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2011年8月に作成された記事

2011/08/29

2011・8・28 NHKの100年インタビューを観た篇

芙蓉Fuyo

 このあいだ書簡集でマスターとこんな会話を交わした。

 

(マスター、今年の夏は本当におかしいね。今日なんかもう盆も明けたのに何だろうこの蒸し暑さ。異常気象というか平年並みというのとあまりに外れているねぇ)

(平年並み、というのはもうないんじゃないですか、毎年異常だからむしろこれが平年並みかも)

(そうか、異常なのが当たり前、今年も異常だったから平年並み、と)

なんだか禅問答みたいなやり取りになってしまった。

 この一週間、テレビで二つの印象的な番組を観た。

NHKの(100年インタビュー)という番組だった。

(各界の著名人・文化人に毎回登場してもらい、100年後の日本人に見てもらえる、100年後も色あせない人生観を語ってもらう。)

とNHKの能書きにあった。

 

 2007年からNHKの(デジタル衛星ハイビジョン)で毎月1回放送されていたらしい。

それが今年の8月からNHKBSプレミアムで放送されることになった。

ふうてんの家でもテレビとアンテナがそれに対応できるようになったので見ることが出来たのだった。

 一人は96歳のジャーナリスト(むのたけじ)さん。

もう一人は99歳の映画監督(新藤兼人)さん。

お二人のこれまでの生きざまと変わらぬ信念に感服してしまった。

明治45年と大正4年生まれのお二人だから日本の戦争時代と戦後の高度成長時代、バブル時代、さらにその後の失われた20年を過ごしてこられた。

(そして今どうお考えですか?)というインタビューになる。

 むのたけじさんは戦争末期4年間ほど朝日新聞で中国、東南アジアの特派員を務め、戦後すぐに朝日新聞を退社し秋田で「たいまつ」という週刊新聞を始め、30年間それは続いた。

中国、東南アジアでの戦争のありさま、現地の状況をつぶさに見た。

メディアの人間として当時のメディアの報道ぶりは我慢できなかったに違いない。

しかし、それしか出来なかったとも語っていた。

 むのさんは今の日本について二つの印象的なことを語った。

一つは自分でやって自分で責任を持つということを忘れてしまったということ。

文明の発達のせいもあって、自分で苦労しなくても誰かがやってくれる。

不具合が生じると誰かが悪いと文句を言う。

一つは今日本には新しい日本人が育ちつつあるという。

インタビュアーが(どうも今の若い人は覇気がないような気がする)と持ちかけたときだった。

 

 むのさんは今の20歳以下の人たちはこれまでの日本人と違ってきたという。

(相手が年上だからとか親だとか教師だとか、要するにこれまではそういう斜め目線で自分が見られているという意識があった。しかし今の20歳以下の若い人はそういう意識がないように思う。年寄りと若いのと、親と子と、教師と生徒と、男と女と、という意識ではなく、同じ人間同士という対等な意識を持っている。)

 このセリフを聴いてふうてんは少し勇気づけられた。

若い頃考えたことがある。

(組織の中での付き合い方としては立場をわきまえないといけない。しかし一対一のときは対等ではなかろうか。会社の社長さんであろうと床掃除のおばちゃんであろうと一対一のときは普通の人間同士として威張りたくもないし卑屈になりたくもない。親しみをもってお付き合いしたい)

 

 65歳まで対人関係ではこれを意識してやってきた。

ま、考えてみれば当たり前のことではあるのだけれど。

むのたけじさんが敢えてそういう話をしたのは、そうではない人たちも結構いる、ということなのかもしれない。

 新藤兼人さんは(裸の島)という映画で世の中に登場した。

瀬戸内海の小島で夫婦が水を担ぎ上げて山の上の畑に水をやる。

そのシーンが延々と繰り返される。

静かな音楽が流れ、セリフは一切ない。

1960年に作られたこの映画はモスクワ国際映画祭でグランプリを獲得し一躍時の人となった。

 今回の番組で始めて知ったことがあった。

山の上の乾いた畑の土に水がしみ込んでいく。

(あの乾いた土は人の心なんです)

と新藤兼人はいう。

そういう風に観ていなかったこちらはちょっと驚きドキリとした。

注がれる水を心に必要としている人々が世間には満ち満ちている・・・ということなのだろうか。

 番組の最後に(日本はあと100年持ちますかねぇ?)と問われた新藤兼人はこう応えていた。

(日本人は強いですよ。お母さんに対する尊敬の念と奥さんに対する愛情。これがあれば絶対に大丈夫です)

