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2014年8月に作成された記事

2014/08/25

2014・8・24 F-1ならぬフォーミュラEとは何者だろう篇

24P8240447 
夏草や シロちゃんたちの 夢のあと

クロもシロもここに眠っている

 お盆も過ぎてさすがに猛暑も終わりつつある。
昔、今日出海(こんひでみ)が京都で入院していたとき、(地蔵盆どすえ)という声が聴こえてきてビルの谷間にも秋風が吹き始めた、と書いていた。
この人は今東光の弟で初代文化庁長官を務めた作家で兄よりも早く直木賞をもらった。
1960年代、1970年代にモナリザを日本に招聘するなど文化活動に活躍した。
小林秀雄は同世代の彼を(今ちゃん、今ちゃん)と呼んでいた。
ふうてんなどにとっては懐かしい人の一人である。

 隠宅の小さな庭には毎日コナラのまだ青いドングリや小枝がパラパラと落ちる季節になった。
ベランダや庭やお隣の通路にも結構積もる。
庭師がそれらを掃除するときに一枚写した。
クロもシロも元気だったころの一枚と並べてみた。

 先週、テレビ朝日で録画した番組を観ていると(フォーミュラE 9月開幕)とか出てきた。
F-1と同じようなレーシングマシンが走っている。
おやっ?F-1はフジテレビのはず。
どうしてテレビ朝日で?・・・フォーミュラE・・・??

 テレビ朝日でその後、関連する番組があった。
F-1で活躍した鈴木アグリと片山右京の対談だった。
どうも電気自動車のレースのようであった。
グーグルに聴いていろいろと分かってきた。

 Eというと電気とかエコとかを思い出させる。
それでFIA(国際自動車連盟)のホームページを覗いてみた。

FIA Formula E Championship
とは、

The new global electric racing series

Formula E is a new FIA championship featuring single-seater cars powered exclusively by electric energy. It represents a vision for the future of the motor industry over the coming decades, serving as a framework for R&D around the electric vehicle, accelerating general interest in these cars and promoting sustainability.

 などと出てきた。
要するに石油などの化石燃料を燃やすだけのエネルギーから再生可能エネルギーへの転換の時代。
その時代に相応しいモータースポーツを企画したというのである。
何故か世界自動車連盟(FIA)の本部はフランスのパリにある。
このFIAがF-1やいろんなラリー競技の規格を作っている。
ちなみにFIFA(国際サッカー連盟)の本部はスイスのチューリッヒにある。
どうも国際的ないろんな規格を決める本部がヨーロッパに集中しているのはアジア人としてはあまり面白くない。
ま、あちらが先進国集団だからしかたない、か。

 (electric energy)を使った車に限定される、とあるから今の電気自動車そして既に始まっている燃料電池車などになるのだろうと想像される。
電気自動車は文字通り電気を燃料とする。
燃料電池車は水素を燃料として発電してその電気でモーターを回す。
どちらも化石燃料を燃やすエンジンを使わない。
従ってCO2などの有害なガスを発生しない。
大きな爆発音も出さない。

 それで特別なサーキットではなくレースは全部市街地で行われる、とか。
例えば2014年度は10レース行われる予定で以下のような街が候補だとか。
北京、アメリカのマイアミ、モナコのモンテカルロ、ブエノスアイレス、ベルリン、ロンドン・・・。
おやおやと思う。
モナコ以外ではF-1レースとはずいぶん違う。

 F-1レース用のサーキットはその騒音が大きいため富士スピードウェイのように大抵は山の中とか人があまり住んでいない地区にある。
電気自動車だとタイヤの音と風きり音だけだから市街地でもOKという次第。  

 市街地で行うイベントだからレースを核としていろんな催し物をやる。
つまりはオリンピックと同じような経済効果も狙おうという魂胆らしい。
2014年度はとりあえず10都市が候補になっているけれど将来は15、6になるのだろう。

 鈴木アグリと片山右京の対談で残念だったのは日本企業の参加が少ないことだった。
鈴木アグリのチームも日本国籍として参戦する予定だったのがイギリス国籍としての参加になったらしい。
こういう話を聞くと、エネルギーについても先進国はやはり先を進んでいるなあとため息が出る。
日本は新しいエネルギー対策を何も打ち出していない。
相変わらず石油を買って天然ガスを買って原発に頼ろうとしている。

 それでも、フォーミュラEが大きな話題になると日本の自動車メーカも黙って観ているわけにはいかなくなる、はず。
電気自動車から燃料電池車へ。
産業革命は動力革命だった。
それから250年ほどたって新たな動力革命が起ころうとしているのかもしれない。
フォーミュラEはその先駆けのイベントになるのだろうか。
キャッチフレーズは山のように考えられる。

