス)1

 

 3月が近づくと4年前の東北大震災に関連したものが流されるようになった。
TBSテレビの(サンデーモーニング)でも特集が企画された。
津波で流された宮城県女川町(おながわちょう)の復興ぶりと原発の廃炉の進み具合だった。
中でも女川町の進め方は希望を抱かせるものだった。
震災復興のトップランナーと言われているらしい。

 被災地にはいろんな地形があって条件や大きさが異なるようだった。
だから水産業が中心で比較的コンパクトな女川町のようにはいかない処も沢山あるとか。
この町の計画には二つの大きな特徴があった。
一つは30代、40代の若手を中心に復興計画を作ったこと。
一つは16メートルの防潮堤を造らないこと。

 海の見える街の良さを残して、基幹産業である水産といろんな商業施設や住宅の計画を造った。
震災後一ヶ月で復興連絡会のようなものを民間のいろんな業種の人たちが集まって始めた。
約9カ月間、議論を重ねて基本計画を作ったという。
面白かったのは会長さん(当時61歳)が最初にこう宣言したとか。
(この連絡会には還暦以上は入れない)

 将来の町がどうあるべきかを見据えてしがらみの少ない若い人たちが計画した。
防潮堤をやめたのもその影響が大きい。
海の見える環境で、防災よりも減災を考えようという方針で工夫している。

 最後に原発の廃炉の進み具合がいろいろとレポートされた。
こちらは大問題のようだった。
何しろ放射線の濃度が高くて近寄れないから現状の把握が出来ない。
だからいろいろと想定して計画を立てる。
ところが想定外の問題が次々と起こる。
汚染水処理の問題や廃棄物の中間処理施設の問題などなど、まだ五里霧中という感じだった。

 我々東京都民は東京電力の電気を使っている。
だから震災直後の2カ月間ほど(計画停電)を行った。
東京都民として電力問題についてどう考えればいいのだろう?
ただ番組を見ていて、改めて原発はやめて欲しいと思った。
事故が起こるとあまりにも被害が大きすぎる。
多少の停電や料金値上げは我慢できるけれど・・・。

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2015/03/02

2015・3・1 梅まつりは雨だった篇

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雨に包まれた

P3010454_2P3010461紅白の梅は

 
こんなに咲いているのに



 楽しみにしていた谷保天神の梅まつり。

一番楽しみなのは(天神太鼓)。
それを何年も聴き逃している。
今年こそはと谷保天神のホームページで時間表を確かめる。
3月1日の日曜日、午前11時から(琴の演奏)。
11時30分から(紅わらべの舞)。
そしていよいよ12時から(天神太鼓)。

 前日の土曜日の夜から雨模様だった。
演奏会場の梅園に屋根はない。
いや~な予感がする。
演奏をする人たちはどういう気持ちで備えるのだろう?
小雨だけれどこの雨だと舞台は濡れる。

 夜のうちに一旦雨はやんだ。
朝になって、向かいの家の屋根が乾いている。
大丈夫だろうか?
ともかく時間が来たら行ってみよう。
そう決めてテレビの朝の番組を観る。
日曜日の朝は8時からの(サンデーモーニング)である。

 ラグビーの日本選手権でヤマハ発動機が優勝した。
清宮監督と五郎丸が登場した。
この二人は早稲田大学当たりからの付き合いらしい。
二人ともいい顔をしているなあと思った。
昔の同志社の大八木と平尾のコンビを思い出す。

 ラグビーとなると、どうしてもラガーマンを思い出す。
彼も同志社だった。
平尾の話はずいぶんとラガーマンから聴いた。
平尾のプレー振りは、こちらはラグビーには素人だけれど、見ていいなと思った。
五郎丸といい平尾といい、サッカー選手よりいい顔していると言ったら本田や遠藤に叱られる。
何がどう違うかは言うだけヤボだからやめておこう。

 ヤボ天神の梅まつりの話だった。
朝の10時45分に訪ねた。
人は殆どいなかった。
ああこれは中止だなと思った。
念のために社務所へ寄って確かめた。
(全部中止です、この雨じゃぁね)
(何時ころに決めました?)
(8時です、舞台の準備もありますのでね、去年と二年続きですよ、雨でね)
(そうでした、去年も雨でしたねぇ)
 
・・・

 一年に一度の催物が雨で流される。
一年間練習をしてきた演者たちに思いを馳せる。
やがて雨が強くなってきた。
気温も下がってきた。
書簡集まで足を伸ばしてマティーニとウィスキーで暖まろうと思った。
日曜日だからしてお昼頃からやっているのではなかろうか?

 この日に限ってシャッターが閉まったままだった。
しようがないので近くの(さえき食品館)を冷やかすとNHKの朝ドラで有名になり売り切れが続いている(竹鶴)が珍しくあった。
このウィスキーの能書きは(ピュア・モルト)である。
意味は分からないけれどサントリー・オールドよりは、ちょっとだけいい酒だと思う。
値段もちょっとだけ高い。

 雨が降ったけれど梅は確かに綺麗に咲いていた。
せめてもの記念にと撮ったのが掲記の写真という次第。

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