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2010年1月に作成された記事

2010/01/31

2010・1・31 アバターはアトラクション?篇

立川シネマシティ2P1280121_2

 もう2010年の1月も終わってしまった。

この間正月が明けた、と思っていたのに。

池波正太郎さんが50を過ぎると(坂道を転がり落ちるようだ)と書いていたことを思い出す。

 

 アッという間に一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一年が過ぎる。

この調子でいくと・・・。

 今夜の繁寿司は賑やかだった。

山口夫人、トヨダさん、ハナダさんご夫妻、新人一人。

カウンター席は一杯になった。

(こういう話し声もご馳走ね)

と女房が言った。

 木曜日に立川シネマシティ2で(アバター)を見た。

2週間ほど前に、かっての同志であり手下でもあった(天才牛若丸)と話した。

彼が(アバターはアトラクションですね)と言ったのが引っ掛かっていた。

映画ではなくアトラクションであると彼は言った。

女房に(アトラクションらしいけどどうお?)

と聴くと、見に行ってもいいよと言う。

 ジェームズ・キャメロンの映画は、前に見たのは(タイタニック)だった。

立川のシネマシティ1で見たのだった。

(タイタニック)を見始めて10分ほどたって、ふうてんは外へ出た。

沈没したタイタニックの海底での現状を延々と写し始めたからだった。

・・・・

外へ出ていろんな店を冷やかして酒を飲んだり本を立ち読みしたりして映画館の席に戻った。

女房には叱られたけれど、ちょうどタイタニックが縦になって沈んでいくシーンだった。

沢山の乗客が大騒ぎをしている修羅場だった。

(なんや運動会みたいやなあ)

と、しらけたような気分でエンディングの素晴らしい(歌 今でも名曲だと思う)を聴いていた。

 アバターは最初から最後まで席を離れることなく見守った。

こういう映画を評するのは難しい。

牛若くんが言った(あれはアトラクションですね)というのは当たっていると思った。

遊園地におけるジェット・コースターのようなものなのだろうか。

世界一の落差のあるジェット・コースター、と言えば客寄せになる。

そういう意味での(アトラクション)ではなかろうか・・・。

 3Dということでメガネを渡された。

確かに奥行きのある画面だったかも知れない。

字幕がごく手前に表示されることもあるし、中間的なところに表示されたりする。

しかし本当の3Dはこんなものではないだろう、という感じもあった。

怪鳥のようなものに乗って空を飛ぶシーンがある。

実際に自分が鳥に乗って大空を駆けめぐる・・・という感覚を期待していた。

 どうも今の技術ではそこまではいっていないようだった。

鳥に乗って飛ぶ連中を見ている、という感覚でしかなかった。

自分で飛んでいる、のではなくて(見ている)のだった。

つまり(没入感)は得られなかった。

 左右のカメラを使って左右のメガネを使って、それにコンピュータ・グラフィックスを組み合わせて新しい(映像世界)を作りたいとジェームズ・キャメロンは思ったに違いない。

(道半ばやなあ)というのがふうてんの結論だった。

(没入感)でいうと、我々は(ベン・ハー)や(アラビアのロレンス)や(グランプリ)を見ている。

これらはCGも3Dもなくて全部(実写)の映画である。

その没入感、迫力は(アバター)どころではなかった。

(グランプリ)でモナコのF-1のコースのヘアピンを走るシーンなど今見ても酔いまっせ。

 ただし(アバター)を見て収穫もあった。

未知の惑星の生き物たち、アバターたちのキャラクター作りは成功したと思う。

ライオンのような鼻の形が特徴的で黄金色の大きな目。

引き締まった肉体、特に極端に細いウェスト。

こりゃあ現実の人間とは違う・・・ということからCGで作られた映像であることに気づかされる。

3時間のあの映像を作るためにどれだけコンピュータは働きまくったのだろうか。

(お疲れさま)

という言葉が口をついて出そうになった。

 この映画は反米の映画である、とも言われる。

アメリカの歴史は原住民を殺し、自然を破壊し、奴隷を使って築いてきた(豊かさ)である。

刃向かうものに対峙する為に今も世界一の武力を持っている。

そのアメリカが新しい惑星で(アバター)を使って情報収集しようとしたところ、原住民の生きかたが自分たちと違うことに気付かされる。

やがて自然信仰など、彼らの生きかたに同調するようになり、派遣元の(アメリカ)と対立する。

最後には観客も(アバター)たち、作られた架空のライオンライクな不思議な生き物たちにシンパシーを感じるようになる

 牛若丸はこの映画を(あれはアトラクションですよ)と言った。

ふうてんはこの映画は(カリカチュア 今のアメリカの戯画である)

