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2014年6月に作成された記事

2014/06/30

2014・6・29 四季の会にニュー・カマーが登場した篇

P5020476蒸し暑い季節に熱いソバもいい
ショウガは欠かせない

 金曜日に(四季の会 春夏篇)と銘打って飲み会をやった。
54歳から68歳の野郎ども5人の会となった。
今回は一人のニュー・カマーが参加して少し新しい雰囲気となった。

 この新人も勿論、昔パソコンを一緒にやった仲間である。
パソコンのあと携帯電話とかスマートフォンの仕事をやった。
引退の時期が近づいてきている現役である。
しばらく会えてなかったので、今回からこの四季の会に加わってもらった。

 四季の会、即ち3カ月に一度の飲み会。
こういう定例会で近況を話し合うのは悪くない。
定年退職した8年前に思いついた会だけれど、3カ月もあれば何がしかの変化がある。
それをネタに昔話も交えて語り合う。
春夏秋冬の年に4回、8年で32回を重ねた。

 メンバーも、お店も、飲み物や食べ物の注文もいつも同じ。
こういうワンパターンをふうてんは好む。

 ニュー・カマーは見かけが以前と変わらないので驚いた。
本人は(体はボロボロで記憶力の衰えはひどいですよ)なんて言う。
まあそれはお互いさまだよね。

 今回は6人の予定だった。
しかし一人が(再就職)して土曜日も朝が早いらしく金曜日は来られなかった。
早く会場に着いたニュー・カマーと二人で彼の評定となった。
(再就職できて良かったねぇ、本当は就職祝いやりたかったのに)
(ビル管理の仕事というから彼にピッタリですねぇ)
(ビルによじ登ったり、地下水の具合確かめたり、目に浮かぶよね)
(彼は肉体派でしたよね)
(そう、同じハード屋だけどロジック(論理)よりフィジックス(物理)が得意だった)
(絵を描くのもうまかったものなあ)
(だからパソコンのデザインにもうるさかった)
 
・・・・
 やはり欠席すると何を言われるか分かりませぬ。

 やがてみんなが集まり最近の日本とか会社の話になった。
 
現役組と引退組がそれぞれの近況を語る。
 
現役組の話からは、
(余裕がなくなりました、新製品の企画とか予算とかチェックが厳しくて)
というのが多かった。
(だから中々ユニークな商品が登場しません)
(しかしまだ情報処理産業は構造不況とは言えないよね)
(情報処理というのはキリがないものなあ)
(繊維とか鉄鋼とか家電とかとは一味違うような)

 引退組の一人に誰かが聴いた。
(ゴルフと絵を描くこと以外に何かやりたい事あるんですか?)
(山にはいるのって楽しいよ)
(山にはいって何をするんです?)
(木に登って枝を落としたり、下草を刈ったりするのよ)
(はぁ~・・・)
(人の手がはいって真っ直ぐに伸びた大木ってのは素晴らしいよぅ)

 話は尽きなかった。

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2014/06/23

2014・6・22 鬼の散りぎわ篇

P6200490_2P6200491コナラの新芽が新芽を出した

 NHKのEテレで住大夫さんの引退記念番組があった。

 
そのタイトルが凄い。
(鬼の散りぎわ~文楽・竹本住大夫 最後の舞台~)

 なかなか良くできた番組だった。
昭和の初年、住大夫さんが5歳のころ大坂の文楽は盛んだったらしい。
お父さんと一緒に20~30人の太夫たちと写った写真が出てきた。
 
(貴重な写真やなあ)
とご本人も言っていた。

 繁すしへ行くと村ちゃんがはいってきた。
それで竹本住大夫の話が盛り上がった。
村ちゃんは文楽仲間だから住大夫さんのことはよく知っている。
今回の新人はうちの女房どのだった。
(旦那さんがよく住大夫、住大夫言ってたのだけど初めて見ました)
(お弟子さんへの稽古の時なんか凄いですね)
(あんなに激しい人とは想像していませんでした)
・・・・
 村ちゃんの左の頬に切り傷なのか血の跡が見えた。
(村ちゃん、若い女の子に切られたの?)
(冗談じゃないですよ、髭剃りのときにね)
(ああそうですか、僕もこの間そんなことがあったなあ)
・・・・
 二人の会話を聞きつけた繁さんが出てきた。
(村瀬さん、女の子に切られたんですか?)
(繁さんは切られたことあるの?)
(ありませんよ、女の子に切られるなんて)
・・・・

