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2010年6月に作成された記事

2010/06/27

2010・6・27 四季の会・四騎の会、春夏篇につき篇

大学の森Mori_4

 四季の会を府中でやった。

四季の会、四騎の会を始めて4年になる。

ふうてんが定年退職したとき、もうみんなと飲めなくなるなあと思った。

それで、季節の移り目に集まって飲めないだろうか、と考えた。

春夏秋冬、そのまんまだと面白くない。

春篇、夏篇、秋篇、冬篇

ちょっとも面白くない

 それで春夏、夏秋、秋冬、冬春という変化のときにやろう。

例えば春夏篇は6月にやる。

結局3月、6月、9月、11月という目立たない月になる。

春と言えば4月でしょう。

新入生、桜、・・・

夏と言えば8月に決まっている。

夏休み、甲子園大会、お盆・・・。

秋は10月の秋晴れ。

空高く馬肥ゆる・・・食も進みます

冬は1月。

お正月、餅つき、コタツ、空っ風

 そういう(季節の盛り)のときを外して四騎の会を設定した。

春から夏に変わる。

夏から秋に変わる。

その変化のときに季節感というものは一番感じられる。

のではなかろうか。

 四季の会に今回ふうてんは珍しく1時間半ほど遅れて参加した。

そのとき、みんなはスティーブン・ジョブスのことを話していたようだった。

アップルでiPadをやっている男である。

iPadて、なんやろね?

そんな話だったのだろうか。

 それまでの話の流れを知らないまま、その話に途中参加して、ふうてんは勝手なことを言ったようだった。

(iPadは任天堂のDSと同じだと僕は思う)

と発言したようであった。

 四季の会をこの府中のお店で始めたころ、隣のテーブルに家族連れが来た。

その僕ちんがDSを使っていて、お母さんも妹くんも、奪い合うようにペンのようなものでDSに入力していた。

任天堂のゲーム機をふうてんは触ったことがない。

しかしガキは子供のころからハマッてしまった。

花札やトランプの京都の会社がコンピュータで商売を始めた。

コンピュータ・メーカとしては放ってはおけない話だった。

 となりのテーブルでその一家がDSと遊んでいる姿を見て、ふうてんは一つの驚きを感じた。

これはAVを超えている、むしろTangibleの領域にはいっている。

という驚きだった。

 任天堂という会社は侮れないなあと思った。

ソニーはひたすらAVを追求している。

オーディオ・ビジュアルの世界は任せなさい。

ゲーム機においてもそれを追求し続けてきた。

 ところが任天堂はAVなんてちっとも追いかけていない。

AVは大切だけど、それだけなの?

という姿勢を見せた。

Wiiなんてのはその表れに違いない。

体感が大切である、と。

 iPadに関してふうてんはヘミングウェイだと言った。

アーネスト・ヘミングウェイもスティーブン・ジョブスもアメリカ人である。

お二人が似たようなところにたどり着いたのは分かるなあと思う。

ヘミングウェイは20歳代のとき自己の文体に掟を作ったという。

それは3つの要素だった。

Audible(聴こえるように)

Visible(見えるように)

Tangible(触れるように)

 ヘミングウェイは文章だけでこの3つをやってのけようと努力した。

そしてそれに成功した。

(老人と海)をヘミングウェイの文章で読んで、なるほどと思った。

海に来る小鳥の声が聴こえ、夕暮れの遠くの港の灯が見え、サメとの死闘の痛さが伝わってくる。

 スティーブン・ジョブスもアメリカ人だからしてヘミングウェイを知らないはずはない。

iPad。

これの特徴はAVではなくTangibleにあるとふうてんは思う。

 そんな話を四季の会の諸君と交わした。

5歳違いの集まりでもある。

ふうてんの5歳下、10歳下、15歳下。

その15歳下の牛若丸が、今年僕も50歳になりました。

と言った。

 オョョッ、と応じるしかなかった。

あの天才牛若丸が、二十歳過ぎだった牛若くんが、もう50歳??

