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2013年5月に作成された記事

2013/05/27

2013・5・26 昭和は遠くなりにけり篇

Sakuradori桜通りは森になった

 今年2013年は平成25年、昭和でいうと昭和88年となる。
この4月と5月にも昭和時代に活躍した人たちが次々と亡くなった。
一人は歌手のバタやんこと田端義夫。
一人は平成の鬼平と言われた中坊公平。

 バタやんは93歳、中坊さんは83歳の大往生だった。
昭和21年に生れたふうてんにとって、このお二人の足跡は戦争の名残のあった伊予の幼少時代から高度成長真っ盛りの昭和44年に東京へ流れてきたころの記憶と重なる。

 バタやんの出世作(かえり船)は子供のころから聴こえていた。
なかなかいい調子の歌だなあ、漁に出たおとうちゃんが港に帰っていく情景の歌だろうかと子供心に想像していた。

 この間バタやんの追悼番組があった。
昭和54年に放映されたNHKの(ビッグショー)だった。
(かえり船)とは戦地から帰って来る兵士たちの復員船のことだった。
ある日、まだ焼け野が原の大阪で復員列車が大阪駅に着いた。
ホームで(かえり船)が流れていた。
復員兵たちが立ち止まってジッとその歌に耳を澄ませているのをバタやんは見た。
(ああ歌手になってよかったなあ)
と実感したという。
67になるこの歳まで(かえり船)の意味をち~とも知らんかった。

 中坊公平さんのことは1990年ころから2000年くらいまでの間、NHKテレビや数冊の本で知った。
弁護士であった中坊さんは昭和期に様々な事件の弁護団長として活躍することになる。
森永砒素中毒事件、豊田商事事件、豊島(てしま)産業廃棄物事件、などなど昭和から平成にかけての高度成長、それに続いたバブル時代のもたらした被害の裁判事件を担当した。

 世紀の変わった2000年ころには(平成の鬼平)などと言われた時期もあった。
中坊さんは嘆いていた。
戦争時代までは(お国のために)ということに余りにも強く縛られていた。
戦争に負けた後は(大切なのは個人だ)ということになった。
それで日本人は(個人は自由だ、何をやってもいい)と勘違いしたのではなかろうか。

 彼に言わせると中坊公平の(公)は(私)に逆らうという意味だという。
ハムのムは私。ハは逆らうということらしい。
その公も(縦の公より横の公)というのが口癖だった。
日本では公(おおやけ)というのは(官)という縦の秩序と理解されがち。
英語のパブリックというのは横の公のこと、というのが口癖だった。

 弁護士という職業柄か話は滑らかだった。
同時に(本質はどこにあるのか?)のロジックは鋭く際立っていた。
そして語り口がまことにチャーミングだった。
人を引きつける魅力にあふれていた。

 田端義夫、中坊公平・・・昭和に活躍した人たちがいなくなる。
昔(明治は遠くなりにけり)と言っていた時期があった。
さしずめこの頃は(昭和は遠くなりにけり)だろうか。

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2013/05/19

2013・5・19 一年ぶりに住大夫を聴いた篇

130515月文楽公演

 怪しい空模様の中、5月文楽公演の住大夫を聴くために、国立劇場へ向かった。
竹本住大夫は去年の5月公演の後、7月に脳梗塞で倒れた。
この日記でも報告したけれど、そのころ橋下大阪府知事が文楽への補助金をカットしたことによる心労が一因だったとも噂された。

 1924年10月生まれだから今年88歳のはず。
その住大夫が倒れたとなると、もう聴くことはできないのではないか。
文楽仲間の村ちゃんとそう話し合っていた。

 この日記でも伝えておいたように、その住大夫が復帰したのである。
ソワソワと国立劇場小劇場へ向かった。
演し物は(寿式(ことぶきしき)三番叟(さんばそう))だった。
この演目は知らなかったので登場したとき謡も三味線も5人ずつだったのに驚いた。
総勢10人の真ん中に住大夫-野澤錦糸のコンビがいた。
村ちゃんが(痩せましたねぇ)と言った。

 確かに痩せて、体も少し小さくなった印象だった。
それでも声は健在だった。
マイク・スピーカなしで500人ほどの小劇場一杯に声が響きわたった。
村ちゃんが、
(往年の迫力はないけど、さすが貫祿ですね)
と言った。

 この(5人+5人)の演目を選んだ理由は分かるような気がした。
一人で50分ほど語り続ける、というのは難しかったのではなかろうか。
20分ほど、5人のリーダーとして語る。
まわりに支えられながら20分を主役として語り続けた。

 住大夫が退場した後、(心中天の網島)があって8時半ころ公演は終わった。
村ちゃんと四谷から中央線に乗り、中野で降りて北口にある一軒の飲み屋へはいった。
この店は村ちゃんの行きつけの店で、ふうてんは3度目だった。
魚介類が売りの店である。
この季節には珍しい(貝殻つきの生牡蠣)があったのでそれを注文した。

 気温が下がってきていたのでビールよりも熱燗にした。
(住大夫さん声は出ていたけど、かっての張りや艶は戻るかなあ)
(年齢、病気、厳しいとは思うけど、ひょっとしたら戻るかもしれんねぇ)
(そう願いたいなあ、僕はミーハーでね、文楽いうても住大夫さん追っかけているだけよ)

(ミーハーでは僕も負けませんよ、ふうてんさん、前に住大夫さんのサイン貰ったと自慢してましたよね、サインだけじゃなく二人ッキリで15分以上も話したとか)
(うん)
(僕はボクシングのジョージ・フォアマンのサイン貰ったんです)
(ああ、フォアマンね、あのキンシャサでモハメッド・アリにやられた奴)
(僕がフォアマンに会ったのはキンシャサの前で、モハメッド・アリをやっつけたジョー・フレーザーをノックアウトしたばかりのフォアマン全盛時代でした)
(ほぉ~)
(フォアマンがフレーザーをノックアウトした瞬間の、僕が撮っていた写真を持っていたのでそれにサインして貰ったんです)
・・・・

 さすがベースボール・マガジン誌のカメラマンとして番を張った村ちゃんである。
同じミーハー族でも接近のしかたが違うのかもしれない。
しばらく(ミーハー論議)に耽った。
(ミーハーて楽しいですよねぇ)
(一方的に好きなるだけでいいものねぇ)
(ファン・レター出したり、握手して貰ったりしてね)
(ファン・レター出して返事が来たりしたら大騒ぎよ)
(どうも中学生のころジョン・フォードの(荒野の決闘)を観て、オー・マイ・ダーリン・クレメンタインの役をやったリンダ・ダーネルにファン・レター出したら返事が来たのよねぇ、あれが始まりかなあ)
(印刷されたハガキだったけどサインだけは本人らしいのよね)
(なるほど、さすがエンターテインメントの国アメリカですなあ)
(どの国の、ど田舎から来たファン・レターにも返事は出す。そういうシステムが出来ているねぇアメリカは)
・・・・

 ミーハー族として竹本住大夫を追っかけている二人は終電車近くまでこんな話に耽ったのだった。
住大夫先輩、9月もたのんまっせ。

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2013/05/13

2013・5・12 ルノワールを観て東京駅から帰った篇

Renoir

クラーク・コレクションのルノワール

 気づけば5月も半ばに近づいている。
ということは・・・今年も半分近く過ぎたということになる。
1990年に67歳で亡くなった池波正太郎は、
(50を過ぎると坂道を転げ落ちるようなものだ)
と述懐している。
 
60をとっくに過ぎたこちらにとって、坂道はますます急になってきたのだろうか。
半年がアッという間に過ぎていく。

 先週、赤坂でのミーティングのあと、クラーク・コレクションの展覧会を冷やかした。
溜池山王から地下鉄の千代田線に乗り、二重橋前で降りる。
千代田線はずいぶん利用したけれど(二重橋前)で降りるのは初めてかも、などと考えながら地上に出た。
通りに面した出口で、右を見ると(皇居のお掘)の雰囲気だった。
左を見ると遠くに新幹線の列車のようなものが通りすぎて行った。