 竹本住大夫の引退の話のはずだったのに妙な話になってしまった。
もう現場で彼の声を聴くことはできない。
しかし村ちゃんも言ったけれど、最盛期の彼に接することができた。
この日記にも書いた松山での一件の話も蒸し返した。
松山空港の広い待合室にポツンと一人住大夫さんが座っていた。
(お生まれはどちらです?)
(北ですわ)
から会話は始まった。

 曽根崎心中の舞台となる大坂の(北)。
今は北の新地とか言われる大坂の繁華街であり歓楽街となっている。
そう言えば(曽根崎署)なんていう交番もあったなあ。
京都にいた学生時代、時々大坂を冷やかした。
阪急で梅田に降りると、面白い映画館やらジャズ喫茶やらお好み焼きの店が並んでいた。
住大夫さんから(北ですわ)と聴いてすぐに納得した。

 住大夫さんはそういう町のど真ん中で文楽の三味線を弾くオヤジさん、やはり文楽一家の娘だったお母さんのもとに生れた。
(パコも同じで、9歳のときに明日からギターの練習だ、とオヤジさんに言われたとか)
(それで学校へも行かずに、文楽やらフラメンコの道に)
(そういうことでしょうなあ、まだ訳も分からない子供がドップリと漬かっちゃった)
(なるほどねぇ、大人になって学んだ芸とはそこが違うのでしょうなあ)
・・・・
 この日の繁すしでの会話はこんな話に終始したのであった。

 書簡集へ寄って夜道を帰る時、フラフラとしていたのだろうか。
若いお巡りさん二人に取っちめられた。
チャリでも酔っぱらい運転は御法度である。
(大丈夫ですか?)
と二人が聴く。
(そうなんだよね、無灯火で酔ってチャリに乗ってはいけないよね)
(お名前と住所を念のために)
・・・
しばらく何かを確かめているようだった。
(君たち若いねぇ、お幾つ?)
(23です)
と一人が応えた。
(31です)
ともう一人が応えた。
(若いねぇ、これからの人生長いなあ、頑張ってね)
・・・・
調べが済んだのか、酔っぱらいで無灯火なのに二人で見送ってくれた。

 住大夫さんが引退して、もう文楽を聴きに行くことはないと思う。
住大夫さんが番組の中で言っていた。
(ホッとすると同時に、やっぱり寂しいですなぁ)
と。

 現役で、人の前に出て、謡を語る。
それを出来なくなった住大夫さんは後輩の指導に力を注ぐという。
その後輩たちにエ~ルをおくることにしよう。

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2014/06/16

2014・6・15 ワールドカップが始まった篇

P5190463P6130489梅雨の晴れ間

 先週、今年の梅雨は梅雨らしい梅雨でいい調子だと書いた。
全国のお天気の番組を観ているとそうでもないらしい。
 
へぇ~っ、そうかなとタカをくくっていた。

 ところがやはりどうも様子がおかしい。
梅雨なのに真夏日の30℃を平気で超える。
ゴロゴロとカミナリが鳴るなあと思っていると土砂降りの雨が降る。
音が大きすぎるなあと庭を見ると大きなヒョウがバラバラと転がっていた。

 やがて静かになり、アッと言う間に太陽が差したりする。
まことに目まぐるしい。
梅雨らしい梅雨とは・・・しとしとと、じと~っと降るのではなかったろうか。

 そんな今年の妙な梅雨の中、ブラジルのワールドカップが始まった。
今日は朝の9時から実況中継をするというので余り眠らずに見守った。
残念ながらザック・ジャパンは初戦を落とした。
コートジボアールに敗れたけれど日本サッカーもここまで来たのかと思う。
世界の強豪チームと対戦しても遜色ない。

 ワールドカップ開幕に合わせていろんなサッカー番組があった。
NHKは全試合生中継とか言って意気込んでいる。
それの序章として日本サッカーの歴史とか世界のスーパースターの秘密解明とか。
何しろドキュメンタリはNHKの独断場。
面白くて眼が離せなかった。

