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2015年2月に作成された記事

2015/02/23

2015・2・22 戦後70年につき篇

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これは何だろう?

 
 

 写真はサラダであるらしい。

バレンタイン・デーの誕生日にクンへの花束贈呈の積もりで料理人が作った。
贈られた本人の感想は(うん、悪くない。おいしいからまた作ってね。)であったと聴く。
隠宅の料理人は花がよほど好きなようで数年前には(コサージュ)に凝っていた。
コサージュとは女性が衣服につける(花飾り)で、この日記でも紹介した。
この写真の(グリーン・サラダ)もコサージュの一種のように見えてくる。

 繁すしへ出向く前にテレビでラグビー中継を観ていた。
今日は日本選手権の準決勝の日。
ヤマハ発動機-東芝、サントリー-パナソニックの2試合。
どうしても数年前に府中でラガーマンと観戦した(東芝-サントリー)の試合を思い出す。
あの時のサントリーの監督は清宮監督だった。
彼は今、ヤマハ発動機の監督をやっている。
ラガーマンと話したいことが一杯あるのに・・・。

 繁すしへチャリで向かうとき湿っぽい空気だった。
今日は春一番が吹いた地方もあったと聴く。
こちらの事情と関係なく季節は巡る。
井上陽水の(心もよう)を思い出した。
繁すしは満席となった。
寒さから解放された人たちが冷たい寿司を食べたくなったのだろうか。

 帰りに(さえき食品館)で(三沢ポーク)などの買い物をして書簡集へ寄る。
書簡集では、いつものように常連たちがはいってきたり帰っていったりする。
(マスター、今日はまだ早いですけど、いつもの掛けていいですか?)
と、いつものCDをセットしてBGMの用意をした。
以下はマスターとの会話である。
どちらがどれをしゃべったのかは定かでない。

(どうもややこしい時代になったねぇ)
(どうして人は殺し合うのかしら)
(今年、日本は戦後70周年の節目の時だとか言ってますねぇ)
(この70年、日本にとってはどういう時代だったのだろう)
 
・・・
(ともかく日本は戦争に巻き込まれることだけはなかった)
(1945年に無条件降伏して、もう戦争やりませんという憲法ができたものねぇ)
(それまで戦争やり過ぎたからでしょう)
(確かにねぇ、日本みたいな小さな極東の島国が世界を相手にしてねぇ)
(資源もない、食料もない、近代工業の技術もない、そんな国が勝てるはずがない)
(でも、やっちゃったのよね)
 
・・・
(結果は予想通り負けちゃった)
(日本の主要都市は全部空爆で焼け野が原、おまけに原爆を2発も喰らってね)
(アメリカって戦争強い国やわ)
(零戦で真珠湾攻撃したけど、その後のアメリカの飛行機ねぇ)
(資源が有り、食料が有り、近代工業の技術が有り、のアメリカとねぇ)
(ジャイアンツという映画でジェームス・ディーンが石油王を演じてた)
(当時アメリカは世界一の産油国だったよね、テキサスだったっけ)
(そんな国と戦争しても勝てやしませんよね)
 
・・・
(今も世界中で戦争しとるなあ)
(武器弾薬に事欠かないのでしょうねぇ)
(イスラム方面やウクライナ方面でやっている戦争の武器弾薬どこから来とるんやろ)
(マスター、秀吉の刀狩りて覚えてる?)
(日本史で学びましたねぇ)
(21世紀における(刀狩り)とは何か?なんて本書いたら売れるかしら)
 
・・・
(今の日本の政権、どうも戦争したがっているように見えるんやけど)
(憲法変えて自衛隊どこへでもいつでも出動できて、武器弾薬作って輸出して儲けて・・・)
(そいでもって世界に貢献する(積極的平和主義)の国になる)
(軍隊と武器弾薬で積極的に出来ること、それ何やろね)
(戦争ですよ)
(ということは今の日本の政権、戦争したがってるの?)
(日本の国民はどうなのかしら、草食系男子ばかりでしょう?)
(男の子に聴いたら99%戦争嫌だと答えるでしょうね)
(じゃあ今流行りの(輝ける女性たち)が鉄砲担いで戦争行くのかしらねぇ)
 
・・・
 

 話は尽きなかった。

 
戦後70年。
 
戦争を知らない世代が(戦争もしないで一人前と言えるか)と息巻いている。
 
ふうてんなどは一人前と言われなくてもいいから平和に過ごしたいと思う方である。
 
(Show the Flag 戦旗を見せろ)
 
と言われて焦った首相もいたらしい。
 
flagとは旗の意味だから別に戦旗と解釈しなくてもいいのではないかしら。
 
戦旗の中で、と言われるなら(白旗)というのもある。
 
1945年に白旗掲げて無条件降伏して、おかげで世界中から嫌われずに70年間も過ごして一応衣食住に困らなくなった。

 戦後70年。
 
日本の為政者に望みたいのは一つだけ。
 
どうぞ、旗の色や模様を変えないでいただきたい。
 
白旗のままでよろしいんちゃいます?