と思った。

(ふうてんアーカイブス)

2010 1月 立川シネマシティ2

隣はモノレールP1280116_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カメラマン助手は所在なさげ

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ここでチケットを買ってP1280125  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでビールとコーヒーを買うP1280124

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは立川基地だったP1280127

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2010/01/25

2010・1・24 アンコウの小鍋立ては旨かった篇

 このところ東京では寒いけれど穏やかな日がつづく。

昨日の土曜日、(大相撲初場所篇)と称する三人の飲み会にチャリで向かった。

近くの図書館で井伏鱒二の本を3冊返して志ん生の本を1冊借りた。

図書館を出てチャリで流していると残照の明かりに照らされたまことに平和な夕景だった。

思わず(暮れなずむ)という言葉が浮かんだ。

小椋桂の(シクラメンのかほり)にもあったような・・・。

(後でグーグルに聴くと小椋桂のは(暮れ惑う)だったけれど)

 三人の会では(アンコウの小鍋立て風)というのがヒットだった。

(きょうや)の主人がアンコウの吊るし切りをしているのを見たトヨダさんが、大きな鍋ではなく小さな鍋で三人に出してくれないだろうか?と頼んでおいてくれたらしい。

飲むときには食の進まないふうてんなのだけれど、この(アンコウの小鍋立て)はアッという間に平らげた。

鮟鱇の骨のダシとキモとミと、ちょっとした野菜。

めったに出会えない味だと思った。

 話題は今の(与党幹事長vs検察庁)の話から始まった。

メディアは一斉に幹事長のバッシングをやっている。

どうして新聞もテレビも同じ論調になるのだろう?

そんなことから話は始まった。

 ふうてんは(新聞とテレビがグループ化されているのは日本だけだそうですね?)と切り出した。

読売新聞-日本テレビ、毎日新聞-TBS、朝日新聞-テレビ朝日、産経新聞-フジテレビ。

テレビを見て、疑問が湧いたりすることもある。

新聞を読んでみよう、何か違うかもしれない・・・。

しかしテレビと新聞の胴元が同じだったら・・・論調は同じになっちゃう。

 トヨダさんがテレビの系列化の説明をしてくれた。

テレビ放送が始まったころ、いろんな会社がテレビに名乗りを上げたらしい。

映画会社とか鉄道会社とか。

しかし、やがて、新聞社だけになっちゃった。

(まるでプロ野球の変遷みたいですなあ)

 ラガーマンが(記者クラブ)という存在のことを教えてくれた。

これにはいっていないと政治家の会見などの場にはいることを許されず取材範囲が限られる。

必然、フリーランスのジャーナリストは孤独な闘いを強いられる。

 最後にふうてんはトヨダさんに聴いた。

(新聞、テレビが系列化されているとして、週刊誌はどうなんですかねえ?)

(出版社はまだ系列化されていなくて独立なんですよ)

(そうですか、新聞もダメ、テレビもダメ、最後の砦は週刊誌や本ちゅうことですか)

・・・・

(インターネットもあるかもしれん、しかしこれは玉石混淆やからなあ)

などと心の中でつぶやきつつ、ふうてんはアンコウ鍋を平らげたのだった。 

 今、日本のジャーナリズムは死んだといわれる。

どうしてこういうことになるのだろう?

戦争時代(大本営発表)を伝え続けてあのようなことになった。

今の新聞、テレビの新政権バッシングを見るとそのことを思い出さざるを得ない。

日本人は(同じ色に染まりたがる)民族なのだろうか?

