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2013年3月に作成された記事

2013/03/31

2013・3・31 桜狂想曲も終わって篇

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Still0214_2  今年の桜は意外と長持ちした。
2週間前に咲き始めて先週末と今週末に国立は花見の客であふれた。
前回も書いたけれど、染井吉野(ソメイヨシノ)の80歳とは?という印象が強かった。
出入りの杉田屋酒店の若旦那も(桜通りの桜もすっかり歳をとりましたねぇ、花が白っぽくなりました)などと嘆いていた。

 村ちゃんから連絡があったとおり、土曜日に市役所脇の公園で花見があった。
昼まで雨模様だったので、やっているかなあ?とチャリで確かめに行った。
家では雨模様だったのに1キロもないその公園では雨が降った気配がなく、既に20人ほどが(花見の宴)を始めていたのだった。

 国立でときどき驚かされるのは雨が局所的に降るという現象である。
一番極端だったのは乾いた道路をロシナンテで走っている目の前に土砂降りの雨が迫ってきた時だった。
屋根のない車でいきなり雨に降られると困るのである。
多摩川が近いのでそういう気象現象が起こるのだろうか?

 やっていることを確かめてから家に帰って秋田の(飛良泉 ヒライズミ)を一本と紙コップを20個ほど持って花見に加わった。
花見の仲間は30年ほど前に国立へ越して来たあとの馴染みの連中である。
 もつ焼き(文蔵)と(繁すし)の常連たちである。
今は(文蔵)は店を閉め、(繁すし)は場所は同じなのだけれど10階建てのマンションの一階になった。
店はなくなったり変わったりしたけれど人間の付き合いはそうは変わらない。
ただ30年も経つといろいろと変化はある。
しかし不思議なことに(いゃ~ッ、~さん、お久しぶり)となる。

 花見の輪にはいって、ふうてんは(飛良泉)を注いで回った。
この秋田の山廃仕込みの純米酒は去年も好評だった。
今年も、アッという間になくなった。
何しろ400年以上続く蔵元の酒だから、酒飲みのみなさんには味が分かるらしい。
あるいは(この酒おいしいよ)と言ってくれていただけかもしれない。
よく分からないけれど、すぐになくなった事だけは確かであった。

 昼過ぎ2時頃から仲間にはいって夕刻5時前くらいまでだった。
最後のころに市長であるガマちゃんも来てくれた。
(折返点ですよ)
と言う。
(一期と言わず次もね、次の選挙はいつだったっけ)
(いえ、就任2年目が明日で終わります・・・)
(あっそうか、就任祝いしたの2年前でしたかねぇ、ところで今日一つだけ聴きたかったの)
(何です?)
(桜通りの車道を4車線から2車線にして歩道を広げるという噂が・・・)
(あれは自転車道を作るんです、車は減っていきますからねぇ)
(なるほど、歩道も狭いしね、桜通りは、で、いつ頃から?)
(今年です、もうすぐ始めます、ただ全部終わるのは4、5年かかるでしょうね)
・・・
(ガマちゃんはこれに賛成だったの?)
(僕が言い出したんです)
(オョョ・・・)
 
二の句が告げられなかった。

 三寒四温の寒い方の日に花見となった。
昨日も今日も寒い。
おかげで桜花はもっているけれど、散った花びらが道路を埋めつつもある。
隠宅ではコナラやハナミズキの新芽が出番を待っている。
(桜狂想曲)は間もなく終わって(新芽狂想曲)が国立では始まりそうな気配である。

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2013/03/25

2013・3・24 桜が咲いた篇

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 繁すしへチャリで向かうとき、嫁はんと、桜通り、大学通りを流してみた。
あいにくの曇り空で満開の桜もいま一つ迫力に欠けた。

  この土日は国立での(桜狂想曲)のピークだった。 
歩道は人であふれ、道路は車で埋まっていた。
桜通りも大学通りも古木になって一本、二本と寿命を迎えていく。
あと10年もするとどうなるのだろうか?
などとこの30年、成り行きを見守ってきたこちらは複雑な気分にもなる。

 さすがというか大学通りの勝ちだなと、伸び伸びと枝を伸ばした姿を観て思う。
何しろ道路も歩道も広いので枝を切られることがない。
それでも何本か枯れて店じまいをしている古木が目立ってきた。
どうも今年は花見の宴会のグループがほとんど見当たらない。
いつもはそれも名物で国立の(桜狂想曲)を盛り上げていたような気がするのに。

