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2011年12月に作成された記事

2011/12/26

2011・12・25 ブルー・レイも悪くない篇

クリスマス・ツリー

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 NHKのBSプレミアムではこのところ昔のいい映画を連続して放映している。

午後1時からとか、夜の10時からとか、時間が一定しないので油断できない。

なるべく毎日(NHKオンライン)の番組表を確かめ、録画したいのは録画するようにしている。

 戦場に架ける橋、アラビアのロレンス、ジャイアンツなどが目白押しに放映された。

また一方では今日で最終回を迎えた(坂の上の雲)の全13回分も放映された。

そろそろブルー・レイに吐き出さないといけない。

(坂の上の雲)は最終回までなかなか見応えがあった。

こちらがスポンサーだからNHKも少しはわきまえているらしい。


 地上波デジタルを機会に買った40インチのソニー製テレビは内蔵ハードディスクの容量も大きいし、ブルー・レイ・ディスクへのダビングも簡単なので便利この上もない。

しかも待った甲斐があってブルー・レイのお皿(25GB)も一枚100円になった。


 大昔(ほぼ30年前)ソニーのβ方式VTRを買って録画を始めたころ、一本のテープが3000円だった。

フジテレビ(東京では8チャンネル)が黒澤映画を放映するというので大喜びでビデオ・デッキを買った。

当時25万円くらいしたビデオ・デッキの店頭品が20万円でありますよと、国立楽器の若いのにそそのかされて、何となく得をしたような気がした。


 それから3年ほどしてβのテープが300本を超えたことに気付いた。
3000円×300本=90万円

デッキを5万円安く買えたと喜んでいて90万円も意識せずに使っている。

人間の心理は怖いなと思った。

デッキは20万円、これを一度で買うには勇気がいる。

テープは一本3000円、ま、小遣い銭で買えない値段じゃない。

ここに人間心理の落とし穴があるんですなあ。


 その一本3000円していたβのテープと同等以上の機能のブルー・レイのお皿が一枚100円。

しかもハイビジョンに近い品質の映画が長さにもよるけれど何本かはいってしまう。

値段が1/30になって画質が4倍になって・・・。

コスト・パーフォ―マンスでいうと、ええ~と、

30×4=120倍 以上

くらいにはなっている。


 ユーザにとってはまことに有り難い。

しかし作る方のメーカにとっては大変なのではないだろうか。

技術的工夫×人件費=1/120

という工夫をせざるを得ない。

だからテープやお皿は日本の工場で作っているはずはない。

今のところ日本と他のアジアの国との人件費は10倍は違う。
タイが洪水に見舞われたら大騒ぎ。

そういう時代になってしまった。

 ブルー・レイに録画する時どうすればいいのか、録画したブルー・レイを見る時どうすればいいのか?も初体験した。

デジタル・テレビというのは大したもので、リモコン一つで大抵の事が出来てしまう。

半年近く前まで使っていたアナログ・テレビとは大違い。

パソコン+テレビ+通信(インターネット)みたいな機能を1台のテレビが持っている。

番組表が出てきて、個々の番組の放映時間や長さが出てきて、録画する容量が分かる。

いきなりこういうテレビを買った人はどういう風に思うのだろうか?

 
2011年は日本では3・11の大震災、原発事故から始まり、いろんなことがあった。
世界ではギリシャが妙なことになり、ジョブスが死んで、キム・ジョンイルも死んだ。
日本だけじゃなく世界の政治も経済も死に体のようになってしまった。
そういう様子を今は新聞じゃなくインターネットとデジタル・テレビでキャッチしている。

 インターネットはアメリカ発だけれど、デジタル・テレビや、ハイビジョンや、ブルー・レイというテレビの最新形を作ったのは日本だった。
薄型テレビ(今は液晶)も日本が先行した。
太陽光発電もシャープなどが先行していたはず。
先行していた技術が後発の国にシェアを取られる事になっている。
・・
日本も先進国になったのだろうか。
嘆く事はない。
むしろ名誉なことなんだ、フォロワーを産むことは。
と、ふうてんは思う。

