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2013年6月に作成された記事

2013/06/23

2013・6・23 四季の会 春夏篇につき

Towns_1
こんなパソコンもあった





Img002
出雲の夕日?朝日??




 このところ朝の太陽の光が妙に北の方から差してくる。
ふうてんの部屋は隠宅の一番北側にあり、東、北、西に窓がある。
太陽の動きがまことによく分かる。
カレンダーを見ると6月21日が夏至だった。
なるほど太陽が一番北側へ行ったはずだ。

 その夏至の日に四季の会、春夏篇を府中でやった。
四季と四騎をかけて(四季の4人の会)ということで季節の移り目に集まっている。
今回は(四騎+ワン)で5人となった。
その(+ワン)のワンはTownsのデザインと実装構造をやってくれた戦友である。
パソコンのデザインをやる人が絵を描けないはずがない。
2枚の写真は彼がデザインしたパソコンと出雲時代に彼が描いた絵である。

 この戦友の話は以前この日記に書いたなぁ~・・・とひっくり返すと見つかった。
2005/06/19
 6月19日 梅雨のころ篇
この記事はもう8年も前だった・・・同じ梅雨の時期、6月に書いている。

 今回の(四季の会 春夏篇)にはこの男にも参加してもらった。
四騎の会のメンバーはふうてんが最年長で、あと5歳ずつ年下の三人と合わせて4人。
プラス・ワンの仲間はふうてんと同年齢である。
みんなTownsの開発に参加した。
当時この(四騎+ワン)の年齢構成は43、38、33、28だった。

 パソコン作るのもチームプレーだと考えると、映画作りのことを思い出す。
ふうてんの大好きな映画(駅馬車)や(七人の侍)はどのように作られたのだろう。

 監督をしたジョン・フォードも黒沢明も43~44歳のころだった。
ついでに思い出したけれど池波正太郎が鬼平犯科帳を書き始めたのも43歳ころだとか。
鬼平犯科帳は小説だけれど、彼はそれまで新国劇の座付き脚本作家で芝居の演出もやっていた。
つまりは映画のようなチームプレーのことを熟知していた。

 引き合いに出すのも僣越と思われる作者たちだけれど、物づくりとはそういうものだと思う。
野郎が40代半ばころの作品、それが一番充実している。
これは映画や小説などの文芸部門の作品だけには限らない。
あらゆるジャンルの(物つくり)においてそうではないかと気づいた。
当時は分からなかったけれど今はハッキリと分かる。
(上がいてその連中とケンカし、下がいてその仲間の連中と徒党を組んで上に反乱する)

 こういうことをやれる年代が40歳代ではないかと思う。
それまでの権威を守ろうとする年上の輩たちがいる。
会社で言えば社長、取締役たちである。
小説家で言えば出版社である。
実績のある会社や出版社では権威を守ろうとする圧力が若い作者たちの重圧としてのしかかる。

 ジョン・フォードも黒沢明も会社と大喧嘩の連続だったと聴く。
会社の既存の権威にどう立ち向かうか。
そのエネルギーが作品にも反映されているとふうてんは思う。
その反発のエネルギーが最高点に達したとき彼らの最高の作品が産まれた。

 いい作品は大ヒットするに決まっている。
反乱組だった連中はいきなり英雄となり、もてはやされるようになる。
ジョン・フォードと黒沢明はそれまでの会社から独立し、独自のプロダクションを作った。
独立してからの二人の作品には、残念ながら、観るべきものはなかった。

 Townsを作った面々はこの歴史を知ってか知らずか会社を離れることはなかった。
その後、何かいい作品を作ったかどうか・・・。
誰も知らないしまだ表に出てはいないけれど、また別なる反乱をもくろんでいるのではなかろうか。
ふうてんはそう信じている。

 今回の(四季の会 春夏篇)でも、みんなと会って当時のいろんな笑い話に花が咲いた。
もうあれから24年もたっている。
昨日があり今日があり明日がある。
昨日一緒だった仲間たちは今日それぞれに違う立場で生活をしている。
そういう仲間が集まって来し方行く末を語り合う。
明日への勇気を与えてくれることは間違いがない。

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2013/06/17

2013・6・16 久しぶりに神保町のミロンガを冷やかした篇

P6090690そろそろ食べごろ?

