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2010年9月に作成された記事

2010/09/27

2010・9・26 秋祭りのころ篇

谷保天神のみこしAkimatsuri  

 猛暑の夏が過ぎて急に秋が来た。

この一週間はいろんなお祭り騒ぎがあった。

 白鵬が62連勝した。

19歳のときに登場して以来ずっと注目してきた。

モンゴルから来た彼に日本の大相撲は救われた、と思う。

 イチローが10年連続の200本安打を達成した。

毎日決まったようにトレーニングして、決まったようにカレーを食べるという。

小さなことを積み重ねるしか大きな夢を実現する方法はない、とおっしゃる。

日本でも200本安打を打ったのがいて、阪神タイガースのマートンもその一人。

パリーグではソフトバンクが優勝し、セリーグでは阪神にマジックが灯った。

 沖縄の魚釣島方面での漁船の船長釈放をめぐって日中で議論が起こっている。

日本の国境はどうなっているのだろう?

ロシアとも南北朝鮮とも中国とも、お互いに国境線は納得し合っていない。

島国だから国境は海の上、ということになる。

地上での国境争いも大変だけれど、海の上の国境争いも難しいなあと思わされる。

この問題を(お祭)の一つに譬えるとひんしゅくものには違いない。

これは同じ(まつり)でも(まつりごと)だろうとは思う。

しかし(大騒ぎになる)という意味ではやはり(おまつり)の一種かもしれない。

 ふうてんの住む国立では昨日と今日、谷保天神の秋祭りがあった。

テンテケ・テンテンという囃し太鼓に誘われてチャリで谷保天神へ出向いた。

谷保天神、谷保天満宮にチャリで向かいながら、子供のころを思い出していた。

秋祭りになるとハッピみたいなのを着せられて空色のハチマキみたいなのを締めて近くの神社へ集まったものだった。

そこでのハイライトは大人の男たちが担ぐ神輿のケンカだった。

どういうケンカだったのかは思い出せないけれど、日焼けしたたくましい大人の男たちがみこしを担いで練り歩いていた。

酒の香りが漂っていたことを覚えている。

そこには子供のはいれない別世界が展開されていた。

 今の秋祭りというのはむしろ子供たちのためのようになっている。

神輿にしてもまことにかわいいものである。

殺気だったような、こわいような気配はどこにもない。

老若男女が集まって、かねと太鼓と笛のサウンドの中、一時日常を忘れる。

形は変わったけれど、やはり村まつりというか、鎮守の森を囲んだお祭はいいなあと子供時代を懐かしながらチャリで帰った。

 谷保天神の春夏秋冬。

たまたまここへ流れてきて、伊予の村に近い感覚を思い出させてくれる。

身近に(鎮守の森)があることを幸せだと思った。

(ふうてんアーカイブス)

2010 秋 谷保天神の秋祭り

谷保天満宮の参道Sando  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜その1Tenjin_1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜その2Tenjin_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜その3Tenjin_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはやしHayashi  

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2010/09/20

2010・9・19 敬老の日につき篇

芙蓉Fuyo  

 明日20日は全国的に休みのようである。

カレンダーを見ると(敬老の日 彼岸入り)とある。

敬老の日?老人の日ではなかったかしら??

 グーグルに聴くと、戦後いろんな経過があったらしい。

(としよりの日)→(老人の日)→(敬老の日)

と変わってきている。

2004年から9月の第3月曜日になったらしい。

日本はおかしな国で祝日法というのがあり、2001年に(ハッピーマンデー制度)ができたという。

それで成人の日(1月15日)や老人の日(9月15日)が月曜日にずらされることになった。

土日月の3連休になるからハッピーなのだろうか?

