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2014年1月に作成された記事

2014/01/27

2014・1・26 大相撲初場所も終わって篇

Photo志ん宇

 大相撲の初場所が終わった。
千秋楽前の土曜日、いつものように三人で谷保の(志ん宇)に集まった。
あまりうまく撮れていないけれどお店の写真を載っけておく。

 今回の会合の主役はラガーマンだった。
去年の12月をもって現役を引退したという。
これまで30年ほどフリーランスのライターとして医療関係の記事を書いてきた。
その仕事を去年の12月をもってやめたという。

 まずは現役引退おめでとう!で乾杯した。
これからは悠々自適の生活ですなあ。

 ラガーマンには、この日記で何度も登場してもらった。
大阪の御堂筋のあたりで生まれ育ってラグビーをやるようになった。
京都の大学へ行ってからアメリカン・フットボールをやった。
卒業するころヨーロッパへ渡った。
日本へ帰っていろんな職業に就いた。
会社員生活は無理だと思った。
それでフリーランスのライターの生活となった。
いつのころからか国立へ流れてきた。
国立の繁すしでふうてんと知り合うことになった。

 乾杯!とお祝いをしたもう一人はブンシュンのトヨダさんだった。
乾杯したあといつものように世間話が始まった。
とはいえ、今回は何しろラガーマンが現役引退した。
話の調子はいつもとは少し違ったかもしれない。

(どうですか?現役を引退するというのは)
(今までよくやれたと思う、けどもう体がねぇ)
(よくまあ長い間一人で、フリーランスでやってこられたねぇ)
(ラガーマンはサラリーマンの経験ないもんなあ)
(僕、ボーナス貰うのうらやましいと思ったことありますよ)
(ボーナスねぇ・・・)

(トヨダさん、一人でずっとやってきた、ってのは誇っていいですよねぇ)
(そうですよ、なかなかできる事じゃない)
(いや、誇るほどの事もない訳で)
(表立って言うこともないけど、しかし一人で何十年もやってきたことは誇っていいですよ)
(それで引退してこれから何を楽しみにします?)
(そうですねぇ、絵を描くことかなあ)
 
 
 そんな調子で話は進んで行った。
トヨダさんとこちらは定年退職までサラリーマンをしてきた。
ラガーマンはサラリーマンになりたくなかった。

(トヨダさん、NHKの大河ドラマで荒木村重が出たのご存じですか?)
とラガーマンが言った。
(僕も観ました、驚きました彼が登場して)
とブンシュンのトヨダさんが応えた。
ふうてんには何のことかサッパリ分からなかった。

(荒木村重というのは今までテレビのドラマなんかで一度も登場していませんよね)
(ラガーマンが初めてですよ、こんな風に彼のことを話せるのは)
(あの人、信長、秀吉、家康に仕えたのですってねぇ)
(今、荒木村重といっても知っている人いないでしょう)
・・・
(僕は彼のような、既成概念に支配されない生き方が好きなんです)
とラガーマンは言った。
既成概念にとらわれず何かサムシング・ニューを求める。
(彼は何を求めていたのでしょうねぇ)
(司馬遼太郎も彼を登場させているのだけれど、よく分からない人物としています)
とブンシュンのトヨダさんが補足してくれる。

 どうもラガーマンが荒木村重に興味を持ったのは(自由人)の側面だけではなかったようだった。
(彼の子供だと言われる岩佐又兵衛というのは江戸時代の浮世絵の祖だとか)
(どうもそうらしいですねぇ)
(だから絵を描くラガーマンは思い入れが強いようですなあ、この人に)
・・・

 こんな会話をして二人と分かれて帰った後、念のためにグーグルに聴いてみた。
岩佐又兵衛というのは長谷川等伯と姻戚関係になったらしい。
長谷川等伯の松林図は2年ほど前、展覧会があったのだけれど長蛇の列なので諦めた。
この長谷川等伯が荒木村重ゆかりの人だったとは・・・。
あの松林図・・・日本の水墨画の最高峰ではなかろうか。
と、まだ現物を観たこともないふうてんは確信している。
松林図屏風は東京国立博物館にあるので次の公開のときには・・・。

 大相撲をダシにして近場の三人が集まって酒食を共にする。
この会合にチャリで向かいながらふうてんは思い出していた。
それは東山魁夷のセリフだった。
この日記にも以前書いたように思う。
(花は死ぬることで美しく輝く。短い生命をともに出来たという喜びが美しいと感じさせるに違いない)

 そういう出会いの短い時間を共にしているんだ。
大相撲楽日前篇。
・・・
あと何年やれるのだろう。

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2014/01/20

2014・1・19 友あり遠方よりきたるまた楽しからずや篇

Dsc_7428_2JOさんの写したメジロくん

 
JoBlog大倉山梅園散策 『メジロ』(2014112日)より


 明石の人丸どのが国立を訪ねてくれた。
いつものように小平のお姉さんのお墓参りだという。
この前に国立へ寄ってくれたのも墓参の帰りだった。
もう4、5年前になるような気がする。
あの時は真夏の晴れた暑い日だった。

