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2010年2月に作成された記事

2010/02/21

2010・2・21 ルノアールを満喫した篇

国立新美術館Renoir_4

 ルノアールを初めて見たのは中学3年生のときだった。

朝日新聞社主催の(ルーブル美術館展)が京都で開かれていた。

新聞を通じて連日四国の片田舎(伊予)までそのフランスの優雅な絵の香りが伝わってきた。

朝日新聞の写真入りの紹介記事を読んでいるうち、どうしても我慢出来なくなってきた。

 ちょうど3月の春休みころだったと思う。

神戸へ帰省する友人を頼りに松山港から夜の船に乗った。

瀬戸内海汽船、という風な名前の船だったと思う。

松山を出て、今治、高松に寄って神戸まで。

白々と夜が明けるころ船から見た神戸の、斜面に建った家々の明かりは外国へ来たようだった。

考えてみるとこれが初めての(海外旅行)でもあったのだった。

ふうてん14歳・・・もう50年も前のお話。

 神戸から京都までは、たまたま一緒の船に乗った学校の先輩が連れて行ってくれた。

そして京都の美術館(京都近代美術館?)でルーブルの至宝たちを見た。

14歳の少年にとって、それは目の眩むような体験だった。

クールベ、ドラクロワ、ミレー、マチス、モジリアーニ、そしてルノアール。

パリと京都市は姉妹都市であることもこの時に知った。

なるほどなあと思わせる大盤振る舞いだった。

こんなに沢山の傑作が日本で見られる展覧会はめったにないのではなかろうかと子供心に思った。

 ルノアールが特に印象に残った。

当時通っていた中学では油絵を教わっていた。

同じような筆や絵の具を使っているはずなのにどうしてこんな絵が描けるのだろう?

・・・・

 あと覚えているのは翌朝夜が白み始めるころ国鉄の北伊予駅から徒歩で家へ向かっているシーン。

ちょうど東の山の稜線が紫色に明るみはじめていた。

(ああこれが(春は曙)ってやつか・・・)

そうしてふうてん初の(海外旅行 京都への旅)は終わったのであった。

 以来、画集を買ったり、展覧会があるたびに訪ねたりしてルノアールを追っかけてきた。

今回の展覧会は馴染みの(傑作)が含まれていないようなのであまり期待していなかった。

しかし六本木に出来た(国立新美術館)がどういうものか知りたい、ということもあって出向いてみた。

 入場料が1500円です、という。

へぇ~、ちょっと高いなあという感じがした。

どういう作品が何枚くらいあるのか全く知らないまま会場へはいった。

入り口のすぐ近くに出口があった。

ハハ~ン、5枚か10枚やろな、それで1500円とはずいぶん・・・。

そういう下世話な貧しい想像力は会場にはいってすぐに打ち砕かれた。

そこには馥郁としたルノアールの世界が広く厚く展開されていた。

展示作品は80点に及ぶ。

 (アンリオ夫人の肖像)の前からは立ち去りたくなかった。

人の肌の部分では決して筆の跡を見せない。

衣服とか装飾品についてはわざとのように筆の跡を見せることもある。

(輝くバラ色の肌)といわれる肌はどのように描いたのだろうか?

絵の具の種類、筆遣いに余程の工夫がされているに違いない。

それを解説するビデオも会場では流されていた。

しかし、ふうてんはその解説を見る気はしなかった。

(ルノアールの謎)でいいじゃないかと思う。

 小一時間ほど会場にいて、疲れたので外へ出た。

この日は御茶の水で用事があり、六本木の美術館でルノアールを見て、そのあと青山でもう一つ用事があった。

朝から帰宅するまでに乗った電車は以下のようであった。

1.JR南武線

2.JR中央線

3.JR総武線

4.地下鉄三田線

5.地下鉄千代田線

6.地下鉄銀座線

7.井の頭線 

8.京王線

9.JR南武線

 魔界都市(大東京)で生きていくのもなかなかに大変やなあ、と。

ちなみにこのルノアール展は4月から大阪でも開かれるらしい。

関西のルノアール・ファンには是非足を運ぶことをお勧めする。

1500円、損しないことを保証しまっせ。

(ふうてんアーカイブス)

2010 2月 ルノアール展 国立新美術館

2010国立新美術館ルノアール展

地下鉄の駅の案内Renoir_1  

Renoir_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミロンガ 

Mironga_1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六本木ヒルズも東京ミッドタウンも青山墓地に?Bohyo_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トヨタ レクサス・スポーツLexus_1  

