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2014年9月に作成された記事

2014/09/29

2014・9・28 四季の会・夏秋篇をやった

P9270585ドール・ハウス
隠宅の料理人の好み

砂糖、塩、小麦粉、パン粉の入れ物の上
チャリは国立駅前で露天で作るのを買った
駅前でアッという間に見事に作った
ラブ方面から来た輩のようだった
この出来で500円だったか1000円だったか。

 気温といい光の加減といい完全に秋になった。
金曜日に(四季の会・夏秋篇)を府中でやった。
ポロシャツだと相応しくないので、長袖のシャツを着た。

 メンバーはふうてんを含めて5人だった。
みんな25年前にTownsというパソコンをやった面々である。
構造設計とデザイン。
グラフィックス。
CD-ROMのコントロール。
オーディオ。
それぞれ重要な役割を果たしてくれた。

 ふうてんはただ(こんなパソコンが欲しい)と言っただけ。

パソコンは小さなものだけれど、フル・コンピュータ・システムなのでハード、ソフト、沢山の人間が寄ってたかって作らないとできないしろものなのであった。

 
 綾小路キミマロ風にいうと、あれから25年。
当時30歳だったスーパー・エンジニアも定年退職後どうする?となってきている。
勿論、その上の面々は、パソコン作りのあと、いろんな経験をしてきた。
中の二人はグループの会社へ移り、社長までやった。
その二人とも社長を終えたあと(顧問)という立場になったらしい。

(顧問というのがややこしいのよ。何をやったらいいか分からない)
(顧問って、顧みて問う、じゃなかったっけ?)
(その顧みるなんだけど、どちらがふり返るのかしらね)
(つまりは卒業した先輩が現役組何をしているのか、なのか現役組が先輩に問うのか)
(そこなのよ、卒業して現役に口出しすると嫌がられるし・・・)
(かと言って現役組からしょっちゅう聴きにも来ないし・・・)
・・・
(なるほど、顧問ちゅうのは難しいですなあ)

 構造設計とデザインをやった男が言った。
(僕なんか分からないので先輩に聴いたんですよ,顧問はどうすればいいのですか、と)
(そのお応えは?)
(顧問てのはね、こんもん、なのや)
(ハイッ?)
 
・・・つまり、会社へは来なくてよろしい、と。
 
みんなで大笑いになった。

 一番若い、といっても相応の年齢の男が言った。
(僕最近、ルンバという掃除機を愛用しているんです)
(エッ?君、掃除をするの?)
とみんなでビックリした。
考えてみれば彼は未だに独身で一人生活だから家の掃除も必要かもしれない。
それからしばらく、ルンバだかタンゴだかの話題で盛り上がった。

 聴けばルンバというのは放って置いても床を掃除してくれるという。
放っておいても勝手に掃除をする。
これまでの掃除機とはずいぶん様子が違う、らしい。
彼はさらに続けた。
(ルンバは今や、家族の一員です。素晴らしい)
(何が素晴らしいの?)
(やりとりがあります。コミュニケーション・ツールです)
・・・

(お前なぁ、単なる掃除機やないか。単体の機能と人間との関係ゴッチャにするなよ)
とふうてん老人はいつものように怒りました。
(そうですけど、ルンバには限界があって、大きな邪魔者があると掃除できないんです)
(それで?)
(床に、ルンバの邪魔になるものはないかと、それは片づけて置くんです)
 
・・・・
これを聴いて、ふうてんはハッとした。

 ルンバちゃんが、この男に片づけさせ、心配させているのである。
これは立派な(やりとり)であり(コミュニケーション)ではなかろうか。
ルンバ・・・小さな掃除専門のロボット。
自分で勝手に掃除をする。
邪魔者は自分で避ける。
電池が少なくなったら自分でコンセントのところへ行き充電する。
つまり眼を持っていて、考える力を持っている。