 久しぶりにお茶の水を訪ねた。
半年ぶりに同郷の友だちと会うためだった。
夕刻、40分ほど早くお茶の水駅に着いた。
これだと神保町のランチョンに行く前に三省堂書店を冷やかす時間がある。
そんなことを思いながら駅からの下り坂をゆっくりと歩いた。

 お茶の水駅から坂を下って神保町の通りに出るといつも独特の感慨に襲われる。
50年ほどの記憶が集積している場所、とでも言えばいいのだろうか。
通りに面して古本屋の並びがあり、その裏側にいくつかの露地があって飲食店がある。
この狭い一画はいまだに戦後のバラック風の名残をとどめている。
50年前に初めて来たときとあまり変わっていない。
(三省堂の裏側のミロンガで)
という兄貴の言葉をいつも思い出す。

 今回同郷の友だちと会ったのは同じ神保町のランチョンだった。
この友だちとは前にも書いたけれど伊予で隣同士で子供のころを過ごした。
今はお茶の水の大学でフランス文学の仕事をしている。
彼が飲み会などでよく行く店ということでランチョンにした。
ランチョンは物書きの吉田健一がよく通った店としても知られている。
ミロンガとランチョンは靖国通りを挟んでほんネキにある。
ランチョンで会う、と決めたとき、二次会はミロンガにしようと思った。

 三省堂書店の二階で藤沢周平の(蝉しぐれ)を探した。
この日記でも書いたけれど、NHKのドラマ化は本当によく出来ている。
何度も再放映され、勿論録画してブルーレイにとっているけれど何度観ても感心する。
脚本がいいのか演出がいいのか役者たちがいいのか音楽がいいのか。
原作を読んでみたくなった。
こんな大きな三省堂書店でも売り切れということはある。
文春文庫の(蝉しぐれ)はこの日、手にはいらなかった。
梅原猛の(葬られた王朝 古代出雲の謎を解く)
池波正太郎の(池波正太郎の銀座日記(全))
などを買う。

 ランチョンに着くと、もう友だちは席についていた。
二人とも18歳のころ田舎の伊予を捨てて今は東京近辺に流れ着いている。
還暦もとっくに過ぎて、話すことは・・・いくら時間があっても足りない。
今回は彼のフランス体験を聴きたいと思っていた。
話すうちにフランスの原発の話になった。

(僕なんかどちらかというと自然科学系の人間なんやけど原子力使うの危ないと思うんや)
(まさちゃん(と彼はふうてんを呼ぶ)とは逆に僕は人文系だけど、どうしてフランスが原発使うか知っている?)
(・・・・?? キュリー夫人がいたから??)
(彼女はポーランド人だけどフランス人と結婚したからねぇ・・・いやそういう話じゃないのよ)
(違うか・・・じゃぁ、なんで?)
(フランス人は何でも自分の国にある思うているのよ、エネルギー以外は)
(そのエネルギーも他国に頼りたくない、と)
(そういうこと)

 話は尽きなかった。
夕刻4時半から始めて、4時間ほど過ぎたので席を変えてミロンガへ移った。
こちらはウィスキーのストレート、彼は少し軽めのを頼んでいたようだった。
(青森県の六ヶ所村て知ってる?)
(ああ、名前は聴いたよ)
(あそこの再処理工場はフランスの技術で作ったのよ)
(ええぇっ?そう)
(フランス行ってたときの友だちも一枚噛んでいてね、通訳とかで)
・・・・

 ミロンガでアルゼンチン・タンゴのレコードを聴きながら、フランスやら伊予やらの話を肴にウィスキーを飲むうち酔ってきたようだった。
再会を約して別れ、帰宅したのは11時ころだったろうか。
念のために六ヶ所村の再処理工場のことをグーグルに聴いた。

(建設費用は7600億円だったものが、20112月現在で21930億円と約2.8倍以上にも膨らんでいる)
(この施設は核燃料サイクル事業で先行するフランスから技術協力を受けており、現在でもフランス人技術者が複数名、本施設で働いている)


