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2014/12/01

2014・11・30 サントリーとニッカのこと篇

3_2サントリー山崎蒸溜所

JR東海道本線がすぐ傍を走る(京都-大阪の間)


 
 
 

 

2013山崎シングルモルト・シェリーカスク2013
英ウイスキーガイドブック「ワールド・ウイスキー・バイブル2015で歴代の最高点
「重厚でドライ、まろやか」と評価し、100点中97.5点を与えた

 もう今年もあと一ヶ月を残すだけになった。
一歳の子供の一年と比べると七十歳の老人の一年は70分の1の時間で過ぎるらしい。
なるほど一年が短いはずだと納得する。
10歳のころと比べても7倍の速度だから、恐ろしく速い。
逆に言うと10歳のころの一年、一ヶ月はずいぶん長かったとも言える。
12歳の中学一年のとき、夏休みに身長が3センチほど伸びた記憶がある。
12歳にとっては一ヶ月はそれだけ伸びるに十分な時間だったということになる。

 このところNHKの朝のドラマでニッカ・ウィスキーの創業者のことをやっている。
(マッサン)という題名だったと思う。
普段はNHKの(朝ドラ)と(大河ドラマ)は一切観ない方である。
毎日、毎週、(学芸会)のようなドラマを観るのは耐えがたい。
半年とか一年の長丁場で毎回面白いドラマを作れと言っても無理な話。
NHKのドラマだって10回くらいで完結するものには結構見応えがあるのもある。
何年か前にやった(蝉しぐれ)なんかは最高だった。

 しかし、この(マッサン)というのは気になるので土曜日にBSプレミアムでまとめてやる再放送を録画して一週間分をチェックすることにしている。
何故気になるかというと理由は二つある。
一つは日本の国産ウィスキーの第一号を作った男の物語であること。
一つは(まさはる、まさはる)という声が聴こえてくること。

 ふうてんの名前は(正治)と書いて(まさはる)と読む。
(マッサン)は(政春)と書いて(まさはる)と読む。

ついでに言うと、福山雅治は(雅治)と書いて(まさはる)と読む。
これも気になってNHKの大河ドラマ(龍馬伝)は結構観た。
何気なくテレビを観ていて(まさはる)と呼ばれるとハッとしてしまう。
相手が親であれ女の人であれ先生であれ上司であれ(まさはる、まさはるさん)と呼ばれるとドキッとする。
何となく冗談事では済まないような緊張感を覚える。
親なんかも普段は(まさちゃん)と呼んでいたのに(まさはる)と呼ばれたときにはロクな話ではなかった。
まこと(名前の音声での呼びかけ)は恐ろしい。

 ニッカの創業者は(竹鶴 政孝 たけつる まさたか)という名前であるらしい。
今でも(竹鶴)というブランド名は残っていて、なかなか旨いウィスキーである。
ふうてんはサントリーのウィスキーを飲んでいる。
ウィスキーにもいろいろあって、どのメーカのものでも旨いものは旨い。
全部の品種がニッカよりサントリーの方が旨い、という話はない。
やはり値段に上中下があり味にもそれが言えるのである。

(マッサン)を観ていて面白いのはウィスキーというそれまで日本人に馴染のなかった酒をどのようにして日本人が飲むようになったかのストーリーである。
それをニッカとサントリーが開拓した。
1929年に発売された(サントリー白札 サントリーホワイト)が国産初だとグーグルは教えてくれる。
ウィスキーを日本の庶民が飲むようになってまだ100年も経っていないのである。

 ふうてんがウィスキーを最初に口にしたのは中学生のころだった。
オヤジが酒は一滴も飲まない方だったので家には酒の類は置いてなかった。
北伊予駅から松山駅の一駅の電車通学だったので、松山駅の売店で買ったのだろうか。
サントリーの(トリス)のポケット瓶だった。
まあ、一口、口に含んでビックラこいた。
大人はこんなものを飲んで嬉しがっているのか?と不思議だった。
ヒリヒリと舌にしみるだけで旨いどころの騒ぎじゃなかった。

 大学生になって(サントリーホワイト)というのを買って飲んでみた。
これはトリスよりもソフトというかマイルドでヒリヒリも少なく悪くなかった。
ふうてんは酒は飲めない方だったので、(チボー家の人々)の弟ジャックのように(俺の人生に乾杯)と一人で気取ってみただけのお話であった。
下鴨神社近くで初めての下宿が決まったときには神社の傍の喫茶店でやはりウィスキーを飲んだ。
その時は(サントリー角瓶)だった。
飲めもしないのに、ショットグラスに注がれた角瓶を(俺の人生に乾杯)と一人で楽しんだ。

 25歳で結婚したころは、何故か酒が飲めるようになっていた。
ビール一杯ですぐ顔が真っ赤になり、やがて心臓がドキドキし始める、典型的な下戸だった。
大学時代はコンパ(飲み会)で無理に飲まされ、下宿に帰ってフトンに横たわると天井がグルグル回ったりしていたものだった。
ところが卒業して会社にはいって寮生活を過ごした頃から変ってきた。
何故かふうてんの部屋がみんなのたまり場みたいになって、それぞれ酒を持ち込むのであった。
付き合っているうちに(酔う)ということを初めて経験した。
酒を飲むことが必ずしも苦痛ではないことが分かるようになった。

 それから(68-25=43年)ほどウィスキーを飲み続けてきた。
炭酸水で割ったハイボールとか水割りとかいろいろ試したけれど、ウィスキーはストレートに限る。
そのことを(マッサン)で別の(まさはる)くんが主張するので、思わずクスッとなる。

 ウィスキーの話、サントリーとニッカの話を書く積もりだった。
しかしどうも長すぎるので、今回はふうてんとウィスキーとの出会いで終わってしまった。
近いうちにサントリーとニッカ、アサヒビールとサッポロビールなどなどの付き合い。
あるいはサントリーの宣伝部長だった開高健や一時その部下だった山口瞳さん。
そんな話を書いてみたい。
吉田健一なんていう物書きもいて、大酒飲みだったけれどウィスキーのことも書いている。
外交官だったオヤジさんの吉田茂に連れられてイギリスにも長く住んだお人である。
(スコットランドは川の水までウィスキー色をしている)
なんてのたまう。

 ウィスキーの話になると長くなりますなあ。

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