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2012年1月に作成された記事

2012/01/30

2012・2・29 真善美というのは死語なのだろうか篇

くにたち芸小ホール

Geishohall_2

 土曜日に近くの芸小ホール(くにたち市民芸術小ホール)で珍しい人形浄瑠璃があるよと文楽仲間の村ちゃんに誘われて行ってみた。
こんな文楽は初めて見た。
小さな黒い箱に腰掛けて人形を使うのである。
この小さな箱には車が付いている。

 八王子車人形という人形劇で今は西川古柳座という一座が残っており、今回はその一座の公演だった。
人形浄瑠璃は語りと人形と三味線の三位一体の芸能である。
その人形を普通は二人か三人で演じる。
この車人形では車を使うことにより一人で人形をあやつるのである。
江戸時代の末期に考案されたという。

 ちょっと面食らってしまって楽しむまではいかなかった。
人形は車のおかげで左右前後の動きがスムーズに出来るので自由に動ける。
その自由さが良さでもあり限界でもあるような感じだった。
やはり首と左手を吉田玉男が操り、右手をもう一人が受け持ち、最後の一人が足を受け持つ。
三人で一人を演じる。
だから動きはぎごちなくなる。
しかし三人で受け持つが故に、それぞれのディテールは細かく表現できる。
顔の眉毛の動き一つ、手の指の動き一つ、その細部が肝心なのではあるまいか。
そういう風に思わざるを得なかった。

 今日の日曜日も朝から快晴でその分冷たく、関東の空っ風が強かった。
今年の冬は本当に寒い。
この日記も毎週そればっかりとなっている。
地球温暖化の騒ぎはどうなっちゃったのだろう?

 夕刻、風がやんだ。
思い切って完全武装して書簡集へ出向いた。
いつものように世間話になりやがて禅問答のようになる。
(スマホが流行ってもうパソコンの時代じゃなくなったのかしら)
(ワープロが流行ってパソコンが流行って今はスマホですかねぇ)
(この先どうなるのかしらねぇ)
・・・
(ところでマスター、これから日本はどうすればいいのでしょう)
(去年の東北大震災、原発事故がなかったとしても日本は困ったことになっていますよね)
(特に政治ですよね)
(民主党も自民党も政党の体をなしとりませんなあ)
(与党も野党も訳がわからない)

(マスター、今年は政治の世界が液状化現象起こしまっせ)
(そうなるでしょうね、でもどうしてなのだろう?)
・・・
(最近日本でもポピュリズムなんて言葉が聞こえるねぇ)
(ああ大衆迎合というやつですね)
(そう、だいたい大衆というのは物を考えない、考えないから大抵、大衆というのは困ることが積もってくると、誰かに救いをもとめるようになる。)
(そこへヒットラーのようなのが登場して、今までの政治は何をしてたんだ、みなさん、私はこう思うのであります、こうしてこうすれば世の中は良くなります、と大演説で大衆の心を掴む)
(ファシズムじゃないけどコイズムとかハシズムとか日本にもそういう傾向はあるかもねぇ)
・・・
(これからの日本はどうすればよろしいのか、問われても大抵の人は答えようがないよね)
(未体験のことを予想しろ、いわれても答えるのはむずかしい)
(そうそう、どうすればいいか、どうすれば使えるかはやさしいのよね)
(例えばスマホでも若い人はすぐに使えちゃう)
(How to はすぐに出来ちゃう)
(けどWhy?となると・・・・)
(若い人にどうしてスマホがいいの?と聴くとアレコレは言うやろけどね)
(あてがわれたものを使いこなしたり、理屈をつけることはできる)
(しかし、スマホの次どうします?と聴かれると・・・)
(答えられない)
(How,Why,Whatの中で一番むずかしいのがWhatなのよね)
(日本はこれからどうすればよいか、なんて話もそうかもしれませんねぇ)
(Whatを語ることが一番むずかしい)
・・・
(マスター、僕は手がかりはあると思うのよ)
(聴かせて下さい)
(昔(?)、真善美という言葉があったよね)
(ああギリシャ時代に確立されたという)
(そう、最近この言葉聴かないのよねぇ、メディアでも)
(ふうてんさん、真善美なんて今の若い人に言っても通じませんよ)
(若い人にねぇ、年寄りには通じるかなあ)
・・・
 という風なことから真善美、衣食住という古典的言葉の話になった。
ふうてんの主張は、これからどうすればいいかを考えるとき、一応人間は、という前提条件をつけての話なのだけれど、人間とは何かを考えて望むとわりと見えてくるのではないかと思うのである。

