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2012年7月に作成された記事

2012/07/30

2012・7・29 ロンドン・オリンピックが始まった篇

ムクゲの花
Mukuge_1_2Mukuge_2_2
 今年の夏も猛暑が続く。
毎年そんな感想をもらしているので珍しくはないけれど。
年々夏の気温が上がっている。
地球温暖化というのはどうも確からしい。

 梅雨明けのころからサボッていたロシナンテに一鞭くれようと思った。
バッテリー・コードを繋ぎ20回ほどセル・モーターを回す。
いつも一発ではかかりゃあしない。
一服してしばらくバッテリーを休める。
2度目、いつもはバッテリーがなくなるまでブン回す。
調子よく回るうちストンッといつもとは違う止まり方をした。

 このくそ暑い時に勘弁してよ、とブツブツ言いながらバッテリーのコードを確かめる。
いつもはコードのコネクタとバッテリーの端子の接触の問題なのである。
つまりパッテリーに罪はなく、バッテリーの電力をセルモーターに伝える経路に問題があることが多い。
今回もそれだろうと見ると、コードがコネクタから外れてボンヤリとしてやがる。

コードの先端をコネクタに締めつけて付けなおす・・・面倒くさいなぁ。

 ボルトのナットを締めるための工具を取り出しやっているうちに頭から汗が吹き出しフェンダーの上にポタポタと落ち始めた。
汗なんか勝手に出やがれ、と作業を続け、コードのコネクタをしっかりと締めバッテリーの端子にはめ込んで上から叩いて接触を良くする。
イグニッション・スイッチを右へひねるとブルルンッとエンジンがかかった。


 やれやれと大汗のままロシナンテで一廻りする。
エンジンの調子はこのところやたらとよい。
ローで4000回転、セカンドで3000回転、サードで・・・そこまでである。
セカンドで3000回転くらいまで引っ張ってサードに入れると2000回転くらい。
そこまでが家の周りの道路でのスピードの限界なのである。

ロシナンテはセカンドとサードのギア比がまことによく設計されている。
セカンドで引っ張ってサードに入れてさらにスピードを上げる時。

カーブが近づいてサードからダブル・クラッチで回転を上げセカンドに入れる時。

その繰り返しの快感はこの車ならではと思う。


 今日は2000回転くらいのときのロシナンテの音が一番いいなぁと再確認できた。

 こちらが蒸し暑い東京でそんな(体操)をしているうちにロンドン方面ではオリンピックが始まった。
スポーツ音痴のふうてんは自分では出来ないけれど見事な肉体表現をするスポーツを観るのは好きなのである。
観る方は楽だけれどやっている方はどうなのだろう?

1センチ、1秒、1グラム、1点を競う。

どうもスポーツというのは競技となると勝った負けたの世界のようである。
辛いなあといつも思う。

 一番を狙うから辛いのだろうか。
いつだかスーパー・コンピュータの開発費の問題で女の大臣が(事業仕分け)に乗り出した時、(どうして一番じゃないとダメなんですかぁ?)とのたもうた。
そのときすぐに(じゃあ、何番だったらいいんだ?言ってみろ)と切り返せなかった文部科学省の役人は情けないなあとふうてんは思った。
一番でなくていい、となると科学者たち、あるいはスポーツマンたちは日々どういうモチベーションで過ごせばいいのだろうか?

 スバコンのスピート世界一とかオリンピックの金メダルとか、結果だけが大切なものではないとふうてんは思う。
その結果を生むためにどれだけの努力が長い間積み重ねられたか。
そのことこそが大切なのではなかろうか。

 サンテクジュペリの(星の王子さま)の最後の方で王子さまがキツネに教えられるシーンがある。
(赤いバラが好きそうだと分かって皆が沢山のバラを贈ってくれたね。でも君はその中の一本だけでいいと言ったよね。どうしてだか分かるかい?大切なものは目に見えないんだ。その一本は君が育てた赤いバラだよね。他の沢山のバラと同じ赤い綺麗なバラさ。でも大切なのはその綺麗さではなくて君がその一本のバラを育てるために使った時間なのと違うかな。バラを何とか育てようと君がバラと一緒に過ごした時間。その時間こそが大切なものなんだ。)