 繁すしへたどり着いてそんな報告をした。
(そういえば桜の根を痛めるので花見は自粛するようになんてありましたよね)

繁すしの女将さんが言った。
(飲み残したビールや酒をぶちまけて帰る連中もいて、それが桜に悪いんですよ)

と繁さんがいう。

 公園と道路に桜を植えて我々を楽しませてくれる国立は新しい街だから出来たのだと思う。
大正末の東京大地震のあとに出来た、比較的新しい街である。
ただそれももう80年以上たって、染井吉野の寿命が来たというタイミングを迎えている。

 3月21日は42回目の結婚記念日だった。
1971年、昭和46年に25歳と22歳の二人は松山で結婚式、披露宴をやった。
貯金ゼロ、住居の見通しゼロ、極めて安い給料、従って経済的見通しゼロ。
そういう中でも所帯を持つことができたのは時代なのだろうか。
今は男女とも30歳、下手したら40歳を超えても所帯を持たないのが、はやりだと聴く。
一人だけで生活しやすい時代になったのだろうか。

 考えてみると40年前はマンションもなかったしコンビニやスーパーもなかったし、テレビも携帯電話もスマホもなかった。
一人だと衣食住にも情報獲得にも不便な時代だった。
結婚前に住んでいた自由が丘のアパートに嫁はんが来たとき、まだ結婚に難色を示すどちらかの親がいた時代だったけれど(恋愛とは社会に対する反逆である)なぞという小林秀雄の言葉を思い出したりしていた。
この時のアパート住まいでふうてんは初めて(銭湯)というのを経験した。
流行歌の(神田川)ばりに数日間嫁はんと銭湯へ通った。
自室には風呂もトイレもない、寿司屋の二階のアパートだった。
何もない中で、何をこの野郎、今に見ていろよ、という一種の社会への反逆の気持ちは強くなった。
その嫌な外の社会から隔絶するオブラートのようなものに包まれた二人の世界があると感じた。


 今このことを思い返してみると、今の若い人たちは余程(社会に対して従順なのだなあ)と思わなくもない。
収入が少ないから所帯なんて持てない。
正社員としての就職が難しい。
給料が安いから共稼ぎなのだけど子供を預かってくれる施設がない。
などなど若い人たちのお嘆きの声も聴こえてくる。

 でもねぇとふうてんは思う。
いつの時代でも(若者に優しい社会)なんてないのではないだろうか。
その時代時代の世の中の仕組みを作ってきたのは大人たち、老人たちなのである。
若者はその社会の(新参者)なのである。
新参者に都合の良い社会などはないと思う。
もしあったとしたら、それを疑ってかかった方がよろしい。
新参者として反逆したり、すり寄ったりして老人たちとやり合えばいい。
社会とは何か?と同時に俺たちは何か?
この両方を考えることを若い人たちにはお勧めしたいと思う。

 桜が咲いて、春分の日を迎えて、結婚42周年を迎えて。
こんなことを若い人たちに言いたくなってしまった。

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2013/03/18

2013・3・17 書簡集で京都出身のご婦人と話した篇

国立は開花前夜

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土曜日に桜が咲きそうか取材に行った。
蕾の中にピンク色が見え始めるという状態だった。

 桜は何故か一本の木でも高い方から先に咲き始めるようである。
掲記の写真は以前住んでいた集合住宅の5階から写した。
桜通りの歩道からは咲き始めているのが分からない。
来週当たりから国立の(桜狂想曲)が始まるなあと思いながら書簡集へ向かった。

(マスター、桜はまだでした)
(桜通りだと郵便局の向かい側が一番早いですよ)
(それもまだでしたねぇ、ただ上から見るとピンクがチラッと見えたのもあったけど)
(いくつぐらいでしょうね)
(10歳くらいの少女かなあ)
・・・

 穏やかな日和だったせいか、馴染みの客が何人も来た。
とかくするうち隣の席に座ったご婦人が(ビターなコーヒー淹れてくれはる?)とのたもうた。
おやっ?くれはる?京都風やなあと思った。
初めて見る客だった。
ふうてんと同世代か少し年上のようにも見えた。
(関西のどちらです?)
と、京都と断定できなかったので聴いた。
(京都です)
とのお応え。