番組を見終わってこの話を女房にした。

(結局そういうことよね)

と女房はすぐに応えた。

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2011/08/22

2011・8・21 ブリア・サヴァラン・美味礼讃のこと篇

8月のドングリDonguru2

 3週間ぶりに女房と繁すしへ出向いた。

お盆休みを兼ねて、繁さん、白内障の手術を受けたのである。

手術そのものは10分ほどだけど前後合せて3時間ほどかかったという。

うまくいったらしく、まことに元気そうだった。

聴くと白内障の手術は目のレンズを入れ換える手術であるらしい。

手術の時には(まばたきをさせない装置)とかも使うらしい。

お医者さんを疑うことも多いのだけれど、やはり医学は進歩しているねぇ、という話になった。

(繁さん、魚の生きの善し悪しは目を見て分かる、いうよね)

(単純じゃないですがね)

(繁さんこれから築地で魚見て、こいつ白内障の手術が必要だ、とかいうんやろねぇ)

・・・

で大笑いになった。

 久しぶりにブリア・サヴァランの(美味礼讃=味覚の生理学)を読み直した。

もう20年くらい前になるけれど、開高健をよく読んでいた時期があった。

この(美味礼讃)は開高健に勧められて読んだのだった。

そのころは一番仕事に熱中していた時代でもあったような気がする。

電車通勤だったので、池波正太郎と開高健の文庫本は欠かせなかった。

ふうてんの読書歴は25歳から60歳くらいまでの(電車通勤)の歴史と重なっている。

 東京に流れてきてから、住居も職場も少しは変化したけれど、大体同じ地区にあった。

通勤時間は片道1時間前後だった。

そうすると、まず片道30分くらいは本を読む。

あとは流れゆく外の景色をボ~ッと眺めたり、眠り込んだりであった。

一時期はサンケイ・スポーツや夕刊フジにご執心だったこともあった。

 この(通勤途中の読書)の中で登場した一冊がブリア・サヴァランの(美味礼讃)であった。

開高健にはいろんな本を(これ読みなさいや、読まんと損するでぇ)と勧められた。

彼はサントリー時代、広告・宣伝部長として大活躍してサントリー・ウィスキーを世に広めるに大いに貢献したと言われる。

彼の代表的なキャッチ・コピーにこんなのがあった。

「人間」らしくやりたいナ

トリスを飲んで「人間」らしくやりたいナ

「人間」なんだからナ

 トリスというのは当時のサントリーの一番安いウィスキーで、ふうてんなど中学生のころポケット壜を買ってきてコッソリと飲んでみた記憶がある。

中学生でも買えたのだから安い酒だったに違いない。

それを開高健は大宣伝して、町々に(トリス・バー)というのを出現させた。

 それまでは(バー)というと飲み屋の中でも何となく高級な店だった。

静かな店にはいると重厚なカウンターの向うに別嬪のママさんか、あるいは難しげな顔をしたマスターがいて、ギムレットですか?とかいって若いバーテンダーがシェーカーを振り始める。

とても一般庶民のはいれる場所ではなかった。

 それを(トリス・バー)は変えたのではないかと今にして思う。

トリスというのは安いけれどまずまず飲めるウィスキーだった。

それに炭酸水(ソーダ)をぶち込んで(ハイボール)と称して飲ませた。

これだと何杯でも飲めるし、勘定も気にしなくていい。

翌日、安酒故の二日酔いが待っているけれど、当日はそんなこと考えない。

それでトリス・バーは日本の北から南まで広がっていった。

これが今一般的になっている(カラオケ・スナック)の始まりではなかったかとふうてんは思う。

 こういう有能な宣伝マン開高健に(これ読みなさいや)と勧められて、こちらはコロリとその気になってしまった。

例えば以下のようなのがある。

(アンリ・ファーブル 昆虫記)

(アイザック・ウォルトン 釣魚大全)

(ブリア・サヴァラン 美味礼讃)

(袁枚 えんばい 随園食単)

(アーネスト・ヘミングウェイ 短編集 これは英語で読むんやでぇ)