 人間が他の動植物と同じだと考えるならその動植物と同じようにやればよろしくて、別に悩む必要はない。
しかし残念ながら人間は他の動物とは違う属性を持ち合わせている。
必要以上に考えたり遊んだり動いたりする動物である。
その人間という動物がいかに生きればよいか、いかに生きれば他の動植物の生き物仲間に迷惑をかけないで済むかを大昔から人類は考えてきた。
それでやっとギリシャ時代になって、ひょっとして(真善美)ではなかろうかと気づいた。

 真善美を追求することで一種の節度にたどり着く、はず。
その節度を持つことで人類という、道具を手に入れた動物は動植物の中で存在を許される。
食糧革命があり動力革命があり情報革命があった今、ふうてんはこのことを考える。
人間以外の動植物はこれらの革命の恩恵には浴していない。
人間だけのための革命であった。
しかも動力革命、情報革命と進んできて、肝心の(真善美)という概念の大切さを忘れ果てている。

(今度若い人に、真善美て知ってる?と聴いてみてください)
とマスターが言った。
(そうねぇ、衣食住における真善美とは何か?なんてね)

 チャリで5分ほどの書簡集から家にたどり着く間に体は冷えきってしまった。
こういうとき温かいお風呂は最大の御馳走かもしれない。
帰って嫁はんに、
(寒いときの風呂がありがたいなんて、歳とったのかなあ)

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2012/01/23

2012・1・22 新年会のようなのが続いた篇

富士山の壁紙 

グーグル・画像より

P1010022_3_2

 この写真はグーグルの画像(富士山の壁紙)から借用している。
年末にパソコンを修理に出して、正月明けに帰って来たとき、デフォルトの壁紙が落ち着かない絵柄だったので、富士山のものを探した。

これまでにも富士山の写真を壁紙にしたことはあった。

今回いろいろ探すうちにこの写真にたどり着いた。

 富士山フリークのふうてんにとって富士山の写真はどの一枚も素晴らしい。
しかしパソコンの壁紙に使うとなると、写真が素晴らしいだけではすまない。
パソコンを立ち上げる度に顔を出すわけだし、アイコンの表示に邪魔になる強烈なコントラストの絵柄は合わない。

その点この写真は富士山の雄大さとともに何となく柔らかい優しさがあって気に入っている。

この写真をグーグルにアップした写真家に感謝しつつ使わせてらっているという次第。

 この一週間はいろんな会合があった。

一つは新横浜でのTowns同窓会。

一つは仕事仲間との田町での新年会。

一つは国立での大相撲初場所篇。

東京に住んでいると自宅から1時間ほどのところ、首都圏のどこで会合があるか分からない。

 Towns同窓会はJoBlogのJOさんからの声駆けがきっかけだった。
7人の会になったけれど20年振りくらいに会う面々もいた。
会社でたまたま出会った連中が記憶に残る仕事を一緒にやれてそれを愉快に振り返ることができるというのは本当にラッキーだったなと思う。
みんな当時のことを嬉しそうに思い出し、話し合った。

 新横浜はJOさんのお家の(ほんネキ)である。
二次会はJOさんがちょくちょく食材をチャリで買いにいくプリンス・ペペの上のプリンスホテルの最上階のラウンジだった。
ここからの夜景の眺望は素晴らしい。
足元に新幹線が走り、遠くの方に横浜のミナト・ミライが見える。
近くに高い建物がないので、周りは360度死角なし。

 
田町は品川近くにある。
浜松町、田町、品川という位置関係。
駅周辺は開発されて昔の面影はないけれど(芝浦)という風な地名に名残を感じる。
東芝とか慶応大学三田キャンパスがある、あるいは拠点があった地区である。
東京駅からの有楽町、新橋、浜松町、田町、品川などなどは駅の周囲がこの30年ほどで、まるで変わってしまった。
しかし歴史を積み重ねてきた地区であり、ふうてんなどは一種の落ち着きを感じる地区でもある。


