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2013年9月に作成された記事

2013/09/29

2013・9・29 炭素がいいのか水素がいいのか篇

P9160401台風18号で落ちたコナラのドングリ

 この金、土、日は三連ちゃんだった。
つまり3日続けて外で飲んだ。
50歳ころまでは毎日がそうだったけれど、還暦も過ぎると外で飲む機会は極端に減った。
67歳ともなると外で人と会って飲んで話をするだけでもかなり疲れる。
疲れるけれど愉快な仲間たちとは話をしたい。
こういう楽しみがないとやっていけないと思う。

 福島の原発事故の問題がいまだに解決していない。
そんなこともあって、こういう会合でエネルギー問題の話題もよく出る。
日本は明治維新のころからずっとエネルギー問題で悩んできた。
産業革命後のエネルギー源は石炭であり石油であり天然ガスであった。
最終ランナーが原子力だった。
石炭はある程度とれたけれど、石油は一滴もとれなかった日本は原子力を歓迎した。
太陽光発電などは最近のお話。

 産業革命以降これまで動力の元は炭素だったのではないかとふうてんは思う。

炭素を酸素で燃やすことにより熱が出て、その熱で空気や水に変化を与えて、動力となる。
その動力の元をいつまでも炭素に頼っていていいのだろうか?
化石になった炭素などは掘り尽くせばなくなってしまう。
というのがこのところの自然エネルギーとか再生可能なエネルギーとかの議論だと思う。

 10年くらい前から自動車のホンダが(燃料電池車)というものを打ち出した。
何だか水素を燃やして発電してモーターを回す、というしろものらしい。
トヨタが得意としていたハイブリッド車、つまりガソリンエンジンと電気モーターを併用するというのではなく、車の中で水素を燃やして電気を作ってモーター回して車を走らせるというのである。
これだとガソリンエンジンは全く不要になる。
ふうてんにはその理屈がよく分からなかった。

 それから10年ほどたって、最近この(燃料電池車)の話題をテレビでよく見る。
1、2年後にはそんな車が一般向けに発売されるという。
ホンダだけではなくハイブリッド車で大儲けしたトヨタも同時ころに発売するらしい。
このあたりはさすがトヨタ、抜け目がない。
この動きが本格化すれば、やっとエネルギー問題で(炭素)から脱却できるかもしれない。
炭素燃料としては(木)しかない日本にもチャンスが訪れるかもしれない。
何しろ水素は水のなかに沢山含まれている。
昔の記憶をたどれば確か、化学式は、
水=H
だったはず。
つまりH=水素は水のなかにある。

 世界の国の中で日本ほど(水)に恵まれた国はありますまい。
開高健が世界をへ巡り歩いて日本ほど水道の水が美味い国はないと書いていた。
雨が多く、山ばかりという国土からそれは来ている。
しかも、飲み水ではないけれど回りは海ばかり。
海の基本成分は水=HOのはずなので水素は無尽蔵にある。

 自動車を走らせることができるエネルギーは他のどんな分野でも使えるはず。
炭素エネルギーが水素エネルギーに変わる時。
その時が日本のチャンスだとふうてんは思う。
諸氏におかれましてはいかがお考えでしょう。
 

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2013/09/23

2013・9・22 九月文楽公演で住大夫を聴いた篇

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伊賀越道中双六

 何をおいても住大夫さんがお元気かどうか。
それを気にしつつ半蔵門の国立劇場へ向かった。
11時開演なので10時半に会場で村ちゃんと落ち合う。
このところチケットは村ちゃんにお願いしているのである。
二人とも国立(くにたち)に住んでいて、国立(こくりつ)劇場で待ち合わせる。
演目は(通し狂言 伊賀越道中双六)の前半で、最後の(千本松原の段)で住大夫は登場する。
この演目を(通し)でやる理由について東京新聞は以下のように報じていた。

(東京・国立小劇場の九月文楽公演は大作「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」が通しで上演される。今年は文楽の開祖・竹本義太夫の三百回忌に当たり、これを記念した「伊賀越~」の通し上演は十五年ぶり。)
第一部が朝の11時から始まり、第二部が終わるのは夜の8時を過ぎる通し狂言である。