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2015/02/15

2015・2・15 バレンタインデーのこと篇

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さくら通りの歩道は狭い

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車道を一車線減らして



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こうなった



  バレンタインデーになるといろんなことを考えさせられる。
 
一つは何故バレンタインデーにはチョコレートなのだろう
 一つは我が家のクンの誕生日だったなあ
一つはマイ・ファニー・バレンタインという曲もあったなあ

 バレンタインデーに贈り物をし合うというのは西洋でもあるらしい。
 
その西洋発のバレンタインデーとは一体何なのだろう。
 
それでグーグルに聴いたけれど、サッパリ分からない。
 
(元々は213,14,15日にローマの豊穣と健康を祈って行われていたルペルカリア祭の日である。)
 
とウィキペディアの解説は始まる。
 
ところが数行後に、
 
(これは後世のキリスト教徒が作った伝説である。)
 
などと出てくる。
 
つまり、バレンタインデーの起源は未だに謎のようであった。

 何故この日、チョコレートを贈るのか?についてはかなり確かな説明があった。
 
(戦前に来日した外国人の一部で行われ、第二次世界大戦後まもなく、流通業界製菓業界によって販売促進のために女性男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与するという「日本型バレンタインデー」の様式の普及が試みられたが、様式が日本社会に定着したのは、1970年代後半であった。)
 
ということで、バレンタインデー=チョコレートという図式は日本独自のものらしい。

 我が家のクンがバレンタインデーに誕生したいきさつは何度かこの日記に書いたような気がする。
 
昨日の誕生日にこんな会話をクンと交わした。
 
(クンちゃん、誕生日おめでとう、いくつになるんだっけ?)
 
(32歳)
 
(そうか、その歳の頃からお父さんは仕事始めたんだ)
 
(というと?)
 
(会社へ就職して10年ほどは仕事してなくてね、何をやったらいいのか分からなかった)
 
(そのころ分かったの?)
 
(そうなのよ、それまでは無駄なことばかりしていると思っていたけど、一つ決まるとそう無駄ばかりじゃなかったかも、なんてね)
 
(僕が生れたのはその後だったの?)
 
(そうなるねぇ、確か37歳のときだった)

 もう一つの(マイ・ファニー・バレンタイン)。
 
これはミュージカルの巨匠リチャード・ロジャース作曲の、みなさんご存じの曲。
 
My funny Valentine
 Sweet comic Valentine
 You make me smile with my heart

 
Your looks are laughable
 Unphotographable
 Yet you’re my fav’rite work of art

 
 メロディも歌詞もよろしいなあ。
 
大昔、京都でバイブル・クラスという英会話教室みたいなのに参加したことがあった。
 
話のネタに小学生だったか中学生だったかのころの(団体写真)を持って行った。
 
クラスだったか学年だったかの全員が写っている写真である。
 
その最上段の真ん中にふうてんはいた。
 
(He is funny)
 
とバイブル・クラスの女先生が言った。
 
その彼(He)は一人だけ笑っているのだった。

 今あらためてこの曲の歌詞を見直すとまいりますねぇ。
 
(あなたの顔を見ると笑いだしちゃうの)
 
(とても写真には撮れない顔よね)
 
(でも、私にとっては最高の笑顔かもしれない)
 

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2015/02/09

2015・2・8 ニュー・シネマ・パラダイスを観た篇

Cinema_paradiso

映画タイトル


 立春を過ぎたと聴くと、気のせいか春めいてきたように感じる。
繁すしへチャリで向かうとき、通りの先の方が霞んで見えた。
久しぶりに(もや)に包まれていた。
(嫁さん、もやってるなあ)
(そう言えば・・珍しいわねぇ)
(多摩川のせいで、もやが多い土地だなあ国立は、と思っていた)
(そう言えば・・ここ数年見なかったような気が・・・)
(そうなのよ、4、5年前まではしょっちゅう(もやって)いたのになあ)
 