 同じヨーロッパの隣国同士のフランスとドイツ。
ドイツは原発をやめると宣言したねぇなどという話も彼とした。
フランス料理というのは聴くけどドイツ料理というのは聴かない。
フランスは原子力も料理してこまそうと思っているのだろうか。
一方のドイツは(原発は経済の問題ではなく倫理の問題である)と全廃を宣言した。

 東洋の島国日本は原子力、原爆や原発にどう向き合うのだろうか?
フランス料理と日本料理を考えると、どうすればよろしいのか、ふうてんには明らかなのだけれど・・・・。
 

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2013/06/09

2013・6・9 東山魁夷のこと篇

P5190522アンジェラ(庭師撮影)

 梅雨にはいって、ちっとも雨が降らない。
空梅雨なのだろうか?
京都など関西方面では干上がってかなり困ったことになっている様子がテレビで報道されている。
今のところ東京の国立では水不足で断水の恐れあり、という噂は聴かない。

 昨日の土曜日、BSフジで東山魁夷をやっていた。
もともと絵が好きな方だけれど、日本の絵については絵巻物と浮世絵くらいにしか興味がなかった。
狩野派だとか琳派だとかの絵にも興味が持てなかった。

 40年ほど前、結婚したばかりのころ、仕事もせずに初めて買ったカラー・テレビ、勿論ソニーのトリニトロンでテレビばかり観ていた。
1970年代の初頭であった。
刑事コロンボは週末金曜日の夜の楽しみだった。
鬼平犯科帳の美しい映像に心を奪われていた。
そんな中で、唐招提寺の障壁画を製作していた東山魁夷のドキュメンターをNHKがやった。

 この番組は衝撃だった。
今の日本にこんな凄い画家がいる!!
日本の山や海を経巡り歩いて構想を練る。
ヨーロッパへ留学や旅をして向こうの精神や技法を学ぶ。
日本画の手法即ち抽象化や装飾性の素晴らしさも我が物とする。
全く知らなかった東山魁夷という画家にはまってしまった。
東山魁夷は文章も達者な人でいろんな著作があることを知り、何冊か読んだ。
それでまたファンになってしまった。

 ふうてんはミーハーだから、いいなあと思うとつい追っかけるのである。
東山魁夷追っかけのハイライトは1982年に東京の日本橋高島屋で行われた「東山魁夷唐招提寺全障壁画展」だった。
この展覧会では(第一・二期障壁画 日本と中国)と(厨子絵《瑞光》)がはじめて一堂に展示された。

 よくもまあ、あんな展示が可能だったなあと今でも思う。
額縁にはいった小さな絵ではなく、巨大な障壁画をそのまんま、いろんな部屋を作って展示していた。
この展覧会で彼の障壁画を観たあと、額縁にはいった彼の絵を見るために展覧会へ足を運ぶ気はなくなった。

 それからもう30年ほどたつ。
映画も小説も絵画も音楽も、それに接した年齢で印象は変わるかもしれない。
昨日観たテレビ番組は長野にある東山魁夷記念館の(緑響く)という絵を中心として製作されていた。
例の緑と青の木々が映る湖畔を真っ白な馬が行く絵である。
この絵に対しても30年前と今とでは感じ方が違うなあと思いながら番組を観ていた。

 そうしたら番組の最後に東山魁夷のこんなセリフが聴こえてきた。
(どんな場合でも、風景との巡り会いはただ一度のことと思わねばならぬ)
(自然は生きていて常に変化して行くからである)
(また それを見る私たち自身も日々移り変わっていく)
(花が永遠に咲き 私たちも永遠に地上に存在しているなら)
(両者の巡り会いに何の感動もおこらないであろう)
(花は散ることによって生命の輝きを示すものである)
(花を美しいと思う心の底にはお互いの生命をいつくしみ)
(地上での短い存在の間に巡り会った喜びが)
(無意識のうちにも感じられているに違いない)
 
・・・一枚の葉という著作から

 このセリフは30年前にも聴いたに違いない。
30代半ばだった当時このセリフを実感できていただろうか?
67歳になった今は、つくづくと分かるような気がする。

 念のためにこの(一枚の葉)というのは東山魁夷が幾つ頃書いたのかをグーグルに聴いた。
1981年に出版されたらしい。
東山魁夷は1908年の生まれである。
1981-1908=73
彼が73歳のときの著作であることが分かる。
なるほどなあと思った。