 日本て不思議な国ですね、という話になった。
手塚治虫がアトムを作った。
自動車工場のロボット化で世界一の自動車メーカにもなったことがある。
二足歩行のホンダ・アシモくんを世に送り出した。
それに刺激されてソニーはアイボというペットを作った。
どれもコンピュータ抜きには考えられない。
コンピュータという(考えること専門)の機械と、物を動かす(ロボティックス)。
これらの融合は案外、日本人の得意分野なのかもしれないねぇ・・・。
文楽とか高山のお祭りの繰り人形とか・・・言われてみれば・・・。

 ここまで書いて、冒頭の、ドール・ハウスしか写真のない今日の日記の言い訳を補足しておく。
 

 ウィィィキペディアに聴くと、
ドールハウス(: doll's house: dollhouse)は、十二分の一の大きさに作られた模型のこと。ミニチュアハウスとも呼ばれる。建物や部屋家具、調度品などを含めた生活空間を表現する。)
とあった。

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2014/09/22

2014・9・21 太宰治の津軽のこと篇

Img_5津軽の挿画

津軽國(國防上、略図ヲ更ニ大略ス)と書いている。
太宰の時代、今の青森県は津軽国と呼ばれていたのだろうか。
國防上・・・書いた時期が1944年(昭和19年)、まだ戦争中だった。
5月からの3週間、太宰治は故郷津軽への旅に出る。
これは(津軽)の冒頭に出てくる太宰治自身が筆で書いた地図と思われる。

 (津軽)という小説を教えてくれたのは大学時代の一年先輩だった。
伊予松山で同じ高校に通い、京都で同じ大学に通った。
2年生のころに吉田山の中腹にあった先輩の下宿を初めて訪ねた。
先輩はギターを上手に弾ける人だった。
そのギターも(アルハンブルの思い出)などの堅苦しいものではなかった。
日本の歌謡曲の伴奏のようなのばかりだった。
先輩はギターを弾きながら鼻唄を歌っていた。
ああ、こういう風にギターを弾けたらいいなあと思った。

 この先輩は文学も好きだった。
小林秀雄はいいよ、と言った。
太宰治の(津軽)はいいよ、とも言った。
ような気がする。
もう50年も前のことだから定かではない。

 いずれにせよ、それ以来、小林秀雄と太宰治を読むことになった。
ふうてんは、それまで読書をする方ではなかった。
だからこの先輩と出会わなかったらずっと読書の楽しみを知らずにいたかもしれない。

 小林秀雄はすぐにふうてんの心に忍び込んできた。
(一つの脳髄)やら(Xへの手紙)やら(無常といふこと)などを読んだ。
東京に流れて所帯を持ったころ小林秀雄が(神様)だったことはこの日記にも書いた。

 太宰治は(斜陽)とか(人間失格)とか読んでみた。
中では先輩が言っていた(津軽)がふうてんには一番面白かった。
故郷の津軽に行き、いろんな人を訪ねる。
津軽とはどういう地方で、そこに住むのはどういう人たちで、だから自分はどういう人間なのだろう、という風に東京で破天荒な生活を送っていた太宰が自分を確認する為に故郷を旅したような作品のようだった。

 津軽には(ねぶた祭り)がある。
(ねぷた祭り)とも言われるこの祭りに代表されるように、何かに熱狂する気質があるらしい。
同じ津軽出身の版画家(棟方志功)なども熱狂の人であった。
その津軽人の熱狂的な側面を太宰はまことに愉快な形で表現している。

 戦争中だから、しかも敗戦直前の戦争末期の物のない時代。
ご馳走もお酒も簡単には手に入らない。
それを知人、友人たちが必死で集めて太宰を歓待しようとする。
日本酒(清酒)は難しいのでリンゴ酒を調達する。
 
・・・
書きつらねるとキリがないので省略するけれど、何とか歓待しようと熱狂するのである。
その挙げ句に歓待する方も歓待される太宰の方もヘトヘトに疲れてしまう。

 その津軽人たちをまことに親しげに、親愛の情をもって描いている。
小説の最後は(たけ)と運動会を観に行くシーンである。
(タケ)は14歳のときに奉公に来て太宰が3歳くらいから6年ほど面倒を見てくれた。
彼女を訪ねて、家を訪ね、30年ぶりくらいに会えたのだった。

