« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月に作成された記事

2009/12/27

2009・12・27 坊、寝んかいのころ篇

我が輩の名はシロ・・・らしいP3263771

 2009年も終わろうとしている。

今週は二つの、忘年会とも飲み会ともつかない会合があった。

一つは神保町、一つは国立だった。

 ビデオ・カメラのズーム機能が働かなくなったことを口実に(ふうてんアーカイブス)をさぼっている。

ああいう動画などをやらないとなんて楽なんだろうと味をしめそうである。

ビデオ・カメラのズーム機能が復活してくれないことを祈りたい。

 今年最後の日記なので一応今年を振り返ってみたい。

今年は何といっても(政権交代)の年だった。

3か月たって70%を超えていた鳩山内閣の支持率が50%以下になった。

一方、政党支持率は民主党が40%に対して自民党は10%だと聴く。

これが日本の現今の国民感情であるのだろうか。

そんなものだろうな、とふうてんは思う。

民主主義というのは51対49の世界だから国民全員が震えるような恍惚感を味わえるような政策なんてのは、残念ながらあり得ないのですねえ。

 資本主義が始まって400年、とか明治維新以来150年とかテレビの番組で聴こえてくる。

ターニング・ポイントにさしかかっている、という。

ターニング・ポイント?

どちらへ向かっていたのがどちらに向かおうとしているのか。

その両方の(どちら)を分かりやすく説明してくれる人はあまりいない。

困ったことである。

人丸どのとのランチョン

 吉田健一さんがよく通ったという神保町の(ランチョン)へ初めて足を踏み入れた。

吉田健一さんのファンであるふうてんは前からランチョンのことは本や雑誌で知っていた。

人丸どのが明石から久しぶりで東京に来るというので会合場所を思案した。

忘年会の季節とて、予約していた店がアウトとなりこのランチョンになったのだった。

(僕はこのエビ・クリーム・コロッケにしようかなあ)

(とりあえずソーセージも)

(フライド・ポテトもビールに合いますよね)

ビアホール風でもあるランチョンにはそのようなメニューが多いようだった。

 人丸どのと来し方行く末を話し合った。

会談にはいろいろあるけれど二人だけの会談には余計なものがはいらない良さがある。

二人でしんみりと話をすることができる。

(いつか松山で青木さんを囲む会をやりますか)

青木さんというのは我々の共通の先輩なのである。

(松山・・・いいですねえ、我が家へどうぞお泊まりを、とはいきませんが、ホテルでよろしかったら)

 勘定をすませて(勘定は人丸どのがしたようだった)、ランチョンを仕切っていたオバちゃんというかチーフというか客係の主任に声をかけた。

(吉田健一さんご存じですか?)

(ハイ、よく存じあげております)

(お酒強かったと聴いていますが・・・)

(よく話す方でした、それで取材の雑誌社の人はみなさん飲まされることになります)

(書いたものを読むとかなり・・・)

(それでね、どの出版社も一番お酒の強い方が吉田番になったそうですよ)

(ハァ~・・)

(社に帰って取材記事を書こうったって・・・もう寝ちゃうしかないわけで)

(それで吉田健一さんはここでお昼にビールのジョッキを1、2杯やって、お昼ごはんを食べて、最後にグラスに半分ウィスキーを注いで、それに紅茶を入れてグラスを満たして、クククッと飲み干して大学の講義に向かったと聴いていますが・・・)

(ハイ、その通り、そうされていました)

(学生さんに講義をする前にそんなに飲んで大丈夫ですかねえ)

(青二才どもにしらふで話せます?あなた、とおっしゃいましてねえ)

 ランチョンはこのチーフのおばちゃんがいるうちに通ってみたいと思った。

国立三人集のつどい

 昨日はラガーマン、トヨダさんと谷保の(きょうや)で忘年会をやった。

ラガーマンもトヨダさんも本当に映画を(リアルタイム)で見ている。

我々の世代だから1950年代、1960年代の映画である。

 映画の話になると尽きない。

サム・ペキンパーのスローモーションは誰の影響なのだろう?