 今回は真冬の寒い日だった。
2、3日前に来訪を知り、羽田空港へ着いたら電話してもらうことにした。
何しろ明石と東京は遠いから待ち合わせの時間を決めてもしようがない。
羽田に着いたとき、小平のお墓参りが終わって電車に乗るとき。
それぞれのタイミングで電話をしてもらうことにした。

 夕刻4時前に国立駅で会うことができた。
6時までのたった2時間の会合だった。
最近は(神戸空港)というのが出来て日帰りだという。
毎年のように墓参をするお姉さんというのはどういうお方だったのだろうか?
お会いする機会はなかったのだけれど絵がお上手だったという話は聴いている。
よほど親しかった姉弟に違いない。

 人丸どのを見送って(友あり遠方より来るまた楽しからずや)の言葉が浮かんだ。
グーグルに聴くとこの言葉は孔子の論語にあるらしい。
(論語の冒頭の「学而第一」にある言葉です。原文は「有朋自遠方来 不亦楽 」)
とある。
紀元前500年ほど前のお人と紀元後2000年ほどのこちらとが同じ気持ちになる。
人間て変わらないなぁと改めて思う。

 グーグルの原文を見て、中国語って凄い言語やなあと思った。
英語や中国語の連中と戦争する気にはなれんなあ。
日本語はロジックを表現する言語とは言えんものなあ。
ロジックないと戦争勝てへん。

 今回の会合ではやはり引退後の生活ぶりが主な話題だった。
あれこれ話すうちに人丸どのが地震対策の一案を話し始めた。
プレートがぶつかり合っていてエネルギーが溜まっていつかプッツンする。
それがもし本当なら、プッツンの実験をすればどうだろうか?という説であった。
あらかじめ周知しておいて避難対策をとった上でプッツンを促進する水爆か何かを爆発させる。
急に地震と津波が起こって5万人死ぬるよりも、その実験で50人の犠牲が出てもまだマシではなかろうか・・・。

(そうですか、その実験やるためには日本も核爆弾持たんならんねぇ)

(そりゃあそうですよ、憲法変えて軍隊持って外国と戦争するちゅうのに核持たんでどうします)
(そやねぇ、外国が攻められて応援するとき核ミサイルなしで応援するちゅうてもねぇ)
(そやけど日本、原子力の技術あるんやろか?)
(3年ほど前に核の平和利用やから絶対安心いわれていた発電所が事故起こしおったなあ)
(平和利用やから安心である、と)
(それが地震一発、津波一発でワヤワヤになってもた、メルトダウンとかいうて)
(地元の人ホンマ気の毒や、故郷に帰れへん)

 まあそんな話にもなりました。
(これからの日本どないなるんやろね)
(僕ら年寄りにも責任あるんとちゃいます?)
(何か本質的な議論をするための発信のやりようないかなあ)
(この国のことに思いをはせる、というとき、この国日本をどう考えるんやろね)
(寺田寅彦は、国はその位置で決まる、言うてはりましたなあ)
(位置ですか)

 それから世界地図の話になった。
イギリスと日本は同じ島国なのにどうしてこうも歴史が違ってきたのだろう?
やはりチャップリンの(独裁者)に登場するヒットラーのように地球儀を回して世界のことを見ないといけないのだろうか?
あんな大きな地球儀置く場所が我が家にはないなあ・・・。

 心配ご無用。
今はグーグル・マップというまことに便利な地球儀がございます。
これで太平洋を中心としたこれまで馴染の地図で日本を観る。
スクロール(ドラッグ)して大西洋中心の地図でイギリスを観る。
違いが歴然と分かります。

 ユーラシア大陸の一番西の端からドーバー海峡を隔てた島国イギリス。
ユーラシア大陸の一番東の端から日本海を隔てた日本列島。
ユーラシア大陸がすぐ近く、という一点だけでは共通している。
しかし、ですね。
周りを囲む環境、状況は全く違いまっせ。

 日本の隣国は西にある中国と朝鮮ばかり。
同じアジア人やから顔かたち変わりまへん。
東や南は太平洋で、どこに外国があるか分からへん。
北にはロシアがあるけれど首都モスクワは霧の彼方。

 イギリス見てみなはれ。
北、東、南、すぐ近くに沢山の外国がおます。
それもエグイ連中ばかり。
大西洋かて太平洋ほど広大ではないのでコロンブス行って帰った距離。

 こうしてグーグル・マップで改めて見直しても日本は(本当の島国、孤立した島国)ということがよく分かる。
今までの日本を考えても、これからの日本を考える上でもこのことが最重要ではないかとふうてんは思う。
夏目漱石の熊本時代の弟子だった寺田寅彦もそう言うてはる。

