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2011年7月に作成された記事

2011/07/31

2011・7・31 戻り梅雨とは?篇

夏の花 ムクゲP7300062_3

 

 この一週間ほどは涼しくて助かった。

この間テレビで(戻りガツオ)という言葉が聴こえたように思った。

(戻りガツオ?それは早いなぁ、まだ早すぎるよ)

と不思議に思っていると(今年は戻り梅雨になったようで、梅雨前線が・・・)などとテレビは報道し続ける。

 

 戻りガツオというのは北へ行ったカツオが南へ戻ってくるのを捕まえる脂の乗ったおいしいカツオである。

繁すしで初めて知った。

カツオは(たたき)といって表面を炙って食べるやり方もある。

ニンニクやらネギを刻んだのやらを混ぜて食する。

 この(たたき)と違って、単なる刺身で食べる方法もある。繁すしでは初ガツオも戻りガツオも単なる刺身で食べさせる。

 初ガツオを単なる刺身で食べると(鰹節)のことを思い出させる味がし、ふうてんは好きである。

戻りガツオを刺身で食べると濃厚な(赤いトロ)といった味がする。

 

 テレビで報じていたのはカツオの話ではなくて梅雨の話だった。

 

(戻り梅雨)・・・なかなかいい表現だなと感心する。

日本語には季節とか気候とかに関する微妙な表現の言葉が多いと言われる。

それだけ四季の変化が世界の中でも特異な国なのだろうか。

 春夏秋冬が明確である。

太陽の光と雨の具合が春夏秋冬の彩りを決定する。

日本の緯度と太平洋に面している島国という特性が日本の四季を決定づけている。

いい国に生まれたなあと思う。

 

 (戻り梅雨)・・・(戻り青春)なんてものはないのだろうか。

遅れてきた青年、とか遅すぎた青春とかいう言葉は聴いたことがある。

ここは一つ、(戻り青春)という言葉を流行らせてみたいなと思う。

還暦をとっくに過ぎて、遅れてきたとか、遅すぎたといっているバヤイじゃない。

(時空を超えて、戻る)しかないのではなかろうか。

 

 流行らせる前に、まずは自分でコッソリと使うことにしてみようかな・・・などと。

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2011/07/25

2011・7・24 地上波アナログ放送が終わった篇

 1953年に始まった日本のテレビ放送が2011年7月24日の今日大きな変化の時を迎えた。

アナログとかデジタルとか言われても一般の人にはピンと来ない。

NHKなどでは、アナログ放送からデジタル放送への切り換えについて、いろいろと苦労して説明をしてきたけれど、結局は何のことか分からないまま、テレビを買い換えたりアンテナを変えたりして自宅でテレビを見られるようにするしかなかった、という人が殆どだと思われる。

 ふうてんなどもその一人であって、理屈はよく分からないまま、テレビを買い、アンテナを変えたりした。

こういう時は電気屋さんも大変だと思った。

アンテナの工事の人も大変だと思った。

(アナログとデジタルってどういう意味なんです?)

なんて質問されたら、まず答えようがない。

 テレビの前に、実は電話がデジタル化されてきた。

携帯電話がいつ頃から普及したのか定かでないけれど、デジタル化はかなり早かったと思う。

電話より先にデジタル化されたのがオーディオだったかも知れない。

1980年代初頭にレコードがCDになって、あれは記録方式がデジタルなのである。

そしてカメラがデジタル化された。

(アナログフィルム)なんていう言い方もあった。

 そういう30年ほどの歴史を経て、テレビ放送の完全デジタル化で家庭での通信やオーディオやビデオや写真を含め、全てが(デジタル)になった。

テレビ、電話、オーディオ、カメラ・・・これらは一体何なのだろう?