なんて話になる。

 考えてみるとこのお二人は(書き物)の世界でこれまで生きて来られた。

トヨダさんは出版社の編集者というお仕事。

ラガーマンは何かを書いて業界誌に載せるというお仕事。

ふうてんのような理科系の理屈をつけて妙なものを世の中に出して迷惑かけたという世界ではない。

 それでも話が合うというところが面白い。

トヨダさんにランチョンの話をした。

勿論彼は若い頃吉田健一さんと付き合いがあった。

(ランチョンというのは昼間の話ですよね)

(ハイ)

(夜になると、健一さん~クラブに姿を現すんです)

(ランチョンでビールのジョッキから始めて・・・夜は~クラブですか)

(そうなんですよ、でもさすがにそれだけきこしめしておられますから、あまり量はね)

 ラガーマンは大阪、トヨダさんは東京。

そういう(都会)には当時映画館は山のようにあった。

ふうてんがいた(松山)なんてのは封切館がせいぜい4、5軒だった。

大阪や東京には数限りない封切館、二流館、三流館があったらしい。

二流館、三流館というのはトヨダさんのお言葉で思い出した言い方であった。

 お二人とも(幼少)のころから映画には親しんできたらしい。

ふうてんなどは中学生になって松山の(銀映)という二流館だか三流館だかでリバイバル映画三本立てを55円で見た。

西部劇などが大はやりの時代で、学校には禁じられていたのだけれど、しょっちゅう通ったものだった。

 このお二人との忘年会で(ラガーマンはどうもお坊っちゃま育ちらしい)ということが話題になった。

映画見物にしても(おじいちゃんと一緒に観た)とかいうセリフがよく出る。

トヨダさんとかふうてんなどは(親の眼を盗んで)という言い方になる。

(これから鳩山さんと呼ぼうか)

などとトヨダさんとふうてんはラガーマンを冷やかした。

 ラガーマンは今、映画のDVDを1000枚集める目標を立てたという。

集めたのは今のところ200枚であるらしい。

いいなあと思う。

まだ800枚、800本も残っているじゃないか。

(ほとんど観たことある映画なんですけどね)

とラガーマンはいう。

 というようなことで今年も暮れていった。

来年はどういう年になるのだろうか。

親はもういない。

学校はとっくに卒業しちゃった。

会社も数年前に引退した。

あとは自分で決めるばかり。

いつまで他力本願してるんや。

たまには自力でいかんかい。

 弱りましたなあ。 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009/12/21

2009・12・20 スカーフのお勧め篇

2009 コナラの紅葉Konara

 この2週間ほど東京はかなり寒い。

コートを着て手袋をしてスカーフを首に巻き付けて外へ出る。

 

 ふうてんはこれまでマフラーというものを持ったことがない。

首回りを温めるためのものとしては大袈裟すぎるような気がする。

それと顔やノドにああいう毛糸のようなものが触れるのは煩わしい。

 ネクタイというやつは防寒用にはまことによく出来ていると思う。

首筋をしっかりと絞めることで寒気を完全に遮断する。

まさにneck tieである。

ネクタイを絞めた上にマフラーをするというのがよく分からない。

 会社員としてやっていたときまではそれでよかった。

平日はほとんどネクタイをしているし休日の寒いときに外出することもあまりなかった。

ところが会社へあまり行かなくなり、定年が近づいた頃から急に冬の寒さがこたえるように感じられた。

首の当たりがスースーして冷たいのである。

そんなときに女房から(これしたら)と一枚のスカーフを渡された。

 薄い布地のスカーフをくるくるくると巻いて首に巻き付け一結びし、襟の中へ押し込める。

これはまことに重宝だと思った。

アスコットタイのように見た目を気にするものではない。

むしろカウボーイがやっている砂ぼこり除けのためのスカーフに近いと思う。

アチラは砂ぼこり防止、コチラは寒さ防止。

近くに府中競馬場はあるけれどアスコット競馬場はないことだし・・・。

 今夜は(キリタンポ鍋も悪くない篇)というタイトルのはずだった。

ところがNHKの坂の上の雲を見ながら宵寝をしてしまった。

10時すぎに起き出してBS2で見直しているとすでに11時半。

キリタンポ鍋のダシがどうだとか具がどうだとか書くのが面倒になってしまった。

冬場のうちに再チャレンジしてみたい。

| | コメント (2)