サラリーマンにとってはそうかもしれないけれど月曜日が定休日の繁寿司などは、何を今さら、と思ったに違いない。

 敬老の日、老人の日が近づいたときに二人の芸人が亡くなった。

谷啓と小林桂樹である。

78歳と86歳。

我々のような還暦世代にとっては、う~ん、と考えさせられるお二人の逝去だった。

(沢山の水が橋の下を流れたのだなあ)と思わされる。

 谷啓はクレージーキャッツの一員として我々の前に登場した。

小林桂樹は森繁の社長シリーズの映画で登場した。

どちらも1960年代のいわゆる高度成長期のハチャメチャな時代だった。

ふうてんなどにとっては、中学、高校、大学の時期に当たる。

戦争に負けてゼロ・クリアーされた日本は単純増加するしかない時代だった。

ゼロになったから後は成長するしかなかった。

 谷啓はトロンボーン奏者だった。

学生時代よく読んでいたジャズの(スイングジャーナル誌)でいつもトロンボーンの部門でナンバー5の中にはいっていた。

日本ではほとんどナンバーワンという評価だった。

トロンボーンというのがいかにも谷啓らしい。

主役としてしゃしゃり出る楽器ではない。

(ガチョ~ン)というギャグはトロンボーン奏者ならではのものだと思う。

 この数年、谷啓はNHKの(美の壺)といういい番組を持っていた。

最近その番組に出なくなり、代わりに草苅正雄が出るようになった。

後輩に譲ったのだなあ、体調が良くないのかしらと思っていた。

草苅正雄も悪くないのだけれど谷啓の味には及ばない。

 この番組は日本の文化、着物とか工芸品とか趣味とかを取り上げるのだけれど、バックの音楽がジャズなのである。

日本文化とジャズ。

それが見事にマッチしていた。

ジャズの選曲は谷啓がやっていたと思う。

モダンジャズの名曲中の名曲、名演中の名演を使っているのでふうてんなどにとってはまことに居心地のいい番組だった。

 谷啓のトロンボーンはレコードも持っていないし、まともなジャズ演奏としての作品は聴いたことがない。

ただ10年くらい前だったかテレビでアメリカを訪ねる番組があった。

どこの町だか覚えていないけれど、田舎町の学校のようなところを訪ねていた。

その町が谷啓の一番好きな曲の作曲者の育った町のようだった。

(~の木の下で)という風な題名の曲だった。

その曲を谷啓が吹いた。

 ふうてんのようにジャズ好きな人間にはこたえられない番組だった。

アメリカと戦争してゼロ・クリアーされた日本。

アメリカは敵国だったはず。

しかしアメリカ人の作った映画やジャズは素晴らしいではないか。

なんでこんな国と戦争したんやろ??

戦争が終わったとき高校生くらいだった谷啓にはそんな思いもあったはず。

 曲の名前も知らず、どういう演奏だったかもハッキリとは覚えていない。

しかし、いかにも谷啓らしい、しみじみとしたいい演奏だったことは覚えている。

彼は一種のロマンチストだったように思う。

恥ずかしさを笑いでごまかすようなタイプのシャイな人だったと思う。

小林桂樹のことはまたの機会にしよう。

(ふうてんアーカイブス)

2010 初秋 芙蓉の花

その1

Fuyo_1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2 

Fuyo_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Fuyo_3 

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2010/09/12

2010・9・12 八王子エコ・サミット篇

リニューアルされた八王子南口Hachioji  

 さしもの猛暑も9月10日を過ぎて少し衰えてきた。

ニューヨークのテロ事件からもう9年になる。

2001年9月11日。

この年はふうてんにとって個人的にも(記憶に残る年)だった。

 富士通の初代パソコンFM-8の発売は1981年だった。

それの20周年の年だった。

そこで(After twenty years)と称して、当時の開発部隊の面々を集めて甲府で(桃山まつり)をやった。

泊まり掛けの宴会というのは珍しい。

夜更けまで話し合うことができ、しんみりとしたいい記念日となった。

 もう一つはオヤジをなくしたことだった。

伊予から国立へ出てきてもらって5年を過ぎていた。

近くの図書館へ通うことと国立駅近くの骨董屋を冷やかすことと按摩さんを呼んで揉んでもらうくらいしか楽しみはなかった。

姉と一緒に立川の火葬場へ向かうとき、通りの桜がハラハラと舞っていた。

(おとうちゃんはホント自分勝手な人間だったよねえ)

(勝手気ままに生きて最後は桜の花に見送られる)

(うらやましいようなラッキーな人かもねえ)

 どちらも4月の出来事だった。

この年の9月に、テレビで信じられない映像を眼にすることになるのだった。

2001年というのはスタンリー・キューブリックの(2001: A Space Odyssey)の年でもあった。

あれやらこれやら、まことに(記憶に残る年)となっている。

 猛暑がまだ残っている土曜日、八王子エコ・サミットへ出向いた。

エコ・サミットというのは大したネーミングだけれど、単なる飲み会と言っても面白くないのでそう呼ぶことになった。

地球のエコロジーを考える、世の中を憂える三人組の会なのである。

藤井画伯と白坂ミコシ担ぎ。

絵描きと神輿(みこし)のおっちゃん。

三人とも仕事のキャリアーや生き方のタイプが全く違うのでケンカすることもなく、まことに愉快に時間を過ごすことができる。

(日本人て、ほんと長生きなんですなあ)

(100歳以上が何十万人もいるそうですねえ)

(150歳以上の人も何百人とかいるそうでっせ)

(これは世界に類をみない民族ちゅうことでしょう)

・・・・

 そういう話題から始まった。      

戸籍て一体何だったかしら?