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2011/12/19

2011・12・18 奈良の写真家(入江泰吉)のこと篇

コナラの紅葉

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 NHKアーカイブスの(あの人に会いたい)はときどき観ていつも感心する。

たったの10分間の番組でいつ放送されるのか詳しくは知らない。

それで時々、アレッと思って出会って、いいなあと思う。

 この間は写真家の入江泰吉(いりえ たいきち)さんだった。

奈良出身の写真家で、(それから)のほかもどり女史から教わった。

番組を観て、なるほどなあ、こういうお人だったんだと感心してしまった。

 奈良出身で、大阪で写真館を開いて戦争時代に空襲で焼け出され奈良へ戻った。

本格的に写真をやろうという気になったのは終戦直後の占領時代だったという。

東大寺の三月堂へ疎開していた仏象たちが戻ってくる。

そのころアメリカが日本の仏像を接収しようとしているという噂を聴く。

無条件降伏だから賠償費用としてそれはあり得ると入江泰吉は考えた。

(俺はカメラマンだ、できることは写真に写して残しておくことではないか)

 それで奈良の仏像を撮り始める。

さらには奈良の四季の風景を撮り始める。

写せば写すほど被写体に教えられるという。

(仏像を写していると、その厳しい表情が、お前何してんだ?と本当に自分の撮影するという行為を、まるであざ笑っているかのようで、見透かされていような気持ちでおいおい恐れを覚えるようになりました。

風景などと違って、お堂にはいって仏様を見たその時の印象というものを、それをなるべく表そうという気持ちを今も私持っております。)

 飛鳥の風景を撮り続けた心境も語っている。

長いけれど引用させてもらおう。

(この場所からながめる情感というものが いわゆる飛鳥古京 あるいはまほろばの 自然 そういう面影がいちばん今も色濃く残していると思うんです ここを探し求めたのも 単に自然を美しいと見るだけではなくて その移り変わりの中にですね 飛鳥の場合は興亡の歴史を感じたり あるいは僕は万葉の世界をも感じてると思うんです つまりそういう歌人の心というものを 単なる侘しさではなく 美しさの中に秘める侘というもの そういものがね やっぱり大和路だと私は思うんです)

(その時代に生きた人々の息吹がこの辺に宿っている)

(これは目に見えない、一つの情緒みたいなものでしょう? 情緒は感じるもので写真では表せないでしょう?)

(でもね そういう不可能なものを可能にしてみたい そういう気持ちでやっているんですよね)

 この入江泰吉と並んで土門拳という人がいた。

奈良の仏像やお寺さんや風景は遠く離れた我々にとって身近なものではない。

お二人の写真によって我々はその一端をかいま見、感じることができるような気がする。

逆にこういう写真家たちの鋭く厳しい審美眼に耐える奈良というのも大したものだと思う。

仏像などもお寺さんへ行ってチラッと見ただけではよく分からない。

しかし写真に撮られたいろんな角度、いろんな照明であぶり出されたその姿。

太古の人の造形力の確かさに驚いてしまう。

 2、3年前に上野の博物館で(日光・月光菩薩象)の展示があった。

二つの立像をあらゆる角度から見ることができる展示だった。

その巨大さ、その造形の確かさ、艶かしさにビックラこいた。

まるで生きているようだった。

同時に近寄り難い威厳を備えていた。

ミロのビーナスとええ勝負やなと思った。

 写真家たちを引きつけてやまない奈良の仏像と風景。

いつまでも残っていてほしいと思う。  

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2011/12/11

2011・12・11 ドナルド・キーンや源氏物語のこと篇

谷保天神を出発するオールド・カー・パレード

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 NHKの歴史ヒストリアで源氏物語のことをやっていた。

いろんなドラマや登場人物をいろんな角度から取り上げていて面白かった。

へぇ~エ、そうだったっけ、そんな話あったかなあ。

谷崎源氏でざっと読み通しただけだから、そんなことの連続だった。

 番組の最後にドナルド・キーンが登場した。

太平洋戦争中(源氏物語)に出会い、彼の人生を変えたという。

戦争のない美しい世界。

若かりしキーン先生、源氏物語にすっかり魅了さてしまった。

(何度読んでも、もう一つ、また一つと新しい発見があります。それが大傑作の定義です)

