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2014年4月に作成された記事

2014/04/28

2014・4・27 寒いのか暑いのか分からない篇

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隠宅のハナミズキ
 

北側のピンク

南側のシロ

 国立ではこの4月に桜狂想曲が終わり、新芽狂想曲も終わった。
これからは新緑狂想曲で、夏まで緑が深くなり続ける。
狂想曲というのはどこのどなたさんが名付けたのだろうか。
協奏曲というのもある。
念のためにウィキペディアに聴いた。

(狂想曲(きょうそうきょく)は、特定の出来事に対して人々が大騒ぎする様子を描写する際に用いられる言葉
音楽用語としての狂想曲が自由な楽曲を意味することから、対象となる現象を前に着け「○○狂想曲」と表現する。)

(協奏曲(きょうそうきょく、: : : concerto: Konzert)は、今日では主として一つまたは複数の独奏楽器(群)と管弦楽によって演奏される多楽章からなる楽曲を指す。イタリア語のままコンチェルトともいう。)

 と教えてくれる。
狂想曲は(特定の出来事に対して人々が大騒ぎする様子・・・)
とあったので、これまでこの言葉の使い方は間違ってなかったと安心した。
インターネットの時代になって、何でも検索すれば教えてくれるから自分では考えないという悪癖がふうてんにもついてしまった。
ふと、ある言葉を思いつくとついグーグルに聴いてしまう。
自分でその言葉の意味を深く考え思い悩むということをしなくなった。
(桜狂想曲)とか(新芽狂想曲)とかこの日記に書いてきたけれど(狂想曲)で良かったのかなあと心配になってグーグルに確かめてみたという次第。

 その新芽狂想曲も終わって我が国立は新緑の季節となった。
植物ほど季節の変化を教えてくれる存在はない。
季節の変化を植物たちは自らの体で示してくれる。
人間も温度や光の具合で季節の変化は感じるのだけれど、人間はその変化を防ぐための道具を発達させて来た。
エアコンなんてのがその代表格である。

 今日も夕刻、書簡集へ行った。
毎週の土曜日か日曜日に繁寿司か書簡集へ行かないとふうてんの一週間は終わらない。
コンパスでもありメトロノームでもある。
時間と空間の認識の基準点、と難しく言っておこうか。

(今日は暑いですね、お客さんが来るともっと暑くなってエアコン入れたくなります)
と書簡集マスターどのが言う。
(その通り、客も来ない僕の部屋でも除湿にしようかなと思ったよ)
 
・・・
気候が良くなってきたせいか書簡集は客が絶えなかった。
小さな8カ月のワンちゃんを買ったという女性客がいた。
(小さなカゴに入れたら騒がなくなって静かに眠ってくれます)
(何だかおふくろの最後のころを思い出しますねぇ)
(赤ちゃんと一緒で、抱きすくめられているという安心感があるのかしら)
(ワンちゃんも徘徊老人もねぇ)
 
・・・

 やがてスカイラインGTRのお兄さんやらふうてんの学校の後輩らが来た。
書簡集で一杯のコーヒーや手作りのケーキを味わうために遠くから来る常連も多い。
その人たちといろんな話をしながら、こちらは酒を飲みマスターズチョイスの音楽を聴く。
たまには持参したCDをマスターに断って聴くこともある。
(暑いねぇ)
(寒いねぇ)
と言いながら時が過ぎていく。

 去年亡くなったMuさんが言っていたことを思い出した。
(イギリス紳士は天気の話しか、しないそうやね)
確かに宗教だ政治だ信念だ商売だとなるとややこしい。
Muさんも宗教、政治、歴史観、世代の違い、金儲けということ・・・。
いろいろ悩んではったのやろなあ。
Muさんはそれらに関して独自の考えを持っていたに違いない。
しかしそれを他人に押しつけることを潔しとしなかった。

(ふうてんさん、今年の夏は暑いんやろか)
(ハモの季節やでぇ)
いつもなら祇園祭のころMuさんからそんな連絡があった。
今年はもうその声は聴こえてこない。

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2014/04/21

2014・4・20 憲法9条がノーベル賞にノミネートされたとか篇

国立でも新芽狂想曲が始まった

P4171043桜通り

P4171050コナラ




Hanamizuki2014

ハナミズキ




 寒い寒いと思っているうちに、いつの間にかエアコンをつけない日もあるようになった。

 
ふうてんの部屋のエアコンは、リモコンで何か押すたびに音声で応える。
(温度を23度に設定します)
(運転を終了します、フィルターの掃除を始めます)
といった調子。
最初はわずらわしいと思った。
しかしリモコンで,確かに伝わったなという安心感があり今は気に入っている。