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2014/08/18

2014・8・17 ローレン・バコールのこと篇

Photoローレン・バコールの若いころ
ハンフリー・ボガートが惚れたはずだわ

 8月15日の終戦記念日が終わった。
お盆だから敗戦を受け入れることを決めたのだろうか。
お正月の1月15日が終戦記念日だったら・・・??
そうであったらなら3月の東京爆撃もヒロシマとナガサキの原爆もなかったのに。
ずいぶん沢山の人が死なずに済んだのになあ・・・。
69年後の繰り言であります。

 終戦記念日の直前の12日にアメリカのローレン・バコールの訃報がニュースで流れた。
この女優のことを知っている日本人は少ないかも知れない。
何といってもマリリン・モンロー、エリザベス・テーラー、オードリー・ヘップバーンが日本では人気だった。
確かにその通りで、ふうてんなども、この三大女優の映画は何本も観た。

 対して全盛期のローレン・バコールの映画は映画館で観た記憶はない。
ただ1976年の、ジョン・ウェインの遺作となった(ラスト・シューティスト)でいい味を出していたのは観たような記憶がある。
ガンに侵されたガンマンが最後の地としてたどり着いたところの下宿屋の女将としてバコールは登場する。
70歳を過ぎて自身もガンになっていたジョン・ウェインの演技も大したものだった。

 この映画は映画館で観たのだろうか?
そうだったような気もする。
少しローレン・バコールの思い出を書きたくなった。

 1980年に初めての海外出張でアメリカをうろついた。
ふうてんが外国で初めて降り立った土地はカンザス・シティだった。
ジャズやギャング映画でしか出て来ないカンザス・シティに何の用事があったのだろう?
ましてや、ふうてんは当時コンピュータ・メーカに勤めていたエンジニアの端くれである。
カンザス・シティとコンピュータ・・・??
理由は簡単で(教育とコンピュータ)というコンファレンスが開催されたのである。
3泊4日の日程で、こちらは初めての海外でカルチャー・ショックを受けて食事がノドを通らなかった。
フローズン・ビアとかいう冷えた、ジョッキを氷のように冷やしたビールが旨かったことだけは覚えている。

 カンザス・シティからボストンへ向かった。
この町はカンザス・シティとは全く別世界だった。
この日記でもよく登場する(裾野小川別邸)の小川当主が迎えてくれた。
彼は大学を卒業したばかりのニューヨーク駐在員、こちらは34歳くらいだったろうか。
一泊目は気楽に泊まれるホリデイ・インを予約してくれていた。

 受け付けのお姉さんがあまりにもローレン・バコールに似ているので思わず聴いた。
(失礼ですけど、あなたバコールに似ていますねぇ)
(ええ、よく言われます)
(ニューヨークは怖いと聴いたのですけどボストンは安全でしょうか?)
(ニューヨークよりは安全だと思います、でも完全に安全だとは申し上げられません)
 
・・・・
ニューヨークよりは安全だけれど・・・やはり気をつけた方が・・・。
そんな思いでボストンの街へ繰り出したのだった。
あのローレン・バコールに似たお姉さん、ものの言い方まで似ているなあなどと思いながら。

 ボストンを訪ねたのはローレン・バコールに会いに行ったのではなかった。
エンジニアの端くれだからしてMIT(マサチュセッツ工科大学)を訪ねたのである。
ボストンから車で30分ほどの郊外にこの学校はあったような印象だった。
ここでも、また一人の愉快な若者に出会った。
当時ふうてんの勤めていた会社がMITに出資していたので案内人を付けてくれたのだった。
この男が車好きで、古いベンツをレストアしている写真を見せて自慢をしたりする。
こちらも自動車部の出身だからすぐに波長が合った。

(せっかくボストンへ来たので、おいしいロブスターを食べたいのだけど)
(任せなさい。美味しいレストランには三種類あります。どれにしましょうか。)

(三種類?というと。)
(一つはクラッシックなお店。老舗というやつで構えが古色蒼然というやつ。もう一つはファンシーなお店。新しいけれど店の雰囲気が明るくて綺麗で楽しい感じ。そしてもう一つは味本位。店の雰囲気やら格式やらは関係なし。料理の味だけで勝負というやつ

(いいねぇ、その最後の味本位というのが気に入った。そこへお願い。)
 
・・・・・。

 これ以降の話はローレン・バコールと関係なくなるのでまたいつか書くことにしよう。
いずれにせよ、前回のジョーン・バエズにしろローレン・バコールにしろ我々の世代はアメリカ文化にどっぷりと漬かって育った。
真珠湾攻撃で始まり沖縄戦を経てヒロシマ、ナガサキの原爆で何百万もの人たちが死んだあの大戦争。
1945年の8月15日に終戦を迎え、1946年の1月5日にふうてんは生れた。
江戸時代の鎖国政策も明治維新の尊皇攘夷の精神もとっくに無くなっていたのだろうか。
世界中のあらゆる音楽、世界中のあらゆる映画、世界中のあらゆる文明、文化がどっと日本に流れ込んできた時代だった。

