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2012年4月に作成された記事

2012/04/30

2012・4・29 新緑のころ篇

ハナミズキと三悪人 
Shirohana_3 Kurohana_3

 
 

 

 

コナラの新芽 
Konara_2Konara_1

 世の中ではゴールデン・ウィーク、5月連休が始まったらしい。
この季節に連休があるというのは悪くない。
わが町国立でも4月から5月にかけてが一番(派手め)の美しい季節かもしれない。
木々は芽を吹き花は一斉に咲き始める。
その一端をカメラマン助手が撮った写真で紹介しておく。

 季節はよくなったのだけど、どうも日本では政治がよろしくないと思う。
消費税の値上げ、原発の再稼働、東京都の尖閣諸島買い取り、小澤裁判などである。
身辺雑記のこの日記で政治の話をするのもどうかと思う。
しかしこれらの話は我々(民間人)にももろに絡む話である。
たまには触れてみるのも悪くはないと思う。

 消費税の値上げに関して野田総理は(社会保障と税の一体改革)の一言を念仏のように繰り返し唱えている。

 国の借金が1000兆円に近くなり、それを次の世代に残す訳にはいかない、という風な言い方も聴こえてくる。
だから消費税10%に命をかけると言う。
ちょっと待ってよ、と言いたくなる。

 物事には原因と結果がある。
借金1000兆円になったには理由があるはず。
その理由を分析して対策を考えないと借金は減りようがない。
お金の収支は結局は出と入りの差し引きである。
出をどのように減らして入りをどのように増やすか。
そのことをシンプルに説明して国民に説明する責任が総理大臣にはある。
昔、土光さんは構造改革の主任を命じられたとき(ともかく出をなくすことですよ)と言っていた。
我々のように民間企業に務めた人間にはそのことがよく分かる。
本当の不況に陥ったとき、まず(発注停止)となった。
研究開発のためだろうと日常の経費であろうと、ともかく(発注停止)すなわち金の出をなくせ、ということであった。
入りなんて当てにできない。
しかし出は分かっていることだから確実にストップできるという理屈である。
松下政経塾にはそういう教育はないのだろうか。

 借金が1000兆円になったのは消費税が安かったのが原因なの?
と聴かれるとどう答えるのだろう。
借金を作った原因を改めない限り借金体質は変わらない。
税収の倍の国家予算を組んでいて、消費税5%アップに命をかける?
どうも何かが欠けている。

 原発の再稼働問題でも同様のことを感じる。
東北、関東一円に放射能をばらまく原発事故が起こった。
大地震、大津波は言い訳にならない。
言い訳するのなら、何がどのように影響して事故に至ったか、事故は起こったけれど、何をどうしてどのように収束するか。
そのことを明確に説明し、対策を打つ責任が国にはある。
被害範囲は10キロメートルや30キロメートルの同心円どころの話ではない。
日本に外国から来る観光客が激減した。
日本中が被害を受けている。

 いまだに事故の根本原因は分かっていない。
メルトダウンの状況がどうなのかもサッパリ分からない。
放射能被害の程度も範囲も分かっていない。
東京電力という一私企業で対処できる被害の程度ではない。
それなのに、いまだに国が国有化して経営者を総入替することすらしない。

 それにもかかわらず(電力が足りないから)と関西方面で原発再稼働を進めようとする。
消費税値上げと原発再稼働とは同根の問題を孕んでいるように思えてくる。
出と入りの関係の問題である。
出(すなわち必要な出費)を明らかにせず、減らす努力をせず、入りを増やそうとしている。

 東京都の石原知事が尖閣諸島を買い上げて日本の国土として守るという。
東京都民としては寝耳に水の話ではある。
本当に役に立つのなら住民税を使っていただいても別によろしい。
しかし、核まで持っている国が(ここは俺たちの領土だ)と迫ってきたとき、どういう風にして守るのだろうか?
その肝心のところが分からない。

 小澤無罪判決の話にもガッカリした。
(判決は無罪だったけれど、限りなく黒に近いグレーだから今後も説明責任を要求していきます)
そういうトーンで政治家もメディアのコメンテータもおっしゃる。

 何のこっちゃ?とふうてんは思う。
日本は民主主義の国ではなかったのかしら?
民主主義というのは多数決の世界だと思う。
国民が投票して51:49で多数の方が立法、行政、司法の主導権を握る。
総選挙のとき、裁判員これでいいですか?と問われ○や×を付ける。
(あれは最高裁判所だけだったかしら?)