三人とも、よう分からんなあ、で意見は一致する。

人別帳の一種には違いないでしょうなあ。

アメリカなんかでは戸籍なんてのはないそうですねえ。

一戸という単位は何でしょうね。

一家とどう違うのかしらねえ?

 そんな話をしていたら藤井画伯が急に、

(この間息子が警察に捕まりましてね)

(ホ~ッ、それは珍しい)

(いえ、なんか友だちに借りた自転車に乗っていたら、それは盗難車だとおまわりさんに指摘されたというんです)

(それで?)

(住所氏名を言いなさい、まではよかったんですが、本籍地は?と聴かれてガキのやつ、詰まっちゃった、答えられない、知らないんですよ本籍地いわれても)

・・・

 戸籍て一体何なのだろう?

(ふうてんアーカイブス)

  

2001じゃない2010 初秋 八王子

  

南口の地下駐輪場はよく出来ている。

カードを示すと数分ではなく数秒でチャリが出てくる。

205台収容の施設が南口に6つ出来た。

JR八王子駅南口の高層ビルTower_1 

Tower_2 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

地下の駐輪場Chari_11 

Dhari_12_2 

Chari_13   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Chari_21 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chari_22  

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2010/09/05

2010・9・5 文楽9月公演につき篇

国立劇場(くにたちげきじょう、にあらず)Kokuritsu  

 土曜日の午後3時前に嫁さんに起こされた。

(ダンナさん、今日は文楽じゃなかったの?)

えっ?と起きると2時40分くらいであった。

文楽9月公演、住大夫さんが4時から語らはる。

まいったなあ、朝飲みすぎたんや、住大夫さん、すんまへん・・・。

 大慌てで身繕いをして、電車に乗る。

立川からJR中央線特別快速で四ツ谷まで。

南口を出て、信号無視でタクシーへ。

(運転手さん、国立劇場お願いします)

・・・・

 開演の3分前にたどり着いた。

売店のお兄ちゃんに、ビール飲みたいんやけど、と云うと、場内・飲み物・持ち込み禁止です、ミネラルウォーターなら大丈夫ですけど・・・。

悪いなあ、またにするわ、時間ないんや。

で、5列6番の席におもむいた。

 前から5列目で左から6番目の席。

住大夫さんと野澤錦糸くんの、一番右側とはずいぶん遠い。

はいって、場内をず~っと見渡してみた。

フムフム、国立劇場小劇場とはこういう小屋やったんやなあ、と確認する。

前回や前々回みたいな、一番右の住大夫さんかぶりつきのような席のときは、こういう気持ちになれなかった。

 住大夫さんの声はこの左端の席までとどくのだろうか?

そういう余計な思いがないことはなかった。

4時に演目が始まった。

謡が二人、三味が一人。

住大夫さんと錦糸くんではない。

はは~ん、住大夫さんはこの次やなと思った。

 5列6番という席は、すぐ近くに(出入り口)がある。

すいません、と隣の席に断って、会場から出た。

さっきの売店がすぐ近くにある。

お兄ちゃんに、住大夫さんの時間は?と聴く。

ちゃんとメニューがあって、今の噺は4時から4時14分まで。

住大夫さんは4時15分からと分かる。

(あと10分しかあらへんなあ、忙しいこっちゃ、ところでタバコのめるとこない?)

(入り口を出て右の突き当たりです)

(そう、右の突き当たりね、国立劇場の右端ね)

と慌ただしく冗談を交わし、旨くもないアサヒビール・スーパードライの缶ビールを飲み、キャメルを一服して、4時15分に5列6番の席に戻った。

 一番左の席で、一番右に座っている住大夫・錦糸コンビを聴くのは初めてだった。

住大夫さんは1924年10月28日生れだとグーグルは教えてくれる。

ということは今2010年9月だから・・・御歳85歳ではなかろうか。

9月4日は初日である。

初めのころは声が少しかすれていたように感じた。

しかし徐々にそのかすれがとれて、強い声になってきた。

この演目では、珍しく長く、1時間と20分ほどを一人で語りきった。

(ふ~ん、住大夫さん、85歳なのになあ、普通やないなあ)

 野澤錦糸くんの三味線も素晴らしい。

ちなみにこの5代目の錦糸くんは1957年生まれだとグーグルは教えてくれる。

竹本住大夫  1924年

ふうてん   1946年

野澤錦糸   1957年

 20歳年上の大先輩。

10歳下のいい後輩。

昨日今日明日、といえば失礼になるのだろうか。

 大先輩がお元気でいて、我々がいて、後輩たちが活躍している。

これでいいじゃないか、有り難いことじゃないか。

そんなことを感じさせてくれる2010年の文楽9月公演だった。

(ふうてんアーカイブス)

2010 晩夏 文楽9月公演 国立劇場

国立劇場 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご婦人方 

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残照3

 

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