 それから問わず語りにしばらくお話をした。
40年ほど前に京都から国立へ来たとおっしゃる。
こちらは愛媛から京都経由で30年前に国立へ流れてきたと話した。
何故か大文字焼きの話やらホテルフジタの話やら錦市場の話になった。
大文字焼きの話のとき(岡崎からは西の方がこのごろ見えなくなりましてね)などと話していた。
岡崎当たりの出身かもしれない。

 錦市場はこの頃人が多くて・・・京都へ帰るときの拠点のホテルも錦市場の近くはなかなか取れません。
一筋外したりしないと・・・。
(僕はこの20年ほど拠点はホテルフジタだったのですがねぇ)
(本当にあのホテルよかったですよねぇ、どうしてやめちゃったのかしら)

 自分の好みを雄弁に語ってくれるお方のようであった。
(じゃこ天は愛媛産に限りますね。それとミカン。愛媛のものしか食べません)
(ああ、じゃこ天は八幡浜か宇和島、かまぼこは八幡浜、ほかのは喰う気しませんよね)
(ミカンも愛媛のしか食べないんです、ちりめんじゃこも(赤腹)に限ります)
(赤腹ですか、愛媛出身の僕もそれは知らなかったなあ)
(エビとかカニのプランクトン、アミみたいのを食べるからお腹が赤みがかるそうですよ)
(ははぁ~)
(釜上げのしらす、という柔らかいのではなくちょっと乾燥し始めたやつがおいしいの)

(同じ関西でも京都と大阪とで言葉はずいぶん違いますよね)
(そうなんです大阪の人は声が大きいし、テンポが早いし、大阪行った日は帰ってから頭が少しおかしくなりました)
そこでマスターが、
(大体、京阪電車でも大阪に近づくと急に賑やかになりますからねぇ)
(そういえば阪急の十三(じゅうそう)で宝塚線に乗り換えるとき、この電車~へ行きますかと聴いたんです)
とご婦人。
(いきま、と応えられました。いきま、で終わり。いきます、のか、いきません、なのか分からない)
(ああ大阪弁て、そういうところありますなあ)

 やがてご婦人はこんな話も始めた。
(呉線(くれせん)からの眺めは素晴らしいですよね)
(ああ尾道から呉を経由して広島へ行くときの途中の線ですね)
(海岸沿いに走るから海が綺麗に見えて、窓の枠の中に納まった絵のようでしょう)
(そうなりますわねぇ)
(島が見えてきたり、船が通ったりして本当に素晴らしいですよね)
・・・・

 ご婦人が帰ってからマスターと、
(京都のご婦人方は味やら風景やらにうるさいようですなあ)
とニヤッと顔を見合わせた。

 家に帰ってから(赤腹じゃこ)とはどのようなものだろう?とグーグルに聴くと、京都の店のホームページがあった。
ちりめん山椒 京都のおばんざい 祇園藤村屋
 

 ちりめん山椒か・・・なんかそういうのあったなあ。
 
茹でたて、というよりちょっと乾いたやつとご婦人は言っていた。
 
なるほど、それに山椒を加えて味覚にも保存にも・・・。
 
京都の食らしいなあと思った。 

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2013/03/11

2013・3・10 黄砂のころとなった篇

ロシナンテにも    桜通りにも

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 今年になって急にPM2.5がどうのこうのという話を聴く。
極めて小さくて目には見えない有害物質らしい。
目に見えないもの・・・どうすればいいのだろう。

 今年だけじゃないけれど、この数年、春先から夏にかけて空気が濁っているようなことが多くなった。
2、3年前に新横浜のプリンスホテルの最上階から外を見たとき、薄暗いような灰色の黒っぽい空気に包まれているのでゾッとしたことがある。

 春霞という言葉がある。
冬の乾燥した季節が終わって気温が上がって空気が湿気を帯びてくる。
だから春は霞に包まれる。
遠くまでスッキリと見えていたものがボンヤリとしか見えなくなる。
それで古人は、ああ春が来たなあと思った。

 春霞が水蒸気だけの美しい時代はよかったと思う。
今はその(霞)の正体が気がかりな時代になった。
煤煙ではないのだろうか?
排気ガスではないのだろうか?
それとも新しい正体不明の気体なのだろうか?
日本ではなく遠くの国から飛んでくるものもある。
ますます正体が分かりにくくなってしまった。

 どうも(春になると水がぬるんで空が湿っぽくなる)という平和な話ではないようである。
今日など国立でも天気は晴れで暖かかった。
それでも何故かスッキリとした青空ではなかった。
全体的に霞んでいる、遠くの下の方はドンヨリと黒っぽくなっている。
この霞のようものの正体は何なのだろう?