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なごり雪 牡丹雪が積もって消えたUki_1  

Uki_2  

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2010/02/14

2010・2・14 バレンタインデーにつき篇

今年は何しろ寒い(隠宅の雪)P2020132_2

 この3週間ほど東京では寒い日が続く。

昨日も今日も気温は5℃前後。

昨日、歯科医の杉森デンタル・クリニックへ向かうとき、小雨が小雪になろか小雨にしよか、と迷っていたので可笑しかった。

 今日の日曜日は朝から晴れたようだった。

2月14日、バレンタインデーである。

朝、いつもの日曜日の定番、6チャネルの関口宏の番組を見ていた。

コンコンとドアをノックする音がする。

ア~とかウ~とか返事すると、ガキが温かいお茶をいれて持ってきた。

(クンちゃん、お誕生日おめでとう)

とふうてんは言った。

 ビールを飲んで、最近の休日の昼飯の定番(ビーフン)を食べて、昼寝をする。

夕刻起き出して、まずロシナンテに一鞭。

バッテリーを代えたので不安はないけれど、端子の接触が悪くてすぐにはエンジンが掛からないこともある。

端子の接触が悪いと、抵抗が大きくなって熱を持ち、締めつけようと端子に触れて先週はヤケドをした。

今日はそれに学んで慎重に扱い、問題なくエンジンがブルルルル~ンと息を吹いた。

半径2キロ以内を一回りし、ロシナンテのストレッチ体操を終える。

 ロシナンテをチャリに乗り換えて女房と(繁寿司)へ行く。

トヨダさん、岩橋女史、山口夫人の(仲良し三人組)はもう席に陣取っていた。

こちらが入り込む隙がないくらい(三人組)の話は続いていた。

我々夫婦がバレンタインデー生まれのガキの話をしていると繁さんの奥さんが2本目の銚子を持ってきてくれた。

(ご主人が、生れました~、とおっしゃって店にはいってこられたの覚えてますよ)

とおっしゃる。

 それからしばらく、ふうてんのガキの誕生したころの話になった。

繁寿司には国立に移る前から行っていた。

国立に引っ越して、毎週のように行くようになった。

それがもう30年前になるだろうか。

国立へ移り住んで2、3年後にガキは生れた。

我々夫婦にとっては結婚して12年目の初めての子供だった。

ガキが生れる前、お腹が大きくなったころ、生れてからも、小学校を卒業するくらいまで、切れることなく毎週、繁寿司に通った。

子供のころは(アカ、アカ)と言ってマグロの赤みを好んで食べた。

 女房の証言によると、そのガキの誕生の日、昼過ぎからお腹が痛み始めたらしい。

それで馴染みの医院に入院した。

今から27年前の2月14日である。

(先生、できればバレンタインデーの今日中に)

と先生に言ったという話は今日初めて聴いた。

 当日、ふうてんは女房をタクシーで医院へ送ったあと自宅で酒を飲んでいた。

夜中の12時を過ぎても(生れました)という電話はなかった。

(ああ、バレンタインデーは過ぎたな)と思っていた。

そうしたら夜中の1時ころに医院の先生から電話があった。

(無事生れました、男の子です、生れたのは昨日(14日)の11時過ぎでした)

難産だったらしく、輸血か何かしていて連絡するのに時間が掛かったという。

 以来、バレンタインデーに女房はこの先生にチョコレートを贈り続けているらしい。

九州出身のこのドクターはふうてんもお会いしたけれど、まことに薩摩っぽみたいないい男なのである。

今日は繁寿司の奥方からチョコレートをもらった。

繁寿司の奥方からはチョコレートだけではなく、毎年バレンタインデーにはお菓子を戴く。

メーカーは必ず広島の(モーツアルト)という会社。

甘味、砂糖の甘味が苦手になったふうてんにもここのお菓子だけは食べられる。

繁寿司の女房どのと、この(モーツアルト)との関係は定かでない。

 ウィキペディアに聴くと(もともと、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖。ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日であるとされている)と出てくる。

そういう2000年近い前のヨーロッパの出来事が今東洋の地で(バレンタインデー)としてお祝い事の記念日となっている。スーパーへ行ってもデパートへ行っても店頭にチョコレートの山ができている。

(めでたいことは理屈分からんでもええないか)

とふうてんはニヤニヤしている。

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2010/02/08

2010・2・7 住大夫二月公演につき篇

国立劇場小劇場4列29番429_2

 このところ東京では寒い日が続く。

この間など雪までふって、朝のテレビのニュースで(水のように見えても路面は凍っているかも知れませんからコートのポケットから手を出して歩いて下さい)と流れた。

以前、コートのポケットに両手を入れて、階段でころんで額(ひたい)を打って三針縫ったことのあるふうてんは、こういうニュースには耳を傾ける。

三針縫ってくれた外科医が、

(戦時中は麻酔なんてなかったのだから我慢しなさい)

と言って、麻酔もせずに3回、エイ、エイ、エイッと針で糸を通した。

((せんせ~、もう戦争終わって40年ほどたってまっせ~))

という声は術後だからして小さく、せんせ~には聴こえなかったようだった。

 この寒い一週間に大きなニュースが次々と流れた。

朝青竜引退、小澤一郎不起訴、トヨタ社長リコール会見。

角界のトップ、政界のトップ、産業界のトップがテレビに顔を出して何ごとかしゃべった。

ふうてんはそういう報道を見たり聴いたりしながら、一つだけ足りないなあと思った。

(角界は江戸時代から続いている世界で古すぎる)

(政界は相変わらずカネまみれで古すぎる)

(トヨタも大きくなりすぎてもはや古い体質、つまり経営優先で顧客を忘れている)

・・・

と、一方的に報じている新聞、テレビはどうなのだろう?