 それから69年たって今日本は、世界の中でどう生きていこうかと問い直されている。
政権交代は繰り返されるのでいろいろと右だ左だ、戦争だ不戦だと議論される。
ふうてんなどはまことにシンプルに考えている。
極東の小さな島国。
それが日本のアイデンティティだということ。
寺田寅彦は(その国は位置で決まる)と言った。
このことに日本の可能性も限界も全てがあるとふうてんは思う。

 限界を知った上で可能性を追求すればいいじゃないか。
位置的に日本ほど恵まれた国はめったにない、とふうてんは思う。 

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2014/08/11

2014・8・10 アメリカン・ミュージックを聴く篇

Joanbaezdonnadonnaamadeoジョーン・バエズ

 69回目の終戦記念日が近づいた。
 
毎年のことだから敗戦記念日と言いたくなかったのかもしれない。
毎年、敗戦、敗戦と言ってもなあ・・・。
しかし毎年(終戦記念日)を迎えると主語のハッキリしない言い方に違和感も感じる。

 いつも7月、8月はテレビでいろいろと戦争記念ものをやる。
今年もその例にもれず、しかも今年は第一次大戦100年、ノルマンディ上陸70年だとか。
いろんな番組があったことをこの日記にも書いたように思う。

 この100年、世界中でずいぶん戦争をやってきたなあと改めて驚く。
終戦記念日は1945年から始まった。
その後(冷戦)という静かな戦いが世界を覆った。
1989年のベルリンの壁崩壊でその冷戦は終わった。
この40年ほどが世界ではせめてもの平和な時代だったのだろうか。

 冷戦が終わったとたんにアラブ方面がきな臭くなった。
1991年には湾岸戦争である。
西洋列強が集まってイラクのフセインを攻めた。
お返しのように2001年にニューヨーク・テロがあった。
そしてアフガン、イラク戦争と続き、アラブ方面はいまだに戦争が続いている。
(冷戦)が終わって(熱戦)の時代がまた訪れている。

 日本は第二次世界大戦で大敗し、世界戦争をおっぱじめた元凶としてドイツと共に処断された。
結果として(平和憲法)を標榜して世界の仲間入りを許された。
それから70年近く、戦争に参加することなく、何とか無事にやってこられた。
今の日本の憲法9条は(不戦、非戦)を誓っている。
近代化を果たした国で他に例がない(不戦の誓い)である。
まことに珍しい国であるといってよい。

 日本国内ではこれを不名誉だと考える一派と、これこそが名誉だと考える一派に分かれている。

 不名誉だから(戦争のできる国になりたい)という一派は先進国としてみんなと対等な普通の国になりたい、というのだろう。

 もう一つの派は名誉だから(日本は戦争なんてもうやめようよと世界をリードした方がいい)と言いたいのだろう。

これまでどの先進国もやれなかった(不戦)ということを主張する(特殊な国)になった方が日本の名誉であり、これからの日本のアイデンティティとしてもよろしいのではないかという考え方である。

 戦争っていいことですか?と聴くと世界中の人が、よくないことですと応えるに違いない。
なら、ヘミングウェイじゃないけど(武器よさらば、と言ったらどうですか?)と日本は言えばいいのではなかろうか。
ふうてんなどはそう思う。

 ふうてんの理解するところでは戦争は(武器を持って外国へ出かける)ことから始まる。
戦争を避けるためにはシンプルな話で(武器を持って外国へ出かけない)ことだけ守ればよろしい。
日本の憲法9条はそのことをまことに明確に、シンプルに表明している。
どうも今の日本政府はそれが嫌いらしい。
武器を持って外国へ出かけたい、のかどうか、行政府に過ぎない内閣の密室で決められる話ではないと思う。
国民の総意で戦争したい、というのなら戦争するしかないけれど。

 ふうてんなどは1946年、終戦記念日の半年ほど後に生れた。
それから68年ほど鉄砲やら大砲やらミサイルのボタンやら(武器)らしきものに触れたことがない。
日本刀は家にもあったので多少遊んだことはある。
今の日本人の95%以上がこんな調子ではないのだろうか。
よい意味で(平和ボケ)してしまっているはず。

 もうよろしいじゃないですか。
平和ボケしたままでよろしい。
今更日本の若者に武器を使った人殺しの訓練をして何になるのだろう。
戦争やるとなったら古代中国のように80歳過ぎたおじいちゃんまで駆りださないと足りなくなる。
そんな国に日本はなってはいけないと思う。