要するに目に見えるもの、耳に聞こえるものを記録したり再生したり伝えたりする手段ということになる。

 アナログからデジタルへの変化には(電気)とか(コンピュータ)とかが深く関わっている。

目に見えるもの、耳に聞こえるものを、それが発生した現場で見聞きするだけではなく、いかにその場にいない人に伝えるか。

そのためにカメラのようなものが登場し、やがて動く写真つまり映画が発明された。

音に関してはレコードが登場し、伝えるために電話や放送が発明された。

 目に見えるもの、耳に聞こえるもの、そういう人間が(感知するもの)を伝えるのがメディアである。

扱う対象は(人間が感知するもの)であって実体のある(物)ではない。

 そこに(電気)やら(コンピュータ)やらの忍び込む余地があった。

電気やらコンピュータやらは目に見えない。

どうせ目に見えないのだから(アナログ)だろうと(デジタル)だろうと使う方にとっては知ったこっちゃない。

 今年は福島原発で大きな事故があっていまだに解決のメドがたたず大変な目にあっている。

原子力というのは何しろ(原子)の世界であるから目に見えないものを扱う。

同じ年に(目に見えないアナログ放送からデジタル放送への移行)と(目に見えないエネルギー源使用の可否議論)が起こっている。

 どうも文明の歴史もややこしい時代を迎えたなあと思う。

 ちなみにテレビのアンテナを光ファイバーにした隠宅で摩訶不思議な現象が起こった。

三人家族でテレビは3台使っていて、2台はデジタルに変えた。

あと1台をアナログからデジタルに変えるのどうしようかと迷っていた。

数日前から、そのアナログテレビでデジタル放送が見られるようになったらしい。

(どうしてだろう?)

(どうもデジタル放送をアナログの信号に変えて光ファイバー経由で送っているらしいよ)

(となると今までのテレビで平気でデジタル放送が見られる?グーグルに聴いてみよう)

(あったよ、こんなのが)

 

『また、「フレッツテレビ」は、地デジ放送をアナログ変換(デジアナ変換)したチャンネルも放送しており、従来のアナログテレビでもそのまま視聴が可能です。この地デジ放送のデジアナ変換のサービスは、20153月まで継続する予定ですから、現在所有しているアナログテレビもそのまま視聴することができます。』

 こうなるともう何のことやらサッパリ・・・。

今回はMuBlogのMu大兄にお叱りを受けそうな(英語→カナ文字)ばかりの記事になってしまった。

ま、何でも表記できる便利な日本語の(片仮名)ありきのお話でありまして・・・と小さくなるしかございませぬ。

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2011/07/17

2011・7・17 ハイビジョンは老人福祉?篇

アジサイAjisai

 梅雨が明けて猛暑の夏が来た。

7月の半ばにもう真夏、というのは珍しい。

カンカン照りの昼間は用事がない限り自室に籠もっている。

それでも光とか湿度とか匂いとかで(ああ夏休みの季節だなあ)と感じさせられる。

 夏休みというのは学校時代の記憶ではないだろうか。

小学、中学、高校、大学。

それぞれに夏休みの記憶は様相が違ったように思う。

学校へ通うのが当たり前の学生という身分。

それが学校へ来なくていいよ、と言われるのが夏休みだった。

 今から考えると何故夏休みはあるのだろう?と不思議にも思う。

ひょっとしたら先生のための長期休暇なのだろうか?

それでは生徒のための説明にならない。

生徒の為にもっと積極的な理由があるのではなかろうか。

学校というのは、そも生徒のためにあるのだから。

 しっかりとした理由があった、と今では振り返ることができる。

学生時代の、特に中学生以降の一カ月以上の夏休みというのは貴重な時間だった。

毎日を自分の好きなように過ごすことができる。

(言われたから、決められているから、そうしました)

という言い訳ができない。

(自分の好きなように時間を使いなさい)

と言われて一カ月以上を過ごすことになる。

 学生時代というのは一般的には親のスネをかじっている時代である。

つまり金を稼ぐ為の苦労はしなくても生きて行ける時代。

となれば(好きなように時間を使いなさい)と言われると自然、遊びのことばかりを考える。

自分の一番好きなことばかりで時間をうっちゃろうとする。

 中学、高校時代はまだ受験という重石(おもいし)を抱えていた。

大学へ行くとその重石はなくなった。

糸が切れたタコのようになっても無理からぬところがある。

ふうてんのバヤイもその例にもれず、松山で深夜オートバイ競走(狂騒)をやって死にかけたこともあった。

 今年の夏はハッキリと梅雨明けをしてくれて、いかにも夏らしい夏となった。

それでこんな昔のことを思い出している。

 