2009/12/13

2009・12・13 久しぶりにドストエフスキーの(白痴)を読んだ篇

絵がないと寂しいから33

 12月も半ばを過ぎた。

今日など、夕刻繁寿司へ向かうころはもう真っ暗だった。

あと2週間もすれば大晦日。

なるほど暗いはずだわ、などと言いながら女房とチャリで向かう。

 例年だと大河ドラマは総集編をやっているはず。

今年は(坂の上の雲)が始まったので総集編はどこかへ追いやられたらしい。

普段大河ドラマを見ないふうてんは繁寿司から急いで家へ帰ることはなかった。

今年は(坂の上の雲)を見るために、書簡集でもウィスキー一杯、コーヒ一杯でまことに慌ただしい。

 秋山兄弟の影響は昔我が家にも少し押し寄せたのかもしれない。

弟の真之(さねゆき)の名前が気に入ったのだろうか。

ふうてんは4人兄弟で男が三人いる。

兄貴は和之(かずゆき)、弟は信之(のぶゆき)

真ん中のふうてんは当然、正之(まさゆき)であってよかったと思う。

ところが何故か正治(まさはる)になったのであった。

 どうして自分だけ正治というカッコ悪い字の名前なのだろう?

正之、だったらよかったのに。

正治・・・字のカッコもよくないし、マサハルという音も何となくしまらない。

嫌な名前だなあと思った。

之だとほとんど3画ですむ。

治だとあなた、8画にもなる。

 今年(坂の上の雲)が始まり、来年は(龍馬伝)だと聴く。

明治維新から始まり日露戦争を経て世界へ拡大していこうとした時代。

その結果がどうだったのかを知った上で当時を振り返るのも悪くはないと思う。

何かよい点があったに違いない。

同時にどこか間違っていた点もあるに違いない。

 世の中がそういう風だった時代に、日本では夏目漱石という作家を生んだ。

ロシアではちょっとその前だけれどドストエフスキーという作家を生んだ。

ふうてんには作風の全く違うこの二人の作家が重なって見えてしようがない。

 (白痴)を読み直した。

(悪霊)を読んだあと迷っていたのだけれど(春宵十話)で岡潔が次のように書いていたことが引っ掛かっていた。

(私の読んだ中では、文学者で女性が本当に描けていると自信をもっていい切ることのできる人は、日本では漱石、外国ではドストエフスキーくらいではなかろうか。漱石の(それから)にしろ(行人)にしろ本当に面白く読めるが、その一つの理由はそこに出てくる女性が本当に心臓が鼓動しているからだと思う。ドストエフスキーで例をあげれば(白痴)のアグラーヤは本当に生きたもの描かれている)

 アグラーヤ?ほとんど記憶の外になっていた。

しかしほかならぬ岡潔先生のおっしゃることである。

漱石を読み込んでいることは春宵十話の中でよく分かっている。

であるならば、きっとアグラーヤも魅力的な女性なのではなかろうか。

 (白痴)を読み直して驚きましたね。

AからZまであるとして、覚えているのはAとZだけでしたなあ。

出だしの、ペテルブルグに向かう列車の中でのムイシュキンとラゴージンの会話。

これがAですわね。

そしてラスト、プ~ンと一匹のハエが飛んだ。

これがZですわね。

あとのBからYまではほとんど記憶にないのでありました。

 岩波文庫の米川正夫訳で読んだけれど、岡潔先生のおっしゃるとおり、上下2巻の下巻は全編これアグラーヤなのですね。

アグラーヤという若い女性が陰に陽にストーリーを支配するのですね。

読み終わって(恐れ入りました、まことにおもしろうございました)とロシア方面の作家にシャッポを脱いだのでありました。

(ふうてんアーカイブス)