 テレビのニュースを聴くと、中国からの黄砂が来たのではないかという。
杉花粉も飛びまくっているという。
さらには中国からのPM2.5という有益ではない細かい物質も一緒に来ているらしい。
黄砂+花粉+PM2.5の三種混合ワクチン。

 ふうてんなどは普段(ニコチン+アルコール+カフェイン)の3種混合ワクチンを服用している。
してみると、今日などはさしずめ(3種+3種=6種混合ワクチン)を服用したことになる。

 この6種の混合ワクチンをしっかりと摂取したあと、夕刻5時に女房と繁すしへチャリで向かった。
3月10日となるともう日没はすっかり延びて6時頃まで明るかった。

 月はおぼろに東山
 
 霞(かす)む夜毎(よごと)のかがり火に
 
 夢もいざよう紅桜
 
 しのぶ思いを振袖(ふりそで)
 
 祇園恋しや だらりの帯よ

繁すしを辞して帰る道々、この祇園小唄が浮かんできた。

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2013/03/04

2013・3・4 梅まつりのころ篇

谷保天神 梅まつり

梅園               お囃子

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紅わらべ           琴演奏

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 今年も梅まつりのころとなった。

国立では谷保天神の梅園で毎年梅まつりが催され、いろんな出し物が演じられる。
去年の日記を後で見ると天神太鼓を聴き逃してしょげている。

 昼過ぎにソニーのビデオ・カメラとウィスキーのポケット瓶を持ってチャリで出かけた。
昨日の強風と違っておだやかな日和で助かった。
数年前に聴いた天神太鼓を聴きたくて今年も出向いたのだけれど、去年と同じように今年ももう終わった後だった。
以前は出し物の最後に梅園で演奏していたのだけれど、聴くと12時からで梅園ではなく社殿がある方で最近はやるという。

 今年はその代わりというか琴の演奏に聴き入った。
 
写真にあるように6人の連弾(?)だった。
(花嫁人形)の(金襴緞子の帯しめながら~)から始まり(六段の調べ)とかの定番曲が続いた。
結婚披露宴などの祝い事にはまことに相応しいサウンドだなあと感心しつつ聴き入った。

 演奏が始まる前に一人のご婦人に質問した。
(弦は何でできています?)
(昔は絹だったのですが今はテフロンかナイロンです)
(ほぉ~っ、そうですか)
(だから切れなくなりましてね)
(三味線も絹でしたけど今はナイロンでしょうね)
(いえ三味線は今も絹です)
・・・

 じっくりと聴いた。
箏曲(そうきょく)という言葉はよく耳にしていたけれど、箏(そう)が琴だは意識していなかった。
笙(しょう)と発音や字柄が似ているので笛の一種だと思っていた。

6人の連弾というのもなかなか迫力がある。
どういうパートに分かれているのだろう?などと指遣いをよくよく見せてもらった。

 面白かったのは一人のご婦人の指が途中から動いていない。
オヤッ?と思って注目していると楽譜をめくっては元に戻し、又めくっては戻ししている。
どうもどこを弾けばいいのか分からなくなったようだった。
それでもそこは6人の連弾である、演奏には何の支障もない。
やがてホッとしたような顔と同時にご婦人の指が動くようになりみんなに同調していった。

 チャリで帰りながら、そういえば源氏物語にずいぶん琴演奏のシーンがあったなあと気づいた。
帰ってグーグルに聴くと、平安時代ずいぶん盛んだったとあった。
光源氏その人が琴の名手で、源氏物語の中では84カ所も琴の話題が出てくるというのにはビックラこいた。
当時の楽器の主役だったようである。
源氏物語に紫式部の和歌が非常に沢山出てくるのは意識していたけれど琴がそれほど登場していたのには気づかなかった。
当時の文芸にとって(音)の要素は大きかったのではなかろうか・・・。

 少し箏曲の世界を追求してみることにしよう。

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