 40インチのテレビを買ってから一カ月近くになる。

この間書いたけれど、アンテナは光ファイバーである。

コナラの葉っぱがどんなに繁ろうと、大雨が降ろうと、カミナリが鳴ろうと平気である。

 NTTのどっかの基地でテレビ用の信号を受けて光ファイバーで流しているのだろうか。

テレビ放送の発信元からどのようにして各家庭まで(テレビ電波)が届くのか、ふうてんはよく知らない。

電気屋として40年ほど働いてきたふうてんでもよく分からない。

ましてや一般の人には今の(地上波デジタル)とか(BSデジタル)とかは何のことかサッパリ分からないと思う。

 理屈は分からないとして、テレビの映像の進化は悪くないと思う。

25年ほど前に、東京の成城学園にあるNHK技研で初めてハイビジョンの映像を見た。

(視覚型)であるらしいふうてんにはショックだった。

映画館でしか観られなかった鮮明な映像が40インチほどのブラウン管の中で動いている。

数メートルの距離でそれ見ることができる。

(ひょっとしたらこれは老人福祉になるかもしれんなあ)

と思った。

後楽園球場へ行かなくても阪神巨人戦を観られる(当時東京ドームはなかった)。

吉野へ行かなくても吉野の千本桜の花見ができる。

体が不自由になった御老人にとって悪くはないテクノロジーの進化ではなかろうか。

 それから25年ほどたって、こちらもシッカリと老人になった。

NHKの山川草木、鳥獣虫魚の番組を観ることが多い。

確かに(これは老人福祉だ)とニヤニヤしている。

(ふうてんアーカイブス)

2011 梅雨も明けて 隠宅のアジサイは二つしか花をつけなかった

大きなアジサイAjisai_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さなアジサイAjisai_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向うにサルスベリAjisai_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クロちゃん?Ajisai_4  

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2011/07/10

2011・7・10 梅雨は明けたけれど篇

ミツバチHachi

 東京でも梅雨が明けた。

いつもの年より10日ほど早いのではなかろうか。

チャリで女房と繁すしへ向かう時、入道雲が見えた。

真っ青な空に真っ白の入道雲。

この数年なかったような気がする。

 梅雨明けの日にちに関してはハッキリとした記憶がある。

大学一年生の夏休み、帰省して宇和島の友だちを訪ねた。

瀬戸内の静かな海で伝馬船に乗っていた。

ゆらりゆらりと波に揺られながら空を見上げると真っ青だった。

(梅雨が明けたようやなあ)

(今日は何日やろ)

(え~と、7月20日、ちゃうか)

そんな会話を友だちと交わした。

 この友だちとは中学、高校、大学と一緒だった。

京都の大学へ行ってから親しくなり、ジャズとフラメンコに二人で熱中した。

この男と出会わなかったらジャズやフラメンコにどれほど入れ込んだかは疑問である。

(ああいうのを見つけた)

(こういうのがあった)

と話し合うことで世界が広がり深まる。

一人だとそうはいかない。

 一度など大坂のタブラオ(フラメンコ酒場)まで一緒に出かけたことがあった。

レコードで聴いていたあるギタリストが来るという噂を聞きつけたのだった。

大阪駅からもほど近い四橋(よつはし)にその店はあった。

そのギターと相棒のダンサーが演じた(ファル~カ)は最高だった。

ファル~カというのはフラメンコの定番の曲の一つで、闘牛士を模したものだと言われる。

この四橋の店のことは逢坂剛の(カディスの赤い星)という小説にも出てきて、10年ほど前に鎌倉大明神に勧められて初めて読んでビックラこいた。

 結局この友だちが通っていたフラメンコ・ギター教室へも誘われて通うことになった。

宇治に住んでいた酒井先生だった。

・・・ここまで書いて、念の為グーグルに聴くと、何と、先生まだ現役でやってはる。

先生のことを紹介している記事によると御歳80、白いヒゲを蓄えた懐かしいお顔も拝見できた。

当時は四条河原町近くにギター教室を構えていた。

今は宇治のご自宅でやっている、という風にこの記事から読み取れた。

一度この宇治のお家も訪ねたような記憶がある。

近くに川が流れていたような印象があるのだけれど、あれは宇治川だったのかもしれない。

 梅雨は明けたけれど、日本の政治はまだ真夜中のようだ。

(杉作、日本の夜明けは近いぞ)

と言った鞍馬天狗の出番は当分先のようではある。

 この間の東北大震災で福島原発がメルトダウンした。

原発のメルトダウンというのは(文明)の中で最悪の事態、事故である。

文明であるからして天災ではなく人災であるところが悲劇的なのだと思う。

MuBlogのMuさんが(遺伝子と原子核はいじっちゃダメ)とおっしゃっている。

いじった挙げ句に人々は大変な目に会うことになった。

 どうもメルトダウンしたのは原発だけではなく日本の政治のようだ。

今年の梅雨は明けたけれど(日本の夜明け)はいつになるのだろうか?