2005年4月 ドストエフスキー三題噺篇

チャンプルーな街下北沢1_3 

| | コメント (0)

2009/12/06

2009・12・6 おりょうさんの聞書き篇

楢崎 龍(ならさき りょう)

出典:ウィキメディア・コモンズNarasaki_ryo_2

 通りの紅葉が散ってしまった。

これから春までは草木の変化を楽しむことはできない。

毎年どのように過ごしていたのだろう?

 この間本屋さんを冷やかしていると(わが夫 坂本龍馬)というのが目についた。

本の帯におりょうさんの顔写真が載っている。

オヤッ?と思って手にとった。

副題に(おりょう聞書き)とある朝日新書だった。

 今ちょうど(坂の上の雲)が始まり、来年の大河ドラマは(龍馬伝)だという時期である。

あたかもその時期に合わせたような出版ではなかろうか?

と、まずは著者(一坂太郎)のあとがきを読む。

(本書でおりょうが語る坂本龍馬からは、古き良き時代の不良の匂いがぷんぷんとする。・・・おりょうの方も、負けてはいない。妹が騙されて売られそうになるや、やくざ者相手に大ゲンカをして取り戻す・・・自分で考えることをせず、飼いならされてしまった若者たちが、もっと不良になって大空の下で暴れれば、ちょっとはましな日本になるのではないか・・・)

などとある。

 この本のもとになった聞き書きは明治30年ころになって、龍馬時代の二世たちがおりょうさんにインタビューを試みたものであるらしい。

坂本龍馬という人物はそれまでほとんど人に知られない存在だったようで、おりょうさんとしてはいささか不満だった気配がある。

 聞き書きであるし、内容は少ししかない。

しかし、そこから伝わってくるものは非常に生々しいものがある。

1860年ころ、明治維新の直前に出会った若い二人の、ある意味冒険談のようなストーリーが展開される。

語りは短いけれど実体験であるからリアルで説得力がある。

 一番の大立ち回りは(寺田屋事件)なのだけれど、サッパリして一杯やろうと風呂にはいっている時、槍でおどされて・・・から始まる。

風呂から飛び出して着物を一枚羽織って二階へ駆けつける。

ピストルで応戦している龍馬が(もう弾がないなあ)などと言っているので転げるようにして弾箱を取りにいこうとする・・・。

逃げるとき手すりにベットリと血がついている・・・どちらかやられたな・・・。

・・・

 何だか読んでいるうちに映画(俺たちに明日はない)の原作であるボニー・アンド・クライドを思い出した。

あれは銀行強盗をする若い二人のストーリーだった。

当時のエスタブリッシュ格の代表である銀行への反逆。

アメリカでは禁酒法が行われ大恐慌の時代だった1930年ころのお話。

強盗や殺人を繰り返した二人なのに、蜂の巣にされて死んだあと国民的な人気が出たという。

 閉塞した時代に若い二人が出会って大暴れする。

そういうときの若い人の証言としてこの聞き書きは貴重なものではなかろうか。

それにしてもまさに(俺たちに明日はない)というような生活だったと思う。

毎日のように居所を変え、敵の襲撃に備えなければならない。

おりょうさんも小刀を離さなかったようであった。

京都の薩摩藩邸に来てはという申し出を龍馬は土佐藩に遠慮して断っていた。

その土佐藩邸は脱藩した龍馬を迎え入れなかった。

寺田屋やら近江屋をうろうろするしかなかった。

やがて・・・。

ちょっと哀れなような生身の坂本龍馬が感じられた。

(ふうてんアーカイブス)

ソニーのデジタル・ビデオ・カメラ不調につき当分の間休館します。

| | コメント (4)

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »