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2011年2月に作成された記事

2011/02/28

2011・2・27 東風吹かば篇

湯河原の梅園Yugawara

(東風吹かばにほひをこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ)

と詠まれたのは菅原道真の没後100年ほどのころだったと聴く。

2、3日前に春一番が吹いた。

(桜はまだかいな)

という声も聴こえて来そうな季節となった。

 土曜日に湯河原(ゆがわら)へ行った。

学校の先輩でもあり会社の先輩でもある先輩(同義反復の繰り返し?)が招いてくれた会合だった。

5、6年前に湯河原に別邸を構えたという話は聴いていた。

その別邸への初めての訪問だった。

 湯河原というのは東京駅から東海道線で1時間半ほどのところにある。

小田原まで新幹線で行けば1時間で行ける。

初めて小田原から在来線に乗って湯河原へ向かった。

山の方ばかり見ていたのだけれど、ふっと振り返ると明るいブルーの海が見えた。

オヨヨ、山もあるけど海に面していたんだ、と驚いた。

小田原に近づく新幹線の窓から遠くに霞む富士山を眺めていて、山の方にしか気が向いていなかったのだった。

 湯河原に向いながらもう一つ驚いたのは、真鶴、湯河原、熱海の駅が連なっていることだった。

真鶴も行ったことがある。

熱海も行ったことがある。

湯河原は初めてである。

その3つの場所が隣接し合っていたとは・・・。

 人はある目的を持ってある場所へ行く。

その場所、場所が離れているのか近くなのかはあまり意識しない。

そういうことなのだろうなあと、納得しながら、

熱海←湯河原→真鶴

のカンバンのある湯河原駅に到着した。

 湯河原というとふうてんなどにとっては何といっても伊丹一三の(お葬式)の舞台となった伊丹別邸である。

その場所がどこなのか山口夫人に確かめないまま湯河原へ来てしまった。

もう遅い。

導かれるまま、待ち合わせたみんなが5人でバスに乗る。

 たどり着いた湯河原の梅園は宏大な梅園だった。

老木も混じってはいるけれど新しい木が多いように感じた。

能書きを読むと、30年ほど前に作られた梅園だった。

谷川の片側に広がる梅園を左に上り行き着いたところから右側へ登っていく。

白梅、紅梅、椿、白紅混合の梅の木もある。

あと20年もすれば貫祿のある梅園になるだろうなぁと思った。

 先輩の別邸にたどり着いてからは昔の仕事仲間だからどうしても仕事の話になった。

30年ほど前に一緒にパソコンを作っていた仲間たち。

その当時の思い出話。

そして今は。

話し始めるとキリがなく、夜は更けて行った。

 翌日曜日の昼過ぎに国立へ舞い戻って、一休みしてから谷保天神の梅まつりを冷やかす。

こちらはまことにこじんまりとした歴史の古い梅園で、梅まつりにはいろんな演し物がある。

この日記でも何度か報告した。

 東風吹かば にほひをこせよ 梅の花

  主なしとて 春なわすれそ

 そういう春がめぐってきたようだ。

 湯河原と国立の(梅花の饗宴)の模様は来週あたり報告したい。

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2011/02/21

2011・2・20 白川静の世界篇

Feat_img_011別冊太陽より

 三寒四温の季節となった。

天候がめまぐるしく変化する。

繁寿司でもそういう話題になった。

(夜星がでて、明日はいい天気だろうなと起きてみるとすごい雲ですものねぇ)

(そういうことが多いですねえこのところ)

 

 以前MuBlogのMu大兄が(イギリス紳士は天気の話しかしないそうだ)と書いていた。

それは平和の証だろうか。

それとも政治や宗教の話になるとあまりにもヤバイことになる、ということなのだろうか。

今はアラブ方面でも日本でも政治、経済はまことにややこしい。

 白川静と梅原猛の対談集(呪の思想)を読んでいる。

何年か前に買って積んでおいたのがひょっこりと見つかったのである。

(呪 のろい)と言われるとおだやかではない。

どういう話が展開されるのだろうか。

 本の冒頭に(白川静の学問)という章がある。

同じギリシャ哲学でも(アポロン的な世界)と(ディオニュソス的な世界)がある。

と言ったのはニーチェだった、から始まる。

前者は理性的で合理的な精神世界。

後者は情熱が溢れ出るような熱狂の世界。

白川さんの世界はどうも後者ですなあと梅原猛が言う。

 そういう梅原猛自身決してアポロン的な世界の人ではない。

つまりこの本は(二人のディオニュソス的な狂狷)の対話集なのである。

白川静は(孔子伝)でそれまでの孔子像をくつがえした。

梅原猛は(隠された十字架)で法隆寺は聖徳太子の鎮魂の寺であると唱えた。

両方ともそれまでの(常識)とは全く異なった説だった。

その二人が話し始めるとどういう会話が展開されるのだろう?