同じ色に染まることをメディアは煽り立てる・・・。

 やっぱ図書館行って、本屋行って、友だちと話して、飲み屋のマスターと話して、女房やガキと話して、いろんなこと考えなアカンなあ。

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2010/01/17

2010・1・17 シンガー・ソング・ライターだった篇

成人式の日のどんと焼き(カメラマン助手撮影)Donto

 今日も寒かった。

夕刻5時、繁寿司へ向かうときおそらく5℃以下だったと思う。

それでも風がなく快晴でおだやかな夕暮だった。

冬至から一か月もたっていないのに、もう5時には明るさが残るようになった。

春夏秋冬同じ時刻に繁寿司へ向かうと四季の光の変化がよく分かる。

 時事的なニュースとしては何といっても小澤vs検察のバトルであろうか。

4億円で100坪の土地を買った。

その金の出所が焦点になっている事件であるらしい。

事件そのものはそうであるらしいけれど、本当は国家の権力構造の問題であるような気がする。

800兆円の借金がある日本の政権の主役が4億円で100坪の土地を買ったといって取り沙汰されているというのはまことにバランスが妙な話ではある。

権力は支配したがる、あるいは支配するためには権力を手にいれねばならない。

民主主義国家における権力とは何か?

それは国民の総意・・・選挙で表される、ハズ。

ところで(検察庁)のピープルは誰に選ばれてその職についているのだろう?

選挙で選ばれた人たちなのだろうか?

 立法、行政、司法の三権分立といわれる。

この中で一番分かりにくいのが司法である。

司法の制度をどうするか?にまで、この小澤vs検察の問題が議論として進展していくことを望みたいと思っている。

 

 先週だかその前だかに福山雅治のことを書いた。

テレビでちょくちょく彼の歌が流れてくる。

どうも(はつ恋)という歌であるらしい。

 何度も聴くせいか、コチラの頭にこびりつくような印象の曲である。

これは一体どういうことなのだろうかと思った。

ふうてんは福山雅治という人物のことを何も知らなかった。

(龍馬伝)で初めて知ることになっただけの人物である。

 コマーシャルで流れてくる(はつ恋)を聴いていて、ひょっとして、と思った。

この独特の感じは(シンガー・ソング・ライター)特有のあの(感じ)ではなかろうか?

井上陽水の(心もよう)、五輪真弓の(恋人よ)、小椋佳の(シクラメンのかほり)や(夢芝居)。

いずれもコチラの心に粘りつくようにからみつき、まとわりついて頭にこびりついて離れようとしない。

う~ん、粘りつく、絡みつく、まとわりつく、こびりつく・・・日本語もややこしい。

 それでグーグルに聴いてみた。

予想は当たっていた。

(桜坂)も(はつ恋)も福山雅治の作詞・作曲だった。

ちょっとまいったなあと思いつつウィキペディアの記事を見ると1969年2月6日長崎生まれとある。

2月6日の早生まれである。

彼も1月3日生まれの龍馬のように(マサちゃんは大器晩成型やから)と慰められつつ幼少期を過ごしたのではなかろうか。

 1969年といえばこの記事の1月3日に書いたように九州一周の旅をした年だった。

1969年の1月19日朝に東大の安田講堂の攻防を(人吉温泉)でみた。

その前の日は長崎の姉の家を訪ねたのだった。

ということは、ふうてんたちが長崎を訪ねたころ、福山家では臨月のお母さんがふ~ふ~言っていたことになる。

 長崎ではグラバー邸に寄った。

グラバー邸をふうてんは一発で気に入った。

京都の庭園などとは全く違う(エレガントさ)を感じた。

グラバーの話になると長くなるので割愛するけれど、グラバー邸は諸氏におかれても一度は訪ねてみることをお勧めする。

建物と庭の具合のバランスがまことによろしくて、小高い丘の上にあり、長崎の湾が見渡せる。

湾の向こう側に(長崎造船所)が見える。

 ふうてんの姉が長崎にいたのは旦那が三菱重工業に勤めていたからだった。

姉の旦那はまだ新入社員だったと思うのだけれど、三菱重工業にとって長崎造船所は大きな意味を持っているのではなかろうかという感じはした。

 今年のNHKの大河ドラマ(龍馬伝)の主役である福山雅治にかこつけて、こんな話をしてしまった。

歌手だったのも知らなかったけれど(シンガー・ソング・ライター)というのがよろしい。

出身地が長崎というのも悪くない。

2月生まれ、というのも身近な感じがする。

1969年、落第して明日の分からないふうてんを慰めるために土佐出身の友人がもくろんだ九州一周の旅のときマサハルくんがその地、長崎で生まれかかっていた。

少しだけ、これには運命的なものを、勝手に感じる。 

(ふうてんアーカイブス)

