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2014/08/18

2014・8・17 ローレン・バコールのこと篇

Photoローレン・バコールの若いころ
ハンフリー・ボガートが惚れたはずだわ

 8月15日の終戦記念日が終わった。
お盆だから敗戦を受け入れることを決めたのだろうか。
お正月の1月15日が終戦記念日だったら・・・??
そうであったらなら3月の東京爆撃もヒロシマとナガサキの原爆もなかったのに。
ずいぶん沢山の人が死なずに済んだのになあ・・・。
69年後の繰り言であります。

 終戦記念日の直前の12日にアメリカのローレン・バコールの訃報がニュースで流れた。
この女優のことを知っている日本人は少ないかも知れない。
何といってもマリリン・モンロー、エリザベス・テーラー、オードリー・ヘップバーンが日本では人気だった。
確かにその通りで、ふうてんなども、この三大女優の映画は何本も観た。

 対して全盛期のローレン・バコールの映画は映画館で観た記憶はない。
ただ1976年の、ジョン・ウェインの遺作となった(ラスト・シューティスト)でいい味を出していたのは観たような記憶がある。
ガンに侵されたガンマンが最後の地としてたどり着いたところの下宿屋の女将としてバコールは登場する。
70歳を過ぎて自身もガンになっていたジョン・ウェインの演技も大したものだった。

 この映画は映画館で観たのだろうか?
そうだったような気もする。
少しローレン・バコールの思い出を書きたくなった。

 1980年に初めての海外出張でアメリカをうろついた。
ふうてんが外国で初めて降り立った土地はカンザス・シティだった。
ジャズやギャング映画でしか出て来ないカンザス・シティに何の用事があったのだろう?
ましてや、ふうてんは当時コンピュータ・メーカに勤めていたエンジニアの端くれである。
カンザス・シティとコンピュータ・・・??
理由は簡単で(教育とコンピュータ)というコンファレンスが開催されたのである。
3泊4日の日程で、こちらは初めての海外でカルチャー・ショックを受けて食事がノドを通らなかった。
フローズン・ビアとかいう冷えた、ジョッキを氷のように冷やしたビールが旨かったことだけは覚えている。

 カンザス・シティからボストンへ向かった。
この町はカンザス・シティとは全く別世界だった。
この日記でもよく登場する(裾野小川別邸)の小川当主が迎えてくれた。
彼は大学を卒業したばかりのニューヨーク駐在員、こちらは34歳くらいだったろうか。
一泊目は気楽に泊まれるホリデイ・インを予約してくれていた。

 受け付けのお姉さんがあまりにもローレン・バコールに似ているので思わず聴いた。
(失礼ですけど、あなたバコールに似ていますねぇ)
(ええ、よく言われます)
(ニューヨークは怖いと聴いたのですけどボストンは安全でしょうか?)
(ニューヨークよりは安全だと思います、でも完全に安全だとは申し上げられません)
 
・・・・
ニューヨークよりは安全だけれど・・・やはり気をつけた方が・・・。
そんな思いでボストンの街へ繰り出したのだった。
あのローレン・バコールに似たお姉さん、ものの言い方まで似ているなあなどと思いながら。

 ボストンを訪ねたのはローレン・バコールに会いに行ったのではなかった。
エンジニアの端くれだからしてMIT(マサチュセッツ工科大学)を訪ねたのである。
ボストンから車で30分ほどの郊外にこの学校はあったような印象だった。
ここでも、また一人の愉快な若者に出会った。
当時ふうてんの勤めていた会社がMITに出資していたので案内人を付けてくれたのだった。
この男が車好きで、古いベンツをレストアしている写真を見せて自慢をしたりする。
こちらも自動車部の出身だからすぐに波長が合った。

(せっかくボストンへ来たので、おいしいロブスターを食べたいのだけど)
(任せなさい。美味しいレストランには三種類あります。どれにしましょうか。)

(三種類?というと。)
(一つはクラッシックなお店。老舗というやつで構えが古色蒼然というやつ。もう一つはファンシーなお店。新しいけれど店の雰囲気が明るくて綺麗で楽しい感じ。そしてもう一つは味本位。店の雰囲気やら格式やらは関係なし。料理の味だけで勝負というやつ

(いいねぇ、その最後の味本位というのが気に入った。そこへお願い。)
 
・・・・・。

 これ以降の話はローレン・バコールと関係なくなるのでまたいつか書くことにしよう。
いずれにせよ、前回のジョーン・バエズにしろローレン・バコールにしろ我々の世代はアメリカ文化にどっぷりと漬かって育った。
真珠湾攻撃で始まり沖縄戦を経てヒロシマ、ナガサキの原爆で何百万もの人たちが死んだあの大戦争。
1945年の8月15日に終戦を迎え、1946年の1月5日にふうてんは生れた。
江戸時代の鎖国政策も明治維新の尊皇攘夷の精神もとっくに無くなっていたのだろうか。
世界中のあらゆる音楽、世界中のあらゆる映画、世界中のあらゆる文明、文化がどっと日本に流れ込んできた時代だった。

 それから69年たって今日本は、世界の中でどう生きていこうかと問い直されている。
政権交代は繰り返されるのでいろいろと右だ左だ、戦争だ不戦だと議論される。
ふうてんなどはまことにシンプルに考えている。
極東の小さな島国。
それが日本のアイデンティティだということ。
寺田寅彦は(その国は位置で決まる)と言った。
このことに日本の可能性も限界も全てがあるとふうてんは思う。

 限界を知った上で可能性を追求すればいいじゃないか。
位置的に日本ほど恵まれた国はめったにない、とふうてんは思う。 

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