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2010年11月に作成された記事

2010/11/29

2010・11・28 富士山を堪能した篇

富士山Fujisan

 いつものように市が尾でホンダ・レジェンドに拾ってもらった。

裾野の小川別邸はもう雪かもしれない。

今回は富士山の五合目を攻めてみようということになっていた。

 市が尾から東名に乗り、いつものようによしなしごとの話に耽る。

(菅内閣の支持率が低いですねえ)

(僕は日本人何考えてんだと腹立つんですよ)

(というと?)

(だって去年の総選挙で政権交代させたんでしょう?)

(そうでしたねえ)

(今年の参議院選挙で民主党が負けたらネジレになるじゃないですか)

(そのようになりましたなあ)

(政権交代させたのならその政権に何年かやらせてみないといけません、ぼくら夫婦は民主党でいいかどうか分からないけれど、ここは我慢してやらせるしかないと、参院選挙でも民主党に入れたんです)

(それは一つのロジックですねえ)

(ネジレにさせたのは日本の国民ですよ、国会運営が行き詰まってメディアはこきおろしているけれど、そうさせたのは我々国民なのですから、何だか妙な話ですよねえ)

(確かにこれまでの自民党の長い政権にアキアキして交代させたのにねえ)

(こんどはその交代して誕生した民主党の政権をこきおろして喜んでますねえ)

(日本人て、マゾなんとちゃいますか?)

(いかに今の政権が外交、国防でダメかあげつらって喜んでいる)

(この間の深夜のテレビ番組で、女の評論家が、日本は本当にダメな国です、と嬉しそうにいうてましたね)

・・・・

(たとえば中国やロシアの軍事費のこの数年の伸びが著しい。対して日本は少ない、と)

(じゃあ、核軍備までやりますか?とその評論家にだれかが質問しました)

(お返事は?)

(いえ私は核を持てとは言いません、核保有の議論をすべきだと言いたいのです)

(議論ですか)

(日本はダメだというのなら、どうすべきだと言わないとねえ、議論していてもしようがない)

(核兵器なんて本当は良くないのだから、日本は反対だと堂々といえばいいのにねえ)

(そうですよ、国連でも、各国との交渉でも、しつこく、しつこく(核はやめなはれ)と言い続ければええんとちゃいますか?)

・・・

(それと、憲法9条を変えないと軍備を強化出来ないというのも変な話ですね)

(あれは、事に備えて用意することを禁じてはいませんよねえ)

(国際紛争の解決に軍事力を使わない、と規定しているだけですわねえ)

(自国の防衛には当然軍事力が必要なときには使っていいはずですよねえ)

(宇宙開発を進めて相手の状況をよくよく知る、いうのは必要ですなあ)

(オヤ?ミサイルの準備しているなあ、日本向いてるようやでえ)

(そういうときは先制攻撃せんと日本守れませんねえ)

(それは憲法9条に違反するんやろか?)

・・・

 いずれにしても、日本はこう思うからこうする、と世界にアビールすればよろしいのではないか、で意見が一致した。

黙っていて、事が起こった後、ああ思っていた、こう思っていたというのはよろしくない。

・・・

 などと話しているうちに東名御殿場で降りて冨士スカイラインにはいった。

5合目を攻めたかったのだけれど、御殿場口でも冨士の宮口でも5合目への道路は閉鎖されていた。

冨士スカイラインの途中にある駐車場から富士山を眺めると、5合目の当たりまで雪が積もっていた。

これじゃあ道路が閉鎖されるのはやむを得ない。

5合目は来年の雪解けを待って試みるしかない。

 富士山の南東の山麓に(大沢崩れ)がある。

いつだかここがかなりの噴火をしたらしい。

冨士スカイラインの途中の駐車場から、この大沢崩れをまことにリアルに見ることができた。

その一端を以下に報告しておく。

(ふうてんアーカイブス)

2010 初冬 富士山

大沢崩れOosawa  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5合目Gogome  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チーズ・フォンデュFondu_1  

Fondu_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でかいDekai  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藤圭子Fujikeiko  

 