2010 冬 国立のどんと焼き(カメラマン助手撮影)

ご近所の一家Ikka  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相撲をとる家族Sumo  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんと焼きその1Donto_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんと焼きその2Donto_2  

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2010/01/11

2010・1・10 二月文楽公演・チケット予約の段篇

谷保天神の正月模様(カメラマン助手撮影)Tenjin_2  

Tenjin_1

 

 

 

 

 

 

 

 

 今場所は早く、10日が初日だった。

初場所初日は5年ぶりという両陛下のお姿も写し出された。

外国人力士ばかりが活躍するのはどうも・・・、という見方もある。

ふうてんなどはあまり気にならない。

チョンマゲを結ってフンドシを締めたら(力士)である。

というまことにシンプルな原理が気に入っている。

(龍馬伝)の2回目を観た。

シナリオの作られ方とカメラの使い方がこれまでとは違うと聴く。

司馬遼太郎原作、というのではないらしい。

黒澤明によって開発されたマルチカメラ・システムで撮っている。

ストーリー展開も映像の流れもまだこなれていない感じがした。

最後まで岩崎弥太郎がナレーションをやるのだろうか?

 この大河ドラマが気になるには理由がある。

主人公役の役者の名前である。

福山雅治(フクヤマ・マサハル)の雅治というのがイケない。

我々夫婦は、

女房の名前が雅美(マサミ)

旦那の名前が正治(マサハル)

足して2で割ったような名前なのである。

他人とは思えない。

名に恥じん演技せえよ、と応援したくなるのである。

 今年も二月文楽公演で竹本住大夫さんが出演されることになった。

チケットを入手するまでにいささかドタバタがあったので報告しておきたい。

1)eプラスからのメール

 eプラスというインターネットでのチケット・サービスがある。

申し込んでおくと、いろんな公演の、演者、ジャンルによりメールで連絡してくれる。

最初はフラメンコのパコ・デ・ルシアだった。

次が文楽の竹本住大夫さん。

フラメンコも文楽も今はマイナーな芸能なのでいつ誰の公演が行われるのか知るのは容易ではない。

それを向こうからメールで知らせてくれるのでまことに有り難いメディアだと思う。

2)ラガーマンとの会話

 今回もラガーマンを誘おうと思った。

(いかがですか、二月文楽公演で住大夫さん聴きません?)

(そうですか・・・僕、今回は遠慮しておきます)

3)eプラスでプレミア発売を予約

 eプラスで嬉しいのは一般発売(予約受け付け)の一か月くらい前に予約できることである。

ただしこれは抽選で、抽選結果を待たねばならない。

今回は一人なので、土曜日の二日を第一希望、第二希望で申し込む。

 二月文楽公演は第一部、第二部、第三部の三部構成である。

問題は住大夫さんがどの部に出るのであるか?ということ。

これはいつも悩む。

eプラスの案内には出演者の詳細を知らせるプログラムは提示されない。

いつもは住大夫さんの相方の三味線、野澤錦糸くんのホームページで確かめる。

今回はそこにもまだ案内がアップされていなかった。

第三部が(曽根崎心中)だったので、え~いママよ、と第三部を希望した。

4)eプラスから抽選結果がメールで来た

 一か月ほどたって(当選おめでとうございます、チケットをご用意できました)という嬉しいメールがeプラスから来た。

でもちっとも嬉しくなかったのである。

その後、野澤錦糸くんのサイトに(出演予定)がアップされて、住大夫-錦糸コンビの出演は第二部であることが分かっていたのだった。

おめでとうございます、と言われた演目は勿論第三部(曽根崎心中)だった。

 予約できたチケットは近くのコンビニ(セブン・イレブン)で購入することができる。

期間はメールが来てから1週間で、買わなければ予約は自動的に取り消される。

今回はそうせざるを得なかった。

5)一般発売の予約受け付けは電話で

 プレミア発売でそういうトンマなミスをおかしたのでもう諦めかけていた。

それでも念の為に1月7日の一般発売受け付け、午前10時からというのに電話してみた。

勿論話し中でつながりやしない。

10時に10回くらい、その後10分おきに10回ずつ以上かける。

ず~っと話し中だったけれど10時45分ころに、フッとつながった。

(二月文楽公演なのですが、住大夫さんまだ残ってます?近い方の席がいいのですが)