 日本のサッカーは1964年の東京オリッピックの時に始まった。
その次のメキシコで3位になって世界を驚かせた。
それからもう半世紀くらいになる。
野球と相撲とで長年来た日本のプロスポーツの世界。
サッカーが一人前になるにはそれくらいかかるということだろうか。

 今のザッケローニ監督はオシム監督に次ぐ外国人監督である。
オシム監督が日本のサッカーを変えたとふうてんは思う。
(考えながら走れ)
(シュートする勇気を持て)
(日本人の俊敏さ、チームワークで勝負するんだ)
要するに世界と戦える日本サッカーのあり方を示した。

 ザッケローニはそれに(攻めろ)を付け加えた。
守ってばかりじゃ勝てない、リスク覚悟で攻めるんだ。
・・・・・
観ている方もその方が面白い。
負けたけれど今日のコートジボアール戦も見どころは多々あった。

 夕刻、書簡集へ向かった。
スカイラインGTRのお兄さんは既にサッカー談義を終わったようだった。
(マスター、今日はサッカーの話はやめようね)
(そうしましょう)
・・・・
(同点に追いつかれたあの一点、あれは本田のパス・ミスから始まったね)
と思わず口をついて出た。
マスターが応えた。
(僕、数えていたんです。今日のホンダは13回のミスをやらかしました)
と、何のことはない、やはりワールドカップの話題になった。

 常連のお客さんが次々と登場した。
若い、女ソムリエ志願、お子さんたちと一緒のお母さん、お父さんたち。
マスターは一人で注文をこなすので大忙し。
追加注文も勘定を頼むのも憚られるので勝手にCDを入れ換える。
ボトルキープではなくCDキープをしていて、いつもその音に見送ってもらう。
そのうちの一つは昔カフェ・ダンラ・シャンブレットでいつも聴こえていた音。

 ザック・ジャパンはギリシャとコロンビアに勝つしかない。
(リスク覚悟で攻める)
やってもらいまひょか・・・見せてもらいまひょか。

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2014/06/09

2014・6・8 東京でも梅雨入りした篇

P6080489ビワも雨に濡れて

 東京でも梅雨入りした。
梅雨入り、梅雨明けというのは面白い言葉だと思う。
毎年のように入りや明けの時期が変化するので話題になるのも面白い。

 空梅雨とかいって雨の降らない(梅雨)もある。
去年だったか、一旦7月に梅雨が明けて8月に戻ってきた。
(梅雨の戻り)という珍しい言葉を初めて聴いた。
(戻りガツオ)を思い出したりした。

 今年は一週間ほど前に梅雨入り宣言があり、その日から毎日のように降り続いている。
まことに落ち着く梅雨入り宣言であった。
去年だったか、毎年(入り)だ(明け)だが外れるので気象庁が嫌になって、梅雨入り宣言はよしましたと弱音を吐いたことを覚えている。

 この一ヶ月ほどNHKのドキュメンタリ番組で第一次世界大戦と第二次世界大戦のことをよく取り上げた。
なかなかよく出来ていて面白いので録画したりした。
しかし何故こうも続くのだろう?
そう思っていると100周年とか70周年とか聴こえてきた。

 第一次世界大戦は1914年~1918年なので今年は開戦100周年。
第二次世界大戦のノルマンディ上陸が1944年6月6日なので70周年。
そういうことであるらしい。
な~んだ、そんなことだったのか。

 どれも戦争のドキュメンタリだから戦闘場面が次々と出てくる。
戦闘場面とはすなわち人間の殺し合いの場面である。
よくもまあ沢山の人間が知力と体力の限りを尽くして殺し合ったものだなあ。
20世紀は戦争の世紀だったといわれる。
知力を尽くして武器を開発し戦略を練って殺し合った。

 1989年にベルリンの壁が壊されて東西の冷戦は終わった。
いわゆる(先進国)同士の国を挙げての全面戦争はこれで終わった。
原爆を何千発も持ったもの同士が戦争してもしようがない。
21世紀になって(テロ)と呼ばれる局地戦が散発することになっている。

 ドキュメンタリ番組の映像で戦争の有り様を見せつけられると実感としてもう戦争はやめようよ、意味がないよと改めて思い知らされる。
戦争の実体験がなくったって映像から実に生々しく伝わってくる。