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2010/11/22

2010・11・21 ソクラテスの弁明を読んだ篇

桜通りの紅葉Sakura_tori  

 一瞬だったけれど、今年の桜通りは見事に紅葉した。

猛暑が続いて、10月になっても緑のままだった。

11月の始めに急に寒くなった。

いつもはバラバラバラと木によって勝手に色づき散っていく。

今年は(待ってました)とばかりに一斉に紅葉したのだった。

 家の庭師に言わせると、たいてい桜は10月中に紅葉し、散っていく。

そのあとに銀杏が色づいてくる。

今年は、桜が紅葉真っ盛りの先週あたりから銀杏も色づき始めた。

そのかわり国立では今年モミジとハナミズキはさっぱりダメだった。

サクラとイチョウが良かったので胸をなでおろした。

 本の連鎖ということを時々この日記に書いたような気がする。

何か読んでいて、その中で他の本とか作者のことが話題になっているとそれを読んでみたくなる。

岡潔の(春宵十話)を読んでいてドストエフスキーの(白痴)を読むハメになり、結局(カラマゾフの兄弟)やら(罪と罰)まで読むことになった。

その岡潔が小林秀雄と対談した(人間の建設)を読むと、小林秀雄がプラトンなんていいですよ、難しい言葉を使わずに国家とは何かを語っているのですねえ、という。

 プラトン?

ギリシャ哲学やったなあ。

そういえばギリシャ哲学の本は一冊も読んだことがない。

小林秀雄がそうおっしゃるなら一つプラトンでも冷やかしてみますか。

と、神保町の三省堂書店で岩波文庫のプラトンの本をアレコレ見ることになった。

ついでにグーグルにプラトンとは何者かを聴くことにもなった。

 こういうときにはグーグルのウィキペディアはまことに手っとり早く知りたいことを教えてくれる。

プラトンはソクラテスの一番の弟子であった。

中でも(ソクラテスの弁明)(クリトン)はソクラテスの死の間際のありさまをよく表現している、らしい。

それで岩波文庫の薄い一冊を買って読んでみたのだった。

告発されて裁判でソクラテスがどのように弁明したか。

死刑判決を受けてソクラテスがそれをどのように受け入れたか。

まことに分かり易い言葉で生き生きと描かれている。

 ソクラテスという人は紀元前400年ころの人だったとウィキペディアは教えてくれる。

彼の歴史上の最大の貢献は(抽象概念の明確化)であるらしい。

言葉で表現されるあらゆることの意味を突き詰めて問うた人だったらしい。

逆に言うとそのころまではまだ言葉の定義が極めて曖昧なものであった、ともいえる。

定義をハッキリしないまま、医者はなんとか、大工はなんとか、まではいいのだけど、では職業とは何か?という抽象的な言葉について当時の人は考えようとしていなかった。

 ソクラテスの弁明を読んでふうてんは目からウロコが何枚かとれたような気がする。

ソクラテスの時代から2400年ほど。

今でも(抽象概念の明確化)は難しい。

具象と抽象と。

同じ馬でも大昔は(馬)という言葉がなかった。

四つ足の速く走る動物がいた。

(茶色の、速いやつ)

(白い、速いやつ)

と呼ばれていた。

ある時期、ひょっとしてこいつらは同じ種類の動物ではないか?

と人間は気づいて(馬)と呼ぶことにした。

具象から抽象へのジャンプの第一歩がこれなのですなあ。

(この馬のたとえは若いころSIハヤカワの(思考と行動における言語)という本で読んだ)

 ソクラテスの弁明。

いい本に出会った。

(ふうてんアーカイブス)

2010 晩秋 国立のサクラの紅葉

桜通り         

Sakura

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩道Hodo  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学通りDaigakutori  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学の銀杏と桜Daigaku  

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2010/11/15

2010・11・14 今年はドングリが異常に少ない篇

ドングリの孤独Kodoku

 今年は猛暑が続いたので山に食べものが少なくなったという。

それでドングリを食べられなくなったクマたちが里へ降りてきた。

挙げ句に人間に噛みついたりするのも出たらしい。

 クマというのは野生動物の象徴のような存在だった。

食物連鎖でいうと最上位の、動物では熊、鳥ではワシタカ。

そういう野生の王者たちはめったに人前に現われるはずはない。

その最上位にいるクマたちが人里へ降りてくる。

数百頭、おそらく千頭以上の(ツキノワグマ)が今年、自然死以外の死を迎えた。

絶滅危惧種のツキノワグマがそういう運命を迎えている。

 他人事のようにこのニュースを聴いていた。

猛暑のせいでドングリが少なくてクマがエサを求めて人里へ降りてくる?