 この最後のシーンは素晴らしい。
まるで映画を観るように情景がありありと浮かんでくる。
そして二人の心理状態も手にとるように分かる。
先輩がこの小説を勧めてくれた理由もハッキリと分かった。
太宰治が大した作家だということも。

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2014/09/15

2014・9・14 漱石の(こゝろ)と太宰の(人間失格)のこと篇

Img9980707881095何故一万円札じゃないのだと漱石先生ご不満の様子
  
 

 
 
 
 

 

 
 

Eff5beb91太宰治
ふうてんの好きなワン・ショット

 




 9月10日にNHKが(漱石「こころ」100年の秘密)という番組をやった。
 
改めて(こころ)をウィキペディアで確かめると、

1914大正3年)420から811まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行された。なお、自費出版という形式ではあるが、この作品が岩波書店にとって出版社として発刊した最初の出版物である。)
などと出てくる。
つまりは出版100周年ということでNHKはこの番組を作ったらしい。
年齢も仕事も違う5人の男女がこの小説の不思議さをあれこれと話し合う。
ふうてんなど漱石ファンにとってはまことに面白い番組に仕上がっていた。

 みんなの議論を聴いていて、へえ~そうだったのか、そういう風にも解釈できるのか、ということが多かった。
こちらは小説の話の展開が意外で面白かったので一気に読んだだけだった。
しかし番組のみなさんの話を聴くと、漱石の小説が長く読み継がれる理由も分かってくる。

人それぞれが勝手な思いで読むのだけれど、やはり明治という時代を背景にその中で生きた人間たちの考え方や関係を漱石は考え抜いた上で小説にしている。
一つの時代に徹底的に考えると、時代が変わっても変わらない一種の普遍性を帯びてくる。
漱石は明治という時代、親子の関係、男女の関係、男と男の関係を語るに相応しい舞台設計をし、配役を決めている。

 そしてカメラをいつものように一人に持たせる。
主人公にカメラを持たせるというのが漱石お得意のカメラワークである。
前半は(私)がカメラを持ち、先生との関係を写す。
後半は(先生の遺書)という形で先生が主人公となり、先生が(私)になる。
当然先生がカメラを持っている。

 漱石の小説でいつも感心するのは全く古さを感じさせないことである。
それの理由の一つが彼のカメラワークではなかろうかと思う。

 カメラを一人に持たせると、独白のようなもので、自分にはこう見えた、こう聴こえた、それを自分はこう考えた。
漱石が主人公の姿を借りて独白しているのである。
独白とは自分と話すことだから、世間向けの体裁は気にしなくてよろしい。
だから素直に自分の思いを語ることができる。
人間の個人的な素直な観方、考え方は、時代によってそんなには変わらないのかもしれない。

 番組ではこの漱石のカメラワークの話は出なかった。
もっぱら漱石の舞台設計、登場人物たちの人間像の話に終始した。
番組の最後に太宰治の話が出た。

日本の近代文学で一番売れたのが漱石の(心)で二番目が太宰の(人間失格)だというお話。
どちらも本格的に売れ始めたのは1945年に第二次世界大戦が終わった後。
今でも書店で夏目漱石と太宰治の文庫本はずらりと並んでいる。

 このことの分析も番組の中でみなさんが意見を語った。
何故こんなに読者が多いのだろうか?
これもなかなか面白かった。
どちらの作品も戦後、小学校や中学校の教科書で紹介された。
漱石の(こころ)を扱った教科書は最初3種類だった。
徐々に増えて今は25種類以上の教科書に載っているとか。
太宰作品にも同じような傾向があるらしい。

 教科書で扱ったから読者が増えたのか?
扱うに相応しい作品だから教科書に載るのか?
ニワトリが先かタマゴが先か?
(でも結局、タマゴがおいしかったからだよね)
と一人が言った。
 
 
 国民作家といわれる夏目漱石と太宰治。
どうして二人の作品は日本人に愛読され続けるのだろう?
いつか太宰治のことも書いてみたい。
ふうてんは彼の(津軽)が大好きなのである。
 

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2014/09/08

2014・9・7 裾野は雨模様だった篇

P9060446鎌倉大明神 無念無想?
 