 
 竹本住大夫さんは完全復帰をした。

去年倒れて、全盛期の声の艶やメリハリは望む方が無理というもの。
しかし今の年齢に相応しい、これまでとは違うスタイルを見出そうとする意志が感じられた。

(伊賀越道中双六 千本松原の段)
老爺が主役であったこともあり、ちょっと鬼気せまるものがあった。

 

 錦糸くんもやはり冴えていた。

住大夫-錦糸のコンビは緊張感があり、いつ聴いても素晴らしい。
(通し狂言 伊賀越道中双六 第一部)は午前11時から午後4時まで。
休憩時間をはさんで4時間以上、何組もの謡、三味線、人形が演技をする。
4時の終演前の20分ほどが(住大夫-錦糸コンビ)だった。
始めと終わりの拍手の熱さが二人の人気を物語っている。
フルコースの食事で最後に一番おいしいものをいただいた。
と、食事に譬えると住大夫さん、錦糸くんには失礼だろうか。

 第一部が終わった4時過ぎに、半蔵門から九段下経由で中野へ向かった。
中野の、村ちゃん馴染の店で岩牡蠣とあらの煮物を焼酎でやった。
二人とも住大夫さんが本格復帰してくれたので気分は明るかった。
(良かったねぇ、安定感がありましたね)
(5月は復帰第一作目でテスト版という趣があったけれど)
(今日は切りを勤めたから完全復帰と言えるよね)
(住大夫-錦糸のコンビはやはり凄いね)
(三味線の方が謡を適当にあしらっている、なんてコンビもあったものねぇ)
(若いころ住大夫さんに見出されて錦糸くん鍛えられたのかしら)
(この師匠がいてこの弟子がいる。この弟子がいてこの師匠がいる。)
・・・
(毎回、これが最後かも、と思いながら・・・)
(だからこそ貴重で、有り難い時間ですなあ)

 中野から中央線に乗って、早い目に二人で国立(くにたち)へ帰った。

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2013/09/16

2013・9・15 東京オリンピック招致で築地はどうなるのだろう?篇

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秋らしい一日もあったのに

 国立では昨日の土曜の昼間から夜にかけて大雨が降った。
台風18号と共にやって来た雨雲のせいらしい。
これでは日曜の繁すしは無理かもしれないと思っていた。

 ところが今日になると台風はどこへ行ったやら、昼ころにはもう道路が乾いていた。
それで夕刻チャリで繁すしへ向かった。
今日は繁さんに聴きたいことがあった。

(繁さん、オリンピックの東京招致が決まって築地ではどんな噂です?)
(全く話が出ませんねぇ)
(えっ?そうですか。移転に拍車がかかると、話題になっていると思っていたのに)
(話題になりませんねぇ)
・・・・??

 一般に築地市場といわれる地域は場内市場と場外市場の二つに分かれる。
場内はいわゆる(卸売り)市場で、セリ落としたものを業者(例えば繁さん)に売る。
場外は一般の消費者が買うことのできる場所で飲食店もある。
繁さんなどに言わせると(中 なか)と(外 そと)になる。
場内は中、場外は外と呼ばれるらしい。

 ややこしいので説明は難しいけれど、ふうてんが観た限りではこうであった。
河岸(かし)という言い方がある。
川岸(かわぎし)、河岸(かわぎし)という意味で川や河、さらには海、と陸地の接するところ。
岸辺(きしべ)である。
そこは古来、川や河や海で獲った魚を陸揚げする場所でもあった。

 築地はまさにそういう場所で、江戸時代から(河岸 かし)と呼ばれていた気配がある。
築地を歩いてみてそういう雰囲気がよく分かった。
船着場がある。
隣接してセリ場がある。
続いて(場内市場)がある。
ここで飲食店の主たちが卸しから仕入れをする。
それを囲むように(場外市場)がある。
ここで一般の消費者が買い物をし、飲食をする。
その外側は一般の、市場ではない地区が広がっている。
築地で言えば、場外市場には晴海通りが通っていて、そこを少し陸側へ行くと銀座がある。

 築地の話はややこしいので繁さんの話に戻そう。
(場外市場、つまり一般の人が買い物できる市場が豊洲(とよす)へ移転すると大変だよね)
(場外は移転しません)
(えっ??)
(場外は個人の持ち物で、場内は東京都の物なんです)
・・・

