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2010年10月に作成された記事

2010/10/25

2010・10・24 近くをチャリで一回り篇

光と影Hikari_kage  

 先週末、久しぶりにチャリで近くを一回りした。

朝、目が覚めると鬱陶しい曇り空だった。

 秋晴れであるならば気分も違ったかもしれない。

朝なのか晩なのか分からないこういう天気の日はどうすればいいのだろう。

 エビスの小瓶を一本飲んでからチャリで出かけた。

昨日届いた山口夫人からのお便りへの返事のハガキを出そうと思った。

国立市の中央郵便局はすぐ近くにある。

しかし待てよ、いっそ直接配達しようか。

 山口家まではチャリで5、6分なのである。

このところ繁寿司に現われないので心配していたところ、もうすぐ行かれると思いますという便りを戴いたのであった。

嬉しくなってまずい字で返事を書いた。

(この間女房と、山口夫人のいない繁寿司なんて、クリープのないコーヒーみたいなものだねえと笑いあいました(苦笑い))

 郵便受けにそっとハガキを入れた。

これまでにも何度かこういうことがあった。

電話をするというのは何となく相手の家に土足で踏み込むようなところがある。

事務的な用事のバヤイはそれでも用事がすめばいいのだからお互いに困らない。

山口夫人とのお付き合いは事務的な用事ではない。

 山口邸のあと近くのソニー・ビデオショップという電気屋さんに寄った。

これまでずいぶんお世話になった電気屋さんである。

店の中を見ると珍しくご主人の顔が見えた。

地上波デジタルのことで相談したかったのである。

(この32インチ、いくらです?)

(6万円ですよ)

(え~っ?6万円?32インチだと寝室にはデカ過ぎるなあ。この22インチのはおいくら?)

(それは5万円です)

(メーカーも大変ですねえこの値段じゃあ)

・・・

(32インチのを2台と22インチを1台、しめて17万円くらいとなりますねえ、アンテナはどうしましょうね)

(多摩ニュータウンに地上波デジタルの発信局ができたんです)

(じゃあ今のUHFのアンテナの向きを変えたらいけるかしら)

(その調節が微妙で難しいのですよね)

(ああ、衛星のアンテナのときのようなアレね、そういえば衛星のアンテナ、コナラが邪魔してねえ、枝が伸びて)

(切らないといけませんねえ)

(結局、アンテナの工事とテレビ3台とでいくらくらいかしらね)

(まあ17万円から20万円といったところですかね。11月に国立で一種のフェアみたいなのがあるんです。エコ・ポイントじゃないけど1台1万円くらい安くなるんですよ、そこで契約すれば)

(じゃあ案内を下さいな、住所は・・・)

(いえ分かっています、よくお家の前を通るんです、フェアレディZを置いていますよね)

(フェエレディZと言わないでね、Zより先輩のフェアレディ2000なんですよ)

(ああそうでした。失礼しました。)

(ところで32インチも22インチもソニーですねえ、嬉しいなあ)

(この店ソニー・ショップなんですけど)

(ああ、そうやった、当たり前ですわねソニーで、えらいすんません)

・・・・

 大学通りへ出て、ロージナ茶房でビールを飲みたくなった。

いつもの2階へ上がって、ギネスの黒ビールを注文する。

(すみません、2階は禁煙になりましてね)

(禁煙?そうですか、じゃあどうすればよろしいの)

(1階はタバコ大丈夫なんです)

・・・

これで、シャンブレット、邪宗門につづいてロージナ茶房も消え去ることになった。

ロージナ茶房の魅力は2階の光の具合だったのである。

あと頼みの綱は(書簡集)ばかり。

 大学通りの増田書店に寄る。

地下に一般的ではない面白い本を置いている。

古今亭志ん生のCD付きの本を見つけた。

まだ読んでも聴いてもいないけれど楽しみである。

 それから富士見通りへ移って、クローバー・ハウスを冷やかした。

今の隠宅へ引っ越した時お世話になった不動産屋さんである。

同じ富士見通りでも以前よりずいぶん駅に近いところに引っ越したのである。

いつもの女性スタッフがいて、愉快な会話となった。

(ご栄転おめでとうございます、商売どうですか)

(やはり駅の近くになったのでお客さんが多いですよ)

・・・

いろいろ話すうちに、昔話になった。

(あの時、あとは野となれ山となれですわ、とおっしゃったので助かりました)

(それ何の話です?どなたさんが後は野となれ山となれいうたんです?)