彼が使っていたアップルⅡを作ったスティーブン・ジョブスはお幾つなのだろう?

牛若丸はアップル・ファンの一人でもあってiPadにも何か感じるものがあるようだった。

その感じは彼が高校生のときに使ったアッフルⅡに通じるものがあるようだった。

それを聴いてふうてんは嬉しくなった。

(ふうてんアーカイブス)

2010 初夏 大学の森

いつもの構図Mori_2_2  

Mori_3_2 Mori_4_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャンパスCampas_1  

Campas  

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2010/06/20

2010・6・20 池波正太郎のフランス映画旅行篇

クロ?のようなKuro  

 ワールドカップからは目が離せない。

1-0でカメルーンに勝って、0-1でオランダに負けた。

1対0というのはゲームにおける一番いい勝負だと思う。

2試合とも緊張したいい試合だった。

 ドストエフスキーを読んだあと、あれこれとエッセイを読んでいる。

内田百閒の阿房列車は拾い物で、まことに面白く、今、第三阿房列車を読んでいる。

この人の(おかしさ)はちょっと類がないような気がする。

おもろい話、おもろい男が大好きなふうてんは、こういう妙な人物が漱石の門下生にいたことをまことに愉快に思う。

 いろんなエッセイを読むうち、池波正太郎のフランス映画旅行というのがあった。

再読だったけれど、あまりの面白さにアッという間に読んでしまった。

 池波正太郎さんは晩年、60も過ぎたころからフランス旅行を楽しむようになった。

5~6回、毎年のように行ったという。

そのフランス旅行の記録が何冊もの本になっている。

(フランス映画旅行)はその一冊である

 映画というのがキーワードなのですね。

13歳で株屋に丁稚奉公に出た池波少年、映画が大好きだったらしい。

今の中学生くらいのとき、もう働いていた。

働くとお金がはいる。

株屋だからして、あぶく銭のようなものも流れていた。

チップという形でいろいろとはいってくる。

 正太郎くんはもともとおっかさんと芝居をよく見に行っていた。

芝居とか歌舞伎とか映画とか。

東京の下町の、浅草あたりで、みんな貧乏だけど楽しくやっていた。

最高の楽しみの一つは、芝居を観ることであり映画を観ることだった。

 やがて成人して、知らぬ間に(新国劇の座付き作家)といわれるような脚本作家であり舞台監督になっていた。

芝居というものをどう作るか、役者やら舞台やら、総勢何十人もの人が参加して作る(芝居)の世界。

三味線やら太鼓やらのサウンドも必要である。

いわゆる(総合芸術)というやつ。

総合芸術の代表格が(映画)なのですね。

 昭和10年代、ハイティーンだった池波正太郎にとっては、映画とはフランス映画だったという。

その若いころに慣れ親しんだフランス映画のいろんな役者、いろんな監督、いろんな撮影場所をこの(フランス映画旅行)で振り返る。

フランス旅行を楽しみながら、数々のフランス映画の傑作を思い出して語る。

一番のお気に入りはジャン・ギャバンだったらしい。

 鬼平、剣客商売、仕掛人・藤枝梅安

これらの作品を仕上げたあとのフランス旅行。

若年期の思いをたどる旅であり、ある意味遺書のような趣もあるエッセイとなっている。

挿画として出てくる池波正太郎のスケッチも素晴らしい。

(ふうてんアーカイブス)

2010 梅雨のころ 隠宅の一日 

クロ 

Kuro_1 Kuro_2_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バラBara_1    

Bara_2  

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2010/06/13

2010・6・13 ウグイスで目が覚めた篇

桜通りの深緑Sakura

 今日は繁寿司に人がいなかった。

聴けば5時からBS1で鎌倉の番組があって山口夫人はそれをお家で見てから来るとのこと。

 

