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2014年5月に作成された記事

2014/05/19

2014・5・18 どうして憲法議論が盛んなのだろう篇

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アンジェラに来たハチくん
 
(庭師撮影)

 5月も半ばを過ぎた。
今年ももう半分近く終わったことになる。
太陽はますます北へ傾き、夕方6時を過ぎても明るい。
東西南北に窓のある二階家に住んでいると太陽の運行がよく分かる。

 昔、西に沈む太陽を団扇だったか扇子だったかで煽いで上に戻そうとしたバカ者がいたという話を子供のころに聴いた。
太陽は東から登って西に沈む。
自然の摂理に逆らって栄華を極めたい、自分の世の中がいつまでも続いて欲しい、そんな権力者だったような記憶がある、その馬鹿者は。

 このところの憲法議論を聴いていてこれを思い出した。
20世紀は戦争の世紀だったと言われる。
第一次世界大戦、第二次世界大戦。
1000万人以上の戦士が死んだ。
それの何倍もの人々が命を落としたに違いない。
20世紀の半ばの1945年の日本の無条件降伏により、ほぼ戦争の世紀は幕を閉じた。
つまり日本は幕引きの主役を勤めた。

 そして(戦争放棄)を唄った憲法を持つ国となった。
誰が作ったかが問題ではなく、いい憲法かどうかが問題である。
20世紀まで戦争に明け暮れた人類はもう戦争は嫌だと思った。
それでたどり着いた最も良い憲法がこの日本の戦争放棄の憲法だと思う。
残念ながら世界の中で(戦争放棄)の憲法を持つ国は日本だけらしい。
人類の歴史はギラギラとした太陽の光り輝く中での活動の時間と日が沈んで暗くなった静かな休息の時間とで成り立っている。

 長い眼で見ると戦争の世紀は太陽が一番ギラギラと輝いた時代ではなかろうか。
戦争とは武器の活躍の場である。
戦争のための武器を作るために人間はあらゆる科学技術を動員してきた。
戦争の世紀の最後に、一番光り輝いたのは原爆だった。
ローソクは燃え尽きるとき最後の輝きを示すという。
(もうこれで戦争やめようね)
とヒロシマ、ナガサキに落ちるとき原子爆弾たちは叫んでいたのかもしれない。

 勿論、戦争の世紀、第二次世界大戦が終わっても世界で戦争は終わらなかった。 格闘技のようにチャンピオンシップを賭けた殺し合いは続いている。
ただ一番の大戦争の敵役だったドイツと日本はおとなしくしてきた。
(もう太陽は西に沈んでもらおうよ、太陽は人をかき立てる、お月さまに静めて欲しい)
ドイツの人も、日本の人もそう思ったに違いない。

 ところが最近(日出ずる国)で西に沈む太陽を団扇で煽いで上に引き戻そうという輩がいると聴く。
ギラギラと輝く太陽が懐かしい。
太陽にかき立てられて一暴れしたい。
そういうことを国の首長がいうと、何だか勇ましいから悪くない、なんて同調者も出てくる。
若いのほどそういう傾向が強い。

 西に沈む太陽を扇ぎ戻すには日本の平和憲法は障害となる。
日本の憲法第9条にはこう書いている。

第二章 戦争の放棄

第九条

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 

 まことにシンプルで美しい条文だとふうてんは思う。
そして、まことに哲学的だと思う。
国際平和のために武力は使わない、という宣言である。
核を含めた武力による抑止力で平和を、というのとは次元が違う。
本当に戦争を無くするには武器を捨てるしかない。
 日本はこの憲法を高々と掲げて世界中に発信すればいい。

(ヘミングウェイも(武器よ、さらば)て言ってたよね)
と。
あれっ?第二次世界大戦が終わった後、一番戦争続けているのはアメリカだっけ?
アメリカの戦争のための基地が沖縄に一杯ある?
マジイなあそれは・・・。

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2014/05/12

2014・5・11 新緑の平和な一日だった篇

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西日の差す大学の森
 




P5100722 春の朧月?






 伸びやかな空気を吸いたくなってチャリで外へ出た。
この季節、国立の街が一番美しい季節である。
どの通りにも緑が輝いている。

 チャリで外へ出ると太陽が西に傾き始めていた。
真西よりは少し北の方に見えた。
今日は何月だったっけ?・・・ああもう5月なんだ。
3月の春分の日から間もないと思っていたのに、ひょっとしたら来月には夏至??
チャリで東へ向かうと道路に映る自分の影が何となく傾いている。
電柱の影は明らかに太陽が北寄りに傾いていることを示していた。
大昔の人は太陽の運行でカレンダーを作っていたらしい。
それはもっともだと思った。

 大学の森へ寄った。
デジカメを持っていたのだけれど太陽の光はもう終わりのころだった。
やはりこの森は朝の光の方が似合っているのかもしれない。

 森を抜けて大学通りに出て、いつものタバコ屋さんへ行った。
この禁煙の時代にたばこ専門の店が残っているのは奇跡的だと思う。
2年くらい前にここで買ったガス・ライター用のガスと石を買う。
店にはタバコ関係のものは何でもある。
パイプ、ライター、葉巻、パイプ用のきざみ、何でもござれである。
国立へ越して来てからもう30年以上の付き合いとなる。