 

 
 


    

 
 

 
 
 

P9070457東名道路も雨だった

 久しぶりに裾野小川別邸のワインの会があった。
いつものように東急田園都市線の市が尾駅で友だちに拾ってもらう。
ホンダレジェンド3.5リッターからホンダアコード2.0リッター・ハイブリッドに変わっていた。

 その友人が今日は富士川を遡って身延山の久遠寺を訪ねたいという。
御殿場で新東名に乗って、清水インターチェンジで降りて国道52号線。
前にも書いたけれど新東名というのは道路もトンネルも広い。
前の車が小さく見える。
(こんな道、ようつくりましたなあ)
(山を穿ち、谷をなんとかやらですよ)
(千億単位じゃ利きませんねぇ)
(勿論何兆でしょう)
 
・・・・
こんな風に税金を使って今借金1000兆円となったのだろうか。

 国道52号線が延々と続く。
太平洋の富士川河口から日本海まで続いているのだろうか。
富士山が途切れた西の当たりからまた山々が続いている。
本当に日本は山ばかり。
それを実感させてくれる旅となった。

 身延山の久遠寺は広大だった。
(こんな山奥にこんな巨大な寺院があったなんてねぇ)
(開祖は日蓮のようですなあ)
(もう800年ですか)
 
・・・・
 そんな調子で見学していった。

 何しろ山なので、平らなところがない。
いろいろと五重の塔やら講堂らしきものやらあるのだけれど、古色蒼然といった趣がない。
どうしてなのだろう?
日蓮の現世利益の発想と関係があるのだろか?
 
・・・

 いろんな建物の能書きを読んで理由が分かった。
明治8年に身延山の全山が火災に襲われたと書いている。
 
当然、久遠寺も焼け尽くしたに違いない。
それから・・・明治、大正、昭和と少しずつ、復興していった。
そういう涙ぐましい歴史のお寺さんでもあった。

 1時間遅れの夕刻5時に裾野小川別邸にたどり着いた。
身延山登頂で疲れた訳ではないけれどこの日ふうてんは調子が悪かった。
ひとりで一眠りさせてもらって目覚めると10時半だった。
ボンヤリとした頭に鎌倉大明神のホセ・ラミレスのギターの音が響いた。
夏場は温度が高すぎて無理です、と言われていたのを敢えてリクエストしていたのだった。

 音楽は通りすぎていく。
鎌倉大明神にいろいろ頼んで弾いてもらっているうちにいつの間にか夜は更けていった。

 翌朝、小川別邸で朝食をご馳走になり、ホンダ・アコード・ハイブリッドで東名を市が尾まで。
ここでも半分以上眠りこけていた。
今回はみなさんに迷惑をかけたような気がする。
食事時間に眠り込んで、楽しい会話の時間に参加できなかった。
老化、加齢化が始まったのだろうか。

自分勝手な老人になり始めたのだろうか。

 考えさせられる旅だった。

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2014/09/01

2014・8・31 電話するのを忘れたまま繁すしへ行った篇

P8310456_2P8310471_2  

 

 

 

 

 

 

絢爛豪華、日本の魚介 
柳原良平描く繁すし風情

 8月31日は何とも言えない天気模様だった。
夕刻チャリで繁すしへ向かうときも晴なのか曇りなのか降るのか曖昧であった。
(ぼ~っとしていて危ないから気をつけて行こう)
などと女房に声をかけて出発した。