 などなどと考えているせいでもないのだけれど、久しぶりにアメリカン・ミュージックのサウンドが耳によみがえってきた。
こういう時にユーチューブはまことにありがたい。
50年ほど前、即ちふうてんが学生時代を過ごしたころの曲がたちどころに出てくる。

 ジョーン・バエズ。
ふうてんが京都で初めて下宿した下鴨神社近くの一室で彼女のレコードをよく聴いた。
ジャケットが別嬪だったのでレコードを買ったのだろうか。
その不純な動機は彼女の歌を聴くことですぐに払拭された。
天使のような声でなかなかハードなセリフを吐くのである。
彼女はやがて反戦の闘士のような存在になって行った。

 サイモンとガーファンクル
学生時代の最後のころ(卒業)という映画が流行った。
ふうてんは学生時代は超硬派だったので、こういう恋愛映画のようなのは好まなかった。
それでも音楽は印象に残った。
学校を(卒業)して東京へ流れてから映画も観る機会があった。
サイモンとガーファンクルの音楽に引き込まれてしまった。

 今改めてこの三人の歌を聴くと、いかにもアメリカン・ミュージックだなあと思う。
セリフがスッキリとしていてシンプルで曲の流れがさら~っとしている。
シャンソンやらタンゴやら日本の歌謡曲とはずいぶん違う。

 伴奏はギターなのですね。
一番、持ち運びが容易な楽器。
ピアノやらバンドネオンやらパイオリンやら三味線は持ち運びに不向き。
重たかったり、繊細だったりして。
ギターは作りがシンプルで他と比べるとタフな楽器と言える。
砂ぼこりの中を馬車に揺られて東から西へ新天地を求めて流れたアメリカの開拓時代、重宝されたのではなかろうか。
 
・・・・・

 戦争のことやら、民族移動のことやら、楽器の変遷のことやらも思いながら、アメリカン・ミュージックを楽しんでいる。

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2014/08/04

2014・8・3 Muさん一周年の日の電話篇

P7290474隠宅のアジサイが一つだけ咲いた
色づき始めて




P8020479こうなった

 7月の28日に、ああもう一年になるなあと思った。

一年は喪に服する積もりだったのでMuさんのお家に連絡することはしなかった。
28日の午前中、恐る恐る宇治は木幡のMuさんの(木幡研究所)に電話した。

 お嬢ちゃんが出てくれた。
(一年たちましたね)
(そうなります、去年の7月29日でした、何とかやっています)
 
・・・・
 それで15分ほど、思い出話とも世間話ともつかない会話を続けた。
このお嬢ちゃんが一年前に電話でMuさんのことを知らせてくれたのだった。
最後に、お母さん、即ちMuさんの奥方の様子を聴きたくなった。
(お母さんはお元気ですか?)
(ハイ何とか元気に・・・)
 
・・・・

 この当たりから、何となく変だなあと思い始めた。
(ふうてんさん、さっきからお母さんお母さんおっしゃいますけど、私の母をご存じなのですか?)
(何言うてんの、ほれ、お嬢ちゃんが子供のころお世話になったあのお母さんよ)
(私がそのお嬢ちゃんの母親です)
(えっ?・・・・!!!???)

 ビックリしてしまった。
15分間もお嬢ちゃんの積もりで話していた相手さんがMuさんの奥方だったとは!!
(すいません、声がそっくりだったので)
(言われることあります)
 
・・・・
 それから昔話になった。
この日記にも何度か書いたMuさんとの出会いの話にもなった。
(
何しろ、幻の古代王朝、京都ミステリーツァー、ルナ企画とあったのでどんな会社かと)
(
そうでしたねぇ
)
(
それで電話して表敬訪問しますと新幹線に飛び乗ったのでした
)
(
その最初の電話に出たの私でしたよね
)
(
あぁ・・・そうそう、ルナ企画の代表はあなたでしたね。Muさんは使用人でしたなあ・・・
)

 そんな話がまた15分ほど続いた。

結局、Muさんの木幡研究所への電話は30分以上も続いたことになる。
(一年が過ぎたのでそのうちブロッグ連歌師仲間たちと訪ねたいと思っています)
(お気遣いなく、一年たって我が家も何とか落ち着きました、いつでもどうぞ)
(そうさせて戴きます、連歌師仲間もいつ揃って行けるか分からないので、そのうちということで)
(よろしいですよ)

 いつかJOさんと、できれば(それから)のほかも女史も誘って、Muさんのお弔いに宇治の木幡を訪ねたいと思った。
木幡研究所を訪ね、みんなで伏見の鳥せいでMuさん一周年の乾杯をしたい。
泊まりはJOさんと奈良ホテルということになると思う。
あの、これ以上狭い部屋はない、しかし極めて居心地の良いシングルを二つ予約しておこう。
この地上の衆生たちの行動を観て、Muせんせぇ~、空の上でニヤニヤして喜んではるに違いない。

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