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2013年4月に作成された記事

2013/04/29

2013・4・29 ゴールデンウィークのころ篇

P4190519一人で何思う?

  昭和のころ、5月の連休はゴールデンウィークと呼ばれていた。
今の若い人たちはゴールデンウィークなんて言うのだろうか。
口にすることはずいぶん減ったに違いない。
それでも高速道路では長い列ができている。
正月とお盆とそしてこの5月の連休。
田舎から東京へ出稼ぎに来た民族の大移動である。

 新芽狂想曲が終わって青葉が繁る季節となった。
草木が一番活発に活動する季節のように感じる。
いろんな花がここを先途と咲き乱れる。
まことに素晴らしい季節なのだけれど、こちらにとっては辛い季節でもある。
どうも体温の調節機能が弱いらしい。
特に急に気温が上がるという変化に弱いタチなのである。
だから若いころから5月、6月はたいてい体調を壊した。
6月ころの梅雨の季節は温度に加えて湿度にもやられて最悪となる。

 今年は気温が乱高下して、冬なのに雨も結構多くて、そのくせ雪はあまり降らず、まことに妙な変な気象が続いた。
東京地区は冬は天気予報が必要ないくらい晴ればかりが普通なのである。
ふうてんはこれを(関東のバカッ晴れ)と呼んでいる。
今年はそれがなかった。

 2月から3月ころまで、普通なら三寒四温といって徐々に暖かくなるのが習わしだった。
今年は4月になっても気温が乱高下して三寒四温が続いた。
(4月になって三寒四温ておかしいよね)
と何度も女房と話をした。

 そういう気候の異常さのためだろうか、今年はついにウグイスくんが来てくれなかった。
メジロくんたちも数が極めて少ない。
例年はこの5月の連休のころには家のまわりでもウグイスの妙なる音色が聴こえるし、大学の森ではあちらこちらでうるさいくらいウグイスが鳴き交わしているのが常だった。
今年はその声も全く聴こえてこない。

 気温の変化のせいなのだろうか?
あるいは気温の変化をもたらす風の向きの変化が激しかったからなのだろうか。
ウグイスもメジロも渡り鳥である。
風の向きがバラバラで日替わりメニューだと渡りには不都合だったのではなかろうか。
そんなことも想像させられる。

 もう一つ今年の顕著な現象はハナミズキが不作だったことである。
家の南に白いハナミズキ、北側にピンクのハナミズキがある。
どちらも例年は見事に咲いてくれる。
ところが今年は白い方は一つだけだった。
ピンクの方も咲くには咲いたけれど写真に写すのを遠慮したくなる状態だった。

 我が家だけではなく、国立ではどこのお家もどこの通りもハナミズキはそういう様子だった。
ウグイスが鳴かない年はハナミズキも咲かない、という定理でもあるのだろうか?
一度、植物学者と鳥類学者の先生方に聴いてみたいと思っている。

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2013/04/21

2013・4・21 新緑となって昔を思い出した篇

Still0239_5近くの農園で

Still0243_5桜通り

Xへ

  今君に少しばかり長い手紙を書こうとしてコタツにはいり、グレン・グールドのアパショナータ(熱情)を聴いている。
書こうと思っていた(東京にも同じ秋があったとは!)で始まる恋の詩はどこかへ吹き飛んでしまった。
 
・・・・

 これは1970年12月に発刊された(10年のきざみ)という研究室の記念誌にふうてんが寄稿した文章の出だしである。
ふうてんが大学時代に過ごした研究室から(お前も何か書け)と注文が来たのは、東京へ流れた一年後の1970年始めのころだった。
当時小林秀雄を神様と崇めていて(Xへの手紙)とかいろいろ読んでいたのでそれを真似した口調になった。
ネタとしてはやはり当時入れ込んでいたグレン・グールドに登場してもらった。

 この小冊子はある意味、学生時代の存在証明みたいなものとなっている。
それで京都から東京へ流れたときの柳行李(やなぎごおり)にはいっていたものと見える。
東京へ流れるとき持ってきたのはこの小さな柳行李一つだけだった。
それから何度か引っ越しをしたけれど、この小冊子は今も手元にある。

 1970年・・・今から40年以上も前、ふうてん24歳のころにどんな生意気なことを言っていたのだろう?
そういう興味もあって先日ホコリを払って読んでみた。
続きを少し紹介しておこう。