猛暑なら太陽の光がサンサンと木々へ降り注いで植物たちは元気一杯だったはず。

光合成にとって猛暑とは恵(めぐみ)だったのではなかったのかしら?

なのに、どうしてドングリが少ないのだろう。

 気がついてみると隠宅のコナラのドングリも今年は極端に少ないのである。

大抵はこの11月、紅葉の季節になるとコナラのドングリが落ち始める。

寝室の南のベランダへ、バシーン、バシーン、ゴロゴロゴロとうるさいくらいにドングリが落ちる。

その音が今年はたまにしか聴こえなかった。

ふうてんはある日我が家の庭師に聴いた。

(今年はドングリの落ちる音が聴こえないけど猛暑のせいかねえ?)

(猛暑のせいもあるのかもね、でも今年はその前にコナラの花が少なかった)

・・・・

 今年はコナラの花が少なかったという。

コナラの花というのは花とも言えない花なのだけど(何のこっちゃ?)、そういう花らしきものがつく。

この日記でも1年前か2年前に紹介した。

その花が今年は少なかったと我が家の庭師はいう。

さらに庭師は、花が多い、少ないは繰り返すともいう。

つまり年によって一様ではないという。

コナラが花をつけるのは5月ころの梅雨前だから夏の猛暑以前の話ではある。

 しかし、それにしても今年のドングリの少なさはふうてんにとっては初体験である。

いつもの年の十分の一、いや百分の一くらいな印象である。

これじゃあドングリを主食とする動物たちにとってはたまらない、はず。

今年のクマちゃんたちの話だけではなく、この数年日本では山にいたはずの動物たちが人里に降りてきて物議をかもしている。

サルが人を襲ったりする。

イノシシが畑を荒らしたりする。

シカだって黙っちゃいない。

 こういうニュースを聴くたびにふうてんは思う。

日本の農林水産省は何をしてきたのだろう?