 東京へ流れてきて、40年以上。
毎日のように築地へ通っている繁さんとの付き合い30年以上。
世界に冠たる築地市場。
銀座からもほんネキの築地。
ぺんぺん草の生えている豊洲への移転問題。
その豊洲の地下には毒物が埋まっているという噂。
ああ、築地はどうなるのだろう?
・・・

 などと長く付き合ってきた積もりなのに築地のことをよく知らなかった。
船着場とセリ市場は東京都のもの。
それを別の場所、豊洲へ東京都の都合で移転する。
しかしそこには一般の消費者がはいれる市場は繋がっていない。
住宅街や商店街もまわりにはない。
銀座からも遠くなる。
卸売り市場の人たちはオリンピック騒ぎが気にならないはずはない。
しかし噂にもなっていないと繁さんはいう。

(繁さん、オリンピックは一時(いっとき)のものだものねぇ)
(そうなんですよ、商売は一時って訳にゃ~いきません)
(なるほどねぇ、少し分かってきたよ)

 帰って、改めて築地が移転する予定地の豊洲をグーグルマップで確かめた。
分かっていた積もりだけれど確かめてゾッとした。
要するに江戸時代以降、埋め立てを続けてきた東京湾の中心部の埋め立ての最前線である。
一時のお祭騒ぎをするのはよいかもしれない。
しかし、もし万が一、東京に直下型の大地震が来たら・・・。
と、ペシミスティックなオプチュニストのふうてんは余計な心配をするのである。

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2013/09/09

2013・9・8 オリンピック狂想曲が始まった篇

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萩 江戸小紋
(庭師撮影)

 日曜日の朝の5時に決まるというのでつい観てしまった。
結果はみなさんご存じの通り。

 夕刻、書簡集のマスターと話した。
マスターはオリンピック・バブルが始まりますね、建設株は高くなるでしょうと言った。

 ふうてんは東京の2020年オリンピック招致はいかがなものかと考えていた。
マドリッドに決まるのが一番無難ではないかと思っていた。
今回立候補した三つの都市、国はそれぞれ問題を抱えている。
その中で、オリンピック騒ぎで一番助かるのはスペインではないかと考えたからである。

 日本では2回目のオリンピックとなる。
第1回目のあの当時、日本はオリンピックの開催地になることで大騒ぎとなり、特に首都東京のインフラ整備が急ピッチで行われた。
1945年に灰塵に帰した日本の首都東京である。
それから20年ほど後だから、国税を大量に使っても意味があったと言える。
敗戦でゼロ・クリアーされた日本国民にとっても、復興へのイベントとして悪くなかったかもしれない。
 しかし今回の2020年の東京オリンピックにはどういう意味があるのだろうか。
それがふうてんなどにはサッパリ分からない。

 2020年の東京招致が決まったというニュースを聴くとどうしても1964年の東京オリンピックのころを思い出してしまう。
今から50年ほど前、ふうてん18歳のときであった。
この日記でも何度か当時のことを書いたように思う。

 1964年の10月10日の朝早く、何故かふうてんは東京の代々木競技場の近くにいた。
東京オリンピックが始まるというので京都から、出来たばかりの新幹線に乗ってやってきたのであった。
今日のニュースで新幹線はオリンピックの9日前に開通したと聴いてビックリした。
そんな初物に乗ったのだったかと冷や汗が出た。
それも別に開会式や競技見物のチケットを持っていた訳ではない。
ただオリンピックという大騒ぎの雰囲気を肌で感じたいというミーハー的な興味だったのだろうか。

 この日は快晴だった。
それまでの気象データで10月10日が一番晴れる可能性が高いということで開催日を決めたと聴く。
その通り、見渡す限り、雲一つない真っ青な空だった。

 競技場の外だから中の様子は全く分からない。
入場行進やら聖火台の点火だとかのセレモニーが行われていたのだろう。
会場の(音)くらいは少しは聴こえてきていたのかもしないけれど覚えていない。
やがて轟音と共に戦闘機のようなものが数機並んで飛んで来た。
それが真っ青な大空に五輪マークを綺麗に描いたのである。

 ふうてんは慌てて、持ってきていたオリンパスの古いカメラを取り出してそれを写した。
この古いカメラは写真好きの叔父ちゃんから高校時代に貰ったお下がりのカメラであった。
当時はカラー・フィルムが未発達な時代でネガに現像すると色が心配だったのでポジで現像してスライドで見ようと思った。
スライドの映写機なんてめったにないのに・・・後で気がつくバカの知恵でありました。