 そうして選ばれた裁判所が(無罪)と判定したら民主主義社会では(犯罪人ではない)と認めなくっちゃ理屈は成り立たないのではなかろうか。
裁判では無罪になったけれど、やはりあの人は悪いことをしている、というのなら告発して裁判で(有罪)にしないと民主主義社会では通用しない、はず。

 そも民主主義が51:49だとして、反対意見が半分近くはいる。
それでも一緒にやっていこうよ、一票でも多い方にとりあえずやらせてみようよ、というのが(民主主義)だとふうてんなどは思っている。
そこには残念ながら(少数意見を大切に)という論理は同居の余地がないと思う。
少数意見を重んじる人たちは(民主主義)以外のシステムを導入すべきだと思う。

 イギリス人は(賭け)がお好きだと聴く。
どちらかに(賭け)て勝った負けたと楽しむ。
あちらでは総選挙をやって、勝った党の党首がその場で首相になる。
すぐにバッキンガム宮殿に(タクシー)で向かう。
負けた党の党首である、それまでの首相は(公用車)で向かう。
エリザベス女王が厳かに(これから首相をやって下さい)と勝った方の党首に宣言する。
新首相はバッキンガム宮殿から(公用車)で帰宅し、選挙で負けた前首相はバッキンガム宮殿から(タクシー)で帰宅する。
(賭け事)のまことに正しく麗しい終わり方だと思う。
賭け事には(勝つか負けるか)しかなく(限りなく勝ちに近い負け)というものはないのである。

 小澤裁判の顛末について、ふうてんは(往生際の悪い日本人)の典型のようなピープルを何人か眼にした。
政治家やメディアの世界にそういうのが沢山いることがよく分かった。

 繁すしの帰り書簡集のマスターと、
(日本は歴史の長い国だけど、日本人、なかなか大人になれないねぇ)
と嘆いたものだった。
(超大国の中国、ロシア、アメリカに戦争を仕掛けた国なのにねぇ)
と。

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2012/04/22

2012・4・22 今年もウグイスくんが戻ってくれた篇

隠し砦の三悪人(カメラマン助手撮影)
クロ(左上)      シロ(右上)     ロシナンテ(左下)

Kuro_2

Shiro_2

Roshinante_2

 

 

 

 

 



 わが町国立では桜狂想曲が終わり新芽狂想曲が始まった。

木々が芽を吹き、一人前の葉っぱを繁らせるようになるまでの、この一カ月ほどが一番面白い。
木の種類によって多少時期はずれるけれど、枯れ木のようだったのがいつの間にか節々に芽を吹き始める。

 常緑樹では分かりにくいけれど、落葉樹のバヤイは事の次第がハッキリと分かるように我々の目の前で展開される。
15年ほど前から今の家に住むようになって、何本かの木を植えた。
4~5年たって木が大きくなり花をつけたり実をつけたりするようになった。
どれも落葉樹なので四季の変化がまことによく分かる。
特に新芽の吹き出すこの時期の劇的な変化は素晴らしい。

 戻ってきてくれたウグイスくんが今朝は結構長く家の回りで鳴いた。
戻ってきたなと気づいたのは2月末ころの夜が白みかけるころだった。
夜が明けきるともう声は聴こえなくなった。
毎年のことなのだけど、最初はホ~ホケキョなどとは鳴かない。
ケッとかキョとかホロッとかの(単音節)である。
ただその音色が独特のものなのでウグイスだなと分かる。

 今朝はけっこう長く滞在し、しかもホ~ホケキョがほとんど完成していた。
オヤオヤと思って自室を出て、声に近い寝室で横になってしばらく聴いていた。
寝室からはコナラの木がよく見える。
コナラは新芽狂想曲の第三楽章くらいで、少し繁り始めている。
その新芽の枝を小さな影がススッと動いた。
ウグイスの鳴き声は聴こえ続けている。

 ベッドから静かに起き上がって窓に近づき、ソッと逆光の中にあるその小さな影を確かめた。
ウグイスは決して人前に姿を晒さない。
カーテンに隠れるようにしてその影の喉元当たりの動きを確かめた。
見事にホ~ホケキョと同期していた。

 しばらくするとヒヨドリだろうか、大きめの鳥が登場した。
そのうち遠くの方でウグイスの声が聴こえた。
一瞬、鳴き交わしているのかなと思った。
しかし、どうやらコチラとアチラで鳴き交わしているのではなくコチラからアチラへ移ったようだった。