 グールドは一般にバッハ弾きだといわれている。
でも俺にはこのアパショナータが一番心に食い込んでくるんだ。
といって、奴のレコードは数枚しか持っていない。
それでもなお、これがベストだと思えてしょうがない。
(「猫」だけを読んで漱石論が書けるかどうか)の論争をした暇な御仁たちがいる。
別にその一方に加担するわけではないが、この曲を聴いていると、これだけでグールドのほとんどは尽くされていると思えるのだよ。
・・・・
 じっと聴いていると、(おや、この曲を作曲したのは誰だったっけ?)と思わずにはおられない処に出くわすだろう。
そういう時だ、奴の凄味が冴えるのは。
つまり奴の演奏は完全に作曲者から自立し得ている。
おそらくグレン・グールドには明瞭な(自己のタイムの感覚)というものが備わっているのだろう。
時計がカチカチと刻む時間、11PMが終わったから、もう明日になったと思う時間、そういった日常の我々が閉じ込められている時間と違って、自己の自由な時間の中を駆けめぐるのだよグールドは。
・・・・
 音楽家にとって自己の音楽が自己の言葉だとすれば、この独自のタイムの感覚が身についたとき、はじめてその人は自立した言葉を獲得できたと言えるのじゃないかな。

 ここまで書いて来て、ある本に(はじめに言葉ありき)を引用されていた先生のことを思い出した。
人の記憶とは全く妙なものだよ。
便箋が切れた。
俺はこのように言葉などという語をもてあそびながら生活していく。
君も体を大切に。

 読み直してみて少し驚いたし少しガッカリもした。
コンピュータ・メーカーに就職した24歳のつぶやきである。
この調子だと仕事はうまくいかなかったに違いない。
1970年当時、まだコンピュータは(電算機 数値計算をする機械)であった。
言葉を扱うようになるにはそれから10年を待たねばならなかった。
絵や音を自在に扱うにはそれからさらに10年かかった。

 な~んや、変わっとらんなあ、40年前と、という感慨もわいてきた。
この40年で成長のかけらも、成熟の気配も、微塵もない。
成長はもう25歳で終わっていても恥ずかしくはないかもしれない。
しかしその後の40年間、せめて成熟くらいはできても・・・。

 40年前の(証拠物件)はそんなことを考えさせてくれる。

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2013/04/15

2013・4・14 国立でも新芽狂想曲が始まった篇

これは人間には作れない

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 国立でも新芽狂想曲が始まった。
 
ちょいとチャリで流すと新芽の綺麗さに時間を忘れる。
 
繁すしでよく山口夫人がおっしゃっていた。
 
(ゴールデンウィークに混雑する観光地へ行く人の気持ちが分からないわ)
 
ふうてんも全く同感であった。
 
国立は新しい街のせいか、並木通りや公園が多い。
 
さらに,ゆったりとした宅地造成の名残で家々が木を植えている。
 
これらの木々が一斉に芽を吹く。
 
新芽狂想曲が始まる。

 人間は異常気象だと騒ぐけれど植物たちは毎年の営みを変えることはない。
 
桜花の咲くのが早いとか遅いとかいうだけである。
 
花を咲かせ、新芽を吹き、葉を繁らせて、実をつける。
 
同じ場所にいて、何年も、何十年も、ひょっとしたら何百年も。
 
同じ営為を繰り返し続ける。
 
まこと植物は大したものである。

 その点、動物というのは多少いいかげんな存在ではなかろうか。
 
動物、つまりは動く物。
 
暑いからといって涼しいところへ移動する。
 
寒いからといって暖かいところへ移動する。
 
鳥たちも魚たちもそうしている風である。

 人間となるともっと始末が悪い。
 
あちらに面白そうなことがあると聴くとあちらへ行く。
 
こちらで儲かりそうだと噂を聴くとこちらへ移って一儲けする。
 
どうも生き物の中で一番節操がないのは人間のようである。

 動けない植物たちにとっての一番の心配事は春夏秋冬の気候ではないだろうか。
 
雨が適当に降ってくれるか、お日さまが適当に照ってくれるか。
 
この二つが満たされればその年は安心して過ごすことができる。
 
植物同士の中にも水や太陽の光をめぐってのバトルがないわけではない。
 
ただそれは何年もかけてのバトルであり、いきなりズドンという殺し合いではない。
 
また昆虫などの小動物に攻められることもある。
 
それにも植物たちは黙って静かに耐える。
 
まあ体の半分食べられても半分は残るから、来年はまた一から出直せばよい。
 
こういうのを(静かなる闘志)というのかもしれない。

 先日のNHKの(百年インタビュー)に梅原猛が出ていた。
 
2011・3・11の東北大震災を機会に、もう一仕事したくなったという。
 
そのテーマはどうも植物に関係しているようだった。
 
彼は東北大震災時の福島原発事故を(文明災)であるという。
 
天災があり人災がある。
 
しかし(文明災)という言い方をふうてんは初めて聴いた。

 梅原猛は文明の根源には哲学があるという。
 
西洋文明を支えた西洋哲学。
 
それの象徴がデカルトの(我思う故に我あり)であると彼はいう。
 
デカルト(1596年~1650年)の時代。
 
それはヨーロッパで吹き荒れたルネッサンスの動きが落ち着いたころだったのだろうか。
 
ルネッサンスで宗教から解き放たれた人間は、人間中心の世界観に夢中になった。

 神様が作ったものだからと遠慮していたあらゆる事象を人間の眼で確かめるようになった。
 
結果として科学技術が急速に発達しやがて産業革命を迎える。
 
ふうてんなどは技術者の端くれとして仕事をしてきた方なので産業革命の文明史上の意味をいつも考えさせられる。
 
産業革命、あれは何だったのだろう?
 