(杉作、しばらく我慢しろよ)

とでも言っておくしかないのだろうか。

(ふうてんアーカイブス)

2011 7月 ハナとミツバチ

ブッドレアHana  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミツバチその1Hachi_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミツバチその2Hachi_2_2  

 

 

 

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2011/07/04

2011・7・3 Bフレッツからフレッツ光ネクストへ篇

電柱(電信柱)に登ってHikari

 金曜日にNTT東日本の光ファイバー関係の業者が来た。

地上波デジタル対応のアンテナをどうしようか迷っていたのである。

 一カ月くらい前に、屋根の上のアンテナを見てもらった。

地上波デジタル用と衛星デジタル用のアンテナを屋根の上につけるとどうなるか?

業者が来て、屋根の上に登り、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、今のいろんなアンテナとアンテナからのケーブルがどのように屋内に引き込まれているか確かめていた。

 地上波用のVHFとUHF、それと衛星用のパラボラ。

屋根の上に上がるのに長~いハシゴを使う。

便利な道具があるものだなあと感心しつつ、危なくってしようがないので、登るときにハシゴを押さえておくのを手伝ったりした。

業者の若いのが屋根へ上がってからもスベリ落ちないかとハラハラしながら見守った。

 いろいろと見た結果、電波はテスト用のアンテナを立ててみないと、どこまで保証できるか分かりません。

衛星のパラボラまで含めると費用は8万円ほどです。

ということだった。

 問題は衛星放送用のパラボラだとふうてんは思っていた。

20年以上前から衛星放送は受信してきた。

困るのは天候の変化に弱いことであった。

大雨が降ったり、カミナリが鳴ったりすると画面が乱れる。

近くをヘリコプターや飛行機が飛ぶとやはり乱れる。

 あれこれ考え合せると、やはり光ファイバーの方が無難かなと思った。

インターネットとテレビを一本の光ファイバーに委ねることに不安もある。

しかし、この梅雨の時期、BS放送が隠宅のパラボラ・アンテナだとしょっちゅう乱れる。

しかもコナラの枝が伸び、葉が繁ってなおさら乱れる。

やはり光ファイバーにするしかないか・・・。

 それで、NTT東日本の光ファイバー班に来てもらった。

これまでBフレッツというインターネット用のファイバーは使ってきた。

このファイバーにテレビ電波も乗っけてもらえばよろしいはず。

光ファイバーの終端装置を新しいものにし、そこから各部屋へのテレビ電波を逆流すればよいはず。

今までの屋上のアンテナからの集合・分配装置の配線をちょこっと変えればよい。

工事時間は30分もかからないのではないか。

そんな風に気楽に考えていた。

しかしそれは甘かった。

 3時過ぎに隠宅のインターフォンがピンポ~ンと鳴った。

何故か二人連れだった。

ふうてんの部屋にある光ファイバーの引き込み口や終端装置を見たあと、屋外の方をまずやりますと言う。

(屋外の配線も変わるの?)

(ハイ、回線が変わりますから)

(???)

(インターネットだけとテレビ混みとでは回線が違うんです)

(ということは近くの電柱に登って?)

(そうなんです)

 オヤオヤとふうてんは思った。

今から電柱登って線をつなぎ変えて、しかる後に屋内の配線やら終端装置やらを変えて、伝送チェックをして・・・。

光ファイバーの回線を変えると今まで繋がっていたインターネットがどうなるかも分からない。

インターネットの無線ルータとの相性は大丈夫だろうか。

それらがクリアされたあと、じゃあテレビ受信はという順番になる。

30分では終わりそうにないなと2本目のビールを開けた。

 結局この日は午後3時ころから9時半くらいまでBフレッツからフレッツ光ネクストへ切り換えるまでの工事に付き合うことになった。

ビールだけではなくウィスキーも飲むことになった。

ことの顛末のつづきは次週ということにさせてもらおう。

(ふうてんアーカイブス)

2011 梅雨のころ NTT東日本が来た

光ファイバーの回線変更その1Hikari_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Hikari_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Hikari_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その4Hikari_4  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その5Hikari_5  

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