 田舎の方で、山やなんかで、ウグイスの鳴き声を聴くと、かなりの大合唱になることがある。
それを聴いているとあのウグイス独特の素晴らしい音色も決して(独白)の為にあるのではないようである。
あの美しい声は(鳴き交わす)為にあるのだと思う。
 それにもかかわらず、今年も隠宅に来てくれたウグイスくんは独り身のままそのうち山へ帰っていくのだろうか。
タップリとホ~ホケキョを聴かせてもらって、挙げ句に、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョの(鶯の谷渡り)の練習まで聴かせてもらって、嬉しくなってエビスの小瓶の栓を抜いたことは言うまでもない。

 ふうてんは四国伊予の片田舎で生まれ育った。
周りは人家とてまばらな、山やら林やらの自然ばかりのところだった。
(もう自然なんて、緑なんて、十分だ、飽き飽きした)
と、18歳のとき田舎を捨てて京都へ流れた。
それから50年近く、半世紀近くの時が流れた。
 田舎の家には草木は勿論、沢山の動物たちがいた。
牛、ヤギ、犬、猫、ニワトリ、ウズラ、鯉、鮒、金魚、メダカ・・・。
さらに、ふうてん少年の趣味(?)で飼っていた沢山の小鳥たち。

 要するに、人間は動植物の一種に過ぎない生き物なのだ、ということを嫌でも実感させられる環境だった。
田舎を捨てて都会に流れてから20年以上たった40歳すぎから、自然も悪くないな、などと思うようになった。
所詮人間の作るものなど自然にはかなわない、と。
50歳のころから今の隠宅に住むようになって気づいてみたらまた動植物たちと同居するようになっていた。

 隠し砦の三悪人を含めて6人家族だね、などと家人と話している。
野良のシロとクロ、老友ロシナンテ。
方丈の庭なので桜狂想曲は遠慮したけど、新芽狂想曲は聴こえてくる。
独り身のウグイスくんや団体戦得意のメジロくんたちも毎年訪問してくれる。
合わせるとかなりの大家族になる。

 これでいいのかもしない。

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2012/04/21

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2012/04/16

2012・4・15 花に嵐のたとえもあるさ篇

桜は咲いて 散る

Saite_3

Chiru_3

 井伏鱒二の(花に嵐の譬えもあるさ サヨナラだけが人生だ)というのはまことに良くできたセリフだと思う。
花というのは桜花であり嵐というのは春の変わりやすい天候のことであろう。
国立でも桜は終わった。
その桜狂想曲の最後のような今日の日曜日に市役所近くの公園で花見をやった。

 文楽仲間の村ちゃんから先週、14日(土)に花見をやるけどいかが?と教えてもらった。
楽しみにしていたその昨日は朝から雨だった。
嫌でも井伏鱒二のセリフを思い出させられた。
(花に嵐のたとえもあるさ・・・)
その通り。
桜は雨に打たれ、風になぶられて、もう散りゆくしかない。
村ちゃんからの案内は(土曜日のお昼頃から)とあった。
こんな雨で花見はないよな、とその昨日の土曜日、念のために村ちゃんに電話した。
(明日やります)
との明快な答えが返ってきた。

 今日の昼過ぎ、その市役所傍の公園に(文酔連)の連中が集まったのだった。
(文酔連)とは山口瞳さんの(居酒屋兆治)のモデルとなった文蔵さんの草野球仲間である。
ふうてんは野球はやらないのだけど、繁すしコネクションで(文酔連)に馴染みが多い。

 確かにもう桜の季節は過ぎたようだった。
賑わい、という雰囲気はなかった。
それでも公園には2~3歳の子供たちを連れた家族が多く、ブランコなどで楽しむ姿は懐かしかった。
ふうてんなどは自分の子供が2~3歳のころのこういう姿はかすかな記憶しかない。
(家で過ごす時間は短かったなあ)
という後悔にも似た思いがよぎる。
(子供にかまわず、何に入れ揚げていたのだろう?)
(朝子供が寝ているときに家を出て、帰るのは夜中、勿論ガキはとっくに寝ていたなあ)
(ある朝、というか珍しくガキが起きている時間に家を出たときにはビックリしたなあ)
(玄関まで送りにきて、(また来てね)と言いおった)
・・・・
(また来てね)と子供に言われる。
どうも、(たまに来る妙なオジさん)と思われていたフシがある。
それくらい一緒に過ごす時間は短かった。
子育ては女房に任せっきりだった。