 へぇ~、三菱の美術館はここにあったんだ、この一帯は三菱地所だものなあ。
美術館へ向かいながら既に(お上りさん)し始めていた。
17歳のときに初めて東京へ来たときのことや就職して東京へ流れてきたころの気分がよみがえってくる。
67歳になっても東京人ではなく、あくまでも伊予から流れてきた田舎者であるらしい。
どうせ田舎者なのだから今日はお上りさんしてやろう。

 三菱一号館美術館は駅から歩いてすぐのところにあった。
名前からして三菱らしく厳めしい。
第何号館まであるのか、それは知らない。
古めかしいビルで中庭のようなのがあり中々奥ゆかしい雰囲気だった。
大きくはない建物で道路に面しているものだから入り口が分からない。
(ここは出口です)というカンバンは見つかったけれど(入り口)は?

 1500円の入場料を払って一階からはいる。
二階と三階が展示室となっていた。
迷路のような階段であり展示場だった。
こちらの目的はルノワールだったけれど、何しろ迷路であるから(順路 →)の案内を頼りに進むしかなかった。

 驚いたことにルノワールは10点以上あった。
もっと驚いたのはその前後に(コロー)(ピサロ)(シスレー)(モネ)の作品があり、さらには(ドガ)の競馬場や踊り子の絵、(ミレー)や(ロートレック)の絵まであった。
これらを集めたクラークというアメリカのお人の気持ちが伝わってくる。
案内の地図を見るとニューヨークとボストンの中間地点にミスター&ミセス・クラークの拠点はあるようだった。

 これらの作家の作品が集められていることで、ふうてんは中学3年のときに訪ねた京都美術館の(ルーブル美術展)を思い出していた。
あれはルーブルだからその幅の広さと厚みは今回の比ではなかったように思う。
そのルーブル美術展で、ふうてんはルノワールにいかれてしまったのだった。
14、5歳のイガグリ頭の田舎の少年が初めて観るルノワールの絵の前に立つ図。
ひょっとしたらクラーク少年にもそんな経験があったのではないか。
クラーク・コレクションで一番充実しているルノワールを観てそんな風にも考えた。

 会場を出て東京駅へ向かった。
(コローやピサロやシスレーやドガにまで出会えたのはよかった)
(しかし何か物足りないものがあるなあ)
(望む方が無理なのだけど、この一枚、がなかったからかもなあ)
(ダ・ヴィンチは3枚だけだけど3回ともその一枚だけで堪能できたもんなあ)
(やっぱゲージツは難しい)
・・・・

 お上りさんだから新装なった東京駅を見物して帰ることにした。
といっても国立は中央線の沿線にあるから東京駅から帰るしかないのだけれど。
いつも使う駅としてではなくお上りさんの感覚で東京駅を見てやろう。
と、久しぶりにずいぶん歩いたので痙攣し始めた足を引きずって駅へ向かった。

 駅舎のリニューアルは非常によく出来ていた。
二階だったところを継ぎ足して三階にしている左右の作りは涙ぐましい。
二階と三階の間に筋があり、継ぎ足したことがハッキリと分かるようにしている。
それでいて全体のトーンが薄茶色の統一感を保っている。
うん、中々いい。
と、駅全体を見渡せる場所を探した。

 近付くにつれ駅舎の前の景観が気になった。
何だか無粋な(換気塔)のようなものが二つ駅の真ん前に立っている。
(これはいかんなあ)
と思いつつ、祈るような気持ちで駅前をグルリと回って景観を確かめた。
樹木は殆どない。
まわりは高層ビルに取り囲まれている。
機能優先で無駄な空間や景観への配慮が全くない。
帰ってグーグルに聴くと(「東京駅復原」で浮き上がる、貧困な景観デザイン)というコラム記事が見つかった。
やはりこれを書いた御仁も駅前に(換気塔)など邪魔なものが多すぎると感じたらしい。