今気づいたけれど、イギリス、フランス、中国、アメリカ産であった。

それと、鳥獣虫魚に関する本ばかりのようでもある。

 どれもこれも(大したもんやなあ)と思った。

ふうてんにとって開高健はいい道先案内人だったように思う。

 ブリア・サヴァランの美味礼讃について書き始めて開高健の話になってしまった。

今回は(美味礼讃=味覚の生理学)の予告編で勘弁してもらうしかない。

本編はいろいろ書くことが多くて長くなり過ぎるので。

ただこの本に関して何も書かないのは申し訳ないので訳者の冒頭の解説の一部を紹介しておく。

(原標題は「味覚の生理学」と言い、「超絶的美味学の瞑想」という副題がついているばかりではなく、さらに、「文学や科学のもろもろの学会の会員たる一教授からパリの美食家にささげられた、理論と歴史と日常の問題を含む書」と付記されている)

とある。

 さすがは(哲学の国フランス)で生まれ育ち活躍したブリア・サヴァランらしい触れ込みではなかろうか。

初版が出たのは1825年。

1789年のフランス革命からいくらもたっていない。

サヴァラン自身革命の余波に捲き込まれてアメリカへ一時亡命を余儀なくされたりしている。

 そういう激動の時代に平気な顔をして(人間にとって食とは何か?)を書き続けていたらしい。

そういうのをまとめて一冊の本にし、本が出た翌年の1826年に70歳で死んだ。

この(味覚の生理学)は今でも版を重ねつつ出版されていると聴く。

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2011/08/14

2011・8・14 戦争の記憶篇

花と蝶Hanacho_3
 
 毎年お盆のころになると昭和の戦争の記録がテレビで流れる。
昭和(1926年~1989年)の始まったころは戦争の時代だった。
一番ひどかった太平洋戦争が終わったのが1945年8月15日。
ふうてんなどの世代はその頃に生まれた。

 その戦争が終わってもう66年になる。
当時20歳だった人は今86歳。
戦争の実体験の記憶はあと10年か20年で確実に消え失せる。

 この(戦争記念番組)が年々少なくなる。
20年以上前だけどアメリカに出張したとき、テレビで戦争ものばかりやっているので、どうしたことだろう?と驚いたことがある。
しばらく見ていて気づいた。
ああ日本の夏と一緒だ、戦争の記念番組をアメリカでもやるのだ、と。
但しあちらでは(戦勝国)としての記念番組のようだった。

 今年はNHKが(何故日本は戦争へ突入したのか)みたいな題名のシリーズをやっていて、少しだけ見ることができた。
番組は断片的にしか見なかったのだけど、最終章の(何故日本は真珠湾攻撃に踏み切ったのか)を見ていて、ふうてんなりに分かったような気がした。

 発端は勿論明治維新の開国にあり、拡大主義に転じた日本は日露戦争をやり朝鮮、中国へ侵攻していった。
何十万という兵士が送り込まれ、兵士だけではなく家族も向こうで生活するようになる。
ふうてんのオヤジは満州鉄道(いわゆる満鉄、今の人は知らないだろうけれど)に関係する仕事をしていて一家は奉天(ほうてん 今の瀋陽)に住んでいたらしい。
ふうてんの4歳年上の姉は奉天で生まれた。

 武力を持って外国へ出かけ、植民地化したり、奴隷をかっぱらったりするのは、西洋列強の得意技だった。
15世紀末になって、スペイン、ポルトガル当たりはアメリカ大陸や南アジアの未開発な民族を襲った。
イギリス、オランダ、フランスがそれに続いた。
そして次々と南北アメリカやアジアのいろんな国々を植民地化していった。
1900年当時、植民地化されていなかったアジアの国はタイと日本だけだったという。

 いい気分でいたところ、真似のようなことをする輩が現れた。
それがドイツと日本だったとふうてんは思う。
西洋列強はこれらの新参者に勝手なことをさせる訳にはいかない。
それで連合を組んで、一応第二次世界大戦でこれらの輩の野望を終わらせた。

 日本は何故真珠湾攻撃に踏み切ったのか。
結局、当時の日本は国家の体をなしていなかったからだとふうてんは思う。
自国と外国の力関係や付き合い方を見通す主体がなかったのではあるまいか。

一国の親分を誰にして国家の運営をどのようにしていくか。
大正、昭和、の時代はそれを見失っていた時代だったし、平成の今もそうではなかろうか。

 一応明治時代は天皇が国王としての権威を保っていた。
乃木希典(乃木大将)の殉死(明治末年)はその権威の失墜の象徴的な出来事だった。
それ以降、大正、昭和、平成と日本では誰が親分なのか分からない時代が続いているようにふうてんには思える。