 このセリフを思い出しながらロンドン・オリンピックの観戦を楽しんでいる。

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2012/07/23

2012・7・22 大相撲名古屋場所篇

梅雨が明けた
Kumo_1Kumo_2

 大相撲名古屋場所千秋楽前日の飲み会を谷保天神近くの居酒屋(志ん宇 しんう)でやった。
ブンシュンのトヨダさんとラガーマンはお二人とも元気そうだった。
夕刻5時に集まり、愉快に時を過ごし、9時ころに次回の(大相撲秋場所篇)で再会することを約して別れた。

 大相撲の千秋楽前日の土曜日に三人で集まる会である。

この日記で何度か書いてきたけれど、これだと一年の日程が決まっているので三人で集まる会としてはまことに都合がよい。

 今回は政治の話はよしてお二人の近況を聴こうと思って出向いた。
(どうですか、最近は?)
(グズグズした天気が続きますねぇ、これじゃ気分も晴れません)
とトヨダさんが応じた。
ラガーマンが、
(どうなってるんだろうなぁ日本の政治は)
と、いきなり政治の話を持ち出した。
原発、消費税、普天間基地などなどの政府のやり方のお話。

 まあまあと、なだめる訳でもないけれど、政治の話の前に文芸方面に持って行こうと試みた。
(最近、藤沢周平の蝉しぐれがNHKのドラマで再放映されましたね)
(ああ、あれは良かった、仲間に聴くと、全員映画よりもテレビの方が良かったといいますね)
とトヨダさん。
(そりゃあそうでしょう、原作、シナリオ、音楽、配役、あれ以上は無理というか・・・)
とふうてんは応じた。

 それから一しきり作家たちの話になった。
トヨダさんは出版社の編集者時代、こちらの知っている大抵の作家たちと交流があったのでいろんな話を聴くことができる。

 

城山三郎の話題にもなった。
やはりNHKのドキュメンタリーが最近再放映されたからだった。
(彼は終戦のとき20歳前だったのですねぇ)
(志願兵となって軍隊にはいって大変な経験をしたとか)
(戦争体験にもいろいろあって、彼のように軍隊で痛い経験をした人もいるし)
(大岡昇平のように殺すか殺されるかという経験もねぇ)
(戦中、戦後の一年間は今の一年とずいぶん重みが違いますねぇ)
(やっぱり、実際に経験したことというのは重いのかなぁ)

 それから経験しないと分からないかもねぇ、という話になった。
(トヨダさんとラガーマンはスポーツ少年でしたよね)
(まあ何らかの形でやってきたなぁ)
(僕は運動神経がなかったのでスポーツは苦手でしてね)
(トヨダさんが山口さんと親しくなった切っ掛けはキャッチボールだったというじゃありませんか)
(そう言えばラガーマンは走れないと思っていたのだけど、一人の先生が君は走れる、と一緒に走ってくれてラグビーの選手になったとか)
・・・
(お二人はやっぱり運動神経があるんですねぇ)
(ふうてんさんだって車を運転できるじゃない)
(あれはですねぇ、運動というよりも・・・)

 こういう調子でいつものように時が過ぎていった。

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2012/07/15

2012・7・15 音楽ビデオはユーチューブにかなわない篇

木漏れ日 光と影
HikariKage
 九州の大雨は大変なことになっている。
大分の別府出身の女房が(去年からこんな映像ばかり見せられるね)と嘆いた。
大分の日田や中津には彼女の親類縁者も多い。
去年の3・11の津波の映像は凄かった。
水があふれて車や家が流されている。
(大きな災害がほとんどない、こんなところに住んでいて申し訳ないような気がするね)
とこちらは応じた。
ただし、立川活断層がすぐ近くを走っているので、いつ大地震に見舞われるかは神のみぞ知る、ということも確かではある。