(当時私は源氏物語に救われました。紫式部に感謝しています)

と彼は結んだ。

 その通りだと思った。

よくもまあこんなに華麗で壮大で深い世界を紫式部は作れたものだと思う。

キーン先生の話を聴いて、ちらっと読んだくらいではストーリすらよく覚えていないのは当たり前だと少しホッとした。

 キーン先生がどうして日本文学、日本文化にここまで入れ込み、東北大震災をきっかけに日本に帰化し日本に永住するためにアメリカの家を引き払って日本へ来たのかという理由が(源氏物語)から始まったことをはじめて知った。

ウィキペディアによると、

(源氏物語との出会いは1940年にニューヨークのマンハッタンにあるコロンビア大学の学生だった彼が、厚さに比して安価だったというだけの理由で49セントで購入したアーサー・ウェイリー訳「源氏物語」に感動)

とある。

 確かに分厚かったに違いない、源氏物語は。

それを49セントで買って読んで、それまでの(漢字)への興味の延長線上で日本にも興味を覚えることになったという。

それから70年ほどたって、その憧れの日本の国籍を取得し永住することになった。

 ふうてんは、文学にはやはり国境なんてのはないなと思う。

ドナルド・キーン先生に谷崎潤一郎のことを教えられた。

テレビの番組でだったけれど(谷崎の最高傑作は瘋癲老人日記です。あれには(軽み)があります。欧州では文学の世界で最上のものはヒューモアがなければなりません。瘋癲老人日記にはそのヒューモアが溢れています)というのを聴いた。

それで早速本屋へ走り読んでみた。

カタカナ表記だったのにはビックラこいたけれど、なるほどキーン先生の言う通りだと感心した。

 ドナルド・キーンは2008年に日本の文化勲章を受賞しているのですね。

こういうお人を顕彰するというのは悪くないと思うし、ある意味日本人以上に日本を愛しているのかなあと思わされるところがある。

日本人以上に、本当の日本の本質、他の国と比べての魅力というのをご存じなのではなかろうか。

よくある話だけれど、自分のことはよく分かりませぬからねぇ。

ドナルド・キーンという他人さまによって、日本人は鏡を見るように気づかされたところが随分あるのでは・・・。

 ふうてんは何のためらいもなく(ドナルド・キーン先生)と呼びたいのであります。

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2011/12/04

2011・12・4 坂の上の雲(第3部 完結篇)が始まった篇

桜通りの秋

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 坂の上の雲の第3部(完結篇)が今日から始まった。

いよいよ日露戦争の開始である。

2年ほど前から始まったこのNHKのドラマを全編観ることになった。

 原作者の司馬遼太郎さんのことや坂の上の雲については何度か書いたかもしれない。

(竜馬が行く)を国立の書店で手にしてチラッと読んで、こりゃダメだと司馬アレルギーが始まった。

歴史小説というジャンルなのだろうか。

時代小説というジャンルもあるらしい。

 

 歴史小説というのは何しろ歴史に基づいているから、歴史上の実在の人物が登場する。

坂本龍馬が登場して黒船を見て(ごっつぃのう)という風なセリフを吐く。

ふうてんは大いなる違和感を覚えた。

実在の人物を、見てきたような扱いをするのは妙だなあと思った。

池波正太郎の(仕掛け人・藤枝梅安)で梅安が(彦さん、俺はもう長くないような気がする)(梅安さん、俺もだよ)というのとは訳が違う。

こちらは時代小説というらしい。

 

 それから随分たって、梅原猛さんが(司馬さんの最高傑作を僕は(殉死)だと思います)ということを言っていることを知った。

それで念のため読んでみた。

なるほど悪くない、よく出来ている。

乃木希典という人物のことを、その人生のエッセンスだけを簡潔にまとめて描いている。

特徴だけを引っ張りだして分かり易い表現で伝える、という司馬遼太郎の手法が分かったような気がした。

 