 いつの間にか外は緑が増えて、もうすぐ5月連休の季節になった。
集団生活をしていた時から個人生活にはいって8年になる。
季節を迎えるのも集団ではなく個人として、ということになっている。
(暑いなあ、寒いなあ、この雨長いなあ・・・)
と職場で仲間と話すことはできない。
せいぜい女房どのに話しかけて、(そうねぇ、暖かくなってきたのかしら)
という程度のお応えをいただくのが関の山となった。

 先週、仕事仲間の友人と神保町のミロンガでミーティングをやった。
いろいろと話すうちに憲法第9条の話になった。
(どうも最近、日本の政府は憲法を変えたがっているようですなあ。)
(どうして憲法変えたいと思うんでしょうねぇ)
(アメリカに押しつけられたから、戦争に負けて、ということでしょうか)
(押しつけられた憲法で、自分たちが作った憲法じゃないから不満なの?)
(そうらしいんですけど、僕は反対ですね)
(というと?)
(曲というのはそれがいい曲かどうかが問題なんです。作者が誰かは問題じゃない)
 
・・・

 その友人、憲法の話をしているのにいきなり音楽の曲の話を始めた。
誰が作ったかではなく曲がいいかどうか。
アメリカに押しつけられたから嫌だ、ではなくていい憲法かどうか。
それが問題なんですよ。
有名な作曲家が作ったからいい曲だとか、無名の新人だからタメだとか・・・。
音楽の世界ではそれは通用しません。
だって誰が作ったのか分からないけれど素晴らしい民謡なんて世界中にあるでしょう。

 この友人は国立にあった音楽学校の出身で今でもトランペットを上手に吹く。
以前この日記でも登場してもらった友人である。
そうか、憲法だって人間の作った作品なんだ、音楽の曲と一緒なんだ。
誰が作ったかより、その作品がいいか、よくないかで判断すべきなんだ。

 改めてウィキペディアに日本国憲法第9条を聴いてみた。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。

 戦争に関してこれ以上の憲法が世界にあるのだろうか。
ふうてんは日本以外ではアメリカとイギリスの憲法らしきものをちょこっと読んだだけであまり知らない。
しかし戦争に関してこれほどハッキリと書いた憲法はあまりないに違いない、ということは分かる。

 歴史上、武力はいろんな風に使われてきた。
狩猟採集時代が終わって農耕牧畜を始めた人間の宿命であった。
人が人を殺し合う、生存競争の為に武器が工夫されてきた。
農耕牧畜には縄張りが必要だったからである。
この今の日本国憲法第9条には大切なことが表明されているとふうてんは思う。
(縄張りは必要ですよね。でも他人の縄張りを武力によって侵しませんよ。)
という宣言のように聴こえてくる。


 こんな言い草は(島国)だから言えるのさ、という声も聴こえてくる。
陸続きだったらそうはいかないよ、と。
確かにヨーロッパなどはややこしい。
中国も朝鮮もロシアも。
ユーラシア大陸の一国だったら、日本もこんなノンキなことは言えないのかもしれない。


 しかし、日本はそういう島国なのである。
島国だからこそ見えてくるものもある。
いろいろ失敗もしてきたし、近くのお隣さんたちには迷惑もかけたけれど、学んだこともある。
他国を武力で侵してはならない、それのエッセンスが憲法第9条に表れている。
この原理原則は島国だろうと陸続きの国同士だろうと普遍的に通用するものだと思われる。


 世界のみなさん、いかがですか?
日本の憲法第9条いかがお思い?
戦争せんでええ国になりまっせぇ。
えっ?沖縄に巨大な米軍がいるやないか?ですって?
あれはですねぇ、用心棒傭うとりますねん。
念のためにね。

七人の侍にもありまっしゃろ。

村の長老が、

(生きの残ったのは侍傭った村だけだった)
 
と。

 けど、七人の侍の時代とちゃいます。
 
もう野盗みたいなのおらへん。
 
あの時代みたいな野蛮な時代とちゃいます。
 
武器弾薬を備えて誰と戦争しますんや?
 