 梅雨に閉じ込められているせいか、テレビとかパソコンに向かう時間が多い。
デジタル・テレビの使い方がようやく分かってきたのはいいのだけれど、録画予約だとか、その為の番組チェックだとか、録画したものの整理だとかブルーレイへのダビングだとか余計な時間を使うようになった。
25歳で結婚するまでのテレビのない生活が懐かしい。

 パソコンの方ではユーチューブというのが厄介である。
コンピュータ・メーカで現役だった時代は自宅ではパソコンを使っていなかった。
家に帰ってまでパソコンなど見たくもない、ということだったのだろうか。
本当はそれは言い訳で、パソコンなどの文明の利器を使う能力があまりない方のような気もする。
それで当時は自宅では通信能力のあるワープロで(瘋癲老人日記)を毎週書くのが関の山だった。

 10年ほど前に、会社生活が終わりに近づいた頃、あるきっかけがあって、当時の最新型のノートパソコンと光ファイバーを自宅で使うようになった。
インターネットで動画を観るなんてことは(おちゃのこさいさい)になった。
同時にそれまで録り溜めていたビデオをパソコンに取り込むことも出来るようになった。

 ふうてんの好きなものの中に(音楽ビデオ)があることはこれまでにも報告している。
パコ・デ・ルシアのレコードやCDを演奏の姿を想像しながら聴くのもよろしい。

実際にパコが弾いている映像を観ながら聴くともっとよろしい。
そういう、映像と音楽が一体となったもの全般をふうてんは(音楽ビデオ)と呼んでいる。

 音楽ビデオというものを意識したのは昔鎌倉大明神から、レナード・バーンシュタインのウェスト・サイド・ストーリをビデオで観たのだけど素晴らしかった。
映像はボロボロなのだけど彼のオーケストラが演奏する雰囲気がリアルに伝わってきてね。
と聴いたことがきっかけだったのかも知れない。

 録画したビデオにもそういう音楽ものは結構あるけれど限られている。
しばらくは自家製のそういう音楽ビデオをパソコンですぐに観られるようにして楽しんでいたのだけれど、そのうちユーチューブという存在を知った。
これはみなさんご存じの通り、ありとあらゆるビデオをインターネットで流しているサイトであります。

 ユーチューブはこの5年ほどでずいぶん変わったと思う。
ユーチューブに初めて動画が投稿されたのは2005年4月だったとウィキペディアは教えてくれる。
当初は動画の解像度が悪く、音楽ビデオとしてもあまり楽しめなかった記憶がある。
だからユーチューブをダウンロードして楽しめることはあまりなく、自分でビデオ録画した(音楽ビデオ)をパソコンに取り込んで、好きな演奏をいつでも聴けるようにデスクトップに登録したりして喜んでいた。
ところが最近驚くのは画質が良くなり音質もずいぶん良くなった。
さらに投稿される内容の充実もキリがない。

 ユーチューブに投稿される内容はいつ消去されるか分からない。
そのことだけは心してユーチューブに望んだ方がよろしいようである。

それにしても・・・昨日も驚いてしまった。
スタンゲッツの(メニ~ナ モカ)を聴きたくてユーチューブにはいった。
これの内容も一年前とは既に変わっている。
いい音質で一曲を完璧に聴くことができる。
さらに驚いたことがあった。

 何故かパコ・デ・ルシアの曲が紹介されている。

オヤオヤとそれらを観て聴いてみた。
去年にはなかったもので、何と20年も前にパコのコンサート会場で買ったビデオそのものであった。
2本のビデオで、当時コンサート会場で5000円だか1万円だかで買った。
その2本のビデオがそれぞれ丸ごとユーチューブで観られるのである。
念のために、ユーチューブはいつ消えるか分からないのでダウンロードした。
後で、さらに念のため再生してみるとちゃんと再現される(当たり前?)。