 繁さんちのテレビでもそれをやっていた。

ちょうど、先日この日記で話した鎌倉の、かって夫人たちも住んだ松方公爵の別邸が映っていた。

今はこの家は鎌倉の文化財の指定を受けて保存されているとのこと。

 夫人は30分ほどして登場した。

さらにその30分後に岩橋女史も駆けつけてきた。

本当に国立駅から走ってきたらしい。

その姿を見て山口夫人が、

(どうしてあの人はそんなにまでして約束を守ろうとするのかしら、6時にと約束しても30分や1時間遅れてもいいのにねえ。走ってまで来ることはないわよ。余裕がないんだから。そこんところがあの人に関して分からないのよねえ)などとおっしゃった。

 しかし、岩橋女史が駆けつけて、お二人で、乾杯!なぞとやっているうちに、すっかり話が弾み始めたようだった。

 先週のある日、ウグイスの声で目が覚めた。

今年も来てくれたウグイスがふうてんの耳元の4メートルくらい先で鳴いていたらしい。

年に一度か二度こういうことがある。

本当にビックリするくらい大きな声なのである。

 今年のウグイスくんは、以前報告したように、ずいぶん遅く登場した。

それから一カ月半くらい、隠宅のまわりを鳴いて歩いている。

最初は遠慮がちに練習をしていた。

ホ~ッ、とかケキョ、ケキョとかまるでメロディーになっていなかった。

それが段々と自信を持ち始め、メロディーらしくなり、声が大きくなってきた。

 声を聴くたびに思うのだけれど、やはり小鳥の中でウグイスの声は王様ではなかろうか。

これほどまろやかで澄んでいてヴォリームのある声はほかの小鳥からは聴こえてこない。

あの小さな体でどうしてこんな声が出るのだろう。

ウグイスの発声の仕組みはどうなっているのだろう。

いつか知りたいものだと思う。

(ふうてんアーカイブス)

2010 新緑が深緑になった 桜通りと大学通り

桜通りSakura_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学通りDaigaku_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Daigaku_2  