山がどうなっているのか、野がどうなっているのか、川がどうなっているのか、海がどうなっているのか。

そういうことを、時間軸上で正確に把握して対策を施す。

それが農林水産省の役割ではなかったかしら。

その為に我々は税金を払ってきたのではなかったかしら。

ツキノワグマに人間とケンカさせてはいけません。

そういうときの行司役が農林水産省のはず。

 日本の農業や漁業や林業の落ち込みと(ツキノワグマの出現)とは同根なのですね。

自然というものを忘れちゃってバーチャルなゲームに耽る日本人。

・・・

俺たちもそのことをそそのかしてきたのかなあ。

コンピュータという文明の利器。

ふうてんなども、よかれかしと思ってその進化に協力してきた。

その結果、ツキノワグマが人里へ降りてきちゃった。

 還暦を過ぎて、今年の秋もいろいろ考えさせられることになった。

いろいろ考える中に、先進国はどうしているのだろう?というのがある。

悔しいけどイギリスなぞは、農林水産省は環境省と一体になっているのですねえ。

農林水産業というのは環境とか景観とかと一体のものである。

従って、食料だけのものではない。

自然との付き合いとか、その中で育まれた人間の歴史とかと関係している。

だからわずかの土地で収穫が少なくても、景観や環境に寄与する営為であればそれに見合う収入を保証する。

省庁を一体化することで税金をそういう風に使うことができる、という次第。

 あちらでは農林水産業という一次産業に関して既にそういう施策をやっているのですね。

菅直人さんがtppのことを(黒船だ)といわはりましたが、江戸末期の時のようなそういう黒船は既にやってきていると、ふうてんは思う。

いつも外国から黒船がこんと分からんのかいな、と、はがゆいですなあ。

関税ゼロなんて当たり前の話じゃないの。

米(アメリカではなくコメ)の関税率700%で、米の減反を強制し、学校給食でパンにした麦を食べている。

本末転倒の国と言われてもしゃあないですわねえ。

 明治維新を賛美する(龍馬伝)が終わりますね。

日本を変えちゃる、という坂本龍馬の精神はまことに今日的なテーマでもありますなあ。

変えちゃるいうても、別の日本人になれるわけやおまへん。

上士、下士とかの固定観念がアカンと龍馬はいうてはるのですね。

同じように日本とか外国とかの固定観念がよろしくない。

日本人は日本人でよいのです。

米の産地なのに無理をして麦を食べている。

米、食べんかい。

そうしたらパスタ喰うてるイタリア人と対等に付き合えるんや。

逆にパスタ喰うて喜んでいる連中に米のメシ強制したらアカン。

 そう龍馬は訴えているようですなあ。

というか、これから現われる(龍馬)はそういうでしょうね。

今年の龍馬伝の龍馬はスパゲッティ喰ったことあったのかしら?

(ふうてんアーカイブス)

2010 晩秋 隠宅のコナラ ドンクリが極端に少なかった

光と影Kage  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仲間が少ないなあDonguri_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひょっとして一人? Donguri_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとに一人っきりDonguri_3  

 

 

 

 

 

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2010/11/08

2010・11・7 天下市のころ篇

大学通りTenka  

 秋が深まった。

今日は(立冬)です、とNHKの天気予報のときに聴こえてきた。

立冬?この間までは猛暑だったのに。

今年の気候は全く異常だった。

 先週のある朝、信じられないようなニュース映像が飛び込んできた。

中国の漁船が日本の海上保安庁の船にぶつかっている。

2001年のニューヨークの貿易センタービルの映像に近いものがあった。

現実とは思えない映像が普段見ているテレビで流れる。

 ざわざわとした世の中になったなあ。

そろそろソフト・ランディングのことを考えないと、という年代にさしかかっている。

出来ることならおだやかにすませたい。

いろいろあったけれど、最後はおだやかに、と。

それなのに、どうも簡単にはそうさせてくれそうもない。

 秋晴れの土曜日、大学通りへチャリで出向いた。

国立の天下市が始まったのである。

春は梅まつりと桜まつり。

秋は何といっても天下市。

国立の(ヘソ)である大学通りを歩行者天国にして市民が集まる。

 今年は何という人出なのだろう。

毎年多くの人が集まる。

しかし、30年ほど見てきたけれど、こんなに多いのは初めてである。

大学通りも、大学構内も、人、人、人であふれていた。

 その人の多さに驚きながらふうてんは思った。

(今年はよほど不景気なのだ)

(不景気な時、人々は賑わいを求める)

(家にいてもしゃあないし、遊びに行く金もないし)

(そうだ 天下市 いこう)

 そういうことで国立市の近隣の人々が集まった。

北方四島、尖閣諸島、竹島、沖縄。

どこもかしこもザワザワとしている。

いいじゃないか。

みんなで出かけて天下市を楽しもうよ。

(ふうてんアーカイブス)

2010 晩秋 国立の天下市

その1大学通りIchi_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2昼間の露店Ichi_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3夜の露店Ichi_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その4Ichi_4  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その5歩行者天国Ichi_5  

Ichi_52  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その6演し物Ichi_6  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その7ちぢみ店での女房どのIchi_72 Ichi_71

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2010/11/01

2010・10・31 青春時代?篇

ほととぎすHototogisu  

 妙な天気がつづく。

このところすっかり春や秋が短くなってしまった。

一番過ごし易く楽しいはずの春と秋。

それが無くなってしまって夏と冬ばかり。

夏には(冷房あるいは除湿)冬には(暖房)

一年中エアコンをつけねばならない。

 昨日(除湿)で冷やしていた部屋を今日など(暖房)にする。

一日で10℃という温度変化が平気でやってくる。

普通、動植物は1℃の温度変化でも苦痛なはずなのに。

これでは海のお魚ちゃんたちもたまったものじゃない。

今日、繁さんが嘆いていた。

(魚がいやぁしないんですよ、サッパリだめですね)

(ああ台風が来ましたものねえ)

(それとこの不況でしょう、持ってけ持ってけ言うんですよ)

(ああ、築地も今は厳しいでしょうなあ)

(そうなんですねえ、持ってけいうから金ないよというと、いいから持ってけと)

(ホ~ッ?)