 コンサート会場で買ったビデオには日本語字幕スーパーが付いている。
ユーチューブのものには勿論そんなものはない。
その点だけが違う。
字幕スーパー付きで既に観ていたから、結構多いパコのインタビューで彼が何を話したのかは分かる。
何を話しているか知った上で、字幕スーパーの余計な邪魔のはいらないクリアーな映像と音を楽しむことができる。
パコはスペイン語だから話していることは一言も知ったこっちゃない。
字幕スーパーのおかげで・・・でも、字幕がない方が綺麗に見えるし・・・。

 ユーチューブとはアメリカ文化センターである、と以前書いたような気がする。
どうもこれは(ユーチューブとはインターナショナルな文化センターである)と言いなおした方がよさそうだと思わせられている。

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2012/07/09

2012・7・8 蝉しぐれを観た篇

隠宅のブラック・ベリー
Black_berry
 梅雨の日々が続く。
今年は例年通りという感じで梅雨が過ぎているように思う。
毎年ふうてんにとって4月くらいから6月のころは過ごしにくい季節なのである。
晴れたり降ったり、気温や湿度が毎日のように極端に変化する。
そういう目まぐるしい変化を押し込めるように梅雨がやってくる。

 その梅雨の役割を今年はちゃんとやってくれているようで、東京では雨も結構降るし、極端な猛暑もない。
この調子で行って、来週当たり愛でたく雷が鳴って土砂降りの雨が降って梅雨が明ける・・・そんな予感がする。

 梅雨が明けると蝉が鳴き始める。
それを意識してなのだろうか、NHKが(蝉しぐれ)の再放送をやった。
2007年にNHKのBS2で放送した、とNHKのホームページにある。
それから5年たってBSデジタルになってBSプレミアムというチャンネル名になった。
5年前にソニーのHi-8というビデオテープに録画した番組を今度はデジタルテレビのハードディスクに録画する。
そしてブルーレイのお皿にダビングすることになるのだろう。

 蝉しぐれという小説の名前はずいぶん前から聴いていた。
藤沢周平という作家の名前も前から知っていた。
しかし蝉しぐれを始め藤沢周平の小説は一度も読んだことはなかった。
たいした理由はない。
ただこちらは池波正太郎に入れ揚げていたので、仕掛け人・藤枝梅安以上の時代小説はあるまいと思って藤沢周平作品に近寄る気がしなかっただけだった。

 10年以上も前、当時よく行っていたショット・バーで飲んでいたとき、馴染みの若い客が、池波正太郎なんて大したことないですよ、藤沢周平が最高です、とのたもうたことがある。
こいつ何言いやがる、と思いながら、へぇ~藤沢周平という作家もかなりのものなんだろうなあ、と印象に残った。

 それから5年後くらいにNHKが(蝉しぐれ)をやった。
どれどれと冷やかし気分で観た。
念のために(Hi-8)で録画した。
3回シリーズの番組だったけれど、第1回目から引き込まれてしまった。

 場面展開がいい、配役がいい、音楽がいい。
登戸のショット・バーで若造が(藤沢周平が最高ですよ)と喚いていたことを思い出した。
原作ではないけれどドラマを観ただけで原作の良さは分かる。
3回シリーズというのも納得した。
1、2、3のリズム。
文四郎とお福の淡いラブストーリー。
10歳ころは家が隣あっていた。
20歳ころから別々の道をたどった。
40歳を過ぎて再び出会いまた別々の道を歩みはじめる。

 いいところで小室等の音楽が流れる。
そのメロディは蝉しぐれの中で(蝉が鳴く)ようではなく(蝉が泣く)ように流れる。
原作も音楽も文四郎役の内野聖陽もお福役の水野真紀も全部よかった。
う~ん、これは池波正太郎世界とはまた別の魅力やなあ。
と、今回見直してまた登戸のあの若造のことを思い出した。

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2012/07/01

2012・7・1 テレビがデジタルになって嬉しいこと篇

コナラの枝を切った

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 先週、地上波デジタル放送一周年の報告をした。
光ファイバーのアンテナで40インチのフラットな液晶テレビで毎日かなりの時間テレビを見ている。
今回はそのコンテンツ、番組内容について少し書いてみたい。

