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2010/02/08

2010・2・7 住大夫二月公演につき篇

国立劇場小劇場4列29番429_2

 このところ東京では寒い日が続く。

この間など雪までふって、朝のテレビのニュースで(水のように見えても路面は凍っているかも知れませんからコートのポケットから手を出して歩いて下さい)と流れた。

以前、コートのポケットに両手を入れて、階段でころんで額(ひたい)を打って三針縫ったことのあるふうてんは、こういうニュースには耳を傾ける。

三針縫ってくれた外科医が、

(戦時中は麻酔なんてなかったのだから我慢しなさい)

と言って、麻酔もせずに3回、エイ、エイ、エイッと針で糸を通した。

((せんせ~、もう戦争終わって40年ほどたってまっせ~))

という声は術後だからして小さく、せんせ~には聴こえなかったようだった。

 この寒い一週間に大きなニュースが次々と流れた。

朝青竜引退、小澤一郎不起訴、トヨタ社長リコール会見。

角界のトップ、政界のトップ、産業界のトップがテレビに顔を出して何ごとかしゃべった。

ふうてんはそういう報道を見たり聴いたりしながら、一つだけ足りないなあと思った。

(角界は江戸時代から続いている世界で古すぎる)

(政界は相変わらずカネまみれで古すぎる)

(トヨタも大きくなりすぎてもはや古い体質、つまり経営優先で顧客を忘れている)

・・・

と、一方的に報じている新聞、テレビはどうなのだろう?

(そっちの方がよっぽど古いんとちゃうかあ~?)

と言いたくなる。

何がどうして大問題になったのか、真実は何か?が知らされないまま表面的な事態ばかりが報道される。

何故、(引退)せねばならなくなったのか?

何故、大がかりなガサ入れまでして(不起訴)だったのか?

何故、ブレーキやアクセルがユーザに(違和感)を感じさせたのか?

結果を呼ぶには原因があったはず。

その原因を端的に報道してくれるテレビや新聞はないものだろうか?

 報道機関の系列化、記者クラブ、司法クラブなどの話は新聞、テレビでは(報道)されない。

しかし今はマスメディアではないインターネットという風穴も開いている。

この風穴から吹いてくる風にも耳を傾けるといろんなことが見えてくる。

インターネットは諸刃の刃である、とは思う。

こちらの判断力を鍛えておく必要はある。

 土曜日に寒風の中、国立劇場へ向かった。

今回は一人だったので何かと勝手が違った。

このところラガーマンを誘って住大夫さんを聴きに行くことが続いていた。

前回は去年の9月にぎっくり腰のみっともない姿に同伴してもらった。

二人だと、行き帰りの方法やら、途中でビールを飲むかどうかやら、終わってどうするかやら、相談しながら決めることになる。

行動に対して相談相手がいることになる。

 一人だとどういうことになるのだろう。

まず行きの電車で乗り換えの駅を間違ってしまった。

南武線の(武蔵溝ノ口)で半蔵門線に乗り換えるところを(武蔵小杉)と勘違いした。

大慌てで(東横線)に乗り換え、渋谷まで行って(半蔵門線)に乗り換えた。

おかげで15分ほど失った。

 国立劇場小劇場にたどり着いて、開演まで20分ほどあった。

二人だったらああしてこうしてと時間の使い方はすぐに決まる。

一人だと、ああしようかこうしようかと迷ってしまう。

一時間ほど聴いて休憩時間となる。

また、どうしようかと一人で戸惑う。

住大夫さんを聴き終わって、さて真っ直ぐ帰るか、どこかに寄るか・・・。

一人というのは自由でいいようではあるけれど、不便なもんやなあ。

・・・・

 4列29番という席は前から4列目の一番右端の席である。

謡いと三味線の席(舞台)の真ん前であった。

住大夫さんが一メートル半、野澤錦糸くんが一メートルのところにいる。

こういう経験は二度とできないのではなかろうか。

 演目は近松の(おさん、茂兵衛 大経師昔暦)だった。

京都で暦(こよみ)をあずかる(大経師)の一家での人間模様。

ひょんなことで不義の疑いをかけられた(おさん)と(茂兵衛)の物語。

(恋ならぬ恋の道)と住大夫さんは語っていた。

この演目はふうてんのような素人は知らなかったけれど溝口健二の映画(近松物語)の原作だと知った。

あの映画では(茂兵衛)を長谷川一夫、(おさん)を香川京子が演じていた。

カメラが宮川一夫、音楽が早坂文雄・・・悪かろうはずがない。

 住大夫-錦糸のコンビは3番目に登場した。

それまでに二組の謡い、三味線を聴いていた。

一メートル半ほどのところでシッカリと聴いていた。

しかし何かが全く違う。

余計な音が聴こえてこない。

必要な音だけがスムーズに滑らかに抑揚をつけてはいってくる。

人形浄瑠璃であって舞台では人形を使った芝居が進行している。

その人形たちと謡いと三味線が一体となって一つの(音楽)のように感じられてくる。

 住大夫さんはお元気そうだった。

80歳を過ぎているはずだけれど色つやがよいのに驚く。

錦糸くんのワザ・・・弦の抑えかたとバチのふるいかた。

音のクリアーさと音の切れ。

舞台ではこの演目の山場が演じられている。

う~ん、と席に腰を沈めて、こちらも、うなっていたに違いない。

 インターネットのeプラスでチケットを買い間違えたおかげで最上の席で聴くことができた。

こういうことはもうないだろうなあ、と思いながら寒風が強くなってきた道を半蔵門駅へ向かった。

 