 繁すしへ着くと繁さんが不審そうな顔をしてこちらを観る。
オャッ?来られたのですか?という顔つきである。
それでふうてんはやっと気づいた。
いつも行く前に電話するのに、今日はそれを忘れていたのであった。
こんなことは何年かに一回くらいしかない。

 店にはいるとビールを持ってきてくれた女将さんも、
(スッキリしない天気ですねぇ、今日は頭がボンヤリして・・・)
そうですか、僕も電話するの忘れて・・・そろそろボケが始まったかなあ)
(何をおっしゃいます)
(ところで今日は濃いのと真っ赤のと、バラですねぇ)
(山口夫妻がお二人ともバラがお好きでしたので)
(あっそうか、昨日8月30日は瞳さんの命日でしたね)
・・・・

 壁に柳原良平さんの描いた絵が掲げられていた。
(あれは繁さん?)
(いえ、父です)
と女将さんが応えた。
(手前の客の右側のメガメかけたのは瞳さんだと分かるけど、もうひとりは?)
(柳原さんだという説もあるのですが、正介さんは顔だちが似ていないとおっしゃいます)
(そうですか、正体不明ということですか、あの奥にあるのは例の氷の冷蔵庫ですよね)
(カウンターに寿司桶があって徳利があって二人がチョコらしきものを持ってますなあ)
・・・・

 そんなことを話しているうちに繁さんが問わず語りに昔の話を始めた。
繁さんは昭和20年の終戦のときに10歳くらいだったらしい。

伊豆半島の伊東に一家は東京から疎開していた。
繁少年はよく仲間と伝馬船で海に出ていた。
海や魚が好きだったのである。
ある日、遠くの空に一点の黒いものが見えた。
アッという間に近づいてきて、その伝馬船に機銃掃射をしてきたという。
悪ガキどもは海に飛び込んで何とか難を逃れたらしい。

 平和な海で伝馬船に乗って遊んでいる子供たちに機銃掃射する。
これはやはり戦争犯罪だよね、という話になった。
(一発じゃないんですよね、あれは連発でね、逃げられませんよ)
などと繁さんは語った。
伝馬船に乗っていた仲間の何人が海に飛び込んだのか何人が船に残ったのか。
誰が助かったか誰がやられたか。
その詳細は語らなかった。

 それから70年ほど経つ。
一家は国立に移り、お父さんが繁すしを始めた。
今の繁さんは30歳過ぎまでいろんな職業についたと聴く。
ハーレー・ダビッドソンを乗り回して国立の放蕩息子として有名だったとも聴く。
(いえね、あのオートバイ重たいんですよ、一度転んだときス~ッと100mくらい滑りましたものねぇ)
などと平気な顔をして言ったことがある。

 その繁さんがお父さんの跡をついで今でも築地へ通っている。
全国から集まる魚介の中で気に入ったものを手に入れないといけない。
今日もあまりにも見事なので感心していると我が女房どのが言った。
(あっ、カメラを忘れてきた。写したかったなあ)
(そやなぁ、ちょっと取りに帰ってくるわ)
・・・・

 それで家へカメラを取りに帰って写したのが掲記の2枚である。
魚介のつまみとちらし寿司。
清酒白雪の熱燗。
ちらし寿司は女房どの専用。
壁に掛かっていた柳原さんの繁すし風情。
ふうてんは石垣貝(手前小皿の白いやつ)をつまみ、酒を飲んだ。

 これだけの日本近海の魚介を、漁師さんたちは獲って築地へ届ける。
それを繁さんたちお店の人たちが調達して帰って下ごしらえをして客に出す。
この石垣貝だって、
(これは貝のべろ、舌なんですよ、本体は丸い、赤貝みたいな形です)
(内蔵は食べられないのかなぁ)
(さぁ~・・・)

 農林水産業が全くダメになったと言われている日本。
それでも毎日こういう営為が日本では続けられている。
農業も林業も漁業も、日本の良さはまだ残っていることをふうてんは信じたい。

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