 国立での大相撲初場所篇はもちろん国立の(モツ焼き しんう)で行われた。
いつものラガーマンとブンシュンのトヨダさん。
やっているうちに文楽仲間の村ちゃんもジョインした。
みんな映画や読み物や相撲や野球が大好き人間だから話はキリがない。
小津や黒澤や溝口や新藤兼人などの映画監督を肴に話は盛り上がった。
トヨダさんが、
(僕の一番好きな恋愛映画は肉体の悪魔ですね)
と言った。
ラガーマンが、
(ああブリジット・バルドーの)
と言った。
(いや、ミシェリール・プレールですよ)
とトヨダさんが言った。
(あれ、男優は誰でしたっけ?)
・・・・
しばらく間があってやっとみんな、
(ああジェラール・フィリップだったよね、あの男前の)
と思い出してホッとした。
(肉体の悪魔)というすごい題名の映画は(ジュールとジム)というレイモン・ラディゲ(フランス)の小説を元にした映画で、映画も原題はそういうタイトルだった。
ふうてんもこの映画は最高作の一つだと思っているのでトヨダさんがそう切り出したときには少し驚いた。

 首都圏に住んでいて、片道1時間を覚悟すればいろんな友人に会えることは感謝しないといけないのかもしれない。

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2012/01/16

2012・1・15 Small is beautiful. 篇

冬枯れの桜通り

Sakura

 今日も寒かった。
夕刻、女房とこんな会話になる。
(書簡集へ行こう思うけど寒いし億劫やねぇ)
(旦那さん、行った方がいいよ、外に出て人に会って話した方が)
・・・
このところ家に籠もりがちのふうてんを心配しているのだろうか。

 寒い中、完全武装して書簡集へ向かう。
少々寒くても手袋、コート、スカーフで身を固めると、実際は東京の寒さなんてのは大した寒さではない。
ただ風が強いと話は違う。
東京の真冬の空っ風・・・関西では経験できなかった冷たさがある。

 書簡集マスターがいきなりこんな話を始めた。
(このところ憲兵だった人の本を読んでいましてね)
(憲兵?聴いたことあるけど何だったっけ?特高のこと?)
(軍隊の中の警察機構ですよ、軍隊の秩序を守るための)
(ははぁ~そうですか、軍の警察、ミリタリィ・ポリス MPとなるのかなあ)
・・・
(憲兵というのは軍の内部にいたから、戦争時代のいろんなことを知ってるんです)
(ははぁ~)
(東京裁判のことを以前読んでいたのだけど、憲兵たちの証言を読んでよく分かるような気がしましたよ)
(戦争終わってもう60年以上、実際の戦争を体験した人はいなくなるねぇ)
(あの戦争は一体何だったんでしょうね)
・・・
(戦争責任論もずいぶんあったけど、結局だ~れも責任とらんかった)
(責任とらない、いうのは日本の伝統ですかねぇ)
(今の日本もねぇ、ぎょ~さん人が死んだり、ぎょう~さん放射能巻き散らかしたりしても、だ~れも責任とらへんねぇ)
・・・
(結局これは日本が島国やから、みんな一緒よねいう意識があるんやろか)
(そういえば大江健三郎がノーベル賞のスピーチで(曖昧な国日本)みたいなこと喋ってませんでしたっけ)
(曖昧な国日本か・・・和をもって尊しとする・・・いうのもあったなあ)
 

 やがてマスターと景気の話になった。
(これから景気はよくなるでしょうか)
(高度成長期とは形が変わってくるのとちゃうやろか)
高度成長とかいってみんなで大騒ぎしていたのですかねぇ)
(いわゆる大量生産、大量消費の馬鹿騒ぎ)
(都会へ若い人が集中したけど、中には都会には会わない人もいますよね)
・・・
(僕なんかも田舎を捨てて都会へ流れた方やけど、今の都会は住みにくいよねぇ)
(都会の良さと田舎の良さ、両方ありますよね)
(僕たちの時代は教育や就職について田舎に夢が持てなかったのかなあ)
(今は都会へ来てもあんまり嬉しいことはなくなっちゃった)
(今の若い人たちはどう思っているのかしら)

 などと話していると、二人の若い男の客がはいってきた。

しばらくマスターと話の続きをしたあと、二人に話しかけた。
一人は飲食業、一人は保育の仕事だといった。
二人とも真面目そうで、思慮深げな顔をしていた。
(今の若い者は、とか言われるんですよね)
などという。
(僕たちにも若いときはあったのよね、マスターなんか一度も会社に就職したことないんだって)
(えっ、じゃあその若いころからこの店を?もう30年くらいですかぁ)
(そうなのよ、僕はこの店の小ささが素晴らしいと思う、これが機能美というものなのよね)
(30年もっているというだけでも凄いですよ)