(いえ、ご主人が土地の購入を決めたあと、前のマンションを売りに出した時ですよ)

(ああ、それは僕が言ったセリフなんですか?)

(売値ではなかなか買い手がつかなくて、わたし本当に悩んだんですよ、これをどうすればいいかと、その時に、あとは野となれ山となれとおっしゃって・・・すっかり気が楽になりました)

 こちらが何をした訳でもないのに人にそういう影響を与えることがあるものなのだなあと考えさせられた。

もちろん結果としてチェリスト夫婦が買ってくれたので救われたのではあったけれど。

このクローバー・ハウスのスタッフが贈ってくれたヒョロッとした苗木のようだったコナラが15年たって大木となって衛星放送の受信を邪魔してくれるようになっているのである。

 チャリで一巡りするだけでもいろいろと寄るところがある。

30年も同じ町に住むとこういうことになる。

この町には金持ちもいてふうてんのような貧乏なのもいて年寄りもいて若いのもいる。

COP10じゃないけれど、そういう生き物の多様性が気に入って引っ越してきた。

30年たって、間違っていなかったと思っている。

(ふうてんアーカイブス)

2010 秋 うちのシロとクロ

シロとクロ  Bw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クロNeko_21  

Neko_22  

 

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2010/10/17

2010・10・17 パソコンが壊れた?篇

30年前は三角屋根の駅だけだったEki  

 タバコを若いのと吸いながら、

(今年もあと2か月しかないねえ)

(早いですなあ)などと話していた。

(どうしてこんなに早いのだろう?夏が終わったと思ったらもう寒いくらいやねえ)

(暑すぎたから昨日まで夏のような気分でしたよ)

(そうか、分かった、真夏が終わったと思ったらあと2か月、それで早いと・・・)

(9月終わりころまで暑かったから、ず~っと7月くらいの気分だったのですかねえ)

 熱いものもノドもと過ぎると忘れる、という言い方がある。

確かにもう今年の猛暑の感覚は忘れかけている。

人間の感覚、記憶は実にいい加減なものだとも思う。

しかし、だから生きて行けるのさ、とも聴く。

苦しいことは忘れるからやっていけるのだ、と。

 人間はともかく、パソコンの記憶は無くなって貰っては困る。

そのパソコンが壊れたらどうなるか?

4、5日前にふうてんのパソコンが壊れたのである。

 もう6、7年も使っているノート・パソコンである。

ときどきこの日記にも書くように、古い世代のCPUで当時としては最高速のものだから熱に弱い。

春夏秋冬、扇風機であおいでいて、エアコンで部屋を冷やしている。

それでもビデオの圧縮だとかディスクのクリーンアップだとかの操作をするとディスク・ランプが点きっぱなしになり、ウィ~ンとCPUファンが回り始める。

 やがて、プチュ~ンとサーマル・シャットダウン(温度異常のダウン)で電源が落ちる。

(しゃあないなあ)

と舌打ちして、しばらく冷えるのを待って、電源ボタンを押し直す。

ガサッ、ガサガサッとディスク・アクセスが始まりパソコンはめでたく立ち上がる。

これを何度も何度も繰り返してきた。

 4、5日前にも同じようにサーマル・シャットダウンした。

腑に落ちなかったのは、スタンバイ・モードにしておいたのに、電源が落ちていたことだった。

普通のサーマル・シャットダウンはスタンバイ・モードのときではなく、動作中にいきなり訪れるはず。

ひょっとしたら普段のサーマル・シャットダウンと違うかもしれないと不安になった。

・・・・。

電源ボタンを押すと、案の定、立ち上がらない。

普段、ガサッ、ガサガサッというはずの音が聴こえずウンともスンとも言わない。

 パソコンが壊れたに違いない。

電源ランプの緑色のLEDだけは平気な顔をして点いている。

してみると電源ユニットは生きているのだろうか?

 それから数日アレ、コレと悩んだ。

・このノート・パソコンを直すことができるだろうか?

・デスクトップ型のもう一台をインターネットに繋げるようにして、いろんな今まで使ってきたソフトを再インストールしようか。

・どちらも古いパソコンだから最新のパソコンを買った方がいいだろうか。新しいパソコンを買って地上波デジタル・テレビやらブルー・レイ・ディスクに乗り換えるのも悪くなくないなあ。

・それにしてもいろんなパスワードなどをバックアップしていない。ディスクのデータだけでも救えないだろうか?