(土曜日ですと・・・例えば2月6日の2列27番は空いていますよ)

(2列ですか・・・ちょっと舞台に近すぎませんかねえ)

(4列29番もありますよ)

(4列ですか、29番・・・それって住大夫さんの真ん前ですよね)

(そういうことになりますねえ)

(じゃあそれでお願いします)

(ではお名前と電話番後を)

(~マサハル、福山雅治ではありませんよ)

(お声の調子で違うように思いましたけど・・・)

・・・・

6)チケットを買いに国立劇場へ出向いた

 電話予約したバヤイも一週間以内に購入しなければならない。

所用で御茶の水へ出向く日、国立劇場へ寄ろうと思って家を出た。

電車に乗ってから(予約番号)をメモし忘れてきたことに気づいた。

(まいったなあ、またの日にするのも面倒だし、電話して様子をきこうか)

・・・・

(あの~、予約番号忘れましてね・・・)

(公演日と座席番号分かります?)

(2月6日の第二部・・・確か4列29番です)

(お名前と電話番号伺ってよろしいですか?)

(・・・・)

(ハイ、予約番号は・・・・です)

(ちょっと待ってね、念の為メモしますから)

・・・・

 その日夕刻、やっと国立劇場のチケット売り場にたどり着いた。

(すみません二月文楽公演の・・・予約番号・・・なのですが)

(良かったですねえ予約出来て)

(eプラスで抽選に当たったのですが曽根崎心中で住大夫さんと違いましてね)

(住大夫さんと錦糸さんのコンビいいですよねえ、もう曽根崎心中の方も売り切れです)

(ところで4列29番はどういう席でしたっけ?)

座席の配置表を持ってきてくれる。

予想通り前から4列目の一番右の端。

その右側に謡い、三味線の小さな舞台がある。

まさに住大夫さんのツバが飛んできそうな席であった。

 何となく幸せな気分になってもう暗くなった国立劇場から地下鉄・半蔵門線の半蔵門駅へ向かった。

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2010/01/03

2010・1・3 土佐出身の友人がいた篇

今年のおせち(カメラマン助手撮影)Osechi

 2010年が始まった。

2000年という年もずいぶん区切りのいい年だなあと思った。

2010年も何となく字の形がスパッとしていて区切りがいい。

2009年はコチラの背中まで曲がるような字の形だった。

2010年、背筋をスッと伸ばしますか。

 今年のNHK大河ドラマ(龍馬伝)が始まった。

このところ大河ドラマはほとんど見ることがない。

昔はかなりマジに見ていた時期もあったのだけれど、だんだんどれも家庭ドラマ、そして学芸会のようになってきて見る気がしなかったのである。

今回の(龍馬伝)はどうなのだろうか?

第1回目を見て、やはり史実を踏まえてドラマを作るのはむずかしいなあと思った。

 坂本龍馬を生んだ土佐という土地はふうてんの生れた伊予と石槌山系を隔てた隣国である。

石鎚山は大して高くない山だけれどその山系によって両国は完全に隔てられている。

従ってあまり交流はなかった。

土佐は太平洋に面し、伊予は瀬戸内海に面している。

お互い石鎚山を真ん中に、尻を付き合わせて座って全く逆の方向を向いている、ような気配もあって(親近感)というものを感じるキッカケがない。

 京都の学校へいったとき、バイク好きだったふうてんは自動車部へはいった。

ハーレー・ダビッドソンのような大型バイクに乗れるのではないかと期待した。

(自動車部は四輪のクラブなのでオートバイはないよ)

