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2013/08/05

2013・8・4 Muさんが死んじゃった篇

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夏草や つわものどもが 夢のあと

 この日記を休んでいるうちにブロッグ連歌師仲間のMuさんが亡くなった。

 先週の土日に富士山の裾野にある小川別邸で愉快な時間を過ごし、帰りに南武線沿いにある、かっての我々の戦場だった工場の跡地を訪ねた。
南武線からいつも見えるので気になっていたのである。

 駅で降りて、どういう様子か見てみた。
仕切りがあって中へは入れないようになっている。
今は近くにあるお寺さんの管理下に置かれているようであった。
そのお寺さんにはいって写したのが掲記の写真である。
(つわものどもが夢のあと)
芭蕉って、憎いセリフを吐くなあと、ブロッグ・ネタの積もりで写した。

 富士山裾野へ行ったあと、火曜日は東京の赤坂へ出向いた。
いつもは自宅から半径2Km以内をうろうろしているふうてんにとっては大変な移動距離である。
疲れてしまってボンヤリとしていると木曜日に電話があった。
(たにぐち)とあったので、回復したのかなと携帯電話のスイッチを押した。

お嬢ちゃんのルリさんからだった。

 家族に見守られて静かに息を引き取りました。

 Muさんは芭蕉の俳句が好きだった。
(夏草や つわものどもが 夢のあと)
(旅に病んで 夢は枯れ野を 駆けめぐる)

 いつも夢を追い続けていたのだろうか。
そうだよね、Muさん、野郎なんて夢を見るしかないよね。
そちらへ行って夢を見るのか知らないけれど、俺はこちらであとしばらく夢を追いかけ続ける積もりさ。

 そのうちそちらで会って話すこと山ほどあるなあ。
いろいろ仕込んでいくからね。
待ってろよ。

(ふうてんアーカイブス)

2013・7・29 Muさんを偲んで

MuさんはJoさんとふうてん合わせて三人組を(風雪梅安一家)と呼んでいた。
Muさんが彦さんでJoさんが小杉さんでこちらが梅安だった。

彦さんは作家の水上勉を思わせるハンサムボーイだった。

 

Futari

Kyo

Omikuji

 

 

 

  
Sampai_2

 

京都の上賀茂神社

 

Matsu

Omlett_2

法隆寺と奈良ホテルのプレーン・オムレツ

 

Shashin

Torisei

伏見の鳥せい

 

Hiko_1

Hiko_2

六本木のワインガーデン

 

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コメント

ほかもさん

 Muさんには僕たち連歌師仲間の会話は伝わっていると思います。
言葉を大切にするお方でしたね。
30年ほど前に知り合ったころは(浅茅原竹毘古)のペンネームがお気に入りのようでした。
文章を書くことが好きだとおっしゃっていました。

 日本語の文章ではないですが、パスカルを使ったプログラミングも楽しまれていましたね。
(決めの処理のところでスッキリとしたプログラムが書けたときは実に気分がよい)
などとね。
こちらはハードのことは分かってもプログラミングは素人でしたのでその境地は味わえませんでした。

 どうも二人とも理科系のような文科系のようなところがありました。
Muさんも文学好きとテクノボーイとの両面がありましたね。
何しろ図書館でコンピュータやパソコンの活用を早い時期から提案されていて、ルナ企画というソフトハウスまで立ち上げてゲーム・ソフトの作品を世の中に送り出していたのですからね。
パソコンを通じて理科系のような文科系のような二人は知り合ったのでした。

 (新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事)
結婚式でこういう句を引用するとはいかにもMuさんらしいですなあ。
彼は大伴家持にずいぶん肩入れをしていましたね。
万葉集は滅ぼされた大伴一族の鎮魂の歌集ではないか。
などとね。
(いやしけ吉事)の意味が分からずグーグルに聴きました。
「重け」とは「しけ」と読み、読んで字のごとく「重なれ」ということです。
とあったのでやっと意味を理解できました。
(降り積もる今日の、新春の雪のようにいいことが重なり積もりますように)
新婚さんへの最高のはなむけですねぇ。

 ちょっと先にいったMuさんに僕は東山魁夷の言葉を手向けたいと思います。
(花が永遠に咲き 私たちも永遠に地上に存在しているなら)
(両者の巡り会いに何の感動もおこらないであろう)
(花は散ることによって生命の輝きを示すものである)
(花を美しいと思う心の底にはお互いの生命をいつくしみ)
(地上での短い存在の間に巡り会った喜びが)
(無意識のうちにも感じられているに違いない)
・・・一枚の葉という著作から