 また数年たって、念のため(坂の上の雲)だけは読んでみようと思った。

文庫本で7~8冊だったろうか。

読んだ理由は何しろ秋山兄弟というのは伊予松山の唯一の有名人なのである。

伊予の出身のふうてんとしては前から気になっている小説だった。

読み始めて面白くて最後まで一気に読んでしまった。

子規やら漱石まで登場して、松山も舞台として登場する。

日露戦争の始めから終わりまで、乃木希典のあり方も含めて、そうだったんだと感心した。

 

 ただし(歴史小説)であるらしいからどこまでが(史実)でどこまでが(小説)なのかは判然としない。

そこのところは違和感なしとしないけれど、何しろ伊予松山出身者たちの演じたドラマであるから虚実はどうでもよろしい。

虚であったとすれば、よくそこまで騙せたなと感心する。

実であったとすれば、ようやったなあと感嘆する。

いずれにしても司馬遼太郎さんに導かれるまま楽しんで読み終わることができた。

 

 テレビドラマの(坂の上の雲)は最初にカシャッという音がしてモノクロの映像で秋山兄弟と正岡子規が松山城に駆け上り記念写真を写すところから始まる。

このシーンは何度見てもいいと思う。

ナレーションが(彼らは、明治という時代人の体質で、前のみを見つめながら歩く。登ってゆく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみを見つめて坂を登ってゆくであろう)と重ねる。

 

 登場する秋山兄弟、広瀬武夫、子規、漱石の年譜と日露戦争は以下のようである。

秋山 好古(あきやま よしふる)

185929安政617- 昭和5年(1930114

秋山 真之(あきやま さねゆき、旧字体: 秋山 眞之)

1868412慶応4320 - 大正7年(191824

正岡 子規(まさおか しき)

18671014慶応3917 - 1902明治35年)919

夏目 漱石(なつめ そうせき)

186729慶応315 - 1916大正5年)129
広瀬武夫(ひろせ たけお、旧字体: 廣瀨武夫)
1868716慶応4527 - 明治37年(1904327
日露戦争(にちろせんそう)

1904明治37年)28 - 1905(明治38年)95
 
 これを見ると秋山好古だけは別格としてあとの四人は1867、8年生まれ。

1904年の日露戦争開幕のときは揃って36、7歳だったことになる。

(子規はその2年前に亡くなったけれど)

みんな明治時代の始まるころに生まれた明治維新の戦後っ子だった。

ふうてんのような昭和の戦後っ子が36、7歳のころは・・・。

1946+36=1982年

そのころ日本にもパソコンという新しい波が押し寄せ始めていた。

35歳くらいの我々は勇躍世界に乗り出して行ったものだった。

・・・

 

 明治という時代は坂本龍馬など、30歳前後の若者たちで切り開かれた。

そして明治時代、維新の戦後っ子たちが日露戦争までは頑張った。

日清、日露の戦争に勝って、その後の体たらくはご存じの通り。

中国に進出して無謀な戦争を仕掛け日本をゼロ・クリアしてしまった。

昭和の戦後っ子の我々が35歳だった1980年ころ日本の高度成長がピークになり、世界中に押しかけ、1990年ころバブルがはじけて(失われた20年)が始まった。

 

 やはり歴史は繰り返すものなのだろうか。

明治維新から日露戦争までのあの時代も一種のバブルだったのだろうか。

夏目漱石は(現代日本の開化)という明治44年の講演でこのことを鋭く指摘していた。

漱石は明治の文明開化を(外発的な開花であって自発的のものではない)と嘆いていたようだった。

自発的な(開花)は200年、300年かけて自然に起こるものである。

それを明治維新があったからといって30年でやろうとした。

その漱石の嘆きは昭和の戦争で実証されたように思う。

 

 司馬遼太郎さんの(坂の上の雲)。

日本人としてはいろんなことを考えさせられますなあ。

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