 本田宗一郎さんの言葉を思い出していた。

ホンダさんは13歳のとき自動車の修理屋のアート商会(東京の神田にあった)へ丁稚奉公した。

小柄で、若い、少年のような(修理屋さん)が難しい大型車の故障を見事に直すので、回りの人は驚いたらしい。

いろんなエピソードを本田さん自身が本に書き残している。

そのときの修理屋としての心構えを彼は次のように表現した。

(車が壊れた人はねぇ、まずその人の心が壊れてるんだ。修理屋はそのことをよくよく心得なくっちゃいけないよ)

希有な心理学者でもあった本田宗一郎、10歳代の発言であります。

 確かにふうてんの心も壊れた。

朝起きてまずパソコンを立ち上げる。

ニフティにつないでその日のメールやらニュースやらを確かめる。

ああ今日は~へ行く日だった、時刻表を確かめなくっちゃ。

天気はどないかなあ。

チリーで落盤事故で大騒ぎになっているけれど、チリーてどんな国やったかいなあ。

・・・。

こういうことが日常の決まり事だった。

それが全くできなくなった。

日常の生活ができなくなると人の心は壊れる。

 パソコンの壊れ方を見て、電源ユニットは生きているのではないかと思った。

電源ランプは点いている。

ではメインボードが壊れたのだろうか?

或いはハードディスクが壊れたのだろうか?

 ふうてんは、このノート・パソコンのバッテリーを見たことがない。

いつも持ち歩かないのでACアダプターに繋ぎっぱなしだった。

こいつのバッテリーはどうなっているのだろう?

それで、分厚くたまったホコリを払ってパソコンを裏返しにした。

どこにバッテリーがあるのか分からない。

 今のノート・パソコンの裏側は小さなネジと小さな文字しか見えなくて、老眼ではほとんど判別不可能であった。

どこにバッテリーがあるのやら・・・・。

それでも4つほどのブロックに別れていることは分かった。

一つ目のやや小さめのブロックの窓をこじ開ける。

それはメモリー・ブロックだった。

二つ目の少し大きめのブロックをこじ開ける。

それはハード・ディスク・ユニットだった。

三つ目は、一応CDディスク・ドライブだということを知っていた。

問題は四つ目の最後のブロックだった。

 これが何のブロックだかは知らなかった。

ネジをはずしたのかどうかも覚えていない。

見ると、UPというような文字で、ここを上に持ち上げろ、というマークが見つかった。

そこへマイナスのドライバーを突っ込んでしばらくこじ開けようと試みた

そのうちパッカンとそのブロックが開いて、大きな一塊の物として外れた。

ラベルを見ると(バッテリー・パック)と書いてあった。

こいつが悪さしていたのか。

 ACアダプターのコネクタを差し込むと、電源ランプが灯った。

そして電源スイッチを押すと、ガサッ、ガサガサッとパソコンがすぐに立ち上がった。

つまり、今回動かなくなったのはバッテリーが邪魔をしていたのだということが分かった。

 ノート・パソコンの電源コントロールは複雑になっている。

ACコンセントからの給電なのか電池(バッテリィ)からの給電なのか。

すぐに立ち上がるためのスタンバイ・モードなのかどうか。

そういう制御を(給電して貰う環境)の中で行っている。

ACなのか電池なのか、どちらかに頼らないといけないのに、そのACも切れることがあるし電池も無くなることがある。

非常に難しい制御なのですなあ。

 結果としてパソコンは復活してこの日記も続けることができた。

今回の経験でふうてんは改めていろんなことを学んだ。

・形あるものは滅びる

・形は二系統用意しておいた方がよろしいようだ

・それまで使っていた物が壊れたとき、嘆くだけではなく、次の物に思いを巡らす楽しさもあるものだ

・それまで使っていた物に与えられた恩恵に感謝する機会ともなる

 パソコンで書けなくなって助かったのは、このところ手書きでノートに書きつけていることだった。

6年ほど前から小さなノートと書き心地のよいペンを持ち歩いて、喫茶店などでそれにメモを書いている。

パソコンで文章を書くようになって、極端に手書き能力が衰えたと思う。

6年ほど前にノートに書き始めたとき、嫌というほどそれを知らされた。

携帯端末でいろいろアクセスして楽しんでいる今の人たちを見て、ふうてんは思うのである。

iPhoneやiPadもよろしいけれど、ノートとペンもよろしいよ、と。

自分で発信するためにはiPod、iPhone、iPadというスティーブン・ジョブスの仕掛けたワナにはまって喜んでいるだけじゃダメだよ、と。

(ふうてんアーカイブス)