 今のところ日本の親分はアメリカなのだろうか。
沖縄で基地を提供し、アメリカの核の傘の下にはいり、様々な交易や金融でお互いの経済を支えあっている。
どちらが親分かというと、あちらさんに決まっている。
去年自民党から民主党に政権交代したとき、民主党政権は、これからはアメリカ、中国、ロシアと対等な付き合いを行う、従って沖縄基地は縮小していくと宣言した。
日本が(親分)とそんな話をしているとすぐに中国やロシアとの国境当たりで、ここはわが国のものだという中国やロシアのアピールが続いた。
それもあってか、今のところ沖縄基地はそのまんまで縮小の気配もない。

 戦争というのは何なのだろう?
その遠因は結局は食料とエネルギーという人間が生きていく上で必須なものの争奪戦なのだろうか。
エネルギー(石油)を締め上げられたから日本はやむを得ず真珠湾攻撃に踏み切った、そうせざるを得なかった、だから締め上げた方が悪い、などという説すらある。

 もうそろそろ人類は気づいた方がいいとふうてんは思う。
人間が生きていく上で必須なもの、食料とエネルギーを自給自足できるようにすること。
それが戦争回避の唯一の手段であることに。

それに気づくだけの十分に長い時間と、様々な過酷な体験を人類は経てきた。

 日本の国防費を(食料とエネルギーの自給自足)に振り向けても世界の誰にも文句を言われないと思う。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)200968日に発行した資料によれば、世界の軍事費ランキングは次のとおりだとか。

1位 アメリカ合衆国 
6,073億ドル
2位 中国      849億ドル
3位 フランス    657億ドル
4位 イギリス    653億ドル
5位 ロシア     586億ドル
6位 ドイツ     468億ドル
7位 日本      463億ドル

 円高になったから今は4兆円弱ですか日本の軍事費は。
親分のアメリカは50兆円弱のようで。
世界各国ぜ~んぶ合わせたら100兆円くらい軍事費に使っている。
毎年ね。
これだけの予算を世界の国々で(食料とエネルギーの自給自足)のために使えばかなりのことが出来るはず。

 もったいないなあ。

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2011/08/08

2011・8・7 箱根周遊 乗り物篇

芦ノ湖Ashinoko

 このところの天気は目まぐるしく変化する。

今日など朝は晴天、真っ青な空に真っ白の入道雲。

まことに真夏らしいと思っていた。

ところが午後になって雲が押し寄せ暗くなってきた。

 カミナリがゴロゴロと鳴り始めた。

かなり近くにドシンッと落ちる。

今日は夏休みと決めていたので朝から飲んで昼寝をしていた。

カミナリがあまりにもうるさいので目が覚めた。

目が覚めると女房が、テレビもエアコンも扇風機もパソコンも止まっちゃった、という

 まだカミナリは鳴り続けていた。

面白かったのは東西南北回るのである。

東に落ちたかと思えば次は南。

グルグルと周りに落ち続けた。

 ふうてんはカミナリが嫌いではない。

ピカッと光って数秒たってドシンッの大音響。

一種のカタルシスを感じる。

 しかし今日のように、遠くの方でゴロゴロと鳴り続ける、ドシンッと決めることもめったにない。

こういうメリハリのない、けじめのつかないカミナリは勘弁して欲しいと思った。

だらだらとゴロゴロやり続けられると、ええ加減にせえよ、と言いたくもなる。

国立地区では午後から夜半までずっとカミナリが鳴り続けた。

 7月の23、24日に富士山のすそ野小川別邸でのいつもの会合があった。

ビデオ・カメラを友人のホンダ・レジェンドに忘れてきたりして報告が遅くなった。

 今回はいつもの箱根めぐりを(乗り物篇)でやってみたいと思った。

そのメニューは以下のようであった。

・国道1号線の宮ノ下でホンダ・レジェンドを駐車場に預ける

・路線バスで元箱根へ

・元箱根から海賊船で桃源台へ

・桃源台から早雲山までロープウェイ

・早雲山から強羅までケーブルカー

・強羅から宮ノ下まで箱根登山鉄道

 宮ノ下へ舞い戻って、ホンダ・レジェンドで裾野小川別邸へ向かった。

乗用車、バス、船、ロープウェイ、ケーブルカー、電車。

6種の乗り物の旅であった。

レジェンドの主は海賊船やロープウェイや箱根登山鉄道は初めてだったらしい。

 

 なかなか愉快な(箱根周遊の旅)となったのだった。

(ふうてんアーカイブス)

2011 7月 箱根周遊 乗り物篇

海賊船1 

Fune_1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海賊船2Fune_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大涌谷Owakudani  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

箱根登山鉄道Tetsudo  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別れの朝Asa

 

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