 2020年の東京オリンピックまで生きているとしたら74歳になる。
2020-1964=56
この年月を経て東京オリンピックを2度も実体験できる人たちは・・・。
かなり年配のお方々たちに違いない。

 

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2013/09/02

2013・9・1 ブガッティのことを小林彰太郎さんから学んだ篇

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グランプリ・ブガッティ
 
(グーグル画像より)

 神保町通いをして、カーグラフィックに出会うことになった。
ロシナンテ(ダットサン・フェアレディ2000)の現役当時の姿を観るだけでは済まなかった。
日本のスポーツカーはホンダのS600、トヨタのヨタ8、ニッサンのフェアレディくらいだった。
ところがカーグラフィックを読んでいると、世界にはいろんなスポーツカーがある。

 16歳でオートバイに乗り始めて、18歳で自動車部へはいって4輪の免許をとった。
しかしその間、速く走るということには余り興味は湧かなかった。
スピードというよりも自在感が好きだった。
好きなときに好きなところへ自分の運転で行くことができる。
歩いてもチャリでも出来るのだけれど、行動範囲は全く違う。

 29歳になってどうしてフェアレディの中古車を買う気になったのだろう。
近くの酒屋のボンのせいだろうか。
或いはある自動車誌で観たフェアレディ2000の姿形に惚れ込んだせいだろうか。
オープン・ツーシータというアホな非実用車は30歳を過ぎると買うのが恥ずかしいと思ったせいだろうか。

 いずれにせよ買ったあとに、車のことをもっと知りたくなっていた。

 カーグラフィック誌の小林彰太郎さんは毎号紙面に登場していた。
確か(from inside)という形で毎号カーグラフィック誌のスタッフがコラムを書いていて小林さんもよく記事を書いていた。
これがいつも面白いのである。

 カーグラフィック誌はその名の通り車の写真を大切にする雑誌だった。
文章で表現するよりも写真だと一目で分かってしまう。
(アッ、かっこいい)
(う~ん、いまひとつ)
(ぶさいくやなあ)
などなど。

 そんな中でブガッティというのがふうてんの眼にとまった。
ブガッティ BUGATTI。

 イタリア生まれのエットーレ・ブガッティがフランスのモールスハイムの工場で作り続けた。
カーグラフィックのブガッティ特集の何号かを見てすっかりいかれてしまった。
素晴らしい。
これが究極の車の姿なのだと思った。

 車はエンジンを積んで走る単なる移動手段である。
馬車の発達した西洋で発明されて普及した。
馬車による競争競技がローマ時代にあったように自動車での競争もヨーロッパでは盛んになった。
それの1920年~1930年代の主役はブガッティだったと聴く。
それの最終形に近いのが掲記のグランプリ・ブガッティである。

 カーグラフィックの写真を観るだけではなくブガッティが動く姿を観たくなった。
当時映画で二つだけチラッとそのブガッティが出てくるのがあった。
一つは(ルドルフ・ヴァレンチノ)の伝記映画、一つは(最後の晩餐)というマルチェロ・マストヤンニの出てくる映画だった。
ヴァレンチノは1920年代にハリウッドで大スターになったイタリア産の俳優。
マストロヤンニはこれまたイタリア産の大スター。
ブガッティに乗っていてもおかしくないなと思った。

 自動車は単なる移動手段なのだけれど、その姿形や内部の機構は千差万別となる。
今でもハイブリッドや電気自動車など省エネのための工夫がされ続けている。
同時に今でもF-1グランプリのような競争競技のための車も作り続けられている。

 小林彰太郎さんは自動車と人間の付き合いの中に(fun to drive)という概念を持ち込んだ人だと思う。
確かに移動手段である。
実用的であるべきであろう。
しかし出来れば(楽しく)移動したい。
ドライブを楽しみたい。

 そんなことで彼がたどり着いたのがブガッティであったようだ。
先週だかに書いた最近のカーグラTVに登場した彼は今でも一台のブガッティを持っている。
20~30年前に、どこぞで放棄されていたのを買って自分でレストアしたらしい。
ブガッティにも一番安直なのからロールスロイスの上を行くような貴族的なのもある。
小林彰太郎さんは(この車は一番チープなんですよ)と言い(本当はグランプリ・ブガッティが欲しいのですがね)と番組の中で笑っていた。

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