 そんな時に日本では(集団的自衛権)とか(憲法9条の改定)とかが議論されている。
何とか戦争をできる国にしたいという側と戦争なんてもう沢山だという側の議論である。
やはり両陣営が一堂に会してこれらのドキュメンタリを観るとよろしいのではなかろうか。
誰かが言っていたけれど国防には二通りある。
一つは世界最強の軍備を持つこと。
一つは戦争を未然に防ぐこと。

 日本は(戦争放棄)を標榜してこの70年やってきた。
それで戦争では一人も相手を殺さず自分も死なずにやってこられた。
そのことで世界からも嫌われなかった。
これでいいじゃないかと思う。
勇ましい(益荒男ぶり)よりも優しい(手弱女ぶり)でいいじゃないか。
レイモンド・チャンドラーが探偵フィリップ・マーローに言わせたセリフ。
(タフでなければ生きていけない 優しくなければ生きる資格がない)

 ふうてんの大好きなこのセリフは今でも生きていると思う。

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2014/06/02

2014・6・1 お隠れになった?と書簡集マスターが言った篇

P6010508P5300507ビワが色づいてきた

 繁すしの帰り書簡集へ寄ると、マスターが言った。
 
(あれっ?生きてたんですか?お隠れになったのかなあと思っていました)
 
(そうなのよねぇ、週刊誌が休んじゃあいけないよね)
 
(姿を現さないと当然どこかにお隠れになったかと思います)
 
(そやねぇ、日記を観に来てくれた人には悪いことしたなぁ)
 
・・・・
 
(ところでマスター、繁さんが完全復帰してね)
 
(そうですか、みんな心配していたんです、復帰の連絡ありましたか)
 
(奥方からメールでね、28日に復帰したというのでさっき行ってきたきのよ)
 
・・・・

 ふうてんが週刊誌をサボッていたとき繁さんは肺炎でエライ目に合っていたのだった。
 
まずは救急車で立川の病院へ運び込まれ、一週間後に府中の病院へ移され2週間後に退院できたという。
 
つまりは繁さんの顔を観るのは3週間ぶりくらいになる。

 奥方から(28日から復帰しています)というメールを戴いていたので、今日もいつものように夕刻5時に電話した。
 
繁さんがでてきた。
 
(繁さん、お元気?回復しました?)
 
(ハイ、全く元通りになりました)
 
元通り?・・・??

 大抵、(肺炎)と聴くと深刻な事態を想像する。
 
若い人でも肺炎で命を落とすこともあるくらい怖い病気という印象がある。
 
若くはない繁さんが肺炎だとなると大変ではないか。
 
その繁さん本人が電話口で元気そうな声で(元通りになりました)と言った。

 行ってみると、確かに元気そうだった。
 
病後のやつれ、という気配が全くない。
 
一体これはどうした事だろうか?
 
(繁さんてやっぱり体を使う仕事だから基礎体力があるんやろねぇ、それで回復が早い)
 
(いえね、救急車で連れて行かれた病院の先生が、あなた明日には死にますと言ってね)
 
(何です?それ)
 
(いや、血糖値がどうだこうだとか、だからもうすぐ死にますと言うのよねぇ)
 
(それで繁さん、どうしました?)
 
(いや俺は明日からでも働かなくちゃいけないんだ、お客さんが待ってくれている)
 
(それって、体力よりも気力やねぇ)
 
・・・

 ふうてんの回りでもこういう話題が日常的になってきた。
 
書簡集のマスターが(お隠れになったのかと思いました)と言った。
 
つまりは天国へ行ったのか地獄へ行ったのか、この世からはお隠れになった、という意味なのだろうと思う。
 
簡単に言うと(死んだのかと思いました)ということになる。

 こういう年代になって、例の東山魁夷の言葉に救われる。
 
(花は死ぬことで美しく輝く。短い命の時間を共有できたという無意識の思いが花を美しく感じさせるに違いない。花も人間も死ぬことがなかったらその出会いに何の感動もないであろう。)
 
そう東山魁夷は語っていた。

 (週刊誌が途切れたのでどこかへお隠れになったのかと思いました)
 
そう、のたもうたマスターどのに次に書簡集へ行ったとき聴いてみよう。
 
(あなたねぇ、どっかへって、天国だとおもったの?それとも地獄だろうなと思ったの?)
 
と。

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