投稿: ふうてん | 2013/08/08 07:49

 いまだ、信じられません・・。あまりに突然すぎて、何の心の準備もなかったものですから・・。

 Muさんには、いろいろなこと教えていただきました。
社会人一年生としての心構え。娘が働き出して落ち込んだときに、Muさんに教えられたのと同じ事を言っています。
(注意されるのも、叱られるのも、給料のうち。)
Pascalというコンピュータ言語を習いました。その過程で、コンピュータの基本概念をつかむことができ、私にとってはそれからの人生を生き抜く上で武器になったように思います。

文学のお話もたくさんしました。結婚式の祝辞では、万葉集最後の大伴家持の一首(新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事)を贈ってくださいました。

お忙しいMuさんでしたから、退職されてお時間ができたら、ゆっくりと奈良をご案内しようと思っていましたのに・・。浅茅が原も二上山も・・。
今までのお礼の一言も言えず、残念でなりません。
 謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

 Muさんのお言葉を借りるなら、『ふうてん老人日記』を媒介にして、霊波でMu先生に言葉や思いをお伝えしたいと思います。

最後にMuさんのお言葉

「人の生死とか、生きたこと、死んだことは、記憶と記録にとどめられ、一般に記憶は一代限り、記録は数代につたわる。
 それが両方なくなったとき、存在したという証はきれいさっぱり消滅する。
 MuBlogに、記憶と記録とを時折書くつもりだが、そのMuBlogも私の終わりによって、あとかたもなく消える。
 だけど、存在したら消滅することで、辻褄が合うというか、バランスが取れるんだろうね。」
http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/07/20040701.html#more

投稿: ほかも | 2013/08/07 14:05

JOさん

 本当に残念ですね。
痛風で足が悪くなったころ、自宅の枇杷の木が大きくなってきたので、そのうち削っていい杖を作るからね、なんて冗談話をしたことを思い出します。

 JOさんとの三人組は1990年ころでしたかねぇ。
もう20年以上前となりますか。
京都の大学で昼間勉強会に参加して、あとは長尾先生のおごりで木屋町当たりで宴会でしたなあ。
せっかく出張旅費を使って関西へ行きますと1泊では勿体ない。
翌日は奈良でも冷やかそうか。

 それで奈良公園かなんかへ繰り出して、朝から熱燗とうどんを頼みましたねぇ。
あの時の奈良公園の東家みたいな建物と縁側みたいなところはまだボンヤリと記憶に残っています。
広々とした草地で横になって一眠りしようと思いました。
そうしたら鹿ちゃんたちが落として行ったものが点々としているのですね。
草原での一眠りは諦めざるを得ませんでした。

 京都の三条小橋上がるのめなみ、奈良公園からもほど近い奈良ホテル、東京のワインガーデン、新横浜のラーメン博物館、鎌倉の鶴岡八幡宮などなどいろんなとこを三人で経巡り歩きましたね。
ニューヨークやロンドンてのはなかったねぇ。
Muさん、英語は嫌いや言うてはったからねぇ。

 (やまとしうるはし)の精神のお方やったねぇ。
僕たちの(風雪梅安一家)のシナリオはやはり作家(浅茅原竹毘古)が書いたのやろねぇ。
せんせ~がのうなって、JOさんどないしょう。

投稿: ふうてん | 2013/08/06 15:07

合掌 Muの旦那はん

 最初の写真は私が大凶の、お御籤を引いた時の旅ですね。奈良ホテル、法隆寺、三人で行きましたね。東大寺の時に何処かで『うどん』食べましたね。

伏見の『鳥せい』何回も行きましたね。本当に彼は伏見が好きでした。

 六本木の『ワインガーデン』懐かしい、娘さんと御一緒でしたね。

 彼の独特の低音ののんびり関西弁を聴くと、何処か、落ち着きました。やはり、私も関西で育ったからでしょうか。

 そして、彼は心配性でしたね、会うたびに、ふうてんはんはどないしてる?joあんたは会社を辞めて生活は大丈夫なのか?金は大丈夫か? やたらと、心配をする人でした。

 車には何時も、お茶と、お菓子、特に『スルメ』が常備されていました。今日訪問する古代史遺跡のの関係書類とスケジュールが綿密に計画され書類化されていた。本当に、きちんとした人でした。

 何時も宇治木幡の御蔵山の幼稚園の前に迎えに来て下さり、車に乗せて貰い、楽しい遺跡探訪と昼に如何に美味しい食事をするか検討されていました。

この数年間は、帰省する度に、必ずMuの旦那さんと卑弥呼はんを探しに出かけていましたね。こんなに早く、この世の終わりが来るとは思いませんでした。本当に、残念です。

投稿: jo | 2013/08/06 09:04

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