 イギリスとは違った小さな島国としての有りようを考えていけばいいのではないかと思う。
イギリスは全体が北海道より北にある。
対して日本はその当たりから沖縄の南洋まで南北が長い。
太平洋のおかげで雨が多くて陸は山ばかりで水には困らない。
すべての点で山のないイギリスとは大違い。

 不利も有利もある。
(この国を考える)ときには不利を嘆くよりも有利をどう活かすか考えようよ。
そんなことなど話しながら夕刻6時に国立駅で人丸どのを見送ったのであった。

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2014/01/13

2014・1・12 繁すしへ初詣篇

Photo神様 ニ~ニョ・リカルド

 夕刻、チャリで繁すしへ向かった。
 
(嫁さん、月は東に日は西にって蕪村だったっけ?)
 
(えっ?何それ??)
 
(ほれ、見てごらん)
 
(ほんとだ、お月さまと・・・夕日だ)
 
・・・・

 そういう調子で繁すしへ向かった。
 
お店へ着くころ女房が正月を過ぎるとずいぶん光の具合が違うという。
 
確かに同じ夕刻5時なのに今は暗くない。
去年の暮れに来たときは冬至のころで真っ暗だった。
対して今日は薄明かり、残照の空色の中にお月さままで顔を出している。
 
(しげさん、お正月はどうでした?)
(夜中の11時まで帰らないお客さんがいて寝たのが11時半でしたよ)
(そうですか、翌朝3時に起きて築地へ行くの大変だったでしょう)
(いえね、築地はなかったんですよ、もう年末でね)
 
・・・
 どうも正月の前の暮れの話のようだった。
(しげさん、今年は何日からお店始めたの?)
(9日からです)
(年末は何日までやってたっけ?)
(最後までですよ)
(えっ、31日までだったっけ)
 
・・・

 もう何年も大晦日に繁すしへ行ったという記憶がない。
しばらく女房と話しているうちにその理由を思い出した。
大晦日はお節とか年越し蕎麦とか料理に忙しいので外へ出たくない。
そういう料理人の申し出で繁すしへ行くのもよしたのであった。
 
(しげさん、お元気ですねぇ、いつも電話するとき、やってるかなぁと一瞬思うのよね)
(もうすぐ80歳ですよ)
(すごいねぇ、何十年も電話して出なかったことないものねぇ)
(女房がいうんです、自分で選んだ仕事でしょう、と)
(アッ、なるほど、だから文句を言わずに、やれるうちはやるしかないか)
・・・
 それにしても80歳まで自分で選んだ仕事を続けられる人は・・・。
(しげさん、幸せやねぇ80歳まで好きな仕事をやれて)
(いえ別に好きということも・・・何となくやっているわけで)
(いつもいうけど100歳まではがんばってよね)
 
 それから書簡集へ向かった。
(東京都知事選にあのお方本当に出るのかしら)
(あの人佐川急便から1億円もらって辞めたのでしょう?)
(えっ?1億円?1000万円じゃなかった)
 
さっそくマスターはスポーツ新聞で確かめているようだった。
(やっぱり1億円ですよ)
(5000万円より大きいねぇ)

 今年は政治がどうなるのか楽しみな年になりそうな気がする。
漢字をもらった中国や天皇の先祖である朝鮮といがみ合って日本はどうするのだろう。
広大な太平洋を隔てたアメリカといくら親しくなろうとしても航空機でしか行き来できない。
せいぜい沖縄に航空基地を用意して(おもてなし)するしかない。
こういうのは本当の親友関係とはいわない。

 ケネディ大統領のセリフではないけれど、こんな小さな地球の中で、短い生命しかない生き物同士がいがみあってどうするのだろう。
主義主張や肌の色が違っても戦争することはないよね。
仲良くやっていけばいいじゃないか。
積極的平和外交のために日本は素晴らしい憲法を持っている。
 
(不戦の誓い)
 
さ。
これを武器に世界中に(戦争やめようよ、核兵器捨てなはれ)と撃って出る日本の首相がそのうち出てくるのだろうか。
ふうてんの目の黒いうちに・・・・。

 この正月休み、グーグルにいろいろ聴くうちに大した収穫があった。
今まで観ることのできなかった(神様 ニ~ニョ・リカルド)の動画が幾つか見つかった。
彼はパコ・デ・ルシアのお師匠さんである。
ふうてんが50年ほど前にフラメンコギター教室に通っていたころからのカリスマである。
1972年に70歳くらいで死んだ。
いつかスペインへ行ったら墓参りしたいと思った。
それから40年ほどたってスペインへ行くよりもこちらがお墓に近くなってしまった。
掲記の写真はグーグルの動画の中からスチルさせてもらった。

