« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

2014年11月に作成された記事

2014/11/24

2014・11・23 高倉健のこと篇

Pb140448Pb140457_3さくら通りと隠宅のコナラ

 この一週間は連日(延命解散)のニュースと(高倉健を偲ぶ)の番組が続く。
(延命解散)とは、あるテレビ番組での田原総一郎の言い方である。
支持率がまだ落ちず、野党が弱いうちにゼロ・クリアして長期政権を狙う。
そのように解説していた。
(内閣改造は政権を弱くする、衆議院解散は政権を強くする)
という言い伝えが永田町方面にはあるらしい。

 夕刻チャリで繁すしへ向かった。
繁さんに二つのことを聴こうと思っていた。
一つは高倉健が繁すしに来たかどうか、もう一つは奥方が網走出身かどうか。
高倉健は(居酒屋兆治)と(網走番外地)に主演している。

(居酒屋兆治)は国立のJR南武線谷保駅近くの居酒屋がモデルになっている。
谷保天神からも歩いて5分と、ホンねきである。
(文蔵)という名前のモツ焼きの店だった。
そこに山口瞳さんが通っていた。
店の主(文蔵さん)と話すうち(居酒屋兆治)という小説の構想が湧いたと聴く。
映画化されたとき高倉健が起用された。
山口家と高倉健の交流もかなりあったと山口夫人からは聴いている。
ただテレビドラマ化されたときは国立が舞台で文蔵さんのお店も山口瞳さんも登場したけれど、映画化の舞台は北海道になっていた。
映画の(居酒屋兆治)を観た人には国立にあった(文蔵さん)のことは全く分からないはず。

(繁さん、高倉健、店に来たことあります?)
(いやぁ、なかったです。文蔵さんは葬式に行けなかったと言ってました)
(繁さんの奥さんは網走出身でしたっけ、あの刑務所のある)
(そうです、網走市出身です)
・・・
繁さんとの会話は短く終わった。
(居酒屋兆治)や(網走番外地)の話はこれまで繁さんと、いろいろとやってきたものなあ。

 ふうてんの、現実生活での高倉健の記憶は二つある。
勿論ご本人に直接会ったことはない。
しかし印象に残ることが二つある。

 一つは仙台での出来事。
仙台はパソコンの販売拠点の一つであった。
札幌から福岡までの七つの拠点に、新商品を出す度に開発部門も駆り出された。
現地の営業部門やディーラーさんのピープルに新商品のアピールをするのであった。
仙台で、ある朝ホテルで目覚めたとき何気なく窓の外に目が向かった。
大きな(高倉健の横顔)が見えた。
ビックリして飛び起きた。

 確かめると、隣のビルの屋上に健さんの顔写真の巨大な看板が立っていたのだった。
当時ふうてんの勤めていた会社はパソコンのイメージ・キャラクターとして健さんを使っていた。
その看板を観ながら、ふうてんは感心した。
うつむき加減の横顔の写真だった。
(ええ顔しとるなあ、存在感があるなあ、言葉はいらんなあ・・・)
この時初めてふうてんは高倉健がどうして人気があるのかを納得した。

 もう一つはこの日記でもいろいろ書いたホスト・ファミリーの時の経験である。
中国とタイから一橋大学へ留学に来た二人の女の子たち。
一週間に一度夕食に招待することを基本とするホスト・ファミリー制度。
ある日、高倉健の新作(単騎、千里を走る)のメイキング物を二人に観てもらった。

 
 この映画は高倉健の大ファンだったチャン・イーモウ(張芸謀)が健さんを招聘して作ったのだった。
二人の留学生、ランちゃんとアリアさんは高倉健が登場するとワ~ワ~キャァ~キャァ~と騒いだ。
それを見てふうてんは、中国でも高倉健は大人気だというのはウソではないらしいと思った。
高倉健は(男にも女にも、もてる)人だった。

 彼と同時期に生きていろんな体験をさせてもらった。
同時期に彼のような魅力的な人がいたことに感謝したい。

| | コメント (0)

2014/11/17

2014・11・16 晩秋のころ晩年が物思う篇

PhotoPhoto_2






肉体の悪魔      
 突然炎のごとく
     (どちらもグーグル画像より)

 急に寒くなって、天気予報だと多摩地区は今朝3℃だったとか。
このところエアコンとかカーディガンとか手袋が欠かせない。
先週などは手袋を書簡集に置き忘れた(落とした?)らしくマスターから電話を貰った。
何かを置き忘れたりして物を亡くしたときはいや~な気分になる。
だから電話を貰ったのは嬉しくて翌日お礼を言いに書簡集へ飲みに行った。