 今の不安定な時代、30年も一所で仕事を続けてきたマスターの生きかたは若い二人に何か感じるものがあったのかもしれない。

 カウンター席が8席。
テーブル席が4席。
合わせて12席の喫茶店(書簡集)。
ここでマスターは30年やってきた。
そして3人のお子さんを育て上げた。

Small is beautiful.
この言葉は書簡集のためにある。

同時にこれからの、21世紀の日本のためにもあるのではないか。
などと思いつつ寒風の中チャリで帰った。

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2012/01/08

2012・1・8 年齢のこと篇

2012年元旦 谷保天神

Yaho1

 

 この1月5日に66歳になった。
60歳の還暦を過ぎたころから毎年の誕生日の感想は、
(エッ?もうそんな歳まで生きてきたのか!?)
である。

 身近なところでは山口瞳さんは1995年、今から16年前に68歳で亡くなった。
繁寿司での風景や府中競馬場に連れて行って貰ったときの情景や通夜の情景はまだ記憶に新しい。
ずいぶん年上の大先輩という印象だった。
その歳に自分も近づいたことに驚くのである。

 池波正太郎さんも1990年に67歳で亡くなっている。
20歳ほど年上の先輩たち。
その先輩たちがこの世に別れを告げた年齢にこちらも達したということになる。
諸先輩方の人生に比べてこちらはいかにも小さな一生だったなあと思うことが多い。
同時に大きいとか小さいとか比較する問題でもないよなあ、とも思う。
生き物はある時生れ、ある時に死ぬ。
それが全てではないか、とも思う。
それでいいじゃないか、とも思う。

Yaho2


 66歳の誕生日の前後に以下のような会話があった。

 一つは去年の暮れ、大相撲11月場所篇が12月の忘年会になったとき。
(ふうてんさんはタバコまだやめないの?)
(ええ、どうせドクター・ストップになるでしょうから)
(自主的にやめる積りはない、と)
(そう、タバコを20年以上も吸うとやめても肺ガンになる確率は変わらない、そんな話も聴きましてね)
(そうか、そうかもしれませんなあ、第一、65歳過ぎてドクター・ストップってないかもねぇ)
(ドクター・ストップじゃない?なら何ストップ?)
(それはボーズ・ストップでしょう)
(何やら線香の匂いがしてくるようなストップですなあ)
(その通り)
・・・・
(ちゅうことは、今までやってきた、体に悪いけれど好きだったことは今やめてもしゃあない、死ぬまで続けなされ、いうことになりまんなあ)
(そうなりますねぇ)
・・・
この会話はふうてんの目からウロコの2、3枚を落としてくれた。

 この会話の相手はこのところ文楽へ一緒に行っている近くの3つ年下の友だちである。
2月文楽公演のチケットをゲットしたと2日前に電話を貰った元ベースボール・マガジンのカメラマンである。

 もう一つは昨日のガキとの会話だった。
(お父さんおとついの5日に66になったけどクンちゃん今年いくつになるんだったっけ?)
(29だよ)
(はたち代最後の年になるなあ)
(はたち代とかあんまり意識してないよ)
(お父さんが今の車買ったの29歳のときだった)
(ということは・・・車を買った29歳よりその後の年月の方が長いねぇ)
(・・・考えてみるとそうなるかなぁ・・・)

 ロシナンテを連れに大坂の中古車店へ行ったのが29歳だったとすると、66-29=37
ということになる。
確かにガキの言う通り29年よりも長い年月ロシナンテと付き合ってきたことになる。

 誕生日というのは年月の流れを考えさせられるキッカケになるのだろうか。

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2012/01/01

2012・1・1 久しぶりに第九を聴いた篇

隠宅のお節

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 去年は本当にいろいろとあった。
3・11の大震災、原発事故からそれは始まった。
連日のようにものすごい映像が流され続けた。
12月になっても(震災総集編)のような形でそれは続いた。

 家や車や巨大な船がやすやすと流されていく。
どす黒い波のような流れが次々と農地を飲み込んでいく。
こんな映像は生まれて初めて見た。
それが一年中放映されるので、夏も秋も冬もあまり季節感なく過ごした。
被災を受けた人たちはどんな思いで過ごしているのだろうか。

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 31日の大晦日になってもちっとも大晦日気分になれなかった。
例年なら29日ころから何となく年の瀬という気分になり、30日、31日と正月を迎える気分になっていったものだった。

