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2012年8月に作成された記事

2012/08/26

2012・8・26 久しぶりに横浜、鎌倉を訪ねた篇

夏の花も終わり

ローズマリーとサルスベリ(百日紅)

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白いムクゲ(木槿)

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 お盆の一週間は蒸し暑さでウンウン言っていた。
お盆が明けたら少しは涼しい風が吹いてくると期待していた。
京都方面から旧友が関東へ出向いてくるというので涼しくなるといいなあと思いつつ待っていた。

 旧友とは他でもないこの日記でもときどき登場するMuさんである。
横浜の鉄道博物館とか金沢文庫とか鎌倉の文学館を訪ねたいと言う。
図書館の専門家であり鉄道模型の専門家であるMuさんには相応しい訪問先のように見受けられた。
こちらはその方面には全く不案内なのでただMu大兄の無事な行程を祈るばかりだった。

 横浜となるとJoBlogのJOさんが棲息している地区である。
余所から来た人を迎えるに当たっては地元の人の馴染みの場所に近いところに拠点を置くに限る。
それで京都から来たMu大兄には新横浜を拠点にしてもらった。
新横浜駅はJOさんのお家のほんネキなのである。

 横浜と鎌倉を三人でブラブラと歩いた。
かんかん照りの真夏に、横浜も鎌倉も坂道ばかり。
還暦をとっくに過ぎた三人が何を好き好んで真夏に坂道を・・・。
(今日も暑いなあ)
(そうやねぇ、お二人は帽子被っとるなあ、さすがやねぇ)
(これで頭の温度が下がるんや)
(そやけど山では帽子被らん、蒸れるんや、その代わりハチマキ締める、頭の汗が落ちんようにな)
・・・
 結局、帽子を被らないふうてんもあまりの太陽の強さに耐えかねて、どこかのコンビニに駆け込んだ。
黒い大きな傘を探したのだけれどそれがなく、結局ご婦人用の薄い黒に白い水玉模様のある小振りな傘を買った。
ご婦人用の日傘を差して歩く、いささか気が退けたのだけれど、これが結構役に立ってくれたのだった。

 横浜でも鎌倉でも、場所を移動するたびに近くの人に道を聴いた。
東京もそうなのだけれど道が東西南北に走っていない。
曲がりくねっていて、ふうてんなどはすぐに自分がどこにいるのか分からなくなる。
方向感覚というのはやはり積み重ねが必要なのだろうか。
中学・高校時代の松山、大学時代の京都、今住んでいる国立。
どこも道路は東西南北に直線的に張りめぐらされている。
あんまり考える必要がない。
そうでない街へ行くと・・・迷ってしまう。

 還暦をとっくに過ぎた三人の旅は、ラーメン博物館を冷やかし、新横浜プリンスホテルの42階から素晴らしい夜景を楽しみ、最後は鎌倉の鶴岡八幡宮近くのうなぎ屋さんの白焼きで終わった。
旅の最後に京都方面から来たMuさんが、
(これからの夢、なんかあるんか?)
と聴いた。
もうすぐ古希を迎える(風雪梅安一家)に対してのいい質問だと思った。
Muさんは時にズバッと怖い質問をなさり、こちらをドキッとさせる。

 それぞれがどう答えたのかはもう覚えていない。
ただ以下の(いろは歌)を思い出していた。

 いろはにほへと ちりぬるを
 わかよたれそ つねならむ
 うゐのおくやま けふこえて
 あさきゆめみし ゑひもせす

追伸

 この三人の横浜鎌倉の旅の顛末はJoBlogで簡単にレポートされている。
真夏の横浜・鎌倉散策記録 JoBlog
京都方面から来たMuさんの報告はMuBlogを待つことにしよう。

 ついでながら、ふうてんが40年ほど前、ミーハーしていたころ、鎌倉の(雪の下)当たりを女房と一緒にウロウロしていたことがある。
当時ふうてんの神様だった小林秀雄の家を訪ねて鶴岡八幡宮の裏山に見当をつけて探し歩いたのだった。

 それらしき上りの階段と石垣が見つかった。
ああこの石垣の上に神様の家があるに違いない、なるほどこれなら大島が見えるだろうし、ゴルフの練習場があっても不思議ではない・・・。
などと感心しているうちに、下の方でバタンと車のドアが閉まる音が聴こえた。

 この顛末はこの日記で何度か書いたかもしれない。
やがて小林秀雄その人が坂道を登ってきた。
残念ながらこちらは緊張して神様に声をかけることはできなかった。
すれ違うとき、ジロリと睨まれた。
お互い無言ですれ違い、後ろ姿を追っかけるうち、とっさにオリンパスの古いカメラを持っていることを思い出した。
(ミーハーだからごめんなさい)
とシャッターを切った。

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 40年ほど前、ふうてん26歳のころ、小林秀雄先輩、お許しあれ。