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2010/06/07

2010・6・6 管直人首相とスティーブン・ジョブスのこと篇

ボケの花Boke  

 今年にはいって、ふうてんにとっての大きなニュースは管直人の首相就任とアップル社のiPadだった。

この二つはこれから楽しみなネタである。

民主党の管直人とアップルのスティーブン・ジョブス。

この二人とはいろんな意味で、ずいぶん長く付き合ってきたなあと思う。

 ふうてんが一番の年長であるらしい。

ふうてん 1946年1月生まれ

管直人  1946年10月生まれ

ジョブス 1955年2月生まれ

一応10年以内に生れた者同士である。

時間だけは誰にも公平に与えられる。

同時代に生きた人間として二人への思いは小さくないものがある。

管直人との付き合い

 1980年に彼は初当選した。

市川房枝さんに弟子入りして草の根運動を続けてきた男だとは知っていた。

それで当時ふうてんが住んでいた東京10区だったか、多摩の選挙区だったので我々は夫婦して彼に一票を投じた。

 ふうてんの投票原理はシンプルで(野党に投票する、それが民主主義である)というものである。

権力は必ず腐る。

だから国民は権力が腐らないように交替させねばならない。

しかし、ふうてんが投票を始めてから、ず~っと、40年ほども本当の政権交代はなかった。

去年の総選挙で初めてその政権交代が起こった。

 草の根運動から政治家になった、ということ以外にも彼には親近感を感じる要素があった。

東京工業大学を1970年に卒業している。

理科系の男である。

東京工業大学はふうてんが高校時代に東京へ大学の品定めに来て、一番はいってみたいなあと思った大学なのである。

大岡山の大学のキャンパスが大きすぎず小さすぎず落ち着いた地味な雰囲気でそれが気に入ったように記憶している。

 1980年からもう30年になる。

その間、管直人のやってきたことはコチラの期待をあまり裏切らなかった。

あまり、というのは二つだけ困ったことがあった。

一つは女性スギャンダル

一つは息子を政治家にしようとしたこと

 女性スキャンダルに関しては彼の嫁さんの(脇が甘いからよ)の一言で何となくウヤムヤになった。

息子さんの政治家への道の話はその後どうなったのかふうてんは知らない。

首相になるような人は自分の息子を政治家にしてはいけないと思う。

どうせロクな政治家になれっこないから。

 去年だったか、東京都議選のときに管直人の嫁さんが国立へ、ある候補の応援演説に来たことがあった。

その候補はうちの嫁はんの推す候補だったので、嫁はん、聴きに行った。

聴いて帰って、言っていた。

(やっぱり彼女はいいわ)

(話し方が上手だし、筋が通っている)

(偉そうぶらないしユーモアがある)

(管直人さんはお家では敷かれているに違いない)

うちの嫁はん、即ちふうてんの女房は彼女のファンなので握手なんかもしてもらったらしい。

(ずいぶん小柄な人だった、私より小さいかもしれない)

と今の時代では非常に小柄な、うちの女房は言った。

その候補は勿論当選した。

スティーブン・ジョブスのこと

 この世界的に有名な人物について評論するのは意味がない。

ただ、ここではふうてんにとってのジョブスとは何者であったか、を少し話してみたい。

 1980年ころ、自分が何者なのか、どういう仕事をすればよいのか、分からなかったふうてんは(パソコン)という仕事に出会った。

その時代に一番輝いていたパソコンは(アップルⅡ)だった。

アップルつまりリンゴがロゴマークになっていた。

でもそのリンゴは少し齧られていて欠けている。

フ~ム・・・・分からんなあ・・・なんで欠けとんのやろ・・・。

 そのうちアレコレ見聞きするうちに(アップル)というのはビッグ・アップルに通じていて、ビッグ・アップルとはニューヨークの愛称である、なんてことが分かってきた。

そのニューヨークにIBMの本社はある。

IBMは当時も、ひょっとしたら今も(コンピュータの盟主)なのである。

そのIBMを齧ってやるぜ・・・そういう意味なのだろうか、アップルのロゴマークの(欠けたリンゴ)は??

当時ふうてんが勤めていたコンピュータ・メーカはIBMに追いつき、追い越せというのが社是であった。

International Business Machines

エラいデカく出たもんだなあこのネーミングは、と思った。

しかし事実、当時のIBMは巨人だった。

それに追いつき追い越せというのだからふうてんがはいった会社もデカく出たものであった。

 それでアップルⅡをいろいろ使って、いろいろ調べた。

ユニークだったのはビデオ・インターフェースがコンポジットでテレビと同じ方式の映像信号を使っていたことだった。

当時はもうRGBの映像信号を使うことが普通になっていた。

色数は少ない(アップルⅡは16色)のだけれど、コンポジットだと適当に滲んで何となく(芸術的)に見えるので得をしていた。

 それから2、3年してマッキントッシュが登場した。

これはかなり衝撃的なマシンだった。

9インチのモノクロ・ディスプレイを使った一体型のパソコンだった。

パソコンで初めてGUI(グラフィカル・ユーザ・インターフェース)を使ったマシンだった。

画面上で、1ドットが縦横比1:1の黒い■で表示されていた。

それを増やしたり減らしたりして(形)を作ることが出来るエディターが付いていた。

■■■

 ■

 ■

とやるとTという字になる。

つまりマッキントッシュは初めて1ドットを操作できるユーザ・インターフェースを与えてくれたのだった。

 スティーブン・ジョブスとiPadの話は続きを次回以降やってみたい。

(ふうてんアーカイブス)

2010 初夏 フジイ画伯の花の絵

タンポポTanpopo_1  

Tanpopo  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コヒガンKohigan  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花モモMomo_1  

Momo  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボケ1Boke_11  

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ボケ3Boke_31  

Boke_32  

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