 白川静は漢字の研究を通して(文字)というものの果たしてきた役割をいろんな角度から分析して見せてくれる。

そもそも文字というものは何の為に発明されたのだろうか。

文字を持った民族と持たなかった民族がいる。

それぞれの民族はどういう歴史をたどったのだろう。

そういう話題を二人の狂狷(きょうけん 狂犬??)が丁々発止語り合う。

 言葉というものに興味があるふうてんにとってはこたえられない本である。

お二人とも写真で見ると(鬼瓦)のような、味わい深いお顔をされている。

看板に偽りなし。

そういう言葉を思い出してニヤニヤとしてしまった。

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2011/02/14

2011・2・13 雪が降った篇

隠宅の雪Yuki  

 この冬はじめての雪らしい雪が降り少し積もった。

庭師は昼間から降り積もる雪を見て、ャだな~積もったら、と嘆く。

昨日新しい花をいくつも植えたばかりなのに、と。

 

 翌朝、ベランダや屋根には雪が残っていたけれど地面の雪は消えていた。

(やはり地熱というのがあるのかなあ、九州の新燃岳では噴火しとるもんなあ)

と、理屈にならない理屈で納得しようとする。

 今日の日曜日は快晴で、もう春の光に包まれている、という感じだった。

東京の(バカッ晴れ)の季節は終わった。

これから東京でも天気予報を気にしなければならなくなる。

降ったり晴れたり。

寒くなったり暖かくなったり。

三寒四温と古人はうまいこといった。

 エジプトの政変は興味深い変化だと思う。

2001年のニューヨーク事件以来、21世紀はキリスト教文明とイスラム教文明の衝突になると予測されてきた。

アフガニスタン、イラクで戦争があり、イラン、パキスタンが、きな臭い。

サウジアラビア、エジプトは静かにしていると思っていた。

ところがエジプトである。

 今日のニュースでエジプト、イスラエル、イラン周辺の地図が映された。

アラブ圏の中にポツンとイスラエルがある。

イランの大統領が、これからイスラムの地にはアメリカもイスラエルもいなくなる、と叫んでいた。

歴史音痴のふうてんではあるけれど、エジプトの政変をきっかけに、モーゼの出エジプト記などのことを思い出させられた。

 紀元前3000年も前に国家を作り文明を作ったエジプトが今こういうことになっている。

そのころの日本はどうだったのだろう?と考えると、ボ~っとなってしまう。

それからの5000年。

世界中が変わってしまったのだろうか。

 これからの日本はどうなるのだろう?

という議論がこのところ盛んなような気がする。

そんなことあなた、エジプトだって悩んではるんや。

紀元前3000年にピラミッド作ったお国や。

文字かて発明したお国や。

当時日本ではお魚ちゃんでも獲っとったんやろか。

山でイノシシやらシカやら獲っとったんやろか。

小さな島国でやってきたんや。

これからもそれで行けばええやないか。

外国こましたろ、思うたらアカン。

 という風なことを、NHKの国会中継を見ていてアレコレ考えた。

日本の政治は今ヨレヨレなのかもしれない。

日本の経済も失われた20年の果てにボロボロかもしれない。

そうではあるけれど、まだ一度も植民地化されなかった国土に住んでいる。

回りを海に囲まれ、台風の雨に恵まれ、山ばかりの恵まれた環境である。

生き物の最も必要とする(水)に囲まれた国土なのである。

これに太陽のエネルギーを少しだけ戴けば生きていかれる。

太陽の光は一杯あるけれど砂漠ばかり、という環境よりは恵まれている。

 雪が降ったついでにアラブ方面の砂漠のことも考えてしまった。

(ふうてんアーカイブス)

2011 立春のころ 隠宅の雪

隠宅のビワとお隣さんの屋根に雪がYuki1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コナラYuki_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