2010 秋 久しぶりの大学通り

 

国立駅も高架になった

国立駅の三角屋根は??Tori_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Tori_2  

 

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2010/10/10

2010・10・10 本の連鎖その2・考える人篇

江戸小紋Photo  

 いくら猛暑が続いても秋は来てくれる。

(夏休みだって終わりはくる)という自分で考えた言い方をまた思い出した。

何ごともいつまでは続かない、という一種の諦観なのだろうか。

 この一週間もいろんなニュースが流れた。

中国の人がノーベル平和賞をもらって物議をかもしている。

中国ではこの報道のテレビが30秒で真っ暗になったという。

テレビが真っ暗になるということは普通はめったにない。

 民主党の小澤さんが(強制起訴)を宣告された。

(検察審査会)という組織がそれを決めた。

この組織のことを我々はほとんど知らない。

メディアの報道によると無作為に選ばれた平均年齢30歳の11人だという。

こういう、どこのどなた様か分からないたった11人が時の首相候補を起訴する。

まじめに考えると頭が痛くなるのであまり考えたくはないテーマではある。

ただ言えることはこのシステム(ルール)の不備は間違いない、ということ。

立法、行政、司法の三権の中で司法が一番遅れている、とは中坊公平さんの口癖でもあったことを思い出した。

 円が80円を切りそうになって経済の問題が心配されている。

円高・・・1ドルが80円以下になる・・・10年以上前にそういうことがあったように覚えている。

円が高くなるのはよろしいことではなかったのだろうか?

以前は1ドルが360円だった。

外国の1ドルの商品を買うのに360円必要だった。

 今、イギリスのジョニー・ウォーカー・黒ラベルという、かっては高級なウィスキーだったものが2000円前後で売られている。

ふうてんが若い頃にはとても手にはいらない高級酒だった。

今ふうてんはサントリーのリザーブを杉田屋の若旦那に届けてもらっている。

これが2600円くらいではないかと思う。

ジョニ黒が2000円でサントリー・リザーブが2600円というのは本末転倒のような気もする。

ジョニ黒はおいしい酒なので、サントリー・リザーブがなくなるとちょくちょく立川のビックカメラの地下の酒屋さんでこれを買う。

 円高のせいだけではなく、輸入関税率とか酒税とかの税金に密接にからんでいると思う。

しかし1ドル360円だったのが80円になるとはどういうことなのだろう?

外国と物をやりとりする時の値段が4~5倍も違う。

経済に弱い理科系のふうてんは戸惑ってしまうのである。

念の為にグーグルに聴くと、明治維新後の開国のころには1ドル=1円だった。

太平洋戦争直前までは1円=1ドルだったのですなあ。

当たり前ですよねえ、それぞれの国で通貨の単位がドルであり円なのだから。

対等な国どうしなら1対1でっしゃろ。

 いっそのこと、こういう時には外国に物を売るより買う方が得なのではあるまいか。

今まで高くて手が出なかったもの。

ハードなのかソフトなのか、物なのか人なのか。

ともかく将来にとって役立ちそうなものを買いあさるチャンスではないだろうか。

ウィスキーの盟主イギリスの銘酒(ジョニー・ウォーカー・黒ラベル)をストレートで飲みながら、ふうてんはそう思う。

ウィスキーは将来の為になりますの?

それは君自身の胸に聴きなさい。

と、答えておくことにする。

 大岡昇平の(中原中也)とか岡潔の(人間の建設 小林秀雄との対談)などを読んだ連鎖で小林秀雄の本を読み直し始めている。

 小林秀雄には若い頃入れ込んだものだった。

最初にもらったボーナスで当時の小林秀雄全集を買って、面白いので朝まで読んでそのまま会社へ行ったりしたこともあった。

 それからもう40年ほどもたって今改めて読み直すとまた別の感慨も湧いてくる。

中公文庫の(人生について)というのが手元にあったので読んでみた。

(私の人生観)とか(中原中也の思い出)とか(ゴッホ)とかのアンソロジーで、解説が水上勉である。

 解説の水上勉が、小林秀雄の文章はいつまでたっても古くならない、と感嘆している。

それはその通りだなあ、とふうてんも思う。

一人の人間が自分一人で考える。

徒党を組むわけではなく、一人で考え切る。

人は社会の中の一員に過ぎない。

だからといって社会と自分はイコールではない。

一個の集まりが社会となっているに過ぎない。

一個がなくて社会なんてのはない。

その一個の人間が社会と対峙するには考え抜くことである。

現今の日本では社会があって自分がある、ということで茶髪が流行したり、テレビの影響を受けすぎたりして、一人で考える、ということは忘れられている風ではありますまいか。