と新入学生への部活説明会で冷たくあしらわれた。

しかし運動関係や音楽関係のクラブへはいる理由もなかったので自動車部に決めた。

その自動車部に土佐出身の男がいたのである。

 人物の特徴や魅力を文章だけで語るのはむずかしい。

それでもあえてこの男のことを話したくなった。

 結局、この男とは自動車部に入部したときから卒業するまで付き合うことになった。

細々としたことはさておき、こんなに愉快で頭がよくてカッコいい男はめったにいないと思った。

同じ工学部で彼は(原子核)こちらは(電気)だった。

専門科目の話をしたことは一度もなかった。

お互い学校へ行って授業に出ることは限りなく少なかった。

 破天荒な男だった。

もともと自動車部なんぞで時間をつぶす学生にまともでマジメなのは少ない。

出会ったときから(大人だなあ)という感じがした。

当時は18歳で高校を卒業すると大人の仲間入り、という感覚があった。

しかし個人差があってふうてんなどはオクテだった。

土佐出身のこの男は、颯爽と京都の街を闊歩している風に見えた。

彼は誰からも愛される人間で、当然のように自動車部の主将に推された。

 自動車部での付き合いだったので、車でアチラコチラ走ったときの記憶が多い。

いろんなラリーにも一緒に出場した。

彼は運転が上手いのでコチラはいつも助手席でナビ役か後の席で計算係。

ラリーの問題作りで、奈良方面、和歌山方面、遠くは高山当たりまでよく走った。

遠征と称して部車を連ねて四国一周をしたこともあった。

もちろん彼の出身地である高知やこちらの松山にも一泊した。

 夏休みなど帰省するときに一緒に帰ったこともあった。

彼の車で京都から神戸までいく。

神戸からフェリーで淡路島へ渡り、再びフェリーに乗って徳島の港へ。

徳島で別れて彼は車で高知へ、こちらは電車で伊予へ。

いろんなことを話し合った。

一つ印象に残っていることがある。

(もっと付き合いたいと思っているのだけど、なかなかそうならんなあ)

(そうやねえ、自動車部としての付き合いにとどまってるなあ)

(~との付き合いが濃いんやろね、お前さんのはいる余地が残ってないような)

(そやろね、それは分かるよ)

 その~という男は理学部で理論物理をやっていた。

この男は大分の出身だった。

土佐出身と大分出身の二人は仲が良くて、一緒に酒を飲みに行ったりしていた。

当時酒の飲めなかったふうてんはそれには参加できず、下宿を行き来してマージャンをやるような付き合いだった。

 ふうてんが卒業する年の1969年冬、この三人で九州一周をしようという話になった。

正月明けの寒い頃だった。

京都から2号線をひたすら走り下関をめざした。

理科系の3人。

コンピュータと原子核と量子力学。

何だか我々にはふさわしくない組み合わせだったと今にして思う。

そんな硬い話は爪の先ほども、一個も出なかった。

 九州一周の車の旅はまことに愉快なものとなった。

あらためて驚いたのは空が明るかったことであった。

それと人々が優しかった。

土佐出身の男はその魅力を遺憾なく発揮した。

例えば天草当たりで(連絡船)に乗ったとする。

すぐに売店や食堂の女の子と親しくなるのである。

そして(記念写真を写そうよ、あとで送るから住所をここに書いて)とアッという間に女の子の住所と電話番号と名前をメモしてもらっておりましたね。

 長崎、佐賀、熊本、鹿児島、宮崎、大分・・・。

途中で車のウォーター・ホースが破裂したりして苦労もあったけど、どこも風光は素晴らしかった。

旅の終わり方、人吉温泉の駅前旅館に泊まった。

朝、ロビーのようなところでテレビを見ているとニュース映像が飛び込んできた。

東大の安田講堂に立てこもった全学連が放水にもめげず火炎瓶を投げたりしている。

1969年の1月19日の朝だったのだろうか。

 関門道をくぐって下関から京都へ向かうころには有り金が全くなくなった。

広島で知り合いの社長さんに電話した。

(よう来たなあ、ま、ここで好きなだけ食べなさい)

と、あるしゃぶしゃぶ屋へ案内してくれて社長さんは去った。

この社長さんからは(昔は学生さんというのは大切にされていて、みんなお酒をご馳走したものよ)と聴いていたので、その通りだなあと遠慮なくいただいた。

しゃぶしゃぶ、なぞという旨いものは初めてだった。

三人とも、まことに遠慮なく、腹一杯飲み食いしたものである。

 京都へ帰ってから随分たってこの社長さんにお礼を言う機会があった。

(ほんとに遠慮しなかったなぁ、勘定書見てビックリしたよ)

我々にも若い、食欲旺盛な時代があった、というお話であります。

 この土佐出身の男には東京へ流れてから会っていない。

彼も東京に住んでいて住所もわかっているのだけれど、連絡して会おうという気持ちにならない。

京都の自動車部時代の、あのカッコいい、光源氏のような坂本龍馬のようなイメージのままでいて欲しいと思うからだろうか。

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