 すっかり太陽の光が南に傾いた。
プロ野球も大リーグも終わって、何となくスポーツニュースが寂しい。
大相撲11月場所が始まったけれど、いつまでもモンゴル場所で日本場所は若貴時代の20年ほど前に終わったのだろうか。
スボーツニュースは文字通り冬の時代になった。

 こういう季節には古い映画を見直したりするのも悪くない。
映画といっても映画館ではなく自宅でのビデオ鑑賞であることは致し方がない。
映画館の賑わいの中で観るのも楽しいし一人で孤独に40インチで観るのも悪くない。

 ふうてんが観るのは古い映画ばかりである。
ソニーのβのビデオデッキを買ったのは国立に越してきた35年くらい前であった。
当時2時間の録画用テープが3000円ほどしていた。
数年たって録画したテープが300本ほどになった。
3000円×300本=90万円ということに気づいてビックラこいた。
その90万円は今はβのデッキが不調(というより動かすのが面倒くさい)で観ることはない。
職業柄βのデッキの新品を一台は確保しているのでいつか動かしてみたいとは思っている。

 その後はやはりソニーのHi-8のビデオテープとなった。
これも数百本は録画したのだけれど、やがてテープの時代が終わりお皿の時代が来た。
お皿・・・つまりDVDとかブルーレイである。
ハードディスクというのもあった。
つまりは録画装置もアナログからデジタルに変って行った。
電気メーカはそれで商売して儲かるのだろうけれどユーザのこちらには迷惑な話。
コンピュータ・メーカに勤めていたこちらはデジタル化を促進した加害者でもありユーザとしての被害者でもある。
ユーザからのクレームをメーカとしてなだめるという一人芝居を演じてきた。

 2011年のテレビの地上波のデジタル化のとき今の40インチ液晶テレビにした。
ふうてんが買ったモデルは昔のビデオデッキからのアナログ入力を受け付ける。
嬉しいことに画質が結構よろしいのである。
それでHi-8に録画した映画を観られるようになったという次第。
ソニーのビデオ技術は大したものだなと思う。

 古い映画にもいろいろある。
子供のころ親に連れられて松山で観たものから始まって、中学、高校、大学時代。
社会人になってからの10年ほど。
年代で言うと1950~1980年くらいの間に封切りされたか再上映されたかのもの。
年寄りというのは困ったもので子供のころからの記憶が断片的には残っている。
急に中学生のころに観た映画を観たくなったりする。

 掲記の写真の(肉体の悪魔)と(突然炎のごとく)は中学生だったか高校生だったか、松山の(銀映)という、封切館ではなく当時は三流館と呼ばれていた映画館だったような気がする。
入場料は55円だった。
ふうてんが大学を卒業した1969年ころではまだフランス映画が結構上映されていた。
やがて洋画はハリウッドのものしか観られなくなったのはご存じの通り。

 晩秋となって急に寒くなって外へ出るのが億劫になる。
テレビの(鬼平犯科帳)も(子連れ狼)も(相棒)も面白いけれど多少食傷気味である。
古い映画、若いころ観たものを引っ張りだした。

 観るといっても全編始まりから終わりまでということはめったにない。
印象的だったシーンだけを見直すのである。
特に、セリフと共に覚えているシーンが多い。
フランス映画だと、残念ながらセリフは字幕で意味を探るしかないけれど。

(肉体の悪魔)は題名はものすごいけれど、高校生の儚い恋物語である。
17、8歳の高校生のジェラール・フィリップ演じる主人公がひょんなことから若い結婚したばかりの人妻と出会う。
彼女の旦那さんは一次大戦で戦場に行っている。
 この二人の出会い、両方の家族の対応のしかた、二人の会話といろんな行動のあり方。
同じ高校生だったこちらには非常に新鮮だった。

(突然炎のごとく)はジャンヌ・モロー演じる奔放な女性と彼女を取り巻く野郎どもとのメルヘン・チックなファンタジーである。
登場する野郎どもが彼女のファンになるように観客も彼女の奔放さと魅力にハラハラドキドキさせられ惹きつけられてしまう。
(原作はレイモン・ラディゲの(ジュールとジム)で二人の男の名前)

 ハリウッド映画の恋愛物とは全く違う世界が展開される。
ふうてんは恋愛物というのは映画でも小説でもあまり好まないので語る資格はない。
ただ不思議なのはこの二作はどちらも三角関係の中での恋愛が主題になっているのですね。
一人の女性と二人の男の三角関係。
いろんな国で昔あった一夫多妻とは逆の人間関係。
女主人公はよほど魅力的でないと成り立たない世界。
二人の男も違う個性だけれどやはりそれぞれの魅力がないと面白くない。