(そっちの方がよっぽど古いんとちゃうかあ~?)

と言いたくなる。

何がどうして大問題になったのか、真実は何か?が知らされないまま表面的な事態ばかりが報道される。

何故、(引退)せねばならなくなったのか?

何故、大がかりなガサ入れまでして(不起訴)だったのか?

何故、ブレーキやアクセルがユーザに(違和感)を感じさせたのか?

結果を呼ぶには原因があったはず。

その原因を端的に報道してくれるテレビや新聞はないものだろうか?

 報道機関の系列化、記者クラブ、司法クラブなどの話は新聞、テレビでは(報道)されない。

しかし今はマスメディアではないインターネットという風穴も開いている。

この風穴から吹いてくる風にも耳を傾けるといろんなことが見えてくる。

インターネットは諸刃の刃である、とは思う。

こちらの判断力を鍛えておく必要はある。

 土曜日に寒風の中、国立劇場へ向かった。

今回は一人だったので何かと勝手が違った。

このところラガーマンを誘って住大夫さんを聴きに行くことが続いていた。

前回は去年の9月にぎっくり腰のみっともない姿に同伴してもらった。

二人だと、行き帰りの方法やら、途中でビールを飲むかどうかやら、終わってどうするかやら、相談しながら決めることになる。

行動に対して相談相手がいることになる。

 一人だとどういうことになるのだろう。

まず行きの電車で乗り換えの駅を間違ってしまった。

南武線の(武蔵溝ノ口)で半蔵門線に乗り換えるところを(武蔵小杉)と勘違いした。

大慌てで(東横線)に乗り換え、渋谷まで行って(半蔵門線)に乗り換えた。

おかげで15分ほど失った。

 国立劇場小劇場にたどり着いて、開演まで20分ほどあった。

二人だったらああしてこうしてと時間の使い方はすぐに決まる。

一人だと、ああしようかこうしようかと迷ってしまう。

一時間ほど聴いて休憩時間となる。

また、どうしようかと一人で戸惑う。

住大夫さんを聴き終わって、さて真っ直ぐ帰るか、どこかに寄るか・・・。

一人というのは自由でいいようではあるけれど、不便なもんやなあ。

・・・・

 4列29番という席は前から4列目の一番右端の席である。

謡いと三味線の席(舞台)の真ん前であった。

住大夫さんが一メートル半、野澤錦糸くんが一メートルのところにいる。

こういう経験は二度とできないのではなかろうか。

 演目は近松の(おさん、茂兵衛 大経師昔暦)だった。

京都で暦(こよみ)をあずかる(大経師)の一家での人間模様。

ひょんなことで不義の疑いをかけられた(おさん)と(茂兵衛)の物語。

(恋ならぬ恋の道)と住大夫さんは語っていた。

この演目はふうてんのような素人は知らなかったけれど溝口健二の映画(近松物語)の原作だと知った。

あの映画では(茂兵衛)を長谷川一夫、(おさん)を香川京子が演じていた。

カメラが宮川一夫、音楽が早坂文雄・・・悪かろうはずがない。

 住大夫-錦糸のコンビは3番目に登場した。

それまでに二組の謡い、三味線を聴いていた。

一メートル半ほどのところでシッカリと聴いていた。

しかし何かが全く違う。

余計な音が聴こえてこない。

必要な音だけがスムーズに滑らかに抑揚をつけてはいってくる。

人形浄瑠璃であって舞台では人形を使った芝居が進行している。

その人形たちと謡いと三味線が一体となって一つの(音楽)のように感じられてくる。

 住大夫さんはお元気そうだった。

80歳を過ぎているはずだけれど色つやがよいのに驚く。

錦糸くんのワザ・・・弦の抑えかたとバチのふるいかた。

音のクリアーさと音の切れ。

舞台ではこの演目の山場が演じられている。

う~ん、と席に腰を沈めて、こちらも、うなっていたに違いない。

 インターネットのeプラスでチケットを買い間違えたおかげで最上の席で聴くことができた。

こういうことはもうないだろうなあ、と思いながら寒風が強くなってきた道を半蔵門駅へ向かった。

 

(ふうてんアーカイブス)

2010 2月 文楽公演 国立劇場小劇場

会場は500席ほどKaijyo  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小劇場Shogekijyo  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大経師昔暦Daikyoshi_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30周年記念の紅梅と白梅

Ume_2  

 

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