 公園の花見でそんなことを思い出していると、去年市長になったガマちゃんが登場した。
彼は文酔連の一員であり繁すしコネクションの一員なのだけれど、市長になって以来、普段会えなくなっていた。
隣に座ったガマちゃんに聴いた。
(ちょっと太ったねぇ)
(そうなんですよ、動く時間がなくて)
(動く時間がない?文酔連の野球にも参加できないの?)
(毎朝8時半に役所へ行くと、たいてい5~6人待ってます)
(今日みたいな日曜日くらいは休めるの?)
(今日も4つ会合があります。ここは2番目かなあ)
・・・・
 それにしてもガマちゃんが市長になってくれてよかった。
住基ネットに入っていない全国2カ所の一つだった。
今年から年金支給に関する(現況確認)のハガキを出さなくてよくなった。
(ガマちゃん、あれには助かったよ、だいたい国立は住民税が異常に高いよね)
(そうなんですよ、全国で上位何位なんてね、それで給与とかカットし始めたのだけど、抵抗もありましてねぇ)
(ガマちゃん、退職金全額カットいうたよね)
(あれは言いすぎたかなあ・・・)
(市長の仕事って大変でしょう)
(ゴミ問題から始まってあれやらこれやらキリがありません、この一年休みナシですわ)
(退職金5000万円くらいもろうてもええなぁ、やっぱりこの土地で生まれ育ったガマちゃんに市長になってもろてよかった)
(それはありますね、よそから来た人よりはバランスがとれると思います)
(バランスねぇ、例えば?)
(谷保村ですから、村がハイカラな国立になって元百姓で被害者意識持っているのもいるんですよ)
(被害者意識?)
(田畑は宅地に変わるし、この時代でしょう、百姓やっててどうすんだ?と悩むわけです)
(なるほど、地元のお百姓さんの人たちがねぇ)
(僕は連中に言うんです。田畑や林は残された大切な自然なんだ。それを守っている仕事に誇りを持ちなさい、国立にずいぶん貢献しているんだよ、とね)
・・・
 代々谷保村でやってきた百姓の末裔でないと吐けないセリフだと思った。

 念のために国立市のホームページの今年の年頭のガマちゃんの挨拶を紹介しておく。
平成241月 市長年頭挨拶|国立市公式ホームページ

http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/shisei/shichonoheya/5380/005381.html

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2012/04/09

2012・4・8 桜咲き 風はひんやり 空青し篇

桜通り         大学通り

Sakuratori_3

Daigakutori_3

 満開になったかな?と、桜通りなどをチャリで冷やかした。
快晴で桜はほぼ満開だった。
ただ少し気温が低く、花見にはちょっと寒いなと思った。
帰ると、文楽仲間の村ちゃんからメールが来ていた。
5月文楽のチケットを頼んでいたのだった。

(桜咲き 風はひんやり 空青し)
という枕詞があり、チケットをゲットしたことと合わせて、来週の14日に市役所の横の公園で花見をやるのでいかが?
とあった。

 国立では今日が満開だったので14日には散っていると思われる。
すぐに電話してこんな話をした。
(喜んで参加しますよ)
(トヨダさんやラガーマンも来ると思います)
(今これだから週末には散るかもね)
(桜が散る風情も悪くないでしょう)
(ああ、井伏鱒二の例のやつね)
(花に嵐のたとえもあるさ サヨナラだけが人生だ)
・・・

 今年の桜は4月のはじめに咲いた。
はやりこれがふうてんなどには一番シックリとくる。
入学式、入社式。
これから始まるんだよ、と我々に告げて桜はアッという間に散る。
あとは君たち一人でやるんだ、シッカリな、と言わんばかりに。

 (世のなかに たえてさくらのなかりせば・・・)
 (ねがはくは 花のしたにて 春しなむ・・・)

 古来、野郎どもを狂わせてきた桜。
毎年咲けていいわねぇとご婦人方を羨ましがらせる桜。
国立では、その桜狂想曲のピークを迎えた。

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2012/04/01

2012・4・1 桜が咲いた篇

やっと国立でも桜花が開いた

Sakura_1Sakura_2
 昨日の3月31日に東京で桜の開花宣言があった。
東京では靖国神社の染井吉野が5~6輪咲いたときに(開花宣言)をする。
その翌日の今日、ふうてんは近場の咲き具合を確かめに行った。

 国立(くにたち)でもプチッ、プチッと咲き始めたことを確認した。
桜通りと大学通りが国立の代表的な(桜並木)である。
例年、桜通りの方が少しばかり早く開花する。
隠宅から桜通りにチャリで出た。
ちっとも咲いていない。
しかし、すぐに諦めるわけにもいかない。