 そういうあやうい世界だけど(あり得るなあ)と納得させるものがある。
この二作品はその世界を見事に描いていると思う。
一人の女性と二人の男。
この関係は比較的に平和裡に展開されるような気がする。
一人の男と二人の女性。
この関係はあまり幸せな関係ではないようで。
(猫と庄造と二人のをんな)
という谷崎潤一郎の小説があります。
女性二人に見限られた庄造が雨の中猫ちゃんを探す姿を森繁久弥が映画で演じてました。

 三角関係では女か男か、どちらかが一人で、どちらかが二人ですわね。
それぞれの立場になったときどう振る舞うか。
これは女と男の種別(失礼!)の違いを試すテスト・ケースかもしれませぬなあ。
 

| | コメント (0)

2014/11/10

2014・11・9 牡蠣の季節になった篇

Photo三陸 宮城県産のカキ

 木々が紅葉し始めた。
夕刻チャリで繁すしへ向かうとき、この秋初めての手袋をつけた。
嫁はんにそれを見せると(手や首筋が寒いのよね)と言った。
それから繁すしにたどり着くまで、首筋に寒さのセンサーがあってスイッチがはいるらしい、とかの話が続いた。
まこと人間の体というのは不思議に満ちているなあ、という結論を迎えたとき繁すしに着いた。

 冬場には冬場の楽しみがある。
ふうてんにとっては何と言っても牡蠣が旨いということである。
グルメとは縁のない方だけれど、旬の食べ物は楽しむ方でもある。
11月から2月まではやはり牡蠣ということになる。

 ふうてんの住む東京の西の果て多摩地区で牡蠣を食べられることは不思議ではある。
隠宅の近くにある4つのスーパーで、この季節には牡蠣のパック売りが並ぶ。
産地は広島、兵庫(播磨灘)、そして三陸沖のが国立では流通している。
産地によって味や形が違うのが面白い。

 瀬戸内海の広島や兵庫と太平洋に面した三陸とでは明らかに味が違う。
瀬戸内海のは暖かくて穏やかな海で育ったせいか、形もまろやかで味も柔らかい。
三陸のは寒くて厳しい波にさらされるせいか、苦みが強い。
ふうてんはこの三陸の牡蠣の苦みが好きなのである。

 瀬戸内海に津波はめったに来ない。
三陸には何年かに一度大きな津波が来る。
津波が来ると牡蠣の養殖はお手上げとなる。
チリ地震とか東北大地震とかの時は、(牡蠣の季節だなあ)などとノンキなことは言えなかった。
テレビで牡蠣養殖の棚が流されたりしたのを報道する。
心が塞ぐ思いでそれを観た。

 しかし海の回復力は早いということも実感する。
2011年の東北大震災の津波で全部流されたはずの三陸の牡蠣が去年あたりから国立でも流通するようになった。
テレビの報道を見ると津波が押し寄せた陸地はまだ草ぼうぼうで、とても回復どころじゃない。
2011年の津波で漁具や船を全部失った漁師さんが言っていた。
(海は大丈夫です。一年もすれば復活します)
三陸の牡蠣に限って言えば、そうなんだなあと納得する。

 それにしても、といつも感心する。
瀬戸内海や三陸沖で採れた牡蠣がどうしてこんな東京のど田舎国立のスーバーに並ぶのだろう。
それも決して高価ではない。
2年も3年もかけて育てて、殻を取ってパックに詰めて、トラックで遠くに運ぶ。
それをこちらはありがたくいただく。
牡蠣の生産をしている人、それを国立くんだりまで運ぶ人、旨いから喰えよと売ってくれる人。
みなさんの苦労がこの牡蠣の苦みの一部にはいって、いいスパイスとなっているのだろうか。
多謝、多謝(シェイシェイ、シェイシェイ)である。

 昨日も近くのスーパーで買ってきて夜中に一人で食べた。
ふうてんが作る(牡蠣・ソテー)を家人たちは好まない。
連中はカキフライとか鍋を好むようである。

・まずパックの表紙(?)を包丁で切って水洗いする
・ダイコンを下ろして牡蠣にまぶし、こね混ぜてから、水洗いする
・水をよく切ってから小麦粉をまぶす
・フライパンを煙が立ち始めるまで温めてからオリーブオイルをドバドバと注ぐ
・小麦粉にくるまれた牡蠣を入れる
・蓋をして中火で焼く
・数分後に牡蠣をひっくり返して弱火で数分焼き続ける
・火を落として、出来上がった牡蠣をオリーブオイルごと皿に移す
・使ったフライパンと蓋はティッシュで拭って元の場所に戻しておく
・皿の牡蠣に醤油を一まわしかける
・食べ終わると皿にオリーブオイルと醤油が分厚く残っている
・暖かいゴハンを入れる
・牡蠣風味インスタント・リゾットを味わう
・食べ終わると回りをキョロ・キョロと見て人のいないことを確かめてから・・・
・真っ白に戻った皿を洗い場へ持っていく
・牡蠣ソテーを作って食べた痕跡はほとんど残っていない、匂い以外は