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2012/08/20

2012・8・19 お盆も終わって篇

季節外れのアジサイと入道雲

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 お盆もオリンピックも終わり静かになった。
お盆の前あたりからNHKのBSプレミアムでシルヴェスタ・スタローンの映画(ロッキー)の全作品7篇を放映した。

 行進曲風のテーマ曲が印象に残っており、階段を駆け上がり街を見下ろしたとき流れるシーンを見ようと第1作を見た。
映画の冒頭でタイトルに(音楽 ビル・コンティ)とあったのでオヤ?と思った。

 ビル・コンティと言えば、大好きな映画(グロリア)の音楽も担当していたはず。
グーグルに聴くと確かにそうで、その上これまた大好きだった(ハリーとトント)まで担当していることも分かった。
おやおやと(ロッキー)への関心が高まった。

1974年 ハリーとトント
1976年 ロッキー
1980年 グロリア
これらは映画館で観たような気がする。
ふうてん28歳~34歳のころ。
今から30~40年前のお話。
あの頃まではまだアメリカ映画も良かったのだなあと改めて思う。

 ビル・コンティは1942年生まれイタリア系アメリカ人である。
ふうてんより4歳上で、当時は32歳から38歳ということになる。
音楽作家としてやりがいのある充実した時期だったのだろうなあ、もう70歳になるか、など(ロッキー)を観た事が切っ掛けとなってこちらも当時を振り返ることになった。

 映画や音楽や文学はそれと出会ったころの思いでと共にある。
映画(ロッキー)はヒットしアカデミー作品賞まで貰っている。
原作・監督・主演はシルヴェスタ・スタローン、当時29歳。
ロッキーの女房役をやったのがタリア・シャイア。
いわずと知れたゴッド・ファーザの監督フランシス・フォード・コッポラの実際の妹。

 1970年代、80年代のアメリカ映画はイタリア系の濃厚な匂いがしてくる。
(ロッキー)のテーマ曲がビル・コンティだと分かったことは今年のお盆休みの収穫だった。

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2012/08/13

2012・8・12 夏休みの過ごし方篇

隠宅のアジサイ一輪
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 この一週間はぎっくり腰の再発から始まった。
予定していたミーティングをキャンセルし、調子の悪くなったエアコン2、3台のご機嫌伺いをしつつ、蒸し暑い夏日を何とか過ごした。
家とか備品とかも主人と共に歳をとるようである。
ロシナンテもエアコンもオーディオもパソコンも冷蔵庫も・・・。
ふ~むとため息をつくしかない。

 夏休みと切り離せないものに夏の甲子園大会がある。
高校球児たちの夏の大会である。
中学生のころからずいぶん見てきたなあと思う。
今回は甲子園大会を軸としてふうてんの夏休みの記憶を振り返りたくなった。

 一番鮮烈に刻まれているのは1959年の西条高校の優勝だったように思う。
1959年というとふうてん13歳、中学生のころだった。
無名に近い西条高校が、あれよあれよと言う間に優勝してしまった。
泥まみれになったユニフォームでベースを駆けめぐる小柄な選手たちの印象が残っている。
おふくろの実家がある今治は愛媛でも西条に近いので、より親近感を持ったのかもしれない。

 甲子園大会で優勝となると本当に大騒ぎで愛媛県中ドンチャン騒ぎになったという印象だった。
当時、甲子園大会のあと、優秀選手の選抜チームによるアメリカ遠征とかいうプログラムがあり、優勝した西条高校からも5人くらい選ばれた。
アメリカを始め外国というのが遠かった時代。
13歳の中学生は興味を持って連中の海外遠征のニュースも追っかけた。

 それから10年後の1969年。
この年の夏も記憶に残る夏となった。
コンピュータ・メーカに就職した年だった。
7月ころ会社の実験室でモノクロ(白黒)のテレビを見ていた。
アポロ計画で人類が最初の一歩を月に踏むシーンが映像で中継された。
10年ほど前にケネディ大統領が(月へ行くぞ)と言って始めた計画だった。
1964年には東京オリンピックがあり1970年には大阪万博が予定されていた。
この時は実験室で大阪万博に出展する装置の開発をやっていたのだった。

 アボロの月面着陸のニュースの一ヶ月ほど後のお盆のころ。
メーカ勤めのサラリーマンに長い夏休みはない。
昼休みに工場近くの(うどん屋さん)へはいった。
ここの(キツネうどん)が好物でよく食べに行った食堂である。
関西の澄んだ薄口醤油と違って関東のウドンは濃口醤油を使う。
しかしこれはこれで一種の甘さがあり悪くない。
入ってみると(青森の三沢高校と愛媛の松山商業)の優勝決定戦真っ盛りだった。

 キツネうどんはとっくに食べ終わったのに0-0のまま延長戦が続く。
15回裏、三沢高校の攻撃がワンアウト満塁になった。
松山商業の井上投手も緊張したのかカウントがノースリーとなった。

あとボール一球でサヨナラ負けというシーン。
井上くんがマウンドで何度もため息のようなものをついている。
投げ込んだ球にバッターが食らいついてショートへの低いゴロ。
3塁ランナーは猛然とホームへ。
みんな勝負は終わったと思った。
・・・・
結果はショートがわき目も振らずホームへ送球し、延長戦は続いた。

 この三沢-松商の優勝戦延長18回引き分けの激闘は語り種になり、今はユーチューブで観ることができる。

もう40年以上も前に会社近くの食堂で観たシーン。
あのうどん屋さんはどうなったのだろう?
時々店を手伝っていた当時小学生だった姉妹はどうしているだろう?