 ここぞと思うところを確かめた。
やはり咲き始めていた。
それをボケボケの(ビデオ解像度の写真)で紹介しておく。

繁寿司

 繁さんで、今日は4月1日、エイプリルフ~ルですねぇ、という話になった。
話題は首都直下型大地震が来たらどうしましょう?へと移って行った。
この間からの地震の話題、津波の話題はまるでエイプリルフ~ルみたいな話やねぇ。
首都東京に数年以内に震度7以上の地震が起こる。
東南海地震が連動して起こって、高知県には34メートル以上の津波が押し寄せる。
34メートルの津波?
ほんとウソみたいな話ですなあと苦笑いするしかない。

 店の前を今日も原発反対のデモが通りましてね、と繁さんがいう。
ホント?まだやってんだ、結構続くねぇ。
(その連中が店の前で止まって、見てたら、お菓子あげます、いうんです)
(何よそれ、お菓子あげます?)
(これなんですよ)
と、繁さんがその小さな紙のパッケージのお菓子を持ってきた。

 なかなかユニークでかっこいいお菓子だった。
・銘菓 福一
・御菓子司 原発さいか堂 謹製
・原材料名 ヨウ素、セシュウム、プルトニュウム、ストロンチュウム、他
・成分 α線、β線、γ線
・賞味期限 2万4千年後に風味半減します
・消費期限 10万年後(人類史の10倍!)まで毒性保証致します
・販売者 原子力 ムラ
・製造者 原発さいか堂

 しかしなんですなあ、これは笑っちゃいけないブラックなユーモアやねぇ。
ふざけているようで、エエとこ突いてるかもねぇ。
と言ったら繁さんが、
(一橋大学の先生なんかも一口かんでいるらしいですよ、国立でも国分寺でも府中でも、デモ行進やってるそうです。仮面かぶって、道化師みたいなメークをしてね)

 そして最後に繁さんが(婦人警官の乗った軽のミニパトカーに先導されてね)と付け加えた。

 繁すしを後にしながら(今日はエイプリルフ~ルやったなあ)と書簡集へ向かった。

書簡集

(マスター、やっと咲き始めたね)
(今日ぼくも確かめてきました)
(やっぱり日本人は桜やねぇ)
(桜と野球でしょう、プロ野球が開幕すると春が来たと思うんです)
(球春という言葉があったよね、ところで春は入学式の季節じゃなかったっけ)
(そういやあどこかの大学が秋に入学式をやりたいとか)
(春だと花は桜でいいよねぇ)
(秋だと花は何になるんでしょう?ね)
(菊かなあ)
(菊の紋章、てありましたねぇ)
(桜がいいか菊がいいか)
・・・・
(ところで、どうして秋にするんでしたっけ?)
(世界標準とかいってたなあ)
(どうして世界に揃えないといけないのかしら)
(何だか優秀な生徒を集められない、とか聴きましたよ)
(優秀な生徒?日本には優秀なのがいない、ということなの?)
(それにしても向こうが秋だからという理由だけで日本もそうする、てのは何となく情けないですねぇ)
(そうねぇ、日本てのは世界標準というのが苦手なのよねぇ)
(せいぜいテレビですか。あるいは公害対策の車も日本でしたねぇ)
(それくらいやろね)
・・・
(どうして入学卒業や年度末は春やら秋やらなのかなあ?)
(そうですねぇ)
(一年は1月1日から始まるよね)
(そうですねぇ)
(ならいっそ、年度も入学卒業も1月1日にすればいいじゃないの)
(???)
(おそらく、年が改まって、いろいろと後処理があるから3ヶ月ほどずらしているのとちゃいますか)
(春ならわかるけど、秋ちゅうのはもうすぐその年終わるよねぇ)
・・・
(徳川時代は1月1日で全てが新しくなったのと違うかなあ)
(大晦日に年が越せるか越せないかの瀬戸際を迎える、というドラマがありましたよね)
(会社の収支決算も人事も入学も卒業もそれと同期したら壮大なドラマになるなあ)
(世界標準ちゅうのは誰かが誰かの真似をする、というセコい理由で決めるものやない)
(世界中の誰も文句言えんロジックで決めないとねぇ)
(一年の区切りで万国共通なのは1月1日だけよね、春だ秋だというと南半球と北半球でエライ不公平感があるかもね)
・・・
(秋の花というとコスモスもありますねぇ)
(松茸の匂い、いうのも季節感あるなあ)
(どうも秋となるとシンプルにはいきませんねぇ、春は桜花みたいに・・・)

 確かに今日の4月1日はエイプリルフ~ルみたいな一日だった。

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