・・・・

 自然現象の不思議はこちらの愚かな想像力を超えているものらしい。
この日は夕方まで降り続いた雨が止み、急に快晴となって冷え込んだせいだろう。
そう結論づけて納得し合い、繁すしへ急いだ。
 

 1月の末ころNHKが粋な放映をした。

(ニュー・シネマ・パラダイス)という映画とそれの監督のドキュメンタリを続けてやった。
この映画は1989年度のアカデミー賞(外国語映画賞)をとった。
日本では1990年に封切りされたはずで、渋谷かどこかで観たような記憶がある。
この頃ふうてんはパソコン作りに熱中していた。
そのせいかいろんな記憶が割と鮮明に残っているのである。

 粋な連続放映はまず1月28日に監督(ジュゼッペ・トルナトーレ)のドキュメンタリをやった。
58歳になった彼が故郷であり映画の舞台となったイタリアのシチリア島を自身が案内する。
このドキュメンタリは2010年ころに作られたらしく、映画から20年後という設定。
彼が30歳代後半にこの映画を作ったことが分かる。
故郷のすぐ近くの小さな街をロケ地に選んだ。
その街を歩きながら映画制作の秘密をいろいろと披露するという番組。

 この映画は監督自身の少年期の経験がベースになっている。
シチリア島の小さな街に映画館が出来た。
その映画館の門の上に掲記の(ニュー・シネマ パラダイス)というイルミネーションがあった。
その映画館でアルフレードという映写技師がいて少年トトが父親のように慕う。
その少年だったトトが今は有名な映画俳優になり、ある日ローマでアルフレードの訃報を聴く。
それで葬儀に故郷シチリア島の小さな街へ帰る。

 そういう設定だから映画はトトの(少年期)(青年期)(アルフレードの葬儀)という3部構成となっている。
ふうてんなどは、映写技師に扮したフランスの俳優(フィリップ・ノワレ)のファンなので、それだけでも堪えられない。
とぼけたような渋い演技をする役者だった。

 伊予松山の映画館に通っていた少年時代が重なってくる。
松山は小さな街ではないけれど、四国というのはまあシチリア島のようなものである。
首都から海で隔てられた愛媛・松山などは、あくまでも(ど田舎)なのである。
夏目漱石が(坊っちゃん)で面白おかしくからかっている。
江戸っ子にはそう見えたようで、実際その通りの土地柄であった。

 この映画はトトの少年期の映画館でのみんなの映画への熱狂ぶりから始まり、アルフレードの葬儀で終わる。
葬儀を終えた後、有名スターになっているトトが昔の映画館跡を訪ねる。
焼け落ちた映画館の跡は廃墟のようになっている。
その(ニュー・シネマ・パラダイス館)の解体風景を見たあとトトはローマへ帰る。
アルフレードが(これをトトに渡してくれ)と言い残したフィルムをオフィスの試写室で掛ける。
映像は少年期のトトと映写技師アルフレードがカットした細切れのラブシーンの連続だった。
イタリアはカソリック故、ラブシーンはご禁制で上映前に神父さん立ち会いの上、危ないシーンをカットしていたのだった。

 この映画の全編に(エンニオ・モリコーネ)の音楽がかぶさる。
この音楽のおかげで日本でも映画は大ヒットしたと言っても過言ではない。
モリコーネは日本では(マカロニ・ウェスタン)例えば(荒野の用心棒)などで知られるようになった。
テーマとなるメロディ・ラインがくっきりとして美しく、記憶に残る。
そして極めて叙情的なのですねぇ。
  
(ニュー・シネマ・パラダイス)
変な言い方になるけれど(映画ファン必見の傑作)となりましょうか。

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2015/02/02

2015・2・1 明石の人丸どのから牡蠣が届いた篇

P2010446_2焼くのは無理で蒸すことにした

 二月ともなると何だか光の具合が春のように明るい。
富士山頂に沈むはずの夕日が何となく富士山の山頂よりも北の方に移動している。
 
あれっ?春になるのだから太陽は南の方へ移動するのじゃなかったっけ?
・・・
違いましたねぇ。
日本は北半球にあるから、太陽が北へ行くほど明るくなり暖かくなるのでありました。
太陽の運行とこちらの直感は必ずしも一致していないようですなあ。

 先週、明石の人丸どのから電話があった。
(今、相生の近くの室津港というところにいます)
(何してはんの?)
(相生(あいおい)てご存じでしょう、神戸と姫路の間の)
(少し思い出します)
(相生の近くに室津というところがあって牡蠣の名産地なんです)
(カキですか?よろしいねぇ、今は一番旨い季節やねぇ)
(一箱贈ります、明日着くと思うのでよろしく)
・・・

