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2013/08/11

2013・8・11 零戦のことなど篇

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夏の花 ムクゲ(木槿)

 今年の暑さはどうしたことだろう。
日本全国で35℃、38℃、さらには40℃という日が続く。
隠宅のある国立でも今日は37℃くらいあったのではなかろうか。
体温を超える気温というのはどういうことなのだろう。
そんな地域に古来多くの人間が住み着いてきたはずはないのに。
今はもう民族大移動で涼しい地域へ移動するわけにもいかないし・・・。

 暑さにフウフウいう季節、テレビでは毎年戦争ものがよく登場する。
NHKでは零戦の搭乗員だった人たちの特集をやった。
またテレビコマーシャルで宮崎駿の(風立ちぬ)や水谷豊の(少年H)やトミー・リー・ジョーンズがマッカーサーに扮した映画などの宣伝が連日流された。

 中でブロッグ仲間のJOさんは(風立ちぬ)を観てきた記事を書かれている。
その中でJOさんは(『風立ちぬ』では『零戦』の設計にかんする秘話や苦労話が殆ど触れられていませんでしたので、私は少し物足りない気持ちでした)と語られている。
まだ観ていないけれど、そうかテレビで出てくる予告編(?)の映像でも零戦は殆ど登場しないものなあと思った。
零戦の設計秘話となると、いささか軍事的なこと、政治的なことにも関わりが出てくるのでアニメーション映画としては扱いにくかったのではなかろうかと想像する。

 宮崎駿が(風立ちぬ)を作ったと聴いたとき、ふうてんは二つのイメージが浮かんだ。
一つはわが町、国立(くにたち)のことである。
越してきた30年ちょっと前から(くにたち)と発音する度に堀辰雄の(風立ちぬ)がイメージに浮かんだ。
ひょっとして国立と書いて(くにたち)と読ませた人は(かぜたちぬ)のファンではなかったのだろうか?などと。

 もう一つは零戦の主任設計者だった堀越二郎のことだった。
風の谷のナウシカからずっと(飛びもの)を描き続けた宮崎駿がついに零戦を扱ったなと思った。
宮崎駿は東京で航空機の部品を製造していた一族の中で育ったと聴く。
零戦の部品も作っていたのではなかろうか。

 その零戦の主任設計者だった堀越二郎の著作をふうてんは5、6年前に初めて読んだ。
前から気になっていたのだけれど、なかなか本屋さんで見つからなかった。
エンジニアリグの領域で仕事をしている人で零戦の設計者の意見を聴いてみたいと思わない人はいないだろう。
本を読んでみて、まるで詩人のような人だなあという印象が記憶に残っている。
零戦のどこまでが堀越二郎のオリジナルだったかは分からない。
それでもあの性能とあの形。
それの全責任は彼にあったはずである。
実行責任者としてあのような形に仕上げた。

 性能と形は無縁ではないとふうてんなどは思う。
究極の性能を追求したとき、そのマシンは必ず美しい形となる。
自動車でいうとポルシェ911がそうである。
どうしてそうなるのか?ふうてんには説明できない。
説明できないけれど確かに零戦は当時の最高の性能であり最高に美しい戦闘機だった。
角張ったところが一つもないあのデザイン。
性能を追求した挙げ句がそうなったのだろうか?
或いは少しは堀越二郎の美学もはいっていたのだろうか?
一度聴いてみたかった。

 堀越二郎は1982年に亡くなった。
戦後長く生きることになった。
彼は著書の中で、やはり零戦が沢山の人に災厄をもたらし、沢山の操縦士を死に至らしめたことに心が塞いでいるようであった。
零戦は1万台製造されて4500人の操縦士が死んだと、NHKの番組で知った。
これがエンジニアとして全知全能、全身全霊をかけて設計したマシンの結果である。
戦時中から戦後、死ぬるまで彼の心中は穏やかじゃなかっただろぅなあ。
 
・・・
エンジニアの端くれとしてふうてんはそう思う。

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