 朝から深夜まで鳴き止まない(蝉しぐれ)の中、こんなことを思い出している。

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2012/08/05

2012・8・5 タンゴと文楽とフラメンコのこと篇

盆踊りが始まった
Still0002_2 Still0095_2テレビで連日ロンドン・オリンピックの実況やニュースが流れる。
いまさらオリンピックなんてないよね、などと話しながらやれサッカーだ、やれ水泳だ、やれ柔道だと結構観てしまう。

 先日久しぶりに神保町界隈を冷やかす機会があった。
ミロンガで青島ビールを飲み、おいしいラーメンを食べ、三省堂書店でも冷やかそう。
行ってみると(おいしいラーメン屋)は店じまいしていた。
これでまた一つの味が失われた。
向かいの日本蕎麦の店の若いのがいたので聴いた。
(改装ですかねぇ閉店ですかねぇ)
(閉店です。今年の5月でした。)
とのお答え。

 しゃあないなあとミロンガへはいる。
青島ビールを飲みながらアルゼンチン・タンゴを聴く。
改めてバンド・ネオンの音色と歯切れのよいリズム感に感心する。
ふうてんが中学、高校生のころはラジオとレコードの時代だった。
家にテレビはなかったしCDはまだ世の中になかった。

 子供は兄弟とか親戚の面々に多大な影響を受ける。
おふくろの末弟である(拓(ひろし)にいちゃん 略してひろにいちゃん)がアルゼンチン・タンゴのファンだった。
当時はトリオ・ロス・パンチョスとか何故か南米のラテン・ミュージックが流行っていた。
レコードの時代、プレーヤとかアンプとかスピーカとかの再生装置が大きな話題だった。
伊予桜井にあった拓にいちゃんの家にはそういうものも備わっていた。

 ラジオでは(これがタンダだ!!)という有名な番組があった。
司会者、今で言うキャスターの決めゼリフは、
(これぞ名作中の名作、名演中の名演)
というものだった。
確かにその通りで、名曲、名演が続々と紹介されるのだった。
これが人気を呼び、あとでLPレコード10枚くらいのシリーズとして発売された。
ミロンガで青島ビールを飲みながら、大昔のそんなことも思い出していた。
アルゼンチン・タンゴは日本ではあまりCD化されていないせいか、ミロンガではいまだにLPレコードである。

 その後、書簡集へ寄った時、住大夫さんが倒れましたね、とマスターがショッキングなことをいう。
(大阪の橋下くんが文楽の補助金をカットすると言い出したのがキッカケだそうで)
(ええっ?何それ?)
・・・・
帰ってグーグルにいろいろ聴いた。
7月13日ころに軽い脳梗塞で入院し療養中、とある。
今年にはいって補助金問題で心労が重なったのも一因か、とも。

 グーグルに聴くと、橋下市長の言い分が本人の文章で出てくる。
小田嶋 隆(おだじま・たかし) という人の反論も日経ビジネスのコラムで読める。
ケンカ以前の議論で橋下くんにも困ったものだと思う。
グーグルにいろいろ聴くと、よく分からないのだけれど文楽の補助金は今の5000万円ほどを半分にしろとかゼロにしろとか言っているらしい。
念の為に大阪市の一年の税収は幾らなのだろう?と聴いた。

 大阪市の税収はほぼ6000億円ほどだという。
市民としてはこの税金はできるだけ有効に使って欲しい。
市の長たる橋下くんには有効に使われているかどうかチェックする責任はある。
文楽の補助金5000万円はこの税収の5000万円/6000億円であるから、アバウトにいうと1/10000以下の比率である。
大阪市の長がこんな重箱の隅をつついている暇はないはずである。
もっと大きな節税を考えろ、と橋下くんには言いたい。
文楽を支えている人たちとっては、この5000万円が死活問題なのだ。
300年以上の伝統を持つ文楽に対して、一回の投票でなったばかりの君が文句をつけること自体が妙な話なんだよ。
次の選挙で君は大阪にいないかもしれないじゃないか。
思い上がっちゃあいけないょ。

 タンゴと文楽の話が長くなってフラメンコの話は次回になった。
これはBSプレミアムでやった番組に出てきた日本人のフラメンコ・ギタリストの話である。
フラメンコ発祥の地とも言われるスペインのヘレスを訪ねるお話。
歌と踊りと伴奏の三位一体。
タンゴも文楽もフラメンコも。

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