 子供の頃の29日は餅つきの日だった。
カマドでもち米を蒸して臼と杵で餅をついた。
クチナシの実の黄色やよもぎの葉の淡い緑も入れた。
みんなで、ついたモチをちぎって粉にまぶして丸くまるめた。
中学生のころにはレコードでチャイコフスキーのくるみ割り人形や白鳥の湖、あるいはドボルザークの新世界などを流しながらそういう作業をした。

 ふうてんの記憶ではそのモチを翌日焼いて食べるのが一番おいしかった。
まだ柔らかいようなモチで焼くと本当に薄い皮のようなものが表面にできる。
焼き過ぎないでその皮も柔らかいフワフワの状態のモチを食べる。
それが最高だった。
日にちがたつとその味わいは失われる。
ついた翌日一日だけの味だったかもしれない。
今考えるとソフト・シェル・クラブの味わいに似ているかもしれないと思う。

 所帯を持った若いころは30日にチャップリンやキートンの喜劇を観るのが習慣だった。
当時はまだ映画館で年末年始にかけてそういう喜劇を上映する映画館があった。
チャップリン、キートン、ロイド。
この三人の喜劇王たちの映画はまことに素晴らしかったし今でも凄いと思う。
その一年の憂さを笑いで吹き飛ばしたい。
そういう思いで観客達は集まってくるのだった。
チャップリンは別格としてバスター・キートンやハロルド・ロイドがいかに凄いかはこの時期の映画見物で初めて知った。

 餅つきもないし喜劇映画もやっていないし、震災で大変な年だったし、どうすれば大晦日の気分を思い出せるのだろう?
(嫁さん、ちっとも大晦日いう気ぃせえへんなあ)
(60回以上も繰り返しているせいかしらね)
(確かに珍しさが失われていることは確かやろね)
(子供のころは本当に特別な日だったのに、大晦日と元旦は)
(そやねえ、斎戒沐浴して元旦を迎える、そんな気分があったなあ)
・・・・

 そんな気分のまま大晦日を迎えた。
まあしゃあないか、紅白歌合戦どうなっとんのやろ?とテレビをつけた。
何だか録画をしている風だった。
オヤッ?何か録画予約していた?
それでN響の第九を録画予約していたことを思い出した。

 年の瀬の気分になれないなあと考えていて、そういえばベートーベンの第九もあったなあと思い出してテレビの番組表を見て予約していたのだった。
あの第四楽章の合唱の最後のメロディーが素晴らしい、あれを聴きたいと思って予約したのだった。
紅白歌合戦も始まっていたのだけれど、合唱のほうも切り換えて聴いていた。

(あのメロディーを聴きたい)と思っていたメロディーはエンディング直前の、いわゆる合唱の最後に登場するのだった。
 ロシアかドイツからの老指揮者がN響と国立(くにたち)音楽大学の合唱団と日本人ソリストたちを指揮していた。
最後のメロディーのポイントは女性のソプラノなのだけれど、それを完璧にこなしてくれた。
指揮者もN響も合唱団もソリストたちも良かった。
ソプラノの女性歌手も体格といい張りのある声といい本格のソリストだった。
ベートーベンのこの曲に込めた(歓喜の歌)が聴こえてきた。
震災で亡くなった人たちへの鎮魂の歌のようにも聴こえてきた。

 それでやっと大晦日の気分になることができた。
紅白歌合戦はほとんど見なかったけれど、フト見たときにレディ・ガガが登場した。
おやおやガガさんかいなと見て聴いているうちに、結構やるなあと引き込まれた。
彼女のパーフォマンスを見聞きするのは初めてだった。

 どうも自作自演、シンガーソングライターでもあるらしい。
身振りや打ち出しかたはマドンナに学んでいる。
驚いたのは歌い方がスティービー・ワンダーそっくりだということだった。
彼のソウルフルな体を揺すらせるような歌い方。
祈るような訴えるような叫ぶような節回し。
それも自作の曲で。
すっかり魅了されてしまった。
緑のカツラを着け、ミドリの服に身を包み、妙なサングラスをかけて・・・という外見だけで判断しては間違うかもね、と思わされた。

 去年は最後の最後に第九に救われた。
今年2012年はどういう年になるのだろう。
何しろ福島原発だけではなく日本の政治がメルト・ダウンしちゃった。
溶け落ちた政治が回復するのは時間がかかるに違いない。
そも、日本に政治がまともな時代があったのかどうか。
メルト・ダウンというよりも、もともと溶けていたのかもしれない。
日本は不思議な国だと日本人のふうてんは思う。

 

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