 やっぱりゲージツというのは難しい

お上りさんした田舎者はギジュツだけではなくゲージツにも期待していた。
ルノワールは(この一枚)ではなかったけれど文句のいえない貫祿をしめしていた。
東京駅復原のプロジェクトにゲージツ感覚はなかった。
あったのはギジュツだけだった。
まわりに林立する超高層ビルと同じギジュツを駆使して作ったものだった。

 どうも東京には(景観)という言葉はもはや無くなったようだ。

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2013/05/06

2013・5・5 5月連休も終わって篇

Shiro春の花を一人占め

 5月にしては少し肌寒い風の中、チャリで繁すしへ向かう。
 
途中にお屋敷のような古い家もあって大木が繁っている。
 
(ここを通るときは毎年ウグイスが鳴いていたのになあ)
 
(今年は家でも一回も聴いていない)
 
(たいていは2月末ころ、梅の咲くころなんだよねぇ鳴き始めるのは)
 
(この間、大学を通り抜けてみたのだけれど鳴いてなかった)
 
(やっぱり・・・どうして今年はウグイスが来ないのだろう?)
 
(異常気象のせいかしらねぇ)
 
・・・・
 
(僕の想像では・・・)
 
と先週に書いた、風のせいではなかろうかという話をし始めた瞬間、
 
(ホロロッ)
 
と明らかにウグイスだと思われる声が一声聴こえてきた。

 あまりのタイミングの良さに、こちらは言い出した続きの言葉を飲み込むしかなかった。
 
(ここにいるよ、と鳴いたみたいね)
 
と女房どのが言った。

 繁すしでこのウグイスの話をしたあと、前から気になっていたことを聴いた。
 
(繁さん、築地では馬刺しは売ってますかねぇ)
 
(馬刺しですか、好きなの?)
 
(肉の刺身というのは食べないのだけど、昔よく行っていた飲み屋でおいしいのを食べたことがあってね)
 
(霜降りの馬刺しですかぁ)
 
(そう、赤みあり霜降りあり脂肪ありだけど、おいしいのには中々出会えないのでね)
 
・・・
 
 それからしばらく馬刺しの話に耽った。
 
(築地には肉を扱う店もあるから聴けば分かるけど・・・)
 
(一度繁さん、聴いてみてくれない)
 
(いいですけど・・・聴くと買う必要があるし・・・幾らくらいだろう牛と比べて)
 
(飲み屋で出てくるのは馬刺しだけど築地で買うときは馬の肉の塊なのかしらねぇ)
 
・・・
 
(一度築地へ一緒に行きますか)
 
(僕はこれまでそれだけはアマがプロの邪魔をしてはいけないと遠慮してきました)
 
(いいんですよ、朝早いですけどね)
 
(朝の4時半でしょう、国立駅に、嫁さんどう~ぉ?)
 
と女房どのに振ると、顔を振り、手を振って(私は結構です)との様子だった。

 帰り際に、久しぶりに会った山ちゃんご夫妻の話に割り込んだ。
 
(今、秋田犬の話が聴こえましたけど、僕の子供のころ秋田犬がいましてね)
 
(どうでした?)
 
(真っ白でシロと名付けましたが秋田犬は大きいけれど優雅でした、姿形と身のこなしが)
 
・・・
 
(山ちゃんご夫妻は家でワンちゃんやらネコちゃんやら飼ってるんですか)
 
(いえ、風来坊がときに訪ねてくるだけです)
 
(ああ、じゃあ、うちと一緒ですね、野良ちゃんは来るけれどペットではない、と)
 
(その代わり僕がペット状態になっています)

 この山ちゃんの一言で全員大笑いとなり今週の繁すし訪問はめでたく大団円を迎えた。

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