 もし万が一スペインへ行く機会があったら絵も上手だったというリカルドの絵を観たいと思っている。

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2014/01/06

2014・1・5 68回目の誕生日につき篇

P1020645P1010584

お節と鏡餅

 完全に寝正月だった。
一週間前に2013年を振り返る悲観的な日記を書いた。
去年という年は親しかった人たちがあまりにも多く亡くなった。
それでつい悲観的な振り返り方になったような気がする。

 谷保天神への初詣も行かなかった。
一週間前に書簡集へ行き、昨日の土曜日も書簡集へ初詣した。
その間に大晦日があり元旦があった。
そしていつものように正月5日に誕生日が来た。
68歳になった。

 子供のころから誕生日を特別に祝ってもらった記憶がない。
姉貴が1月2日生れ、こちらが1月5日生れ。
12月25日のクリスマスの日はオヤジと兄貴の誕生日だった。
クリスマスから大晦日、元旦とただでさえ冬のお祭騒ぎのころ。
餅つきがあり大掃除がありお節の準備がある。
その間に家族の中の4人の誕生日も重なっている。
いちいち誕生祝いなんて・・・という次第。

 勤め人のころから正月にはどこへも出かけなかった。
ただ若いころは貴重な正月休みだから日航の知り合いにチケットを頼んだりして伊予へ帰省することはあった。
当時は正月や盆休みの飛行機(羽田-松山便)は満員で普通に買うことはできなかった。
今は伊予へ帰省する必要もなくなり、そういう苦労はないことが少し寂しい。

 年末の書簡集詣でのとき、大学通りの本屋さんで山口正介くんの新刊を買った。
(正太郎の粋 瞳の洒脱)という講談社の文庫本である。
池波正太郎と山口瞳という昭和の人気作家のことを親しく付き合った(?)眼で書いている。
正介くんは正月にも再放映されたBSフジの(池波正太郎 鬼平料理帖)にも登場していい味を出していた。
試写室で週に2回も会うことがあったらしく、同時代に生きた人にしかできない証言もあった。

 ある時、早くに満席となり係の人が、
(みなさんお揃いになったので少し早いですが今から始めます)
と言った。
その時、後ろの方の席から、
(早く始めちゃダメだ)
と声が掛かったという。
(みんな、終わる時間を考えてその後の予定を組んでいる。早く終わっちゃったら余った時間どうすりゃあいいんだ。)
 
・・・・
正介くんが後ろを振り返ると、池波正太郎さんだった。
この話は面白かった。

 本屋さんへ寄ったついでに、地下へも行ってみた。
この本屋さん(増田書店)の地下は本格の文学作品がいろいろとあるコーナーなのである。
CDやDVDもある。
以前、古今亭志ん生の落語や小林秀雄の講演集などがCDで売り出されていた。
今回は映画のDVDをチラッと見ると(駅馬車)と(荒野の決闘)が眼に入った。
どちらも380円であった。

 それで山口正介くんの新刊とジョンフォードの傑作を買って書簡集へ向かった。
(駅馬車)や(荒野の決闘)は昔から何度かビデオに録画している。
しかし、どこにあるのか見つけるのに手間がかかる。
だからDVDで改めて買って、映像のクォリティはどうかな、何しろ380円だから贅沢は言えないけれど、と観てみた。
結構いける。
昔、ソニーのβの録画用ビデオテープは3000円だった。
気がついたら録画したそれが300本も溜まっていてゾッとした記憶がある。
今は380円で駅馬車を観ることができる。

 全くこの20~30年の家庭での電子機器の移り変わりは目まぐるしい。
昔の形が失われて新しい機器やシステムが被害をもたらすという面もある。
アラン・ケイは(新しいメディアは人間の思考方法を変える)と名言を吐いた。
今のスマホ世代はふうてんなど古い世代の思考方法とはずいぶん変わってきているに違いない。

 文明とは常にそうだった。
人間に益をもたらすものであり害を与えるものが文明というもの。
この正月休みはその文明の(益)の方を楽しませてもらった。
50年も前の映画の傑作をずいぶん観た。
テレビでの放映がありDVDがありインターネットのユーチューブがある。
ユーチューブでは昔の傑作映画がそのまんま全編観られたりするので驚く。
但し、日本語字幕付というのはあまり期待できない。
セリフの意味がよく分からないけれど、字幕のない分きれいな映像で味わえる。
いやなに、何度も観ている映画ばかりなの日本語の字幕がなくったって平気、平気。

 それにしても(駅馬車)と(荒野の決闘)。
何度観てもいいと思うのはどういう訳だろう?
今年の正月休みも朝から酒を飲んでテレビなど観てボ~ッとして過ごした。
頭の中が空白になった。
おかげでリフレッシュできたような気がする。

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