 翌日宅急便で届けられた。
箱を開けて見ると、予想通り(殻つき)だった。
殻のついたままのカキが届けられたとき、諸氏はどのように殻をはずされるのでしょう。
殻つき、ということは、まだカキがとれたばかりということ。
早く殻をはずして食べてあげないとカキに申し訳ない。

 送られてきた箱の中に(殻のはずし方)というマニュアルがあることを期待していた。
チラシのようなものがはいっていた。
どれどれ、と期待してよくよく見てみた。
(焼き牡蠣の作り方)
しか載ってなかった。
炭火で網でカキを焼く写真があるのみだった。
ふうてんの期待していた(生牡蠣)としての食し方の案内はなかった。

 こうなると我が家の料理人の出番である。
(嫁さん、明石の人丸さんから殻つきのカキが届いね)
(殻つきですか、ダンナさんに任せたいなあ)
(上下から電熱でやるトースターはどうかしら、ホタテみたいに)
(ダンナさん知らないと思うけどあれ後始末が大変なのよ、焦げついちゃって)
(そうか、ホタテはうまく開いて醤油を一滴落として食べると旨かったけどなあ)
(食べる人はね、飛び散ったのが焦げついて、結局今の新しいのに買い換えたのよ)
 
・・・・

(じゃ~ぁ、しゃあないからガスコンロの火で、餅焼き用の網でやってみますか)
(やめてよ、コンロで網で焼くと汁が落ちて回りが大変なのよ)
と、これまたNGだった。
(焼き牡蠣)を作る手段は我が家にはないようだった。
庭で七輪に炭で火をおこして網でカキを炙れば簡単な話なのに・・・。
七輪がない、炭がない・・・。

(火力)に関してはガスか電気しかなくなってしまった。
木材や炭を火力として利用する生活スタイルは遠い昔のものになってしまった。
ガスや電気が途絶えたとき・・・どうするのだろうか??

 人丸どのから送られてきた牡蠣は播磨灘産の(一年珠がき)だった。
(
珠がき)(たまがき)と読むらしい。
(たま)とは玉で、ようはまん丸という意味なのだろうか。
確かにこのカキは小振りだけれど丸々としてプルンと膨らんでいる。

 焼き牡蠣を諦めて(蒸し牡蠣)にすることにした。
直接火で炙る方法がない以上、蒸すしかないではないか。
蒸すと言ったって、我が家には電子レンジも蒸し器もない。
・・・・
いやなに、要は蒸気で蒸せばいいだけのお話。
ナベに水を入れてグラグラと煮立たてさせれば蒸気は出るではないか。
それで掲記の写真の如く、大きな平鍋に大きな皿を入れてカキどのたちを載っける。
蓋をして温めること56分。
カタカタと蓋が踊り蒸気が吹き出る。
音はすごいけれど、爆発する気配もないし、うんこれなら大丈夫そうだ。

 実は我が家ではこの蒸し方でサザエもカニもやるのである。
昔、繁さんに(サザエを一箱もらって塩茹でしたのだけど最後はしょっぱくてね)と聴いた。
繁さんのお応えは(海のものは塩茹でしちゃあいけません。蒸すんです。鍋に水を張ってね)。
と教えられたのであった。

 それを聴いてふうてんは開高健の(ちんじょん)を思い出した。
清蒸(チンジョン)である。
文字通り清く蒸す。
開高健が(魚で一番旨いのはハタの清蒸(チンジョン)である。アオハタよりはアカハタがよろしい)
などと書いていて、それが気になって、サンフランシスコだったかの中華街で(スチームしたフィッシュありますか?)と聴いて廻ったことがある。
何軒も廻り、最後に(ありまっせ)という店にたどり着いた。
出てきたのはまさに開高健言うところの(ハタのチンジョン)だった。
三人だったのだけれど、アッという間に大きなハタを平らげてしまった。
旨かった。

 というようないきさつで、人丸どのから贈られた(播磨灘の一年珠かき)を清蒸で戴いた。
家人たちも喜んでくれたようだった。
ふうてんがいつも作る(三陸ガキのオリーブ・オイル・ソテー)とはまた違う旨さだった。
東北の海でとれるカキの苦みとは違って瀬戸内海のカキはやはり優しい味だった。
ふうてんは、両方とも気に入っている。

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