 普段観るのはほとんどがNHKの番組である。
視聴料を払っているのだから元を取りたい、という根拠だけでもない。
面白い番組が多いから観るし、コマーシャルに遮られないことも大きいのかもしれない。

 以前からNHKを中心に観てきた。
その点ではデジタルになったからといって変わりはないとも言える。
ただデジタルになってやはりNHKの姿勢にも変化を感じる。
そのポイントは(ドキュメンタリーもの重視)にあるとふうてんは思う。
NHKは元々、アナログ時代からドキュメンタリーものに関しては民放は一歩も近づけないくらい圧倒していた。
そのドキュメンタリー路線がさらに強化されたように感じる。

 それが何故なのか、ふうてんにはよく分かる。
NHKのスタートはイギリスのBBCに学ぶ、ことから始まったのではないだろうか。
どちらも言ってみれば(国営放送)である。
税金で成り立っている放送である。
国税を使って民間の商品を宣伝する訳にはいかない。
必然、ドキュメンタリー、事実を伝えましょうよ、に力点が置かれる。
これは事実なのだから、誰の思惑もはいっていません、事実、現実はこの通りなんです。

ふうてんは、それでよいと思っている。
事実をなるべくそのまんま、変なフィルターをかけずに伝えてほしい。
そういうメディアが必要だと思うのである。
変なフィルターをかけないで伝えるには解像度が必要である。
色数も必要である。
音も必要である。
解像度も色数も音もできるだけ人間の感覚に近づけないと本当のドキュメンタリーにはならない。
人間の視覚、聴覚はものすごいものがあるのである。

 NHKはハイビジョンという方式を世界に先駆けて発表し、結局それが今の放送の世界標準になった。
これは日本人の名誉だとふうてんは思っている。
商売で儲けたというだけではない名誉もあるのだ、と。
それまでの放送の世界標準はアメリカや日本ではNTSC、ヨーロッパではPALという規格だった。
NHKが提案した新しいハイビジョンという規格は画面の縦も横もそれらの標準の2倍くらいの細かさというものだった。
縦も横も2倍だから画面としては4倍の細かさを持つ。
細かさだけではなく縦横比も変えた。
人間は左右に目があるからその人間の視覚に合わせて横長にした。

 4倍の細かさの映像を写して、記録して、送って、観てもらうには、全部の装置がその4倍の細かさに耐えられるようにしないといけない。
そのことがこの20年くらいの間に行われた。
結果として我が家にもそのハイビジョンテレビが鎮座し、毎日のようにふうてん老人は惚けた(ほうけた)ような顔でそれを観ている。

 NHKのドキュメンタリー班が力を入れている番組でふうてんがよく観るのは(自然もの)であり(美術もの)である。
(自然もの)というのは自然の有り様がどうなのか、動植物たちがどうしていてその中で人間たちはどうしているかの世界を描く。
新日本紀行改め(新日本風土記)とか(小さな旅)とか(にっぽん釣りの旅)とか(キッチンが走る)などなど。

 (美術もの)も、これこそ解像度や色が欲しい領域なので、NHKのドキュメンタリー班はえらい力を入れている。
解像度も4倍以上になったけれど、色数はもっと増えているのである。
パリのオルセー美術館の模様替えなどは絶好の機会だった。
NHKは特集番組を作って、その素晴らしさを伝えてくれる。
日本の浮世絵の代名詞、喜多川歌麿だって負けちゃあいない。
数年前にボストン美術館の歌麿コレクションで発見された色使い、透かし技法などをハイビジョンの映像で納得できる報道をしてくれた。

 デジタル化された映像をデータ容量に置き換えて考えてみる。
30分番組で2ギガバイトである。
ただ観るだけならばこの容量は関係がない。
関係するのは(録画)しておきたいとき。
デジタルテレビには大抵の機種に録画機能がついている。
とりあえずはハードディスクという記憶装置にそれを蓄える。
そのうちにそれは満杯となる。
さて、どうしよう?

 コンテンツ、番組内容の話を書きはじめたのにまた技術論になりつつある。

66歳になっても習い性からは逃れられないのだろうか。
つづきは次回以降に・・・。

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