方丈の庭Yuki_3  

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2011/02/07

2011・2・6 二月文楽公演につき篇

二月文楽公演チラシBunraku_2

 今年も二月文楽公演で住大夫-錦糸コンビを聴くことができた。

チケット入手の顛末は先週に報告しておいた。

11列36番の席は素晴らしい席だった。

 2時半開場だから、1時に家を出ればいいと思っていた。

1時が近づいてきて、時間がなくなってきたので、開演までに間に合えばいい、開演は何時だったっけ?とチケットを見た。

 2:30という数字が見える。

いつも不思議なのだけれど、チケットの文字がやたらと小さいのである。

さらに一行下により小さい文字で2:00という数字も見える。

ン?これは一体・・・。

よくよく見ると、2:30開演、2:00開場と書かれていた。

2時半は(開場)ではなく(開演)だった。

(文楽のお客さんは眼の遠い人が多いはず。チケットの文字もう少し大きくしてくれないかなあ)などとブツブツ言いながら大急ぎで出かける用意をする。

1時13分南武線矢川駅発の電車に乗らないと間に合わない。

南武線武蔵溝ノ口駅で半蔵門線直通の田園都市線に乗り半蔵門駅着が2時17分。

急ぎ足で国立劇場小劇場へ向かう。

 ビールを買って飲む時間はない。

念の為に持って行った(ジョニー・ウォーカー黒ラベルのポケット瓶)が役に立つ。

一口、二口飲みつつタバコを吹かす。

全く、酒飲み、タバコ飲みは面倒くさい。

いくら時間がなくてもセレモニーはこなさねばならない。

セレモニーをこなさないと事が予定通りに進まない。

 開演間際に11列36番の席にたどり着く。

壁際だから中の通路からはいるのはやっかいだなあと思っていた。

しかし会場へはいると壁際にちゃんと通路があった。

その通路から行けば誰にも迷惑をかけずに席に着ける。

席について、一口ジョニー・ウォーカーを飲む。

一番右端の席だから、あまり酒の匂いで迷惑をかけることもなさそうだ。

やがて二月文楽公演第二部(菅原伝授手習鑑)が始まった。

 最初は謡い5人、三味線5人で始まった。

オヤオヤと思いながら謡いと三味線の演奏振りをつくづくと見る。

11列36番の席からは三味線がすぐ前に見え、その向こうに謡い、ずっと向こうに人形が同じ姿勢で、首を振ったりせずに、よく見える。

三味線は一人の年配のリーダーみたいなのと四人の若い人であった。

3本の弦と左手と右手と右手に持ったバチと。

それらを使ってどのようにああいう音を出すのかよくよく見る。

 この席に座ってジックリと見て、いろいろ分かったことがあった。

一つは前から疑問だった、パチッというような硬い音と、柔らかな音との弾きわけ方。

ふうてんはこれをギターでいう(アポヤンド)と(アルアイレ)の違いではないかと思っていた。

フラメンコギターでは弦を押さえるように弾き、そのまま指をギターの腹に押しつけるようにする弾き方を(アポヤンド)という。

弦を引っ掻いてその指を空中に漂わせるのを(アルアイレ)という。

この二つの奏法で同じ音(音程)でも音の感じ、サウンドは全く違ってくる。

クラッシックギターのことは知らないけれどフラメンコではアポヤンド奏法が結構多い。

 11例36番からジックリとそれを見た。

三味線は指ではなくバチで弦に触るのだから、その違いを見分けるのは難しかった。

しかし、やはり想像していた通りだなと確認することができた。

バチを腹に触れるまで強く押す。

バチを腹に触れる前に空中に漂わせる。

この違いが音の違いとなって現われて来る。

 不思議だと思うのだけれど、楽器とはもともと不思議なしろものである。

三味線やギターは右手と左手を使って音程や音色を決める。

ではピアノはどうなのか。

音程はピアノという楽器で決まっていて弾き手は変える事ができない。

(ド)のキーを押せば(ド)の音が出る、はずである。

ところがその同じピアノを使っても弾き手によって奏でられる音楽は全く別物となる。

同じ楽譜を使って同じピアノで弾いても、である。

 そんなことを目の前の5人の三味線の弾き手は思い出させてくれる。

弾き方の秘密は分かった。

もうこれ以上聴く必要はない。

それで席を離れて、案内所で聴いた。

(住大夫さんは何時くらいから?)