 やめときなはれアホらしい。

 もし村の若いのが言ってきたら長老たるふうてんはこう応えるやろねぇ。
 
(侍傭わんでも生き残る方法あるわい、若いの、考えんかい)
 
とね。
 

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2014/04/14

2014・4・13 住大夫はもう聴けない篇

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コナラの新芽

 木々が一斉に新芽を吹き始めた。
新芽狂想曲が真っ盛りの季節となった。

 卒業した会社の新人教育で今年も沼津へ出頭した。
その行き帰りの道中、車窓から見える山々は桜花の残りや新芽の薄緑で覆われていた。
深い緑はまだなくて、山は霞か霧に包まれているように見えた。
ふうてんの一番好きな山の風景だった。

 文楽仲間の村ちゃんから電話があった。
(5月の文楽公演のチケット、取れなかったよ)
(やっぱりね)
(キャンセル待ちとか少し粘ってみるけどね)
(村ちゃん、最後の公演は聴きたい人に譲ろうよ)
(その代わり、でもないけど、今夜空いてる?)
(住大夫さんの思い出話でもやろうか)

 こういう話はすぐに決まる。
夕刻5時に谷保の(しんう)で会う前にユーチューブで住大夫を探した。
(ラジオ深夜便 天野祐吉の隠居大学<ゲスト:竹本住大夫>)
とか、
(竹本住大夫さん引退表明 人形浄瑠璃文楽の人間国宝)
など、なかなかいいのが見つかった。

 (天野祐吉の隠居大学)では住大夫さんの大阪弁がタップリと聴ける。
文楽は淡路島発祥らしいけれど本格的になったのは大坂。
勿論住大夫さんの大阪弁は今流行りの(吉本風)のそれではない。
村ちゃんは関東の出身なので(吉本風)の関西弁は苦手だったという。
3年くらい前に住大夫の素浄瑠璃の会があり、その最後の対談で住大夫さんの大阪弁を聴いてすっかり見直した、などと言っていた。

 引退表明の会見で住大夫さんはその理由を語っていた。
その内容は2月の東京公演の後、村ちゃんと話し合ったこととピタリ一致していた。
(住大夫さんは自分で引き際を決めるやろなあ)
その会見の口調、言葉の運びでもそれはこちらに伝わってきた。

(しんう)で住大夫さんのことを中心にいろいろと芸能話に耽った。
文楽を楽しみ始めて20年ほどになる。
ふうてんは住大夫さんの追っかけだった。
この日記でも10年ほど前に伊予の内子座まで追っかけたことを報告している。

  現役引退ということで、当たり前だけれど、話は盛り上がらなかった。
文楽を観に行っていたというよりも住大夫-錦糸コンビを聴きに行っていた。
それに人形が華を添えてくれた。

 もう文楽を聴きに行くことはないと思う。
全盛期の住大夫-錦糸コンビを十分に楽しませて貰った。
ツバの飛んでくるようなすぐ傍の席でも何度か聴いた。
(夏休みだっていつか終わりは来るさ)
という若いころからの戒めを思い出した。

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2014/04/07

2014・4・6 Muさんも桜が好きだった

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桜通りと大学通り
もう散り始めた

 東京ではこのところグズグズとした天気が続く。
先週報告したように、桜はいつの間にかアッという間に咲いた。
咲いたあともグズグズ天気だったので桜はどうなったのだろうと気になった。
それで昨日確かめに行った。

 まず桜通りで一枚、桜通りを左折すると大学通り、そこで一枚。
雨がポツリ、ポツリと来た。
んな天気だったので写真はいま一つ桜がハッキリしない仕儀となった。

 桜が咲くとどうしても京都のMuさんのことを思い出す。
MuBlogでも桜の記事は多かった。
佐藤藤右衛門さんの桜の園は嵯峨野にあるのだろうか?
広沢池の桜もMuさんはよく写していたのできっと嵯峨野に違いない。
嵯峨野・・・Muさんが生まれ育った土地だった。
ふうてんが知り合ったときは宇治の木幡にお住まいになってからだった。

 
 Muさんと京都で桜見物をしたことはほとんどない。
例えば平安神宮のしだれ桜を細雪風に観たいと思ったけど実現しなかった。
谷崎潤一郎もよほど桜が好きだったとみえる。
四姉妹に平安神宮の桜見物をさせる。
(小説家というのはいいですなあ、登場人物に自分のしたい事をさせて)
(池波正太郎なんかもね。盗みをしたり、悪い奴を殺したり、うまいもん喰ったり。)
(小説の中では何でもでける。Muさんもそれで小説書いてはるんやろ?)
(その通りや)