 こういう風に言葉で表現したのは彼が70歳も過ぎてからかもしれない。
しかし彼の絵は、出世作の(道)にしても話題となった(唐招提寺障壁画)にしても、どれも(地上での短い存在の間に巡り会った喜び)が表現されているように思えてならない。

 画家というのはそういうものなのかもしれない。
きっとそうであるに違いない。

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2013/06/03

2013・6・2 イギリスのこと日本のこと篇

Still0266ビワが色づいてきた

 東京でも梅雨にはいったと聴く。
そのせいか毎日何となくうっとうしい天気がつづく。
うっとうしい、鬱陶しいという漢字は手書きで書けと言われると・・・。
手書きでは書けないけれど良く出来た文字だと思う。
そのまんま雰囲気を表している。

 先週と今週にまたがってNHKのBSプレミアムで(ぐるっとイギリス3500キロ 王国つなぐ貴族の心)という番組があった。
イギリスを運河と海路で巡るという番組だった。
これを観て、イギリスのことも全く知らないなあとため息が出た。

 まず驚いたのはイギリスという国は複雑な生い立ちだとは知っていたのだけれど、今のイギリスがどういう国の集合体なのか正確には知らなかったことだった。
UK(ユナイテッド・キングダム)とかGB(グレート・ブリテン)と呼ばれていることは知っていた。
しかし中身は・・・まるで知っちゃあいなかった。
この番組を観て、おぼろげながら少しは分かったような気がした。

 イングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズの4つが合わさったのをUKと呼んで、それが我々の理解するところのイギリスであるようだった。
してみるとアイルランドは別の国であるらしい。
そういうことすら67歳の今日までハッキリとは知らなかった。

 番組では最初に東側のイングランドとスコットランドを訪ね、次に西側の北アイルランドに渡って最後にまた東側のウェールズに戻る。
一回目は主に運河をナロー・ボートで巡る旅、二回目は海を船で渡る旅という構成だった。
どちらも船で移動するのでテンポがゆったりとしている。
それが番組全体のリズムにもなっていてじっくりと観ることができた。

 ロンドン、エディンバラ、ベルファスト、カーデフという4つの首都が登場する。
4つの首都というのも妙な話だが何しろユナイテッド・キングダムだから連合王国、それぞれの(国)に首都があるという次第。
日本で(大阪都)を作りたいという話もあった。
それならばまず(関西王国)でも作らないと話が合わない。

 イギリスの歴史は、ともかく小国同士の攻防の歴史のようだった。
小さな島国でまわりは海ばかり。
ヨーロッパ大陸(ユーラシア大陸)とはドーバー海峡で隔てられているから、ローマ時代以来何とか独立性を保てたと思える。
東方の日本とその点はよく似ている。

 歴史があまりにもややこしいので、その経緯をいちいち理解するのも面倒くさい。
ただどの国も誇りが高く、連合王国には参加し、UKの一国で連合の王様はエリザベス女王、首都はロンドンであることは認めながら、それぞれの独自性も強固に保っている、そんな印象だった。

 その最たるものがウェールズで今もウェールズ語と英語が共に公用語だというのには驚いた。
番組の中で、ある農家一家の主婦が(ウェールズには(言葉のない国は心のない国)ということわざがあります)と話していた。
家族の会話もウェールズ語が主で、方言というより英語とは完全に違う言語のようだった。

 イギリスを構成している4つの国ではいまだに国王がいて貴族がいて平民がいる。
ある意味階級社会である。
そして(王-貴族-平民)のユニットが地域に根ざしている。
自分たちの文化や生き方を変えようとしない。
イングランドが親分だけれど中央集権という感じではなかった。

 日本のことも思い出させられた。
海に囲まれた、いくつかの島の集合体という意味で似ている。
ユーラシア大陸の西と東。
イギリスは航海技術を武器に世界へ乗り出していった。
北緯50度から60度の北の国(北海道よりも北にある)。
日当たりのよろしい国ではない。
よほど温暖で肥沃な土地に憧れたのだろうか。
・・・・
日本は島国に閉じこもった。

よほど自然の豊かさに恵まれていたのだろうか。

 いろんなことを考えさせてくれるいい番組だった。

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