得たものは何で、失ったものは何だろう、と。

 どうやらこの番組で梅原猛が言いたかったのは、失ったものも多いのではないか。
 
その失ったものは何か?を哲学としても追求すべきではないか。
 
それは人間と植物の関係ではなかろうか?
 
という風にふうてんには聴こえた。
 
梅原猛は日本の文化は(植物文化)であるという。
 
農耕牧畜の中でも農耕の方が日本人には合っているのではないかという。
 
つまりは食べるものも動物よりも植物ではないかという。

 新芽狂想曲が始まって、目の前で植物たちが成長していく姿を見て、毎年いいなあと思う。
 
できればこういう美しい植物たちと一緒に人間も生きていきたいなあと思う。

(ふうてんアーカイブス)

2013年 隠宅のコナラ カメラマン助手撮影

一日一日大きくなる

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お客さま・・・ヒヨドリくん

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ひょろっとしていたのが17年後には大木に

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よく見れば花を咲かせている

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2013/04/07

2013・4・7 88歳の現役とは篇

コナラの新芽
    
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  きのう土曜日の雨風はまるで嵐のようだった。
今年は全てにおいて異常気象という気がする。
雨の降り方、風の吹き方、そして何よりも気温の乱高下。
1日で最高気温が10℃以上も上下するなんてことが普通になった。

シロは一人で日向ぼっこ
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 国立では(桜狂想曲)が終わり(新芽狂想曲)が始まった。
桜の次に木々の新芽が大好きなふうてんにとっては一年で一番いい季節が来た。
いくら異常気象だと人間が嘆いていても植物たちは一年の営みをやめることはない。
眠っていた木々が花を咲かせ新芽を吹かせる。
たった一ヶ月ほどの生命の(狂想曲)ではなかろうか。

 きのう、村ちゃんからメールが来た。
5月の文楽のチケットがとれたというメールだった。
一年ぶりに(竹本住大夫-野澤錦糸)のコンビを聴くことができる。
去年も5月の国立劇場小劇場で村ちゃんと聴いた。
その直後、大阪の橋下くんの予算カットのせいだか、住大夫さんが脳梗塞で倒れた。
村ちゃんと、(橋下くんに文化や芸能のことは分からないだろうなあ)と大いに嘆いた。
その竹本住大夫が復活して5月の東京文楽公演に出るのだから夢のようである。

 彼は今年いくつになるのだろう?とグーグルに聴いた。
1924年(大正13年)10月28日生れ、とある。
ということは(2013-1924=89)、つまり今88歳で10月には89歳ではないか。
去年だって87歳(当たり前?)
300~400人の国立劇場小劇場でマイク、スピーカーなしで会場中に響きわたる声で語る。
村ちゃんは歌舞伎も大好き人間なのだけれど、いつも言う。
(歌舞伎でも人間国宝は何人もいるのだけど、みなさん枯れてます。住大夫さんみたいに現役の中でトップというのは本当に信じられないくらい凄いことです)

 グーグルに聴いたとき(7代目 竹本住大夫 大阪生まれ。6代目の養子。本名・岸本欣一)とあった。
オヤッ?岸本?繁さんと同じ姓やなあ。
 大阪と東京。
なんでやろ?

 それで今日繁すしへ行ったとき聴いてみた。
女将さんがすぐに応えてくれた。
(主人のルーツは大阪のようですよ。平家が源氏に負けて二手に分かれて逃げ延びたそうですね。中国・四国・九州と関東と。岸本というのは平家一族の中の一つの姓だったのでしょうか。関東にも中国・四国・九州にも結構いるようですよ)
(ということは繁さんは平家の貴族の末裔ということになりますねぇ)
・・・・
 それを聴いて、改めて繁さんの顔を遠くからシゲシゲと眺めてみた。
何となく、お公家さんのような気配がないでもなかった。
人間の先入観、というのはおそろしい。

 それにしても・・・竹本住大夫と繁さんが本名は同じ(岸本姓)だったとは。
思わぬ符合にフッ、フフと嬉しくなってしまった。

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