 そんなMuさんとJoさんを誘って一度だけ吉野見物を試みたことがある。
どうせ花見をやるのなら吉野の桜を観てやろうじゃないか、と思い立った。
これは見事にハズれた。
桜のようないつ咲くか分からない気ままな花を追っかけるのは難しい。
咲いて一週間もすると散ってしまう。
泊まり掛けで見物しようとなると・・・。
しかも名所となると・・・。

 早くに予約しないと泊まるところが塞がってしまう。
 
それで吉野の旅館に何カ所か電話した。
(今年はいつ頃咲くでしょうねぇ)
(ちょっと早そうやから・・・4月の初めやろね)
(そうですか、そのころまだ部屋は空いてます?)
(もう一杯ですねん)
 
・・・・

 その情報に基づいて(吉野花見)の計画を立てた。
宿舎は奈良ホテルに電話して、個室は無理やけど相部屋ならいけます、とのこと。
それでMuさんとJoさん、Joさんの同僚とふうてんの4人が勇躍吉野へ、吉野の花見に乗り込んだのであった。
そのいきさつは以下の記事に少し報告している。

2000-04-09
吉野桜篇 ふうてん老人日記
http://futen.cocolog-nifty.com/futen/2000/04/20000409__ba84.html

 この記事はブロッグを始める前で、Muさんのホームページに寄稿したもので、写真もない。
この記事には肝心の吉野の桜がどうだったのか全く触れていない。
行く前がどうだった、帰りがどうで奈良の晩飯がどうで・・・しか書いていない。
書かなかったのか書けなかったのか?

 実は憧れの吉野の花見なのに桜の花は一輪も、一片も咲いていなかった。
宿屋の女将さんたちへの事前取材は役に立たなかったようだった。
それでも見物客はずいぶん多かった。
しようがないので途中の食堂みたいなのに寄り、熱燗でうどんを喰ったりした。
同行の夫婦連れがいたので、どちらから?と聴くと徳島からですと言った。
そのうどん屋でしばらく昼寝をして帰途に着いた。

 帰りのケーブルカーは満席だった。
みなさん何となく浮かない顔をしている。
それは当たり前でみんな満開の吉野の千本桜を期待して来たのである。
ふうてんは、つい伊予の(よもだ精神)、大阪の(吉本精神)が湧いてこう言った。
(みなさん、さすが吉野ですねぇ。満開の吉野桜、素晴らしかった。家に帰ってそう報告しましょうね)
 
・・・
パチパチパチと拍手が起こった。
心なしかみなさんの顔がほぐれて楽しそうな笑顔になったようだった。

 東京へ帰り着いたあと、幹事役として開花期に合わなかったことをMuさんとJoさんに詫びるメールを書いた。
Muさんからこんなメールを貰った。
(ふうてんさん、気にしなさんな。吉野の満開の桜・・・めったに出会えないから値打ちがあるんや)
この一言で救われた一席のお粗末。

 その後、風雪梅安一家(Muさん、Joさん、ふうてん)で桜の花見を計画した事はなかった。
この吉野行きがよほどこたえたのだろうと思う。

 この吉野行きの数年後だったと思うのだけれどMuさんに誘われて京都の北の(常照皇寺)に桜を観に行った。
1300年ころに作られたお寺で桜の古い樹がある。
 
お寺の作りは山寺のような何の飾り気もない素朴な感じだった。

 Muさんはよほどこの寺が気に入ったらしく、何度か誘われた。
行くたびに、近くの小鳥(メジロなど)の声を聴き、桜の老木の最後の輝きを観、素朴そのものの寺の部屋を拝見し、近くのせせらぎにある茶屋で酒を飲んだ。
その川で採れたアユの塩焼きも出てくる。
Muさんは運転手役なので酒は飲まない。
(悪いね)
(どうぞ、どうぞ)
(この鮎、うまいね)
(酒飲まんでも鮎はうまいわ)
 
・・・

 そのMuさんからの誘いはもう聴こえて来ない。
(タケノコうまいでぇ)
(ハモの季節やでぇ)
(マッタケの土瓶蒸し悪ないでぇ)
(アンキモやら、シラコやらが待っとるでぇ)
そんな春夏秋冬のMuさんのお誘いに従って西へ向かった。
京都へ行って三条小橋上がるの(めなみ)で季節のものを楽しんだ。
夏にはハモのほかに岩ガキも旨かった。

 こういうもので酒を飲みながらMuさんを思い出そうと思う。
学生時代の苦い記憶、同い年の盟友を失った辛さ。
ふうてんにとって京都は伊予の田舎と同じように(遠きにありて思うもの)となっていくのだろうか。

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