(でも返さないといけないんだろう?というと、まあそれはね、ですものねえ)

 今日も山口夫人は登場しなかった。

(11月からは行かれると思います)

とあったのだけれど、確かに今日はまだ10月の31日。

11月ではなかった。

繁さんが近寄ってきて(ギターの調音できますか?)と聴く。

ギターの調音?調弦?

それを聴いてふうてんはドキッとした。

 先週、ふとした切っ掛けで神保町の(黒澤楽器店)を訪ねた。

もう10年以上前に見当たらなくなったカポタストの代かえ品はないだろうかと思ったのである。

カポタストがないとギターを弾くのは難しい。

解放弦であらゆる音を出す、というのはよほど左手の指が達者に動かないと難しい。

カボタストはある意味音域を狭めてくれるのである。

左手の人指し指で6弦とも押さえて苦労するところをカポタストは引き受けてくれる。

 店の名前はクロサワ楽器となっていた。

はいってみるとエレキ・ギター風のギターばかり。

ギブソンとかマーチンとか。

カボタストもメタルっぽい。

(あの~、やさしい感じの木のカボタストはないでしょうかねえ)

(ギターはクラシックですか?)

(フラメコなんですけど)

(ああ、じゃあ近くに系列店があります、店を出て右へ、すぐ近くです)

 それで(何とかミュージック)とかいう店を訪ねた。

3階がクラッシック・ギターのコーナーである。

カポタストは?と聴くと、何と、探していたものソックリなのがあるではないか。

木で出来ていて、ナイロン弦に締めネジが付いていて、キュッと締めるやつ。

 

(けっこういい値段ですねえ)

(はい、なにしろ手作りですから)

そりゃあそうですわねえ、こんなもの機械で大量生産しても売れるものじゃない。

(ところで、サバレスの弦なんてあります?)

(ありますよ)

(嬉しいなあ、おいくら?)

(1260円です)

(ということは、え~と、1260×6=・・・、ひょっとしてセットで?)

(そうですよ、セットで1260円です)

 ちょっとふうてんは時間を忘れた。

このカポタスト、サバレスの弦。

ふうてんが学生時代に使っていたものである。

64-20=44

少なくとも44年前の道具と同じものを使うことができる。

何となく嬉しくなって、若返ったような気分で店を出た。

 同じ日に、グーグルで(カークダグラス DVD ガンファイター)と聴いた。

そうしたら珍しく(あります)とアマゾンが答えた。

日本では(ガンファイター)という野蛮な題名で放映された映画である。

原題は(The Last Sunset)である。

アマゾンのお答えはこの原題の名前であった。

 この映画は高校生だったか中学生だったかのころ松山の映画館で観た。

カークダグラスとロックハドソンが主演である。

デリンジャーというヨーロッパで流行ったご婦人用のピストルが小道具となっている。

中で、キャロル・リンレイという少女が登場する。

 中学生だったか高校生だったかのふうてんは彼女にのぼせ上がってしまったらしい。

つたない英語でファンレターを送ったものである。

そうしたら、返事がきた。

もちろん、文面はおざなりなセリフなのだけれど、彼女のサインがしてあった。

 どうやらふうてんはミーハー族のようであるらしい。

ミーハー族とは何なのだろう?

自分でできもしないことをカッコよくやっている人に憧れる。

それをミーハー族という。

パコデルシア。

カークダグラス。

キャロル・リンレイ。

そういう人たちに憧れた。

文句あっか?

という気分で、10歳代の青春時代を思い出している。

クロサワ楽器で買ってきたカポタストとサバレスの弦。

アマゾンから届いた(The Last Sunset)

どちらもまだ袋にはいったままである。

(ふうてんアーカイブス)

2010 秋 花に嵐のたとえもあるさ

はなみずきHanamizuki  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほととぎす1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その22  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その33  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その44  

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