 これは料理なんてものではないと思う。
牡蠣と大根とオリーブオイルと醤油と小麦粉だけ。
日本とイタリアとアメリカ(オーストラリア?)の食材を使って適当に洗ったり温めたりしただけのお話。
 

 それでも牡蠣という名優とオリーブオイルや醤油の名脇役たちがいないと成り立たない世界であることも確か。

春になって(蕗の薹)や(筍)が登場するまでは、この(主演牡蠣 脇にオリーブオイル・醤油)のドラマを楽しむことにしよう。

| | コメント (0)

2014/11/03

2014・11・2 天下市のころ篇

Pb020472Pb020473 
 






天下市の屋台      なかなか前へ進めない

 国立の秋の風物詩、天下市の季節となった。
この日記で毎年同じような屋台の写真を載っけている。
今日も夕刻チャリで屋台を冷やかしに大学通りへ行った。

 屋台のある通りはいつも人でごった返す。
写真の屋台は大学通りの歩道で国立駅に近いところ。
このエリアは香具師(やし)の縄張りらしい。
池波正太郎の小説によく出てくる香具師たちが今も健在で祭のときに店を出す。
食べ物を焼いて作る香りが通りに漂う。
金魚すくいとか綿菓子などの店も定番である。
20年前と同じ場所(位置)に綿菓子の店があったので驚いた。

 通りは人で溢れ、進むのは容易ではない。
特にこれといった用事もないのに、その雰囲気に身を置いてみたくなる。
老若男女、みなさん同じようにこの賑わいを味わいに来たのだろうか。
明日の3日は三日間の最終日で大学通りは歩行者天国となる。
朝の9時半から通りで様々なパレードが繰り広げられる。
通りは広いので市民たちはブラブラと歩きながらそれを見物する。
たいていの人が何かを食べるか何かを飲んだりしている。
(これが平和というものなんだ、国立に住んで良かったなあ)
とみんなの顔に書いている。

 屋台を冷やかしたあと書簡集へ寄った。
一杯だった昼間の客は引き上げて静かだった。
ここでパスタやカレーやケーキで腹ごしらえして天下市へ行ったらしい。
マスターと安倍内閣の経済政策の話になった。
世界が驚いた(サプライズ金融緩和)の話である。

(マスター、アベノミクスどうなんでしょうねぇ、またお札刷って)
(これしかないんじゃないですか)
(第三の矢がいつまでも出ないと言われ続けてたものねぇ)
(本当は禁じ手なのですがね)
(これで日本の経済良くなるのかしら)
(そんな訳ないでしょう、給料が上がらないんだもの)
 
・・・
(ところで今日は寒くなかったなあ)
(南風でしょう。そのうちスカGのお兄さんが来て今日は暑いねぇ言いますよ)
(マスターはどう返事するんですか)
(そんなに厚着しているからですよ、といつも言います)
 
・・・

 マスターと政治談義に耽っているとやがてスカGのお兄さんが登場した。
(今日は暑いねぇ)
と言った。
マスターとニヤリと顔を見合わせた。
(ほら、やっぱり言ったでしょう、さっきから噂してたんですよ)
 
・・・
マスターとスカGのお兄さんは大リーグの話を始めた。
お二人とも大リーグが好きでNHKのBS1の中継をよく観ているのである。
監督の去就とか選手のトレードとかの話だけれどこちらにはよく分からない。

 店にはビル・エバンスの(ポートレイト・イン・ジャズ)が流れていた。
(マスター、最後の曲に変えていいですか)
と断っていつものハッペルベルのカノンをかけた。
この曲で書簡集を送り出してもらうことに決めているのである。

 世の中は目まぐるしく変わっていく。
(変わらぬことが愛でたいことだ)
と言った高橋義孝先生のセリフは今は通用しないのかもしれない。
しかし人間の営み、人間同士の付き合いというものはそんなものではなさそうだ。
ビルや道路はすぐに作ることが出来る。
お札はいつでも幾らでも刷ることができる。

 しかし人間の心というものはそう簡単には変われない。
ちょっとだけホッとした一日だった。

| | コメント (0)

« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »