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2014年2月に作成された記事

2014/02/24

2014・2・23 梅まつりが近づいた篇

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谷保天神の梅

 やっと雪が溶け始めた。
2月の8日に大雪が降り、一週間後にもっと降ってかなり積もった。
この2週間ほど雪に閉じ込められたようだった。

 昨日になって、やっと道路の雪があらかた隅へやられてチャリでも走りやすくなった。
谷保天神の梅はもう咲いているのだろうか?
そう思いついて雪の残る道をチャリで谷保天神へ向かった。

 いつものところにチャリを止めて、いつものコースで梅園へ向かう。
ちょうど午後3時の光がうまい具合に当たっていて綺麗だった。
参詣者たちが三々五々梅園をあちらこちらと歩いていた。
それで写したのが掲記の2枚である。
恒例の梅まつりが来週の3月1日、2日だということも分かった。
今年こそは時間を確かめて(天神太鼓)を聴きに来たいと思った。

 帰りに書簡集へ寄った。
(マスター、今日もマティーニは出来ないんでしょうねぇ)
 このところベルモットを買い忘れたとかで作ってくれなかったのである。
(いや出来ますよ)
(嬉しいねぇ、じゃあ一杯お願い)
 

(このボトルは観たことないなあ、何だろう?)
と手にとってみると、どうやらジンらしい。
ラベルを見ると(Tanqueray)とある。
マスターが言った。
(イギリス産のタンカレーですよ。ボトルがポストの形してるんです)
(なるほど変な形のボトルやねぇ。タンカレーと読むんですか)
 
・・・
(ベルモットはチンザノですか。これはイタリアやわねぇ。オリーブは小豆島?)
(ええ~っと・・・)
(小豆島にしましょう。イギリスとイタリアと日本の華麗な出会いがこの一杯にある。乾杯!)

 それからイギリス産のウィスキーを2杯飲んで、コーヒー豆をもらって帰った。
マティーニというのも悪くない。
イギリスの首相だったチャーチルとか007のジェームス・ボンドとかが愛飲したと聴く。
帰ってマティーニとかベルモットとかジンとかタンカレーとかチンザノとかを改めてグーグルに聴いてみた。
面白くてキリがない。

 来週は忘れないように梅まつりを冷やかして天神太鼓の報告をしたい。

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2014/02/16

2014・2・16 文楽二月公演で住大夫を聴いた篇

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 13日に村ちゃんと国立劇場へ文楽を聴きにいった。
翌日の14日は大雪となり、先週報告した以上の雪が降った。
一日違っていたら住大夫さんを聴けないところだった。

 住大夫さんが切(きり)を勤める演目はふうてんは初めて聴く(近頃河原の達引)という心中物だった。
朝の10時半にいつものように村ちゃんと国立劇場小劇場で待ち合わせた。
七福神を扱った演目が先に終わり休憩時間となった。
休憩時間が30分あるので、ビールを買ってタバコ飲み場へ歩いていく。
昔は劇場を出た所でタバコを吸えたのだけれど、今は離れた場所になった。

 一人の妙齢のご婦人がタバコを吸っていた。
喫煙室という閉ざされた空間で、二人で黙ってタバコを吸うという状況はふうてんは苦手なのである。
つい、話しかけたくなる。
(住大夫さんですか?)
(そうなんですよ)
(やはりね)
(いいですよねぇ住大夫さん、お弟子さんが育つか気になります)
 
・・・・

どうもこのご婦人かなりの文楽通のようであった。
(僕は住大夫の追っかけでしてね)
(私は大阪の文楽座なんかもよく行くんですよ)
(大阪の日本橋の文楽座ですか、遠いですねぇ)
(ですから泊まりでね)
(そうですか、まいりましたねぇ、僕なんか一度行ったきりです)
 
・・・・
短い時間だけれど、話は尽きなかった。

 住大夫さんを聴き終わって村ちゃんとどっかで一杯やろうよとなった。
村ちゃんが(神保町のランチョンはどうですか?)という。
神保町はここから地下鉄で二駅である。
(いいねぇ、ランチョンで一杯やって、その後ミロンガでコーヒーでも飲みますか)
それで地下鉄で半蔵門から神保町へ移った。

 朝の10時半に会って文楽を観てランチョンとミロンガで飲み食いした。
村ちゃんと別れたのは夕刻6時も過ぎていただろうか。
午後2時に国立劇場を出て、歩いたり電車に乗ったりも含めて4時間ほど話し合った。
村ちゃんは本当に芸能の世界に詳しい。
映画や歌舞伎に関してはいつも教えてもらってばかり。
今回は(追っかけとは何だろうね)というのが主題だったように思う。

(住大夫さんどうでした村ちゃん?)
(少し疲れたかなあ、顔の表情がね)
村ちゃんはオペラグラスをいつも持っている。
ふうてんはその望遠鏡を借りて観ることはしない。
(声は届いていたけど、どうでした?)
(去年の9月よりは・・・痩せてはないけど・・・)
(次は5月の文楽公演になるねぇ)
(元気でいて欲しいなあ)
(追っかけて何やろねぇ)
(同じ時代に生きていないとできないしねぇ)
 
・・・
(映画もテレビもなかった時代、東京には沢山の寄席や芝居小屋があったとか)
(夏目漱石なんかも大の落語ファンだったよね)
(あれは小さんでしょう、漱石が絶賛していたのは)
(そうなのよ、こんな名人と同じ時代に生きられたのは幸せだ、とか)
 
・・・

 帰って、念のためグーグルに聴くとこんな記事があった。

(夏目漱石と三代目柳家小さん)

落語と文学界との逸話をもうひとつ。
これまた有名なのが、夏目漱石の「三代目柳家小さん」絶賛の一文です。
文豪夏目漱石の「三四郎」に、以下のような一節があります。

小さんは天才である。
あんな芸術家は滅多に出るものぢやない。
何時でも聞けると思ふから安つぽい感じがして、甚だ気の毒だ。
実は彼と時を同じうして生きてゐる我々は大変な仕合せである。
今から少し前に生れても小さんは聞けない。
少し後れても同様だ。

 村ちゃんと住大夫さんを聴くたびに、この漱石の言葉を思い出す。
ふうてんなどもジャズとかフラメンコとか文学とかの(芸能ごと)に関して同じことを感じる。
夏目漱石と同じ時代に生きていたらなあ、と思うこともある。
紫式部とも一度会ってみたかったなあ。
などとも。

 好みの席をとれる村ちゃんに、次回の5月文楽公演では(かぶりつき)の席をお願いねと頼んだ。
住大夫さんのツバが飛んで来そうで錦糸くんのバチの音で耳が痛くなるような席。
住大夫-錦糸コンビ)の姿をまざまざと記憶に残しておきたいから、と。

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2014/02/10

2014・2・9 世間は広いようで狭いなあ篇

P2040565隠宅の雪景色

 国立でも今年初めての雪が積もった。
そして一日のうちに溶けて消えて行った。
気温は低いけれど今年は寒風が少ないように感じる。
先週も書いたように穏やかな日にチャリで国立を流すのは悪くない。

 先週火曜日にマッサージから帰った女房が言った。
(旦那さんが大喜びしそうな話を内藤せんせぇ~から聴いたよ)
(ほう~っ?どんな?)
(北の富士さんに鍼をうっていたというお話)
(ええっ?本当?)

 ふうてんは北の富士ファンなのである。
現役の横綱時代もカッコ良かったけれど、引退してNHKの大相撲解説をやるようになってファンになった。
話が面白い。
何よりも技術論に陥らない語り口が粋である。

 プロ野球でも大相撲でもいろんな(かっての名選手)が解説に起用される。
ふうてんがテレビをよく観るようになったこの30年ほどを振り返ってもいろんな名解説者がいた。
古いところではプロ野球の鶴岡、川上、広岡などの諸氏は大好きだった。
大相撲では初代若乃花(二子山親方)のファンだった。

 こういう人たちの特徴はまず言葉数が少なかった。
ポツンと聴こえてくるのは技術の話よりも人情噺のようなものが多かった。
この男はどういうタイプでね、とか当時はみんな貧乏だったから賞品を貰うと嬉しくてね、などの話を聴かせてくれた。

 最近の解説者にはそういうスタイルの人が殆どいなくなった。
中でこの(北の富士親方 今は親方も引退したかも)は珍しい存在のような気がする。
彼は声そのものが柔らかくてこちらを落ち着かせてくれる。
自分からあれこれと話し始めることはまずない。
NHKのアナウンサーに振られてやっと少し応えるという程度。

 しかしその会話の中に言葉がうまく使われているのに驚くことがままある。
例えば、昔の名勝負とかの番組で30年ほど前の(北の富士、貴乃花)の問題の一戦を扱った番組があった。
(かばい手か、つき手か)という話題沸騰の一戦だった。
土俵の中で北の富士が(あびせ倒し)のように貴乃花にのしかかった。
貴乃花が粘り腰でそれを何とか残そうとする。
結局、北の富士がのしかかった形で二人は倒れる。
倒れるとき、北の富士は思わず(?)右手を土俵に突く。
その右手が(かばい手)だったら北の富士の勝ち。
(つき手)だったら貴乃花の勝ち。

 結果は(かばい手)で北の富士の勝ちだったかどうだったか・・・。

 その映像を番組の中で初代貴乃花の息子の今の貴乃花親方と北の富士が観るというシーンがあった。
北の富士が言った。
(僕あなたのお父さんのファンだったんだよ)
(ファン心理ってあるよね)
と当時のことを振り返ったのでふうてんは驚いた。
大相撲の人から(ファン心理)という言葉を聴いたので驚いた。
つまりは当時も北の富士は自分の大相撲という仕事は観られてナンボの世界なんだ、ファンがいてこその仕事なんだ、ということを自覚していたに違いない、ということがこの言い方で伝わってきた。
 
(穏やかな、何もしないよという顔をしてね)
(でもこの人大変な曲者ですよ、いざとなったら何をやるか分からない)
(大した人です、平幕だけど侮っちゃあいけません)
と、ベテランの力士を褒めているのかどうか分からない褒め方をしたりする。

 そんな北の富士の鍼治療に国立の、ふうてんの女房どのが通っているせんせぇ~が関わっていた。
北の富士が現役をやめる前後5年ほど鍼治療をしていたというのである。
驚いた。
世間は狭いものだと思った。
せんせぇ~の証言によると、北の富士は穏やかでやさしい人だったらしい。
対して弟子の千代の富士は眼光鋭くてかなり怖い存在だったらしい。
詳しい話はまたいつかこの続編で書いてみたい。

 東京では初雪が降ったあと一週間も経たないうちにドカ雪が降った。
45年振りに積雪25センチを超えたという。
45年前・・・ふうてんが京都から江戸に流れた1969年。
確かにその年の4月初めに会社の寮に駅から帰るのに雪をかき分けて登って行った記憶がある。
(東京では4月に雪が降るんだ)
と驚いた。

(ふうてんアーカイブス)
 
2014年2月8日 東京の45年振りの大雪

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2014/02/03

2014・2・2 プロ野球のキャンプが始まった篇

P2020560冬枯れの大学の森

 今日は珍しく暖かくて穏やかな一日だった。
2月になるともう光の感じが違ってくる。
寒いとはいえずいぶん明るくなってきた。

 大学の森はどうなっているだろう?とチャリで向かった。
夕刻の4時すぎ、快晴で風が全くない。
こういう日にチャリで流すと国立は落ち着いたいい町だなあと思う。
いつものように家からチャリで5分の国際交流会館から大学に忍び込む。

 すぐに大学の森がある。
ちょうど夕日が当たっていて光がいい調子だった。
2枚写した一枚が上の写真である。
日曜日なのにキャンパスを何人かの外国人が通りすぎる。
 
一人に声を掛けた。
(お国は?)
(オランダです)
(ひぇ~っ、オランダですか、遠いですねぇ)
と二人でニヤリとした。

 2枚だけ写真をとって大学を抜け、大学通りのタバコ屋さんへ向かった。
このお店でガス・ライター用のガスと石を買うためだった。
途中でクリント・イーストウッドのことを思い出していた。
(イーストウッドは確かワンショットの名人だったなあ)
(撮影は一回に限る、役者の気持ちになればそうだよね)
などという彼のセリフを思い出していた。
(何度も撮り直しをされるのは嫌なものなんだよね、役者にとっては)
と言っていたのだったかどうだったか・・・。

 どうしてイーストウッドを思い出したのだろう?
我々アマチュアでも写真やビデオを撮る。
その時に、大体最初の1枚、最初のワンショトにいいのが多いような気がしたからである。
これには理由があるにちがいない。
家に帰ってからそれを考えたり調べたりしてみよう。

 もう30年も通っている大学通りのタバコ屋さんでガスと石を買い書簡集へ向かった。
土曜日か日曜日に繁すしか書簡集へ寄らないと一週間が終わらない。
(マスター、正介くんの本だいたい読みました)
(どうですか?)
(労作ですねぇ、何しろドキュメンタリーだから)
 
・・・
(作家という仕事も大変らしいねぇ、三島とか川端とか自殺したものねぇ)
(三島由紀夫は芥川賞も逃したでしょう、川端康成が反対したとか)
(へぇ~、そうでしたか)
(ノーベル賞を貰えなかった人も貰った人も自殺しちゃった)
(フィクションを書き続けるのも、しんどい仕事のようやねぇ)
・・・

 やがてスカイラインGTRのお兄さんがはいってきた。
(ジャイアンツのキャンプで松井がコーチしたらしいね)
(長嶋御大より選手は気楽だったのかしら)
(もうキャンプの季節になりましたか、僕はこの季節が好きでね)
(球春なんて言葉が昔あったなあ)
(会社へ行く途中の駅で途中下車してスポーツ新聞を喫茶店で読んでたなあ)
(遅刻するじゃないですか)
(遅刻の常習犯でしょう・・・どうせ遅刻だから、ま、コーヒーでも飲んでキャンプのニュースでも読んで一服しようか、と)
(よくもまあクビにならなかったねぇ)
 
・・・

 書簡集のマスターが、この季節晴れたり曇ったり、暖かかったり寒かったりを繰り返しますねぇと言った。
それでふうてんは(三寒四温)を思い出した。
春が近づいているんだと思った。

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