(ふうてんアーカイブス)

2010 2月 文楽公演 国立劇場小劇場

会場は500席ほどKaijyo  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小劇場Shogekijyo  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大経師昔暦Daikyoshi_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30周年記念の紅梅と白梅

Ume_2  

 

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コメント

ユウキさん

 そうですか同じ日に住大夫さんを・・・。
いろいろ教えて戴きありがとうございます。
当方は文楽も歌舞伎も能もよく知りません。
たまたま仕事でコンピュータ・グラフィックスの3Dをやっていたときに、文楽の人形に興味を覚え、大阪の文楽劇場へ見に行ったのがことのはじまりでした。

 その後の経緯は覚えておりませんが、いつだか住大夫-錦糸のコンビを聴く機会があり、すっかりファンになってしまったという次第です。
故郷である伊予の内子へも二度ほど追っかけをいたしました。

 先日の公演、確かに住大夫さんの声は少し小さくなったようにも感じました。
しかし当方にとってそれは問題ではありません。
バド・パウエルの最晩年期の(クレオパトラの夢)にしても、指はついて行っていませんが、彼の最高傑作ではなかろうかという人もいます。
住大夫さんの芸は当方がこれまで親しんできたあらゆる(芸能)の中でも特別なもののように思われます。
アルゼンチン・タンゴ、ジャズ、フラメンコを特に好んで聴いてきました。
我々の世代はそういうものが豊富に日本で聴かれた時代を若いころに過ごしたのですね。
そういう経験で申し上げますと文楽はフラメンコと一緒です。
唄(歌)と踊りとギターの三位一体。
フラメンコにも凄い歌い手やギター弾きがいました。
ちょうど住大夫さんや錦糸くんのような。

 コメントを読ませていただいて、一度お会いしていろいろ語り合いたいなあと思いました。
同好の士というのは嬉しいものですねえ。
どうもありがとうございました。

投稿: ふうてん | 2010/02/17 23:01

はじめまして。
同じ日に文楽2部「大経師昔暦」を観劇していた者です。
住大夫師匠はこの前この演目が上演された時(2003年・11月大阪・文楽劇場公演)でも同じ「梅龍内」を語られました。大変僭越ですが、80歳を優に超えた現在は(84歳か?)高音の数箇所は、イキが続かず7年前の方が良かったように感じました。年齢を考慮したら、驚異的!な語りではありますが。

なお、文中で「謡」とお書きになっておられますが、文楽で演奏される音曲は「義太夫節」です。義太夫節は「唄う」とは言わず「語る」と言われジャンルとしては「語り物」の「浄瑠璃」に分類されます。
関西では義太夫節以外の浄瑠璃はほぼ消滅してしまったので、浄瑠璃と言えば義太夫節の事を指します。
ついでですが、歌舞伎の伴奏にも使われことの多い「語り物」の清元、常磐津も浄瑠璃の仲間です。ことにカァ~ンと高い調子で語る清元は江戸浄瑠璃の代表ですね。歌舞伎・勧進帳の音楽として有名な音楽は「長唄」でこれは「唄物」。語り物の「浄瑠璃」とは区別しています。
「謡曲」は能で聴くことができ、使用する楽器は笛・太鼓・鼓で三味線使用しません。

「近松物語」は原作をかなり脚色してあり、おさんの描き方も原作とはかなり異なっていたと思います。私は「別物」と認識しております。

投稿: ユウキ | 2010/02/17 20:42

楕円さん

 今年の冬は本当に寒いですね。
日本海側の大雪のニュースも久しぶりに見る思いです。
今週当たりからは寒さも緩み、その分天気がくずれるようです。
もうすぐ春ですなあ。

 新聞、雑誌、ラジオ、テレビという四大メディアの広告費はずっと下降しています。
その代わりがネット・メディアという次第。
印刷技術、放送技術が極限まで発達したと思っていたら次の技術にとって代わられる。
ネット・メディアによる宣伝広告がはびこると、どういう世の中になるのでしょうか。
一家でみんな一緒に、というメディアではありませんよね。
個化が極端に進むような予感がします。

 怖いですねえそれも。

投稿: ふうてん | 2010/02/08 09:16


 夜半一時庭にほんのり雪明り

 先週は、ほんとに寒い日が続いた。東京で月曜日深夜の積雪は、二年ぶりだという。
 その雪が、今夜も遅い昼食゜に向かう遊歩道の植え込みに残っていた。それが先週の冷え込みを象徴しているように思えた。
 寒いのは気候ばかりか、メディアも同様であろう。
 おっしゃるとおり、古いんですなぁ。メディアそのものが体制になり、利益優先で闘う姿勢が見えない。
 とくにひどいのが、テレビではないだろうか。
 例えば、自動車会社がスポンサーについているドラマでは、自動車に悪いイメージを与えるシーンは削除されると聞いている。
 スポンサーにおもねる番組が、面白いはずがない。それでも同じ愚を、今も繰り返している。自分で自分の首を絞めているようなものだ。
 ところで最近、テレビのコマーシャルが減っているような気がする。
 今夜も龍馬伝を見た後、ボクシング世界選手権にチャンネルを切り替えたのだが、7ラウンドから試合終了までコマーシャルは一度も入らなかった。
 従来なら、ラウンドの合間にコマーシャルが入っていた。それがないのは不況のせいだろうが、単にそれだけだろうか。
 こういう時期だからこそ、景気に左右されない真摯な番組構成を願いたい。
 

投稿: 楕円 | 2010/02/08 04:45

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