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2014/12/15

2014・12・14 谷保天満宮で恒例の旧車祭があった篇

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レーシング・ブガッティ



Photo_3106周年だとか







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Pc070447天満宮と自動車の不思議な組み合わせ






Photo_2日本一キレイでかわいい御朱印帳!東京「谷保天満宮」

Pc070461Pc070462梅園では発動機愛好会の展示

 

 

 先週の12月7日に谷保天満宮で旧車祭があった。
ACJ(オートモビル・クラブ・ジャパン)の主催で毎年この頃行われる。
この日記でも何度か報告してきたけれど、今年も寒い中冷やかしに行った。
この(谷保天満宮旧車祭)の発祥についてACJは以下のように説明している。

(有栖川宮様の御先導によりわが国初の遠乗会が国立の鎮守谷保天満宮を目的地として催されました。
谷保天満宮は、わが国自動車文化発祥の聖地であり、交通安全祈願も、この日 明治四十一年八月一日に始まりました。
日本最古の自動車倶楽部、オートモビル・クラブ・ジャパンが設立されたのも明治四十一年八月一日になります。)

 どうも有栖川という宮様は車がお好きだったようで、明治40年に日本初のガソリン車が製造されたことをきっかけに、明治41年から日比谷公園から谷保天満宮まで車を連ねて遠乗りをされたらしい。
それを(ラリー)と称していたとも聴く。
ラリーというのは今でも行われている自動車競技の一種で、ふうてんなども学生時代に参加して、本州の広島から東京まではいろいろと走り廻ったものだった。

 ラリーの語源についてウィキペディアは以下のように教えてくれる。
(ラリー (: Rally) とは、指定されたコースを一定の条件のもとで長時間走る、自動車競技の一種
(ラリーを直訳すると「再び集まる」という意味であり、各地を出発してから一箇所に集うのがイベントの原型である)

 明治41年ころは、国産車はほとんどなくて(国産第一号が掲記の写真らしい)、外国から取り寄せた車に打ち跨がって日比谷から谷保まで甲州街道を走ったのだろうか。
途中にガソリンスタンドなんてなかったろうに・・・ガス欠やエンコも続出しただろうなあ・・・。
その催し物が106年も続いた・・・よほど(ラリー)は楽しいものなのだろうか??

 今年の祭りで一番嬉しかったのはレーシング・ブガッティの一台が出展していたことだった。
1920年代の製造と思われるこのタイプのブガッティが車の中では一番カッコいい。
去年亡くなったカーグラフィックの小林彰太郎さんの記事でブガッティの魅力を知った。
ロシナンテと付き合い始めたころで、それまでスポーツカーというのはバカにしていた。
1960年代の、まだ日本で車が普及していない時代にスポーツカーに乗るのは金持ちの坊っちゃんで浮ついた野郎どもだと、バカにしていたのであった。

 しかし小林彰太郎さんのブガッティの話を聴くに連れ、待てよと思いなおした。
自動車の歴史のことを考えるようになった。
自動車はものを運んだり、人間が移動する為の道具として発明され進化をした。
その中で、(速く走る)ということを追求した車種が後にスポーツカーと呼ばれるようになった。
それの究極の形が当時は(レーシング・ブガッティ)であったと教えられた。
(機能を究極まで追求すると、その形は美しくなる)
それを実証したのもこのブガッティだとふうてんは納得した。

 小林彰太郎さんの話を聴いた後40年ほど経つけど、ブガッティは気になる存在となった。
最初はカーグラフィックのバックナンバーの(ブガッティ特集)を神保町で漁った。
次は青山や銀座の洋書店でブガッティの写真入りの本を漁った。
初めてブガッティの走る姿を観たのは外国の映画だった。
文楽の竹本住大夫さんやフラメンコのパコ・デ・ルシアを追っかけるのと同じようにブガッティを追っかけていた。
 

 そのブガッティの本物が目の前にある。
そりゃあファンとしては興奮しまっせ。
それで前から後ろから、左から右から、写真を10枚ほど撮った。
いつかこれのオーナーに乗せてもらいたいものだと思った。

 谷保天満宮の社務所を冷やかすと今(御朱印帳)が大人気だと宣伝していた。
神社仏閣を訪ねて(朱印)を押して貰う手帳である。
こういうものが最近の(女子)に流行っていると社務所の人に教えてもらった。

 梅園では、これも恒例の(発動機愛好会)の展示が行われていた。
発動機というのは農業でも使われていたエンジン付きの動力機械で、農村で育ったふうてんなどは、まことに懐かしい存在なのである。
その姿形と、エンジンの低い、スローテンポの音。燃料の灯油の焦げる匂い。
もう50年以上も前のこういうレトロな機械を愛好する会もあるのですなあ。
山梨とかいろんな方面から集まっていた。

 谷保天満宮はウィキペディアに聴くと、
903年(延喜3年)2月に菅原道真が薨去したとき、子息の道武は自ら像を刻み、廟を建てて祀ったのが谷保天満宮の創建だとされる)とある。
今の国立市民は(谷保天 やぼてん)とか(谷保天神)とかと呼んで(谷保天満宮)とは呼ばない。
拝観料もいらず、門もなく、一年中、24時間、出入り自由である。
ここで春夏秋冬いろんな催物が行われる。
会社員生活が終わったこの10年ほど、不精なふうてんもちょくちょくとお邪魔するようになった。

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