 そういうまわりの雰囲気に惑わされなかった小林秀雄の書いたものは今読んでも新鮮な感じがする。

 この歳になって小林秀雄を読み直すと、彼は(考える人)だったのだと思う。

考えたことを文章にする、文章を書き連ねながら考える。

それを職業にした文章家。

・・・

そういえば小林秀雄全集はどこにあるのだろう?

今、家の本棚を探してもすぐには見つからない。

 急激な円高、先行きの見えない日本社会、中国の不気味な台頭・・・。

あんまり心配したものじゃない。

いつの時代でも一人一人がよくよく考えるしかないのではなかろうか。

それ以上に、大きくて、永続的な力はないのではなかろうか。

(ふうてんアーカイブス)

2010 秋 隠宅にも秋がきた

江戸小紋その1Hagi_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸小紋その2Hagi_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸小紋とコナラのドングリHagi_3  

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2010/10/04

2010・10・3 大岡昇平の中原中也を読んだ篇

毎年くる蝶々Dho  

 

 もう10月になった。

(今年もあと1/4か・・・)

(あと3か月しかないということ?)

という会話が聴こえてきた。

 この頃のように異常気象が続くと、どうも秋というのも突然現われる。

9月の終わりころに35℃を超える猛暑日があるのだからどうしようもない。

天高く馬肥ゆる秋、という風情はもう望めないのだろうか。

 9月は週末ごとに飲み会が続いた。

四季の会夏秋篇、大相撲9月場所篇、八王子エコ・サミット、旧友の再婚披露宴などなど。

異常気象の中でも徐々に秋らしくなってきた。

 読書の秋、などという言い方も以前はしていた。

こちらは読書に季節感を感じたことはない。

活字中毒というやつで、本だけは年中手離せない。

 自分の読書傾向を考えてみると、いろんな要素がある。

その一つに(本の連鎖)というのがあるように思う。

去年、岡潔の(春宵十話)を読んで、ドストエフスキーの(白痴)のことに触れていたのに刺激されてドストエフスキーを読み直すことになった。

 また岡潔と小林秀雄の対談集(人間の建設)が再刊されていて、小林秀雄のことを思い出していた。

小林秀雄は若い頃ずいぶんはまってしまった作家である。

中原中也との(グレタ・ガルボに似た女)をめぐる三角関係は有名な話。

その中原中也のことを書いた大岡昇平の(中原中也)が講談社の文藝文庫で出ているので読んでみた。

 大岡昇平という作家は何といっても(レイテ戦記)だと思う。

少年兵のようなアメリカの兵士と対峙して撃ち殺すチャンスがあったのに引き金をひけなかった、いやひかなかった、という印象的な作品の持ち主。

 小林秀雄とか中原中也のような天才タイプの物書き仲間との交流の中でも、どちらかというと中庸の精神を保っていた方だったような気配がある。

この(中原中也)では大正末期から昭和初期にかけての新進の作家志願者たちの交流が描かれていて興味深かった。

 大岡昇平は小林秀雄にフランス語を習っていたらしい。

大正時代は何故かフランスの文学が日本で流行っていた。

ボードレール、アルチュール・ランボーなどなどに中原中也も小林秀雄もいかれていたらしい。

あんまりそういうタイプではないのに大岡昇平もついついそういう世界に捲き込まれることになる。

 ドキュメンタリーとして中原中也の全貌を記録しておきたい、という大岡昇平の意欲でこの作品はできたと思う。

30歳で亡くなった夭折の詩人の貴重な記録になったと思う。

同時に小林秀雄の(中原中也の思い出)という短い作品がその中原中也の本質はこのドキュメンタリーよりもよく我々に伝えてくれるようにも思う。

 詩人のような数学者岡潔、詩人のような文藝批評家小林秀雄、そして本当の詩人だった中原中也。

この三人の(詩人)のことを考えると日本人の詩というのはやはり和歌や俳句に通じるものがあるなあと思う。

(ふうてんアーカイブス)

2010 秋 毎年きてくれる蝶々

その1Cho_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Cho_2  

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