(え~と、ああこれです、4時17分からですねえ)

時計を見ると3時過ぎだった。

 1時間以上時間がある。

さて、どうしよう。

案内所の人に聴く。

(タバコ飲み場ってありましたっけ)

(出て右の、大劇場のところの・・・)

(ああ思い出しました、そういうところあったねえ)

・・・

タバコ飲み場からは内堀の向こうに皇居の森が見える。

内堀通りを行き過ぎる車の音が絶え間なく聴こえて来る。

内堀通りと内堀の間にある空間を沢山の人が走っている

 では一つ皇居見物でもしようかと歩き始めた

半蔵門濠という文字が見える。

半蔵門近くの内堀をそう呼ぶらしい。

しばらく歩いていくと半蔵門があった。

警備の警官のようなのが見えるけれど、その門に近づくことはできない。

警備員の屯所のようなのが内堀通りにあり2、3姿は見えた。

そこを行き過ぎると(千鳥ヶ淵公園)になる。

・・・

 皇居の回りをしばらく歩いて、沢山の(マラソン人 五輪真弓の恋人よ、の言い方)を見た。

土曜日の午後3時すぎである。

沢山の人が、ランニング・スタイルに身をかためて走っている。

その回りは内堀通りがあって車がひっきりなしに走っている

マラソン人たちは車の排気ガスを吸いながら、コンクリートの上を走っている。

(健康のために)

なのだろうか。

 席に戻ると、一人の謡い、一人の三味線が始まった。

鶴澤清志郎という三味線がなかなかいい線をいっているようだった。

この人は上で書いた(アポヤンド奏法)を上手に使っていた。

そしていよいよ住大夫-錦糸の番となった。

場内がシーンとなり、(スミダユー)の大きな掛け声が二つかかる。

 ウ~ン。

この二人は違うなあ。

違い過ぎるなあ。

と改めて実感する。

謡いには地があり各役柄がある。

地で舞台進行役を勤め、役柄で登場人物を演じる。

住大夫さんは地の語りのとき本人の顔をする。

役柄を演じるとき、まるでその役になったような顔の表情で語る。

5歳の少女にもなる。

死にかけた80の老爺にもなる。

40のマジメだけど無粋なサムライにもなる。

50の意地悪のオババにもなる。

その使い分けが徹底している。

 それに野澤錦糸くんの三味線がからむ。

陰に陽に三味線のサウンドやときにウナリのようなのも混じって来る。

語り(謡い)の住大夫さんは(床本)をめくりながら語る。

三味線の前に(楽譜立て)はない。

文楽の三味線は全員、楽譜を見ずに演じ続ける。

1時間でも2時間でも、楽譜も見ずに舞台の人形も見ずに演じ続ける。

聴こえて来るのは(謡い)の声だけだと思う。

三味線の視線は・・・客席に向かっているか、閉じているかである。

客席に向かって開かれている視線も、おそらく何も見てはいないのだろう。

 人形遣いたちには謡いと三味線は聴こえて来る。

謡いが議事進行役なのだと思う。

第一(謡い)も舞台を全く見ていない。

住大夫さんが語り、錦糸くんが合せ、人形は安心して演じる。

人形側の唯一の自己表現は、ドンドンという床を叩く音かもしれない。

出て行くとき、歩くとき、そういう動作の変化のときに、舞台の下でドンドンと音を出す。

人形は笑うときも怒るときも音を出して表現はできない。

従って、ここで笑ったとかここで怒ったとかは(謡い)や(三味線)には伝わらない。

ドンドンドンという床を叩きつけて(踏みしめて)音を出すのが人形側の唯一の仲間への自己主張のように思えて、ほほえましい。

 住大夫さんを見て聴いた翌日の今日、繁寿司で村ちゃんに会った。

ベースボールマガジン誌のカメラマンをやっていた男である。

(昨日住大夫さん聴いてきました)

から話が始まった。

 文楽の話をできる友人はこの村ちゃんしかいない。

よほど特殊な世界なのだろうか、文楽は。

あるいは友だちの範囲が狭いのだろうか、ふうてんは。

いずれにせよ、村ちゃんと話し始めるとキリがない。

この人は歌舞伎にもずいぶん通じている。

文楽が先輩であり歌舞伎はその後をなぞってきたことも知っている。

歌舞伎が先にやって文楽が真似をしたシーンもある。

そういうことを教えてくれる、国立の愉快な仲間である。

3月5日から始まる、文楽の先人たちを扱った映画の上映会のチラシをもらった。

住大夫さんの先輩たちも登場するという。

DVDなども用意されていないだろうか?と聴くと、村ちゃんは、当然、という顔をした。

 大相撲がなくなったり、文楽が演じられなくなったり・・・そういうのは望ましくない。

政治でも経済でも文化でも自然でも(外来種)というのがハバをきかせる傾向はやむを得ない。

やむを得ないのだけれど、何とか持ちこたえる手だてはないのだろうか。

 世界でも珍しい人形劇である文楽。

チョンマゲとフンドシしか強制しない大相撲。

こういう日本文化が永続することをふうてんは願っている。

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