 タバコ屋さんを出て書簡集へ向かった。
いつものようにマティーニとウィスキーを飲んだ。
モカの豆を買って早い目に店を辞した。
マスターと政治談義や音楽談義や文学談議や日本談義に耽る時間はまことに楽しい。

(ちょっとした間違いでした、というのは自然科学者らしくないよねぇ)
(自然科学はロジックの世界で、感情入れたらいけないんでしょう?)
(理化学研究所、改め、人文科学研究所というのはどうかしら)
(それを言うなら“非科学研究所”でしょう)
(そりゃあいいや、ピッタリ)
などと無責任な話に耽った。

 外へ出るとまだ明るい空におぼろな月が出ていた。

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2014/05/05

2014・5・5 東京はよく揺れる土地らしい篇

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ビバーナム・スノーボール
 
(西洋アジサイ?)
 
我が家の庭師はよほど花がお好きらしい

 今朝は地震の揺れで目が覚めた。
どうも遠くではないなと感じた。
はんがテレビを支えたりしている。
地震で目が覚めたこちらは、
 
(東北のときと違うなあ、西のような気がする)
 
起きていた嫁はんは、
 
(真下から突き上げられるような・・・怖かった)
と言った。
やがてテレビのニュースで相模湾が震源地だったことが分かる。

 京都から東京へ流れてきて最初に驚いたのは(揺れる)ことだった。
伊予とか京都で過ごした20年ほどの間にはなかった経験だった。
東京へ流れた一年目からずっとそれは続いている。
今のところ(おっ、揺れてるな)と、しはらく待てば納まった。
次はどうなるか知れたものじゃない。

 東京へ流れて45年ほどの間で一番ひどかったのはやはり2011年だった。
ゆったりと揺れ始めたので(おっ、揺れてるな)と気楽に構えていた。
ビシビシと窓ガラスが音をたて始めた。
(何かゴッド・ファーザーの襲撃シーンみたいやなあ)
と思っていると部屋の中の本棚の上に積み上げていたビデオ・テープやら本などがドサドサと落ち始めた。
(これはヤバイ)
と椅子から立ち上がった時、嫁はんが(どうしよう!?)と駆け込んできた。
と同時に揺れは納まった。
まことに長時間の揺れだった。
(東京でこれだと震源地に近いところは・・・)
やがて恐ろしい映像が次々とテレビで流れた。

 今日の地震の震源地は相模湾だったという。
ふうてんなどはすぐに大正の関東大震災を思い出す。
深さや大きさはあの時とは違うけれど発生の場所はほぼ同じではないのだろうか。
テレビではそういう説明をしてくれない。
大正12年、東京は江戸時代のまんまのような生活をしていた。
江戸時代の250年、明治維新から50年。
300年ほどで江戸は沢山の人々が住み着く大都会となっていた。
そこへ(大きな一揺れ)が来た。

 揺れて家屋が倒れる。
昼飯の準備のための火が燃え移って燃え広がる。
やがて東京、江戸中が火の海になった。

 関東大震災後、寺田寅彦は語っている。
(文明が発達するにつれて震災の被害は大きくなる)
(建物や道路などを人間の都合だけで作ってしまう)
(日本には大昔から震災、台風などの自然災害の歴史がある)
(それから学んで次に備えようということをしない健忘症の民族のようである)
と嘆いた。

 今の東京のベイ・エリアの高層ビルの乱立が、ふうてんにはどうにも理解できない。
2020年だかの東京オリンピックに向けてさらに加速される気配である。
東京湾を埋め立てて、人間さまの都合だけで、動植物を押し退けて住んできた。
ベイ・エリアのマンションは高層階ほど高額だと聴く。
それが今もすぐに完売となる。
ふうてんには信じられない。

(眺めがいいですよ,都心に近いから便利ですよ)
と勧められてもベイ・エリアの40階は御免被りたい。
大きな一揺れが来て停電になったらどうするのだろう?
自家発電装置があるから大丈夫?
そうやったねぇ、福島原発でも。

 富士山が噴火したら困るけれど、今のところ多摩の田舎の方がベイ・エリアよりは安心できる。
寺田寅彦のいう(文明の発達が震災を大きくする)という言葉は記憶に残る。
日本人は自然に恐れを抱いて来た民族だと思う。
そのことから自然との付き合いが決まってきて、いろんな日本独特の文化を育ててきた。
明治維新以降、西洋からの近代工業が伝わってきて、それを日本としても取り入れた。
その当たりから日本人は自然との付き合いをどうすればよいか?に迷いが生じたのではなかろうか。

 人間と自然との付き合い。
人間も自然の中の一つの存在でもある。
ややこしいなあ、難しいなあ・・・。
一つだけ言えるのは人間の都合だけでものごとを決めない方がよろしい。
そういうことかなあ。

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